社長、海を渡る<インド編③>
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2002年に多摩川に現れ、人気者となったアザラシの『タマちゃん』、2003年以降、埼玉と東京の県境を流れる荒川にも、姿を見せるようになりました。1970年代の私がまだ子供だった頃、魚も住めないくらい汚かった荒川が、随分ときれいになったもんだと、感心したのを思い出します。東京・埼玉・千葉・神奈川の一都三県が、ディーゼル規制に乗り出したのも、丁度 その頃。以降、黒煙をまき散らすトラックを見ることは、殆どなくなりましたね。令和元年、時代の要請に応え、私の乗る社長車も、いよいよ環境対応車に。納車日は目の前です。
さて、2013年12月、私は再びデリーを訪れました。12月のデリーは、朝方、予想以上に冷え込んで、外気温は10度以下。ジャケットの上にもう一枚、羽織れるものが欲しい気候です。同じホテルには、日系大手自動車部品メーカーA社から、大勢の日本人スタッフの皆さん。お話をお伺いすると、近くに新しい工場が出来て、新規設備の立ち上げ支援だとか。ロビーから外を覗くと、近くを走る地下鉄レッドライン(この区間は、高架橋の上を走っている)の姿は、深い霧に包まれて見えません。ここ最近は、冬になると毎年こうで、視界の利かない状態に、鉄道のダイヤは乱れ、飛行機の遅延・欠航も続出。自動車の玉突き事故も多発するのだそうです。
霧の名所と言われると、我々の世代は、イギリスの首都ロンドンを思い浮かべますが、『霧のロンドン』も、決してロマンチックなものではなかったようです。いち早く産業革命を成し遂げたイギリスでは、石炭を燃やす際に排出される微粒子による、大気汚染が深刻化。その微粒子を核に、空気中の水蒸気が凝結したものが、ロンドンを覆った濃霧の正体であることが、近年の調査で明らかになって来ました。中でも、1952年12月に発生した『ロンドンスモッグ』の被害は甚大で、呼吸器疾患により、12,000人もの方が命を失ったと言われています。
午後になると、インドの大気汚染も本性を現します。霧は晴れても視界は開けず、6月の青空とは対照的。高濃度のPM2.5は、私たち日本人にとっては、移動中の車内でもマスクが欲しくなる程の、危機的状況です。2017年、インドでは大気汚染により、約124万人もの方々が亡くなったとの報告も。石炭に頼るエネルギー事情、自動車の排気ガス、農家の野焼き、はたまた、ヒンドゥの祭典『ディワリ』のお祝いに使う、花火や爆竹と、汚染に繋がる様々な要因が俎上に載せられながら、有効な対策は、未だに取られていないようです。報道によれば、最も深刻なのは人々の『無関心』。確かに、デリーの街に、マスクを着用しているインドの方を、誰一人、見掛けませんでした。
ところで、これも時代の流れで、受け入れるしかないんでしょうか。次の車の『カーオーディオ』からは、『CDプレイヤー』が無くなります。英語の勉強には、必須アイテムだったんです。何か対策を、講じなければなりません(笑)。
※表現を一部、変更しました。