社長、歴史に学ぶ⑫
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。最近、AIで復活を果たした漫画界の巨匠 手塚治虫も、大正時代の日本を舞台とした作品を残しています。1899年の義和団事件に始まる『一輝まんだら』は、二・二六事件の理論的指導者・北一輝の生涯を描く予定も、出版社の都合により途中で打ち切りとなった、未完の歴史大作。戦争反対、平和への想いを数々の作品に残した彼が、大正~昭和の動乱期にあたる続きの部分を、本当は どのように表現したかったのか、非常に興味深いところですね。
自身のご先祖様、蘭方医の手塚良仙・良庵親子の奮闘を描いたのが『陽だまりの樹』。作品の中では、『天然痘』と『コレラ』の2つの感染症が幕末の日本を苦しめます。超人的なメス捌きで人間の “心の弱さ・醜さ” を鋭く えぐり出す、皆さんご存知の『ブラックジャック』は、『エボラウイルス』研究の第一人者、北海道大学 高田礼人教授の人生に、最も影響を与えた作品の一つだそうです。さて今回は久しぶり、ブログを書いているうちに、最近 私がひらめいた妄想の世界に、皆さんをご招待。ちょっとセンシティブなトピックではありますが、科学的根拠もなければ政治的な意図も全く含まない、ただの エッセイですので ご容赦ください。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。
人類の歴史は、感染症との戦いの歴史でもあると申し上げました。私たちは人類の一員ですから、どうしても人類の立場から見て物事を判断しがちですが、それでは裏側に隠れる本質の部分を見落としてしまうかも知れません。人類が生き残りを賭けて様々な疫病と戦ってきたのと同様、如何に生存競争に勝ち残るか、病原体には病原体なりの戦略がある筈で、私たちは戦う相手の気持ちになって、現在起こっている事象を捉え直す必要があるのです。たとえそれが、生命と非生命の中間的な存在である、ウイルスだったとしてもです。
ウイルスは ある特定の固有種に対して、無害な存在でなければなりません。その生き物の体内で長く寄生していられる程、楽なことはないからです。病原体に感染しながらも無症状に元気でいられる生物を、その病原体の『自然宿主』と呼びます。多くの種類のコウモリが、病原体の宿主として重要な役割を果たしていると考えられ、今回の新型コロナウイルス『Covid-19』に於いては、96%遺伝情報の一致するウイルスが体内から発見された、雲南省生息のキクガシラコウモリが、最も有力な『自然宿主』の候補です。コウモリの寿命は小型動物としては比較的長く、日本に生息するアブラコウモリで3~5年。驚くべきことに、キクガシラコウモリの仲間は20~35年も生き続けるそうですから、『Covid-19』にとっては、長い間 体の中で寝て暮らせる、非常に優秀なパートナーと言えます。
ここで考えてみて下さい、もし『Covid-19』が新たな『自然宿主』を探すならば、キクガシラコウモリよりも長生きな、少なくとも35年以上は生き続ける種を選ぶでしょう。そしてコウモリ同様、空を飛んで長距離を移動できるなら なお良い。一時期、漢方薬の材料として珍重されたセンザンコウに容疑が掛けられましたが、10~12年の寿命で空も飛べない この動物を、『Covid-19』が敢えて選択する理由はありません。『SARS』のハクビシンと異なり、アリクイのような おちょぼ口では、センザンコウがコウモリを捕食することはないでしょうから、『中間宿主』としての可能性も考えにくいと思います(その後の調べで、ハクビシンの疑いも晴れたようです)。
私の言いたいこと。感染症の専門家の皆さんは明言するのを避けますが、要するに「『Covid-19』が『自然宿主』に選んだのは、我々人類だ」ということです。科学技術の発展により、100年の人生と大空を羽ばたく自由を手に入れた人類は、『Covid-19』にとって申し分のないパートナー。比較的低い致死率(WHOの専門家チームの2月20日迄の調査結果によれば、感染拡大初期に医療崩壊の起きてしまった湖北省で、5.8%と突出して高いのに対し、中国のその他の地域では0.7%と かなり低い)は、ウイルスからの信頼の証しです。若い人は発症しないばかりか、感染したことにも気付かないくらい。従って、一旦陰性判定を受けた人が再び陽性を示すこともあるように、よほど効果的な新薬の開発なくして自然完治することはなく、騙し騙し人体にずっと居座り続けることでしょう。
高齢者で重篤化するケースが多いことについては、こう説明できると思います。ある植物は水を十分に与え続けると、花を着けないと言います。水やりを止めると その植物は生命の危機を感じ、花を咲かせ実を付けて、子孫を残すのだそうです。この『Covid-19』というウイルスの場合はというと、感染した対象が70~80代、つまり宿主に残された時間が、キクガシラコウモリの生涯の20~35年よりも短いと解った途端、危機を察知、期待を裏切られたかのように、突然、牙をむき襲い掛かって来る印象。まるで 、”命の回数券” とも呼ばれる長寿遺伝子『テロメア』の長さを、測るセンサーでも持ち合わせているかのようです。そして新たな安住の地を求めて再び旅に出る唯一の方法こそが、患者の肺の中で急速に増殖し、咳の勢いで大気中に飛び出すこと。それが人を死に至らしめたとしても、『Covid-19』にとっては生き残りの為の手段であって、目的ではないのです。
近い将来 人類は科学の力で、必ずや『Covid-19』を克服することでしょう。しかし、もし人類が “選ばれた存在” だとするならば、宿主が健康で免疫機能が正しく働いている限り、何の悪さもしない『Covid-19』を、科学の力を以て強制的に排除することが、正しいことなのかどうか、私には分かりません。適度な運動と栄養、充分な睡眠、ストレスを溜めないこと、つまり、私たちが生活習慣を改め、健康で幸せな生活を送る努力をすることによって、私たち人類と『Covid-19』は共存することが可能なのですから。それは何だか、原始の時代にコウモリの棲みつく洞穴で暮らした我々の祖先が、コロナウイルスとの “共同生活” から決別する以前の生活様式に似ています。『ホッキョク・ヒグマ』が寒冷化の度に極寒の局地を目指すかのように、呉青秀の異常性行動が呉一郎に乗り移ったように、そして手塚治虫の代表作『火の鳥』や『ブッダ』に描かれる輪廻転生のように、ホモサピエンスと共に歩んだ太古の記憶が、『Covid-19』の遺伝子には深く刻み込まれているのかも知れません。
※誤字を修正しました。