社長ブログ

社長、歴史に学ぶ①

あけましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。今年も神田明神にお参りし、商売繁昌・除災厄除を祈願して参りました。JR御茶ノ水駅の聖橋口から出て、左に折れて神田川を渡ると、左手には東京医科歯科大学、右手には湯島聖堂。突き当たって信号を右折、中山道を暫く歩くと左側に現れる鳥居を潜って、小高くなった参道の先に、緑青銅板葺きに少し濃い目の朱色の社殿が見えてきます。神田明神には三つの柱の神様が祀られていて、一つ目が商売繁盛の恵比須様、二つ目が縁結びの大黒様、そして三つ目が厄除けの神様で平将門公。

弊社の場合、3年前に訳あって宗旨替え(昇殿は2年前から)。実は それまで長年、成田山にお参りしていたんです。歴史に詳しい方はご存知かと思いますが、西暦939年、朝廷と対立した将門が関東で反乱起こします。将門を調伏する為に京都から派遣された、僧侶が創建したのが成田山新勝寺、首をはねられた将門の霊を供養し、江戸の守り神として祀ったのが神田明神ですから、2つの寺社は因縁の関係、両方に参拝するのは御法度なのだとか。因みに、江戸から明治へと時代が変わると、皇室に矛を向けた逆賊として再び問題視された将門公、神田明神の祭神から外されるという憂き目に遭います。将門が神田に戻って来られたのは、第二次大戦が終わって40年近くも経った1984年の事なのだそうです。京都と江戸、立場が変わると見える世界も違ってくると言う、典型例の一つかも知れません。

さて、日本と中国の関係が改善する中で、不謹慎かも知れませんが、今回は、石炭からの転換を強力に推進した結果、北京に青空を取り戻したと言われる中国の、ちょっと笑うに笑えない裏話。2018年1月の朝礼で取り上げたエピソードです。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

中国が国策として、大気汚染防止活動をスタートしたのは、2016年7月のこと。翌2017年の10月には、北京市・天津市と26の都市に石炭禁止令を発令し、学校や家庭の石炭ストーブも政府の命令に従って強制撤去します。その後 急ピッチで工事を進めたものの、天然ガスや電気式の暖房設備の設置が、冬の到来には間に合わないケースが多発。運良く間に合ったところで、 急増した需要に、いざ火を入れようにも天然ガスの供給が追い付きません。さすがの中国政府も世論に突き動かされ、石炭の使用を許可したは良いものの、石炭ストーブは既に撤去されていて後の祭り。結果、1,000万人以上の人達が、その冬を暖房なしでやり過ごさなければならないという、大問題に発展しました。因みに、大量の煙をまき散らしていた地域の工場はどうしたかと言うと、さっさと周辺都市に逃げ出して、その後はそちらの大気汚染が深刻なんだとか(怒)。

立場が違えば見える世界が異なっても、それは仕方のないことです。気候変動を食い止めるという観点からすると、どんなにそれが高効率・低公害だとしても、石炭を燃やすのはグッド・アイディアではないかも知れません。しかし、世界人口100億人時代を前に、石炭や褐炭を有効活用する技術については、再び世界の注目を集めている分野。その先頭を切る日本は、技術開発を継続すべきと考えます。太陽光発電導入済みの、弊社だからこそ言わせてもらいますと、工場の屋根全体をソーラーパネルで覆っても、必要量の10分の1強を発電するのが精一杯と、かなりスペース効率が悪いんです。2020年1月からパリ協定が本格スタートしますが、良い子の皆さんは、化石燃料産業を『オワコン』と決めつけて、後で後悔することのないようにしましょうね(笑)。

『教訓』から学ぶということは、大切です。という訳で、これから数回に渡り『社長、歴史に学ぶ』と題し、過去の朝礼で取り上げたエピソードを元に、令和新時代の視点も加え、再編集してお届けします。今年も宜しくお願い致します。

※一部の表現を改めました。

※誤字・脱字がありましたので、修正しました。