社長、海を渡る<中国編>
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。6月28日(金)・29日(土)と、G20サミットが大阪で開かれるのに併せ、トランプ大統領と習国家主席が、話し合いの場を持つことになったようです。『貿易戦争』に名を借りた、米中の『覇権争い』。『新冷戦』或いは、『文明の衝突』なんて言葉を使う人も、出てきました。2つの超大国が矛を収め、着地点を見出せるかどうか、注目しましょう。
さて、私が中国に行ったのは、翌年に上海万博開催を控えた、2009年11月のことですから、ほぼ10年前の話です。中国蘇州の或る商社さんが、上海で開かれる展示会のブースの一角を利用して、私たちの製品を紹介してくれることになったんです。当時、日本の装置メーカーさんの多くが、中国製の粗悪なコピー製品に悩まされていました。製造装置を1台、中国企業に納入すると、その翌年には、何処に発注したかは分かりませんが、見た目そっくり銘板までコピーした、偽物の製造装置が丸々一式、隣りに仲良く並んでいて、白々しくも「壊れたから直してくれ」と、模倣品の方の修理を依頼されることが、しばしば有ったんだとか。リバースエンジニアリングは、一歩譲って許すとしても、商標の盗用は完全NGです。怖いもの見たさ半分、勿論、中国という市場を理解する上でも、私は上海に向かう必要が有ったんです。
リーマンショックから、1年ちょっと。経営再建中のJALに搭乗するのを避ける為、わざわざ、羽田から飛んだのを覚えています。当時、羽田は再国際化前でしたが、第2ターミナルの隣りには、暫定の国際ターミナルが存在して、上海行きの定期チャーター便が就航していました。上海には国際空港が2つ。1999年開港、海外からのお客さま向けの表玄関が、リニアモーターカーの走る『上海浦東国際空港』。そして、浦東のオープン以降、羽田同様、国内線専用に運用されていたのが、上海中心から、約15km西に位置する『上海虹橋国際空港』です。羽田発のチャーター便は、虹橋に降り立ちます。ANAと上海航空が共同運航する、NH6447 虹橋行きに乗り込んだ私は、巨大都市上海を、東から西へと空から横断。眼下には果てしなく広がる市街地、そこに20階は超えるであろう、高層マンション群の延々と連なる光景は、中国という国のポテンシャルを認識するに充分です。
その虹橋空港で、前乗りしていた営業マンと合流。2009年の上海は、全ての物が万博開催に向けて工事中。地下鉄東西線は走っていましたが、肝心の最寄り駅は閉鎖しており、上海中心街を貫け、その東側に在るホテルまで、タクシーで向かうこととなりました。弊社中国市場担当は、台湾在住7年の中国語ペラペラ。唯一『台湾訛り』が抜けないのが難点で、中国本土の人間ではないと、直ぐにバレるのだそうです。当時、中国のタクシーと言えば、VWの旧型サンタナ。1980年代から上海で現地生産され、30年近く愛され続けた中国の『国民車』的存在で、日本車は極少数派です。途中、高速道路上のカーチェイスは冷や汗物でしたが、夕暮れ時、店先の路上にテーブルを並べ、麻雀に興じる人々の姿は印象的で、空からは見えない上海の日常風景も、垣間見ることが出来ました。
肝心の展示会の方はどうだったかと言うと、私の会場入りした展示会2日目は、お世辞にも大盛況とは言えない状況でした。商社の総経理(社長さん)に話を聞いてみると、「中国の人達は、余りにも せっかち過ぎて、来場客でごった返すのは、展示会初日の午前のみ。客足が引くのも非常に早くて、初日の午後以降、お客さまが少ないのは、特段、驚くことではない」のだとか。加えて、11月としては異例の大寒波が中国に襲来。北京では犠牲者が出る程の冷え込みでしたから、そんな影響も有ったのかも知れません。その代わりと言っては何ですが、展示会場を埋め尽くしていたのは、中国・台湾製と思われる『×××品』の数々。詳細についてのコメントは、ここでは差し控えさせて下さい(苦笑)。
2030年頃にはGDPでアメリカを逆転して、世界第1位の経済大国になると言われる中国。実際、私の訪中の翌年、2010年に中国に第2位の座を奪われて以降、日本は、あっと言う間に置き去りにされましたから、アメリカが焦る気持ちも、分からないではありません。