社長ブログ

謎解きにハマって困った社長⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『アブラハム』が記紀の世界では誰に置き換えられているか考察する過程に於いて、「『人身御供』を続ける国津神はユダヤ教の影響を受けており、それに終止符を打ったのがキリスト教系新興勢力の天津神である」いう仮説を導き出しました。出雲を舞台とした『国譲り』神話の中に、これを支持する逸話を見つけたので紹介したいと思います。

高天原から派遣された『建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)』との、戦いに破れた国津神『大国主命(オオクニヌシノミコト)』の息子『建御名方神(タケミナカタノカミ)』が、逃れた先は出雲から遠く離れた長野県諏訪地方。この地では『イサクの燔祭』を受け継ぐと言われる奇祭、『御頭祭』が今でも執り行われています。

『モリヤの山』で神のお告げを受けるシーンと、ソックリな場面を演じるのは、諏訪大社の神官と 8歳くらいの子役。『イサク』の替わりに神に捧げられる75頭の鹿が、剥製で代用されるようになったのは明治以降のことだそうです。諏訪湖の南に横たわる山の名が『守屋山』で、諏訪大社の主祭神として祀られるのが『建御名方神』ですから、これを偶然の一致と言うには無理が有ります。

『国譲り』神話は弥生時代に日本を支配したユダヤ教勢力が、古墳時代に渡来したキリスト教勢力に主導権を明け渡した歴史を、映し出しているとも考えられそうです。調査を続けますので、続きをお楽しみに!!

 

謎解きにハマって困った社長⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『瓊瓊杵尊』のモデルは『アブラハム』なのか?『ヤコブ』なのか?原典となる『天皇紀(当説では、異端のキリスト教徒としてローマ帝国を追われた、秦氏が日本に持ち込んだ漢文訳の新旧聖書)』が失われたことで、記紀の編者たちの中にも混乱が有ったのではないかと考えています。

その痕跡と見て取れるのが、『神武東征=モーセの出エジプト』説の中で紹介させて頂いた、神武天皇の異称の一つの『彦火火出見命』。燃え盛る炎の中に唯一神ヤハウェの姿を見たモーセと、ピタリ一致する名前です。その『彦火火出見命』という異称を持つ天孫族がもう一人いて、それが山幸彦こと『火遠理命(ホオリノミコト)』。神武天皇の祖父に当たり、『彦火火出見命』と言えば世間一般では、『火遠理命』を指すケースの方が多いようです。

この二人の『彦火火出見命』の 2世代のズレこそ、祖父と孫の関係に在る『アブラハム』と『ヤコブ』に由来していると考えます。『レビ族』のモーセは『ヤコブ』の玄孫に当たります。両者の系図を一致させるには、『瓊瓊杵尊』を『アブラハム』とすれば『火遠理命』が『彦火火出見命』となり、『瓊瓊杵尊』を『ヤコブ』とすれば神武天皇が『彦火火出見命』となるのです。原典を失い真偽を確認できなくなった、記紀の編集者たちの取った苦肉の策が “両論併記”、これが山幸彦と神武天皇に同じ名前を与えた理由に違いありません。

 

謎解きにハマって困った社長⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。所謂『日ユ同祖論』者の間で、『瓊瓊杵尊』との類似性が指摘されることが多いのは、前回 私の取り上げた『アブラハム』ではなく、イスラエルの祖とされる『ヤコブ(アブラハムの孫)』だそうで、この説ではモーセの後継者『ヨシュア』を神武天皇と考えます。では、息子を神に捧げた『アブラハム』に当たるのは誰なのか?『ヤコブ=瓊瓊杵尊』説に従って系譜を 2世代遡ってみると、記紀の中に もう一つの『人身御供』が見つかりました。

それは、皆さんご存知の『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』伝説。高天原を追われた『須佐之男命(スサノオノミコト)』が、国津神の娘『櫛名田比売(クシナダヒメ)』を救うため『八岐大蛇』を倒し、出雲の国の『人身御供』を終わらせる話です。「『瓊瓊杵尊』の直系のご先祖様は、『須佐之男命』でなく『天照大神』ですよ」と突っ込まれそうです(苦笑)。勿論、私は『アブラハム=瓊瓊杵尊』を支持しますが、『八岐大蛇』伝説に於いても『木花咲耶姫』と同様に、”生け贄” を捧げる風習を持っていたのが国津神サイドであることは、注目に値します。

息子の命を差し出す覚悟を求めるユダヤ教と、イエスの『贖罪』により それ以上の犠牲を求めないキリスト教。そして『人身御供』の伝統を残す国津神と、悪習に終止符を打ちたい天津神。西暦 248年に『卑弥呼』が亡くなった際、殉葬された奴婢の数は100人余りと言われますが、犠牲を伴う埋葬方法はヤマト王権に繋がる天孫族には馴染みません。このように切り分けると、今までのステレオタイプ化された『日ユ同祖論』では、見えなかった世界が見えて来るかも知れませんね。

※事実誤認が有りましたので、ここに修正しお詫び申し上げます。

 

謎解きにハマって困った社長⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今までの流れから考えて、キリスト教・ユダヤ教、そしてイスラム教の祖である『アブラハム』をモデルとした人物が、記紀の中に描かれていないとしたら不自然です。『アブラハム』最大の見せ場と言えば、自らの信仰心の強さを証明する為に、息子の『イサク』を “生け贄” として神に差し出すシーン。記紀の中に『人身御供』を連想させるシーンを探すと、『天孫降臨』の場面に一つ見つかりました。

天津神の『瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)』は、国津神の娘である『木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)』に一目惚れ。ところが、結婚した途端「身籠ったのは国津神の子」と妻を疑い、『木花咲耶姫』が取った行動が産屋に火を放つこと。我が身・我が子の命を賭して、自らの潔白を証明して見せた訳です。『木花咲耶姫』は無事に『海幸彦』と『山幸彦』を出産。”釣り針” を巡る兄弟喧嘩の末に二人は和解し、弟・『山幸彦』の血筋が皇統へ続き、兄・『海幸彦』の流れは『隼人』となって、ヤマト王権に服属して行くことになります。

では登場人物を比べてみましょう。『アブラハム』の美しい嫁『サラ』と女奴隷『ハガル』に、『木花咲耶姫』と容姿に恵まれなかった姉『石長比売(イワナガヒメ)』。何となく似ています。『サラ』の息子『イサク』と『ハガル』の息子『イシュマエル』。この異母兄弟の関係は その子孫たちにも引き継がれ、イスラエルとアラブ対立の起点になっているとも言われていて、『山幸彦』と『海幸彦』が序列を決め、後世の争いの火種となるのを避けたのとは対照的です。

余談ですが、エジプト滞在中の身の安全を図る為、『アブラハム』は『サラ』を妹と偽って、ファラオの妃候補として宮廷に送り込んでいます。気付きましたか?『天孫降臨』の舞台でもある日向が、エジプトを指すことは以前お伝えした通り。つまり、記紀で『瓊瓊杵尊』が『木花咲耶姫』に疑いを掛ける場面、原典の参照部分に書かれている内容を知っていて初めて、本当の面白みが分かる仕掛けに なっているのです。

 

謎解きにハマって困った社長⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。645年の『乙巳の変』で失われたとされる『天皇紀』は、異端としてローマ帝国を追われた秦氏が日本に持ち込んだ、漢文訳の新・旧聖書だったに違いありません。モーセ・ダビデ・マリア・イエスの名は それぞれ、神武・崇神・神功・応神と翻訳されていたことでしょう。宇佐神宮の中央に鎮座する謎の姫神や、『我、蘇る』と名乗った豪族の栄枯盛衰など、世界史のタブーや日本古代史の秘密を解く鍵が、そこに隠されていたと想像すると、もう興奮が止まりませんね(笑)。

さて余談になりますが、ネタに困った記紀の編集者が聖書の次に頼ったのが、インドの説話集、ゴータマ・シッダールタの前世を描く『ジャータカ』と思われます。地獄界・飢餓界・畜生界・修羅界・人間界・天上界、どの世界に生まれ変わるかは前世の行い次第という中で、釈迦が輪廻から解脱する為、前世で如何なる善行を積んで来たかが描かれています。その『ジャータカ』の中に “ウサギの布施” の話が有ります。飢えた老僧への施しを探せなかったウサギが、自らを食糧として差し出し焚火に飛び込む話。手塚治虫先生の『ブッダ』の冒頭にも このシーンが描かれているので、ご存知の方も多いでしょう。

この説話に影響を受けていると思われるのが、仁徳天皇の皇位継承に纏わる兄弟愛、皇太子として父・応神天皇の寵愛を受けた『菟道稚朗子(ウジノワキイラッコ)』が、異母兄の『大鷦鷯尊(オオサギノミコト)=仁徳天皇』に天皇の座を譲るべく、自らの命を犠牲にするという お話です。『菟道稚朗子』の『菟』は『兎(ウサギ)』の旧字体で、仁徳天皇は「神兎が正しい道へ導いた」つまり、お釈迦様により選ばれた『聖帝』となる訳です。『八百万の神々』の国は、これだから面白い!!

 

謎解きにハマって困った社長⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。豊前国一之宮、宇佐神宮の勅使門の3つの参拝所の中心に祀られるのは、主祭神の八幡大神(応神天皇)ではありません。それは『比売大神(ヒメオオカミ)』。公式な見解では『宗像三女神』とされていますが、その正体は謎に包まれています。歴史的神託事件の舞台であることから、時に天照大御神と同一視されることもある、邪馬台国の女王『卑弥呼』を指すとの説も有り、『邪馬台国北九州説』の根拠の一つとされています。

ここで「秦氏が創建に関わる宇佐八幡宮の “真の” 主祭神、つまり神託の声の主は唯一神『ヤハウェ』である」とする立場から、私なりの謎解きを展開させて頂きましょう。宇佐神宮の『比売大神』の正体、それはズバリ、聖書の世界から抹消された謎の聖女『サラ』です。持論によると、八幡神は石棺から奇跡の復活を遂げたイエス・キリストで、ネストリウス派の秦氏(聖母マリア信仰はNG)にとって、神功皇后は石棺(≒鎮懐石)の封印を解いたマグダラのマリア。夫婦である二柱の間に鎮座するのに相応しい “姫神” と言えば、そうです、『ダ・ビンチ・コード』にも描かれるイエス・キリストとマグダラのマリアの愛娘、『サラ』以外には考えられないのです。

ローマ帝国は中国の史書に『大秦』と記されています。『秦』の始皇帝の末裔とも言われる秦氏ですが、彼らがニケーア公会議(325年)やエフィソス公会議(431年)で『大秦』を追われた異端の民だったと考えると、色々と辻褄が合ってきます。所謂『聖杯の一族』の伝承が残される南仏に潜んだ一部を除き、多くはヨーロッパ・小アジアを逃れ、シルクロードを経由して遥か極東の島国に辿り着いた人々が、『聖杯の一族』の秘密を暗号化して宇佐神宮の中に隠し続けて来たという訳ですね。

 

謎解きにハマって困った社長⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。折角 復活したのに、40日で昇天してしまうイエス。困った記紀の編者は、イエス・キリストをモデルとした応神天皇の人生に、別の偉人の業績を付け足します。それは長きに渡り迫害されたキリスト教を公認(313年)した “聖人”、ローマ皇帝の『コンスタンティヌス 1世』。ゲルマン人を傭兵として雇うなど軍事力を強化して、複数の皇帝が分割統治していたローマ帝国を再統一(324年)、ローマからコンスタンティノープルへ遷都(330年)するなど、その偉業から『コンスタンティヌス 1世』は “大帝” と称されます。『八幡神(応神天皇)』が後の世に軍神とされるのは、「そのモデルが優秀な軍人でもあったから」というのが私の考えです。

では、応神天皇の業績を見てみましょう。筑紫の『産宮(サンノミヤ)』で生まれ神功皇后に連れられ大和に戻る途中、異母兄弟の『香坂王(カゴサカノミコ)と忍熊王(オシクマノミコ)の反乱』に遭遇します。『武振熊(タケフルクマ)』の活躍により反乱は鎮められ、その後、応神天皇は『軽島之明宮(カルシマノアキラノミヤ)』を拠点とし天下を治める訳ですが、『弓月君(ユズキノキミ)』率いる百済 120県の民を受け入れて、国力を強化したのは有名な話です。

皇位継承争いでの勝利は、ローマ帝国の再統一に似ています。後に飛騨の『両面宿儺(リョウメンスクナ)』も倒す、将軍『武振熊』はゲルマン人を意識した配役で、『産宮』から『軽島之明宮』への引っ越しは、ローマ帝国の首都移転をモデルにしていると思われます。数字を “10倍に盛る” のは古文書には よくある手口、百済 120県の渡来人は 12使徒(イエスの弟子)の “教え” のことで、キリスト教の公認によりローマ帝国は更なる発展を遂げたとの意味ではないでしょうか?『弓月君』は若しかしたら、イエスの血脈を示唆するものかも知れません。

 

謎解きにハマって困った社長⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『春秋左氏伝』という中国の歴史書によると、神武天皇の『武』という文字の起源は、「戈(ほこ)を止めること」つまり「争いを止めること」、この用法が旧来より信じられてきた通説だそうです。私たちのイメージとは正反対ですが、古代日本も それに倣っていると考えた方が自然で、確かに奈良時代の文武天皇(701年の大宝律令制定)や、聖武天皇(743年の大仏建立)は どちらかと言うと戦争とは無縁で、それぞれ『法令』と『宗教』の力で国を治めたと考えた方が しっくり来ます。

言い換えるならば、『鎮護』という熟語が最も相応しいでしょう。神武天皇は『神』の力、天武天皇も『天』の力により、災いや戦乱を鎮め国の平安を護りましたから、異存ないのではないでしょうか?面白いのは怨霊に悩まされ続けた桓武天皇で、『桓』の字には「うろうろと徘徊すること。進まないでためらうこと。ぐずぐずすること。」という “裏” の意味が有って、国家安寧を図るためとは言え、長岡京・平安京と短期間に遷都を繰り返し、最後は神も仏も受け入れて『京都祇園祭』の原型を創った、彼の性格や統治スタイルを反映した諡号なのでしょう。

さて、新・旧聖書からストーリーを拝借してきた記紀の編者も、『イエス復活』によりクライマックスを迎えた段階で、大きな問題が横たわっていることに気付きます。「ヤバイ。生涯独身のイエスに昇天されたら、『万世一系』の物語が終わってしまう!!」これが『八幡神(応神天皇)』が軍神になった理由です。次回に詳しく説明しますので、お楽しみに。

 

謎解きにハマって困った社長④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。モーセ不在の間にイスラエルの民が制作した『金の子牛』像と、『長髄彦(ナガスネヒコ)』との合戦中に神武天皇のもとに現れた『金鵄(キンシ):金色のトビ』には、黄金に輝く動物という以外に共通項が無いようにも見えますが、同族の中に隠れていた異分子を炙り出し、排除するシーンに現れるという点で同じです。

ここにも、原作から着想を得ながら過ちを教訓として活かし、内容を書き換える記紀編集者の知恵が見て取れます。旧約聖書の世界では、偶像崇拝に加担したイスラエルの民 3,000人が、天罰として仲間の手によって粛清されているのに対し、同じ天孫族同士の争いであることに気付いた『饒速日命(ニギハヤヒノミコト)』は、『長髄彦』一人に責任を取らせる形で東征軍と和睦、民の犠牲を最小限に抑えることに成功しているのです。

さて、ここまで『神武東征=モーセの出エジプト』との、持論を展開させて頂きました。日向がエジプト、瀬戸内海は『葦の海(紅海)』、熊野は『シナイ山』に比定します。『八咫烏』は『アロン』で『布都御魂』は『モーセの杖』に相当し、『金鵄』は『金の子牛』像をモデルとしています。どうですか?まだ納得のいかない方も いらっしゃるかも知れませんので、最後に取って置きのネタを披露しましょう。

『神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコスメラミコト)』や『始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)』など、様々な異称を持つ神武天皇ですが、その一つが『彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)』。なんと、燃え尽きない柴の “炎に出でた神を見た” モーセと、ピタリ一致する名前を持っているのです!!流石に ここまで来ると、記紀に於ける神武天皇のエピソードの数々が、モーセの逸話を参考にしていることに疑いの余地は有りません。

 

謎解きにハマって困った社長③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『八咫烏(ヤタガラス)』は東征の途中、熊野で道に迷った神武天皇一行に、突如、高天原から道案内として遣わされた三本足のカラスです。カラスなのに喋ります(笑)。大和に入って最初の敵『兄磯城・弟磯城(エシキ・オトシキ)』との戦いを前に、神武天皇の使者として派遣されるなど、記紀の中で『八咫烏』は交渉術に長けた、頼れる存在として描かれています。では、口下手なモーセの前に唐突に現れた、『八咫烏』のような弁の立つ心強いパートナーとは、一体 誰のことなのでしょうか?

それはモーセの兄・『アロン』です。羊飼いのモーセは、燃えても燃えても燃え尽きない不思議な柴(小枝)の炎の中に現れた神により、80歳にして初めて雄弁な兄の存在を知らされます。その後のエジプト脱出 長旅の行程で、交渉役として終始モーセを支えたのが『アロン』です。では、『八咫烏』の三本目の足は、一体 何を表しているのでしょう?

それこそが『アロンの杖』、ユダヤ三種の神器の一つです。モーセが神から授かり、有名な『海割り』のシーンで使われた『モーセの杖』と、同一とも別物とも言われる “魔法の杖” ですが、ハリー・ポッターが使うような短いものではありません。歩行補助具として使用される長い杖は、正に三本目の足ですね。

なお、稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた『杖刀人』という文字からも分かる通り、古代日本に於いて杖は刀剣も意味します。神武天皇の剣と言えば、熊野の地で『高倉下(タカクラジ)』が献上した『布都御魂(フツノミタマ)』。つまり『モーセの杖』は神武天皇の霊剣、『アロンの杖』はカラスの足と、記紀の世界では差別化した形で描き分けられているという訳です(笑)。