社長ブログ

社長、五輪に思いを馳せる⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。衝撃的な『武漢封鎖』に始まった新型ウイルス騒動、弊社の本社工場の在る首都圏に於いても、ようやく収束の兆しが見えて来ました。同じコロナウイルスで2003年にパンデミックを起こしたSARSの場合、その後に再流行が起こらなかった一方で、凡そ100年前に『スペイン風邪』が世界的に流行した際は、1918年春の第一波の犠牲者が少なかった日本でも、秋の第二波で26万人(罹患者の致死率 1.2%)、翌1919年の第三波でも18万人(同 5.3%)の方々が命を落としたのだそうですから、全く油断できません。お客様にご安心頂けるサービス体制をお約束する為にも、今秋に向け万全の対策を講じていきたいと思います。

さて、出口戦略を語る上でも引き合いに出されることの多いのが、『100年に一度の経済危機』と言われた 2008~2009年のリーマン・ショック。マーケットが急激に縮小していく中ライバル企業が倒産し、実質的にその営業基盤を引き継いだ弊社の場合、その後の業績は順調な回復を見せましたが、私たちの肌感覚は表面上の数字とは全く違っていて、追い風に乗って順風満帆という印象とは程遠いものでした。例えるなら “糸の切れた凧” とでも言うべきでしょうか、荒れ狂う激しい嵐に巻き上げられ、自分の意志とは関係なく強風に流されるままに身を委ね、行き先は『風まかせ』といった状態。お客様のご要望にお応えするのに精一杯で、結局その傾向は、東日本大震災の復旧復興需要まで続き、”神風が吹く” とは、こういうことを言うのかも知れないと、つくづく感じたものです。今回は、2011年1月の朝礼で取り上げたエピソードから。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

皆さんは、『フォロー(追い風)』と『アゲンスト(向かい風)』、どちらが有利だと思いますか? スポーツの中には『アゲンスト』の方が有利なものも有って、代表的な例ではノルディク・スキーのジャンプ競技。国際スキー連盟によれば、風速1m/秒の向かい風が吹くと飛距離が約5mも伸びるそうで、不公平をなくす為、現在は風向きによって点数を補正するルールとなっています。10m/秒を超える海風が名物、プロ野球千葉ロッテの本拠地は ZOZOマリンスタジアム。上空ではセンターからホーム方向に吹く風が、バックネット裏の観客席にぶつかって吹き降ろし、マウンド上のピッチャーは向かい風をまともに受ける形に。2010年日本シリーズの第3戦、これを巧みに利用したのが千葉ロッテの渡辺俊介投手。持ち味の緩い変化球は強い逆風に変化を増し、中日相手に97球、省エネの完投勝利で、リーグ3位からの下剋上の原動力となりました。

ジャンプの飛距離が伸びたり、変化球の切れが増したり、これらは向かい風から受ける『揚力』を利用しています。五輪種目でもあるセーリング(ヨット)競技、『風まかせ』と思われるかも知れませんが実は、セールに受ける向かい風により生じる『揚力』と、センターボード(船底にある横流れ防止用の板)に受ける水流からの『揚力』を巧みに利用して、風上に向かって進むことが出来るんですよ。風向きに対して45度方向。従って その航路はジグザグとなり最短距離とは行きませんが、ライバルの位置取りを予測しながら風向きや波・潮流を読み取って、無限の選択肢から最善のルートを選び出し、他艇より早くゴールすることを目指すスポーツです。大海原を舞台に向かい風を物ともしない このセーリング競技、コロナ・ショックという逆風に晒されている今、私たちの一つの参考になるかも知れませんね。

2011年1月の朝礼を、当時の私はこう締め括っていました。「私が船長だったら、乗組員の人数分のオールも載せます。風が止んだら、皆で漕ぐしかありませんから(苦笑)。」今回は流石に、この手の “根性論” は お勧め致しません。未知のウイルスとの長期戦、業種によっては、手遅れになる前に一度 “けじめ” をつけるという選択も、一つのオプションなのかも知れません。長い人生、少し遠回りになっても良いじゃないですか。世界には、幾つもの会社を潰しながらも、成功を掴み取った起業家が大勢いると耳にします。日本では何故それが難しいのか? “再挑戦の出来る国” 。ポスト・コロナの日本が、そんな国に生まれ変わってくれることを期待したいと思います。

※一部、表現を変更しました。

 

社長、五輪に思いを馳せる⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2019年のプロ野球観客動員数、2,653万人は過去最高だそうです。2008年の北京五輪以来 3大会ぶりの復活となれば、この夏 横浜スタジアムを中心に行われる野球競技が、盛り上がることは間違いない筈でした。思い返せば 2009年3月、延長までもつれた韓国との決戦、イチローの一打で『侍ジャパン』はWBC 2連覇達成。世界金融恐慌後の景気低迷に苦しむ日本に、明るい話題をもたらしてくれたのも野球でした。その活躍の裏で、実は日本選手の多くが、国際試合で使用されるボールへの対応に苦慮したのだそうです。今日は、2011年7月の朝礼で話したエピソードからお届けします。もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

野球のボール、その規格は世界共通で定められています。公認野球規則1.09「ボールはコルク、ゴムまたはこれに類する材料の小さい芯に糸を巻きつけ、白色の馬皮または牛皮二片でこれを包み、頑丈に縫い合わせて作る。重量は5オンスないし5オンス1/4 (141.7g~148.8g) 、周囲は9インチないし9インチ1/4 (22.9cm~23.5cm) とする。」 ただし、巻き糸や縫い糸、反発度に関する規則はなく、反発係数はNPB(日本野球機構)では、独自に0.4134~0.4374の範囲と定める等、日本で使用されているボールと国際試合で使用されるボールには、いくつかの点で違いがあったのだそうです。2013年のWBCを見据えて2011年シーズンから採用されたのが “統一球”、所謂『飛ばないボール』です。

具体的には何が変わったのか。まず、コルク芯を覆うゴム材を、新たに開発した低反発素材に変更し、反発係数を、NPB独自規格値下限の0.4134に、限りなく近づけました。この新素材の採用により、ある条件下の計測結果では、打球の飛距離は1.0m短くなったとされています。統一球が『飛ばないボール』と呼ばれる所以です。縫目については、国際球に感触を近づけるために、縫目幅を7.0mmから8.0mmへ、1.0mm広く、縫目高さを1.1mmから0.9mmへ、0.2mm低くなりました。ボールの表面を覆う牛皮は、滑りづらい背中側の部位のみを使用していましたが、ツルツルとした脇や腹の一部も使うこととなりました。結果として、2011年シーズンは近年稀に見る『投高打低』。顕著なのがホームラン数の減少です。2010年12球団トップの年間144試合で226本塁打を記録したジャイアンツで、半分以下の年間108本にしか届きません。最下位の千葉ロッテに至っては、なんと52本塁打。これ個人成績ではありませんよ。

しかし 1950~60年代の日本プロ野球は、2011年シーズン同様『投高打低』だったんだそうです。『神さま・仏さま・稲尾さま』、1961年シーズン42勝をあげた稲尾和久投手の、1956年~1969年の14年間の通算防御率は1.98。1試合9イニング投げ抜いて奪われる点数が2点以下という、驚異的な数字です。1970年代に入ると、投手受難の時代が到来。日本の高度経済成長に合わせるように、プロ野球では打撃戦が増えました。反発力を高めた、つまり『飛ぶボール』が導入されたからだ、と言われています。以降、王・長島の活躍、ジャイアンツのV9と共に、プロ野球は黄金時代を迎えました。1980年までは、反発力を高めるために木材に樹脂加工を施した『飛ぶバット』、圧縮バットの使用も認められていました。ホームランは “野球の華” と言う訳です。国際球に反発係数などを近づけたボールを『飛ばないボール』と呼びましたが、2010年まで日本で使用していたボールの方が “ガラパゴス” 、実は『飛ぶボール』だったんですね。

新型ウイルス感染拡大による休校措置の長期化を受け、『9月入学』が議論されています。子供の教育を受ける権利を保障するだけでなく、秋入学が一般的な『国際標準』に合わせられることもメリットで、私は大賛成です。ポスト・コロナの時代を支える主役は誰なのか、厳しい国際競争に晒されるのは誰なのか、考えれば答えは明白で、子供たちは今から『飛ばないボール』に慣れたほうが良いに決まっています。聞こえてくるのは、悲しいかな 教育関係者の屁理屈ばかり。如何なる “大人の事情” も、子供たちの学ぶ権利を奪うようなことが有ってはなりません。

※誤りを修正しました。【誤】観客動員数、263万人→【正】観客動員数、2,653万人

※一部、表現を改めました。

 

社長、五輪に思いを馳せる⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。愛犬家の皆さんは よくご存知の『フィラリア(寄生虫の一種)』のお薬が、新型コロナウイルスの治療に期待できそうだというのですから驚きです。子供の頃、お尻の穴に貼ったフィルムを学校に提出した、所謂『蟯虫検査』を皆さんも鮮明にご記憶のように、寄生虫による感染症は人類も長年 悩まされてきた病気です。近年の日本では、生魚から感染する『アニサキス』が問題となりました。アジア・アフリカの熱帯地域に於いては、寄生虫症は今なお深刻な問題で、その特効薬がノーベル医学賞・生理学賞の大村智先生が開発した『イベルメクチン』という訳です。副作用が少なく量産体制の整えやすい この薬が、家庭の常備薬として早期承認を受けることを期待したいところです。一方、寄生虫に感染する機会の減った日本では花粉症等のアレルギー症状に苦しむ人が増えていて、寄生虫に抗う為に発達した自然免疫が敵を失い、スギ花粉等に過剰反応した結果なのだそうです。

さて、スペインの征服により16世紀に滅びたアステカ文明、近年はスペインから持ち込まれた感染症(天然痘・サルモネラ菌等)が滅亡の主な原因だったのではないかと考えられていて、免疫を持たない先住民の人口は、100年足らずのうちに10分の1以下に激減してしまったのだそうです。その標高2,200mを超えるアステカの地で、1968年10月、ホスト国メキシコを下し銅メダルを獲得したのが、サッカー日本代表。エースストライカーの釜本邦茂は、6試合で7得点を決め得点王となりました。その後は2012年のロンドン大会の4位が最高で、長年メダルには手が届いていない日本。今回はサッカーW杯ブラジル大会の最中、2014年7月の朝礼で取り上げたエピソードから お伝えします。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

本田、香川、長友ら、ヨーロッパの名門クラブで活躍するタレントを揃え、直前に行われた親善試合にも2連勝。初のベスト8入りも期待されながら、初戦コートジボアールに敗れ第二戦もギリシアと引き分け、後がなくなったザック・ジャパン。強豪コロンビアとの大一番を前に、ザッケローニ監督と日本サッカー協会との間で話し合いが持たれ、『パワープレー』が封印されました。前線の長身の選手の頭に合わせてロングボールを放り込み、ヘディング又はそのこぼれ球でゴールを狙うというシンプルな戦術を禁止し、コロンビア戦では結果を恐れず、素早いパス回しで相手守備陣を崩す、本来の日本サッカーを貫こうと言う訳です。結果は 1-4 の惨敗。勝ち点1で一次リーグC組最下位という、残念な結果に終わりました。

4年後のロシア大会ではコロンビアに 2-1 で雪辱し、ポーランド戦での時間稼ぎには賛否両論ありましたが、見事に決勝トーナメント進出。強豪ベルギーを相手に選手たちは日本のプレースタイルを貫き、世界の称賛を集めました。ザッケローニは、何故『パワープレー』に頼らなければならなかったのか?ブラジル大会、南米勢、出場6ヶ国中5つのチームが決勝ラウンドに勝ち残りました。中米の2チームを含めると、16チーム中、実に半数近い7チームがブラジル周辺の中南米で、これはもう地の利を生かしたとしか考えようが有りません。ブラジルと言えば、アマゾン川と熱帯雨林。体格の差を、早いパス回しと運動量で補う日本のサッカースタイルは、どう考えても南米の高温・多湿の気候に不向きです。ブラジル大会以前に行われた4回の南米遠征で、日本代表は実に19戦16敗3分と、データを見ても苦手なのは明らか。敗戦の将は多くを語らず日本を去って行きましたが、過酷な環境の下、一つの戦術に拘っていては結果を残すことは出来ないと気付いていたのは、ザッケローニ監督だけではなかった筈です。代表メンバーに南米のクラブチーム所属の選手、つまり、現地の気候に慣れた “専門家” が、一人もいなかったことが悔やまれます。2021年 炎天下の東京五輪、U-23日本代表は如何に勝ち点を積み上げていくのでしょう。是非、ブラジルの反省を活かして貰いたいものです。

緊急事態が延長されました。行政の長から「専門家の提言を頂きながら…」と聞くと、1980年代の薬害エイズ事件を思い出さない訳にはいきません。HIV感染の原因となった非加熱製剤の、承認に関する『エイズ研究班(≒専門家会議)』の答申が適切だったかどうか、法廷で裁かれたことは有りません。政府の意思決定に於いて、専門家の言葉に どれだけ重みが有ろうとも、彼らが責任を問われることはないのです。ご存知の通り、「『8割』という数字の独り歩きを許した科学が、今度は経済を殺そうとしている」という議論が有ります。この副作用の強い劇薬は、科学自体の未来すら奪ってしまいかねません。優秀な専門家の皆さんには、スタンドプレーに走らず黒子に徹して頂き、あとは政治判断に委ねてもらいたいというのが、私の偽らざる気持ちです。

 

社長、五輪に思いを馳せる⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ウイルスや細菌への感染やワクチンの接種によって後天的に手に入れる抵抗力を『獲得免疫』と呼ぶのに対し、病原体に対して生まれつき持っている防御機能を『自然免疫』と言います。アフリカに起源を持つ現生人類はアジア・ヨーロッパに進出する過程で、旧人類のネアンデルタール人やデニソワ人と交配を繰り返し、彼らの病原体に対する強い『自然免疫』を獲得して来たというのが近年の定説。

私たち現代人は最大で約2%程度、ネアンデルタール人由来のDNAを持っているそうで、白い肌や青い目 金髪など、外見上の特徴を色濃く受け継いだのが欧米系の白人、混血の影響をほとんど受けていないと考えられているのが、アフリカ大陸に残った黒人。そして、ネアンデルタール人の強力な『自然免疫』に関連する3つの遺伝子(TLR6-TLR1-TLR10)について、最も高い割合で継承していているのが日本人なのだそうで、その割合は驚きの51%。つまり私たちの二人に一人は、先天的に強い免疫力を持っています。「アジア大陸横断の長旅で、ホモサピエンスは より多くの旧人類たちと交流しながら彼らのDNAを濃縮、極東の地で縄文人という特異集団を形成した。そして その縄文人の子孫である私たち日本人が、ネアンデルタール人由来の特殊な遺伝子を最も高い確率で受け継いだ」と考えれば、何の不思議もありません。この『自然免疫』を司る3つの遺伝子、実は花粉症の文脈の中で悪者扱いされることが多かったのですが、世界がコロナショックに喘ぐ中、相対的に少ない東アジアの感染者数・死者数(人口比)の秘密を説明する上で、有力な手掛かりとなりそうな気がします(私見です)。

さて今回は、2016年9月の朝礼で取り上げたエピソード。ロンドンの惨敗から4年、リオ五輪で復活を遂げた男子柔道のお話です。金2銀1銅4の計7個、1964年の東京五輪以来52年振りの全階級でメダル獲得と、日本チーム全体に勢いを付ける大活躍を見せてくれましたが、当時はメダルを取った選手本人達よりも、新たに指揮を任された井上康生監督の指導者としての手腕を称える声が目立ちました。確かに、2018年7月に出張で奈良に行った時、偶然ホテルでお見掛けした井上監督、スーツの上から見ても分かる屈強な肉体は、現役引退から月日が流れたことを全く感じさせず、その後ろ姿は凄まじい “オーラ” を放っておりました。しかし、まずは選手を褒めてあげたいですよねぇ(苦笑)。お家芸として「金メダル以外はメダルに非ず」と考える柔道界に於いて、敗者復活戦を勝ち抜いて勝ち取った銅メダル4個は、選手たちが最後まで諦めずに戦い抜いた証しです。

リオ五輪までの4年間に変更されたルールが、日本柔道に味方したのも間違いありません。国際柔道連盟は、2013年に『両手刈り』や『朽木倒し』等、タックルのように足を掴んで相手を倒す “力技” を全面的禁止、組み合って投げ技を競い合って “興行” として見栄えのする柔道に、大きく舵を切ったんです。結果、フィジカルの強さを活かしたパワー柔道『JUDO』から、柔よく剛を制するという柔術から発展した武道である、日本古来の『柔道』への回帰現象が起こったという訳ですね。仮にこのルール改正について、日本柔道界から積極的な働き掛けが有ったとしても、そして、そのルール変更が日本勢に有利に働いていたとしても、リオで獲得したメダルの輝きが、色褪せるということはないと思うのですが、2016年当時、この事実が報道されることは殆ど有りませんでした。

個人的には、現在タレントとして大活躍中の篠原信一前監督も、貢献度が かなり高かったんじゃないかと思っています。リオ五輪の始まる前、彼がお茶の間の注目を一身に浴びてくれたお陰で、現役の選手・監督は変なプレッシャーを受けずに、練習に集中できた訳ですから(笑)。

4月7日の緊急事態宣言の発出から約1ヶ月、私たちは、海外メディアから “ギャンブル” とまで酷評された『日本方式』を貫いて来ました。厳しい状況が続く中でも、医療関係の皆さまのご尽力により犠牲者数は最小限に抑えられ、何とか瀬戸際で踏み止まっている状況に見えます。”力技”のロックダウンを実施しながら、感染爆発・医療崩壊を止められなかった欧米諸都市と、一体 何が違ったのか?ニューヨーク州で亡くなった方の、約7割がアフリカ系住民とのデータを見るにつけ、国による防疫対策や医療水準の違いを遥かに超越した、何か特別な力が作用しているとしか、私には考えられないんです。日本人の生活様式によるものなのか、コロナウイルス間の交叉免疫が働いているのか、BCGワクチンの効用か、或いは、旧人類譲りの強力な『自然免疫』なのか?それらが複合的に機能しているのかも知れません。分かりません。科学の未発達だった時代に、このような現象を “神風” と捉える人たちが居たたとしても、私たちに それを責めることは出来ないでしょう。

大切な人たちの命を守る行動を。もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい。

※誤りを訂正しました。【誤】攻める→【正】責める

 

社長、五輪に思いを馳せる④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今年の2月下旬にトイレットペーパーが不足するとのデマが流れ、無いと困りますから、弊社の総務部でも急遽 少し多めに調達したそうです(苦笑)。ご存知の通り、これには二つの誤解があったようで、先ず第一に、日本で使用されるトイレットペーパーの殆どは日本国内で生産されていて、中国製ではありません。第二に、マスクの原材料は『不織布』で、マスクの需要が拡大してもトイレットペーパーの生産には影響が有りません。『不織布』についてネットで調べてみると、各不織布メーカーさんが かなり詳しく説明してくれていますので、ご紹介しようと思います。前回お約束した『縄文人』の件は、次回お話しさせて下さい。

まず、『不織布』とは何かと言うと、漢字で見ると分かり易いです。繊維を織らずに絡み合わせたシート状の物を、『不織布』と呼びます。基本的には、繊維状に加工できるものであれば、どんな素材からでも『不織布』は作れるそうで、主に化学繊維用の樹脂ペレットや、PETボトルやフィルム・樹脂製品などのリサイクル材料から作られています。 製造には、①繊維をランダムに重ねて『ウェブ(又は、フリース)』を作る工程と、②その『ウェブ』をシート状に結合させる工程の二つがありますが、『不織布』の用途や不織布メーカーさんによって、幾つかの異なる製造方法を採用なさっているようですね。その幾つかの工程で、私たちのロータリージョイントが、製造装置の配管部品として使用されています。例えば、A)『湿式』という方法で『ウェブ』を作る (水中に漂う短い繊維を漉し取る、和紙を漉くようなイメージでしょうか)場合は、湿った『ウェブ』を乾燥する工程で、B)『サーマルボンド法』という方法で『ウェブ』をシート状に結合させる場合は、熱を加えて溶着加工する工程で、加熱用のロータリージョイントが、そして、C)一旦加熱された『不織布』を冷やすため、巻き取る工程前には恐らく、冷却用のロータリージョイントが使用されていると思います。この業界に身を置いて長いですが、正確には把握していません。済みません(苦笑)。

『不織布』は様々な用途で使われています。コロナ禍で改めて注目の花粉やPM2.5、ウイルスをカットする目的で使われるマスク、先日お話ししたアルコール消毒にも便利なウェットティッシュ、そして医療用防護服も然り、他にも紙おむつや生理用品が『不織布』で作られています。更には、自動車部材、土木・建築資材、工業用シート、農業用シート、コーヒーのドリップ用フィルターや食品用トレーマットなどの生活資材等の様々な分野に応用され、リチウムイオン電池のセパレーターフィルム、人工透析や今注目のECMO(体外式膜型人工肺)用の血液フィルター等、多孔性の機能性フィルムも広い意味では『不織布』に分類されるそうですから、これはもう『不織布』に足を向けては眠れません。ジョイント・メーカーは弊社だけではありませんので、医療用の『不織布』製造ラインに、私たちの製品をどれくらいご採用頂いているかは よく分かりませんが、このような形で社会貢献できていることを誇りに感じますし、今後もジョイント業界が一丸となって、『不織布』に不可欠な生産材の安定供給に全力を傾けたいと思います。

「岩井社長、ところでオリンピックとは何の関係が有るのですか?」と突っ込まれそうです(苦笑)。スポーツ用品によく使われる『合成皮革』、こちらも大別すると『不織布』に分けられます。バスケットボールのボール等、最近は本革製にも負けない質感のものも開発されているようです。2021年のバスケ会場は、さいたまスーパーアリーナ。八村塁選手らの活躍に期待しましょう。という訳で、今日は2020年4月の朝礼用に用意して、お蔵入りしたネタをご紹介致しました。もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

 

社長、五輪に思いを馳せる③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。細胞の核DNAを解析すると、東アジアに暮らす人々のDNA情報は帯状に連なった分布を示します。これは、彼らは遺伝的に近縁だということを意味するそうです。一方、明らかに異なった特徴を示すのが私たち日本人のDNAで、それは極東の離れ小島 日本で独自進化を遂げた『縄文人』の血を受け継いでいるからだそうです。『縄文人』の立ち位置は非常にユニークで、まさに『ポツンと一軒家』状態。日本人の分布は、その『縄文人』と現在 北京付近に暮らす中国人を結んだ直線の、ちょうど中間くらいに位置していています。

面白いのは現代の韓国人のDNAの分布で、同じ直線上の中国寄り、日本人と北京の人々との真ん中くらいに位置しています。これは韓国人もまた他の東アジアの人々と異なり、『縄文人』の遺伝的特性を引き継いでいることを示していています。今回の新型コロナウイルスの流行で、PCR検査に関するアプローチが真逆ながらも、多くの死者を出さずに持ち堪えている日本と韓国。もしかしたら この『縄文人』由来のDNAが、何かしら関係しているのかも知れません(飽くまでも私見です)。『縄文人』が何故そんなに特殊なのかは次回お話しするとして、今回は2010年12月の朝礼で取り上げた、バレーボールの話題からお届けします。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

バレーボールは、1895年、テニスをヒントにアメリカで生まれたスポーツ。日本に入ってきたのは1913年(大正2年)で、当時はまだ明確なルールもなく、日本の場合、1チーム16人からスタート。その後、16人が12人に、12人が9人になり、今尚、『ママさんバレー』で親しまれている、9人制バレーボールが出来上がりました。ですから6人制バレーボールのルールは国際バレーボール連盟が、9人制のルールは日本バレーボール協会が決めています。バレーボールがヨーロッパに紹介されたのは、日本よりやや遅れて、以前お話した第一次世界大戦の頃。戦場に渡った米軍兵士がフランスに伝え、それがヨーロッパ全土に普及したようです。バレーボールがオリンピックの正式種目となったのは1964年(昭和39年)。若者諸君、分かりますか? そう、東京オリンピックです。バレーボールは東京オリンピックで初めて正式な種目となり、『東洋の魔女』たちが、初代チャンピョンに輝いた訳です。

バレーボールって、誰もが一度はやったことのあるスポーツだと思いますけど、皆さん、どんな競技だと思いますか? 私ね、今月 還暦を迎える会社の或る先輩から、バレーボールについてこんな事を教えてもらったので、ここでご紹介しようと思います。「バレーボールはね、同じ人がボールを続けて2回は触れないでしょ? だから自分のミスは、必ず誰か別の人に取り戻してもらわなければならない競技なんだよね。」なるほど確かに、サッカーなら自分のミスで奪われたボールは、自分で取り返しに行けますが、バレーボールではそうは行きません。必ず誰かにフォローしてもらわなければならない。その分、ミスをしないよう一人一人が一所懸命やるから、ミスがあっても仲間を責めるような選手は、誰もいません。逆に声を掛け合って励まし合う。そんな助け合いのチーム競技なんですよね、バレーボールって。深い!非常に深い話だなと、私はそう思いました。

各家庭にマスクが2枚ずつ配られます。布製だって良いじゃないですか。1927年に金融不安を封じ込める為、高橋是清が用意した『弐佰圓札』も、裏は印刷していなかったんです。緊急事態の今 ウイルスを封じ込める為、そして取り返しのつかないミスを犯さない為にも、自分がマスクをした方が良いに決まっています。

※誤字・脱字を修正しました。

 

社長、五輪に思いを馳せる②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。免疫学の専門家によると、類似したウイルスに感染することで獲得する免疫を、『交叉免疫』と呼ぶそうです。緒方洪庵や手塚良仙等の努力により、幕末の日本に導入された天然痘の予防接種『種痘』は、この免疫反応を応用したものです。牛の乳絞りに携わり牛痘に感染した農夫が天然痘に罹らないことから、牛痘ウイルスと天然痘ウイルスには『交叉免疫』が起こると考えた、イギリスの医学者 エドワード・ジェンナーが発案した予防接種で、天然痘撲滅に大きく貢献しました。現在では、天然痘ウイルスと『交叉免疫』を持っていたのは、牛痘患者の膿疱に含まれていた、牛痘ウイルスと近縁の別のウイルスであることが分かっていますが、ワクチン創始者ジェンナーの功績を称え、このウイルス、『ワクチニアウイルス』と名付けられています。

主に鼻風邪の原因となるコロナウイルスの場合はどうかというと、近縁同士での『交叉免疫』を期待できないと、現段階で100%否定することは出来ないそうです。SARS(2003年)もMERS(2015年)も上陸しなかった日本に於いて、Covid-19の感染拡大が緩やかなのも、偶然ではないかも知れないという訳ですね。蓄膿症で幼い頃は耳鼻科の常連、私のような昭和世代の『はなたれ小僧』たちが『集団免疫』の盾となって、日本をコロナ禍の脅威から守っているなんて想像するのは、ちょっと考え過ぎでしょうか。あくまでも私見ですが・・・

さて、第二次世界大戦の影響で、1940年・1944年と2回続けて五輪が中止になったのは、皆さん ご存知の通り。1937年に中国との泥沼の戦争に突入した日本は、1940年大会の開催を辞退、東京での五輪開催が実現したのは、それから24年後のことでした。1944年の幻の五輪、開催予定地だったのはロンドンで、第二次大戦後 最初の五輪は、1948年に そのロンドンで開かれました。ロンドンでは過去3回の五輪が行われていて、初めての開催は1908年。当初はイタリアのローマで開かれる予定でしたが、1906年のベスビオ火山の噴火によりイタリアが財政難に。急遽ロンドンで五輪が開催されることになったのだそうです。なるほどね(苦笑)。当時のイギリスと言えば、産業革命以降、圧倒的な経済力を誇った大英帝国。代替開催にも係わらず、メダル数は金56個を含む146個と他の国を圧倒したそうです。

マラソンが42.195km (26マイル385ヤード) で争われるようになったのも、1908年のロンドン大会から。26マイルで行われる筈が、イギリス王室からのリクエストで、スタート地点は宮殿の庭に、ゴール地点は競技場のボックス席の前に変更された為、中途半端な385ヤードが付け加えられたんだとか。ですから、42.195kmというのは、一般に言われるようなマラトンからアテネまでの距離ではないんですが、結局1921年に国際陸連が承認して、マラソンの国際標準として定着しちゃったんだそうです。今回の話題は、ロンドン五輪の始まる直前、2012年7月の朝礼で取り上げたエピソードから お伝えしました。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

日本に於いても緊急事態の宣言が現実的になる中、ここに来て俄かに脚光を浴びているのが、『Tokyo 2020』ならぬ『Tokyo 172』。日本など結核予防のBCGワクチン接種を義務化している国では、新型コロナウイルスの感染が広まり難かったり、人口当たりの死亡率が低かったりと、かなりの相関関係が見られるようです。ジェンナーの『種痘』も結果オーライでした。多くの国でBCGの臨床試験が始まったそうですから、今後の検証結果に注目しましょう。

※誤りを訂正しました。【誤】非常事態→【正】緊急事態

 

社長、五輪に思いを馳せる①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『おしぼり』は古事記や源氏物語にも記述が残る、日本の伝統的な『おもてなし』文化。海外では、ほとんど見られないサービスだそうです。時は流れ、提供される形態も、濡れタオルからウエットティッシュに変化。飲食店を訪れる度に提供されるウエットティッシュを、大量生産・大量消費、或いは使い捨て文化の象徴と批判する声もありそうですが、欧米で歯止めの利かない新型コロナウイルス感染拡大を見るにつけ、先人から引き継がれてきた綺麗好きな日本人の国民性と『古の知恵』に感謝です。因みに、ウエットティッシュと呼びますが、その多くはマスク同様、紙ではなく『不織布』を原材料にしています。

さて、江戸古来の紋様をベースに3種類の藍色の四角形を45枚組み合わせ、国や文化の違いを超えて繋がり合うことを意味しているのが、『組市松紋』と名付けられた東京オリンピックのエンブレム。すったもんだの末、2016年4月25日、最終候補に残った4案の中から選ばれましたのが、野老朝雄さんの作品でした。皆さんも、それぞれ好みがあったと思います。私も正直、これが選ばれるとは思っていなかったのですが、「夏の大会なので涼しげなものにした」との野老さんのご説明を伺って、すっかり考えが変わりました。東京オリンピック当初の開催予定期間は、真夏も真夏の2020年7月24日(金)~8月9日(日)。すると、日本の夏の風物詩である風鈴、花火、団扇、西瓜、朝顔、夏祭りの提灯、水風船、”まぁるくて” 涼しげなものが、バババッと頭の中に映像として浮かんで来て、日が陰って夕涼み、浴衣を着て縁側に出て江戸切子のお猪口で冷酒でも一杯やったら、さぞ美味いだろうなって、勝手に妄想しました(苦笑)。野老さんは建築出身のデザイナーで、今回の幾何学模様もデザインに非常に時間を掛けた理詰めのもののようですが、私はその中にも、何か紋様が醸し出す詩的な情緒みたいなものに、えらく感動してしまいました。

日本に於いても首都圏を中心に感染が拡大、『東京封鎖』が議論されるに至りました。感染拡大防止と従業員の安全、そしてお客様に安心のサービス体制を両立する為に、今後も難しい舵取りを強いられそうです。2021年7月23日(金)~8月8日(日)に延期された、オリンピックは希望の灯火。という訳で、これから数回に渡って、『社長、五輪に思いを馳せる』と題し、過去の朝礼で取り上げたエピソードを元に、令和新時代の視点も加え、再編集してお届けします。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

※誤字脱字を修正しました。

 

 

社長、歴史に学ぶ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。最近、AIで復活を果たした漫画界の巨匠 手塚治虫も、大正時代の日本を舞台とした作品を残しています。1899年の義和団事件に始まる『一輝まんだら』は、二・二六事件の理論的指導者・北一輝の生涯を描く予定も、出版社の都合により途中で打ち切りとなった、未完の歴史大作。戦争反対、平和への想いを数々の作品に残した彼が、大正~昭和の動乱期にあたる続きの部分を、本当は どのように表現したかったのか、非常に興味深いところですね。

自身のご先祖様、蘭方医の手塚良仙・良庵親子の奮闘を描いたのが『陽だまりの樹』。作品の中では、『天然痘』と『コレラ』の2つの感染症が幕末の日本を苦しめます。超人的なメス捌きで人間の “心の弱さ・醜さ” を鋭く えぐり出す、皆さんご存知の『ブラックジャック』は、『エボラウイルス』研究の第一人者、北海道大学 高田礼人教授の人生に、最も影響を与えた作品の一つだそうです。さて今回は久しぶり、ブログを書いているうちに、最近 私がひらめいた妄想の世界に、皆さんをご招待。ちょっとセンシティブなトピックではありますが、科学的根拠もなければ政治的な意図も全く含まない、ただの エッセイですので ご容赦ください。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

人類の歴史は、感染症との戦いの歴史でもあると申し上げました。私たちは人類の一員ですから、どうしても人類の立場から見て物事を判断しがちですが、それでは裏側に隠れる本質の部分を見落としてしまうかも知れません。人類が生き残りを賭けて様々な疫病と戦ってきたのと同様、如何に生存競争に勝ち残るか、病原体には病原体なりの戦略がある筈で、私たちは戦う相手の気持ちになって、現在起こっている事象を捉え直す必要があるのです。たとえそれが、生命と非生命の中間的な存在である、ウイルスだったとしてもです。

ウイルスは ある特定の固有種に対して、無害な存在でなければなりません。その生き物の体内で長く寄生していられる程、楽なことはないからです。病原体に感染しながらも無症状に元気でいられる生物を、その病原体の『自然宿主』と呼びます。多くの種類のコウモリが、病原体の宿主として重要な役割を果たしていると考えられ、今回の新型コロナウイルス『Covid-19』に於いては、96%遺伝情報の一致するウイルスが体内から発見された、雲南省生息のキクガシラコウモリが、最も有力な『自然宿主』の候補です。コウモリの寿命は小型動物としては比較的長く、日本に生息するアブラコウモリで3~5年。驚くべきことに、キクガシラコウモリの仲間は20~35年も生き続けるそうですから、『Covid-19』にとっては、長い間 体の中で寝て暮らせる、非常に優秀なパートナーと言えます。

ここで考えてみて下さい、もし『Covid-19』が新たな『自然宿主』を探すならば、キクガシラコウモリよりも長生きな、少なくとも35年以上は生き続ける種を選ぶでしょう。そしてコウモリ同様、空を飛んで長距離を移動できるなら なお良い。一時期、漢方薬の材料として珍重されたセンザンコウに容疑が掛けられましたが、10~12年の寿命で空も飛べない この動物を、『Covid-19』が敢えて選択する理由はありません。『SARS』のハクビシンと異なり、アリクイのような おちょぼ口では、センザンコウがコウモリを捕食することはないでしょうから、『中間宿主』としての可能性も考えにくいと思います(その後の調べで、ハクビシンの疑いも晴れたようです)。

私の言いたいこと。感染症の専門家の皆さんは明言するのを避けますが、要するに「『Covid-19』が『自然宿主』に選んだのは、我々人類だ」ということです。科学技術の発展により、100年の人生と大空を羽ばたく自由を手に入れた人類は、『Covid-19』にとって申し分のないパートナー。比較的低い致死率(WHOの専門家チームの2月20日迄の調査結果によれば、感染拡大初期に医療崩壊の起きてしまった湖北省で、5.8%と突出して高いのに対し、中国のその他の地域では0.7%と かなり低い)は、ウイルスからの信頼の証しです。若い人は発症しないばかりか、感染したことにも気付かないくらい。従って、一旦陰性判定を受けた人が再び陽性を示すこともあるように、よほど効果的な新薬の開発なくして自然完治することはなく、騙し騙し人体にずっと居座り続けることでしょう。

高齢者で重篤化するケースが多いことについては、こう説明できると思います。ある植物は水を十分に与え続けると、花を着けないと言います。水やりを止めると その植物は生命の危機を感じ、花を咲かせ実を付けて、子孫を残すのだそうです。この『Covid-19』というウイルスの場合はというと、感染した対象が70~80代、つまり宿主に残された時間が、キクガシラコウモリの生涯の20~35年よりも短いと解った途端、危機を察知、期待を裏切られたかのように、突然、牙をむき襲い掛かって来る印象。まるで 、”命の回数券” とも呼ばれる長寿遺伝子『テロメア』の長さを、測るセンサーでも持ち合わせているかのようです。そして新たな安住の地を求めて再び旅に出る唯一の方法こそが、患者の肺の中で急速に増殖し、咳の勢いで大気中に飛び出すこと。それが人を死に至らしめたとしても、『Covid-19』にとっては生き残りの為の手段であって、目的ではないのです。

近い将来 人類は科学の力で、必ずや『Covid-19』を克服することでしょう。しかし、もし人類が “選ばれた存在” だとするならば、宿主が健康で免疫機能が正しく働いている限り、何の悪さもしない『Covid-19』を、科学の力を以て強制的に排除することが、正しいことなのかどうか、私には分かりません。適度な運動と栄養、充分な睡眠、ストレスを溜めないこと、つまり、私たちが生活習慣を改め、健康で幸せな生活を送る努力をすることによって、私たち人類と『Covid-19』は共存することが可能なのですから。それは何だか、原始の時代にコウモリの棲みつく洞穴で暮らした我々の祖先が、コロナウイルスとの “共同生活” から決別する以前の生活様式に似ています。『ホッキョク・ヒグマ』が寒冷化の度に極寒の局地を目指すかのように、呉青秀の異常性行動が呉一郎に乗り移ったように、そして手塚治虫の代表作『火の鳥』や『ブッダ』に描かれる輪廻転生のように、ホモサピエンスと共に歩んだ太古の記憶が、『Covid-19』の遺伝子には深く刻み込まれているのかも知れません。

※誤字を修正しました。

 

社長、歴史に学ぶ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。1925年の普通選挙法成立で、一つの結実を看た『大正デモクラシー』。しかしながら、終わりの見えない不況の中 退廃的文化に興じ、現実から目を背け続けた我々のような下衆な男どもが、一部のインテリ・エリート層の期待虚しく本格的政党内閣に『NO』を突き付け、反対に熱狂の渦の中で拍手喝采を以って歓迎したのは、泥沼の戦争への歩みだった訳ですから、これは皮肉としか言いようがありません。

さて、第三回目は夢野久作の問題作、『ドグラ・マグラ』を取り上げさせて頂きます。1935年に出版されたこの作品は、構想から10年近くを費やした大作、『エログロナンセンス』の極みと言って良いでしょう。1988年には映画化、2016年にもDVD化さています。色々な解釈のある作品ですが、私なりに出来事を時系列にまとめました。ネタバレを含みますので、途中まで読んで挫折した方は、このブログを読んでから、これからチャレンジする方は、この先を読む前に、難解な文学作品に挑戦してみてください。そして、もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さいね(笑)。

精神病の研究をする、奇才 正木敬之は、呪われた血筋、呉家に伝わる『心理遺伝』に興味を持ち、仲間でありライバルでもある、法医学の専門家 若林鏡太郎と共に、呉家の次女 千世子に近づきます。呉家に生まれる男児は 代々、その高祖 呉青秀の描いたとされる絵巻物を見ると、精神に異常をきたし、『妻を殺し、死んだ妻が腐敗していく過程を、絵に描き続ける』という、呉青秀の異常性行動が乗り移るというのです。

二人と関係を持った千世子は、やがて、正木の息子 一郎を授かります。呉家の私生児として育てられた一郎が成人すると、正木は自らの仮説『心理遺伝』の実証実験に着手すべく、行動を起こします。先ず、一郎出生の秘密を唯一知る、千世子を殺害。その罪を、心の病を患う一郎に擦り付けます。更には事故を装い、大学の恩師 斎藤教授も殺害。研究の権威付けする為に必要な、大学教授の地位も手に入れます。そして、密かに入手した絵巻物を一郎に見せると、一郎は自らの従妹で婚約者の、呉モヨ子を殺害(実際は未遂に終わります)。実験は見事に成功し、一郎は、呉青秀 同様に、死んだ婚約者の裸体の絵を描き始めるのでした。

自らの学説には自信を深めたものの、実験後、一郎の口から事件の真犯人が発覚することを恐れた正木。今度は『狂人の開放治療』という、新たな精神病の治療実験を開始。一郎を 患者の一人として、施設内に匿うことに成功しました。ところが、治療の一環として行われた農作業中に、一郎が5人の男女を殺傷する事件を起こし、事態は急変。秘密を隠し切れないことを悟った正木は、若林の協力の下 自らの遺言と称し、息子である一郎本人に全てを告白、『心理遺伝』に関する研究成果を託そうと試みます。一郎はそれを拒否、また、絵巻物の空白に、研究よりも子供の幸せを願う、千世子のメッセージを見るに至り、正木は絶望のうちに、自らの命を絶つのでありました。

物語は、男女5人殺傷事件で自らも怪我を負った一郎が、意識を取り戻すシーンから始まります。第一のポイントは、夢野久作の仕掛けた巧妙な日捲りカレンダーのトリック。カレンダーが『10月19日』を示しているにも関わらず、若林の教授としての権威ある一言に、一郎のみならず読者自身も暗示に掛かり、カレンダーが示すその一ヶ月と一日後の、『11月20日』に物語が進行していると、勝手に信じ込んでしまいます。結果、『10月19日(10月20日未明)』に自殺したとされる正木が、一郎の目の前に現れたりする訳です。その日が『11月20日』であるという客観的情報を、夢野久作は作品の中に一つも書き残していません。

そして驚くべきことに、千世子は一郎を宿した当初から、正木の計画に気付いていたんですね。いずれ自分は殺され、一郎が実験道具に使われるということを。その上で、正木に宛てたメッセージを、絵巻物の最後に残したんです。『子を思ふ心の暗やみも照しませ ひらけ行く世の智慧のみ光り』 これが第二のポイントで、巻頭歌の『胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか』に、繋がってくる訳ですが、多くの方々が、ストーリーとほぼ無関係、饒舌で難解な『心理遺伝』のくだりに疲れ果て、最も重要なポイントまで辿り着くことが出来ません。これは、夢野久作自身も想定外だったかも知れません(苦笑)。『ドグラ・マグラ』は、角川文庫の卑猥な表紙絵でも有名。俳優で絵本作家でもある、故・米倉斉加年さんの作品ですが、あれも内容とは全く関係がありません。何を隠そう この作品は、息子を思う母親の『愛情物語』なんですから。

そう言えば、呉家の血を引くモヨ子と正木の研究資料は、最終的にライバル若林の手元に残されたんですよね。となると、果たして若林の次なる行動とは?ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

※表現の一部を変更しました。