社長ブログ

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。東京大学の大橋順教授・渡部裕介特任助教の発表した、『都道府県別の縄文人・渡来人由来のゲノム比率』から見て、黒潮に乗って太平洋側から淡路島に上陸した、『倭人』とは別のグループ(『鯨面文身』の風習のない民族)が存在すると考えています。近畿・四国(卑弥呼の時代には、『倭種≒倭人?』が住んでいたと伝えられる地域。南海トラフ地震により集落が壊滅し、”空白地帯” となっていたのかも知れません。)及び北陸に進出し、『倭の五王』が朝鮮半島の軍事的支配権に固執する間に、一気に勢力を拡大したのでしょう。天孫族とは何者なのか?倭国の東に どのような世界が拡がっていたのか?残念ながら『宋書倭国伝』からは、読み取ることが出来ません。

さて、記紀の世界で卑弥呼に与えられた第 3の人生を語る前に、先ずは関連情報をアップデートさせて下さい。『排仏崇仏論争』で蘇我氏と物部氏は激しく対立、587年に起こった争いを『丁未の乱』と言います。結果は排仏派の物部氏の惨敗で、『四天王寺御手印縁起』によると、『物部守屋』の子孫ら 273人が四天王寺の奴婢にされています。四天王寺を建立したのは聖徳太子。当ブログに於いては聖徳太子は実在せず、厩戸王と蘇我入鹿は同一人物。『厩戸王=イエス』で “ブライトサイド”、『蘇我入鹿=ヨシュア』の “ダークサイド” で、両者は表裏一体という立場です。『丁未の乱』という “宗教戦争” の結果、『饒速日命=ノア』の呪いにより永遠に隷属する運命を与えられた『物部氏=カナーン人』を、生かすも殺すも全ての権利は『厩戸王=蘇我入鹿=ヨシュア』の手中に収まりました。旧約聖書と日本古代史に於ける この合わせ鏡のような類似性は、私には偶然の産物であるとは思えません。

まだ有ります。『カナン』の地に入り、各部族に土地を割り当てた『ヨシュア』は、イスラエルの民 団結の為 偶像崇拝を止め、ヤハウェのみを信仰することを誓います。これを『シケムの契約』と呼びます。一方の日本では、強敵の物部軍を前にして、厩戸王は四天王像を彫って必勝祈願。勝利の暁には仏塔を造って仏教を広める約束をしていて、何だか『シケムの契約』とソックリです。二つの場面が『ヨルダン川』と『餌香川(エカガワ)』という、河原を舞台として描かれていることまで重なります。但し『厩戸王=蘇我入鹿=ヨシュア』つまり、『シケムの契約』を求めた張本人が 、時間も空間も飛び越えて、お釈迦様とヤハウェに “二股” を掛けた格好ですから、そりゃ一神教の神様は見逃しません。645年の入鹿暗殺は “身から出た錆”、天罰が落ちたのです(苦笑)。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑱

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。埼玉県には『吉見百穴(ヨシミノヒャクアナ)』という遺跡が在ります。岩肌に掘られた 200を超える横穴は、一般的には お墓と考えられていますが、穴居人とされる『土蜘蛛』の、住居跡と考える説も有るようです。さて、北九州の『土蜘蛛』に話を戻すと、『景行天皇』の命令に従わず抵抗を続けたのが、豊後の『鼠の石窟(ネズミノイワヤ)』に住む『白・青』の 2人に、『禰疑野(ネギノ)』に住む『打猿(ウチザル)・八田(ヤタ)・国摩侶(クニマロ)』の 3人。時代設定のズレは脇に置いておくとして、『 2+ 3= 5』の『倭の五王』と同じ組み合わせが、記紀にもしっかりと記述されていました。

「邪馬台国とヤマト王権の間に、連続性がないと考えるのは社長の自由ですが、豊後の『土蜘蛛』の猛者 5人が『倭の五王』では、流石に “小粒” 過ぎやしませんか?」そんな批判が聞こえて来そうです(苦笑)。寧ろ “小粒” が良いのです。何故なら天孫族の歴史書には、ヤマト王権以外に日本を代表する地方政権が、存在してはならないのですから。『豊後国風土記』には、『五馬媛(イツマヒメ)』『頸猴(ウナサル)』『小竹鹿奥(シノカオサ』『小竹鹿臣(シノカオミ)』『土蜘蛛八十女(ツチグモヤソメ)』など、他にも多くの『土蜘蛛』が登場します。恐らくは渡来系古墳人に押し出され、全国に散らばった縄文系弥生人(=国津神)グループの一つでしょう。

彼等こそがユダヤ的な文化や水稲耕作の担い手であり、その源流は中国の『珠江デルタ』以南に存在すると考えます(言語的にはミャンマーに近いとの研究も)。或る者は黒潮に乗り琉球諸島を経由、豊後水道を通って北九州に邪馬台国を、その一部は対馬海流に流され、上陸した朝鮮半島南端に『伽耶』諸国を、また或る者は大陸沿いに東シナ海を北上して、長江の下流域に『呉(春秋戦国時代)』を築いたのではないでしょうか?広域ネットワークも存在したことでしょう。ハプログループD(Y染色体)を中心とした海洋民族、全身にタトゥーを施した所謂『倭人』たちは、決して “小粒” な集団では なかったと思います。

日本各地に見られる『土蜘蛛』一族の首長には、『女、姫・媛』の付く名を持つ者が 14名もいて、その中には卑弥呼や『台与(トヨ)』本人、或いは 2人の後を継ぐ女性祭祀王が含まれる可能性は充分に有ります。つまり、『土蜘蛛』という蔑称を与えられ、記紀の中では徹底的に見下される存在ですが、実態としては『空白の四世紀』を越えても尚、大国の『宋』に対して『倭王(男性とは限らない)』を名乗るだけの勢力を維持し、邪馬台国は存続し続けたというのが、私の考えです。

それにしても物語上の設定とはいえ、卑弥呼の後継者と目される『田油津媛』を最後に討ち取るのが、天孫族に生まれ変わった卑弥呼自身とは、何とも過酷な試練です。このように、記紀の編集方針は『持統天皇』の即位によって、仏教的な色彩を濃くします。初代 “女王蜘蛛” だった卑弥呼は『輪廻転生』を繰り返し、”悪魔の子” を宿した百襲姫、”神の子” を宿した神功皇后に続き、第 3の人生が与えられます。続きは次回。

 

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑰

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。私の地元の武蔵一宮『氷川神社』、現在の主祭神は須佐之男命ですが、江戸初期迄は『荒脛巾(アラハバキ)』を祀っていたようです。但し、埼玉に残る伝説の主は『蛇神』でなく『龍神』。恐らくは、ヤハウェに奪われた手足を再び『蛇』に与え、『龍≠サタン』とすることで縄文以来の信仰を守って来たのでしょう。高天原から降臨したとされる天孫族が、倭国古来の土着信仰に疎かったのは仕方ないとして、記紀編集部の新・旧聖書に関する理解度も、決して高くはなかった可能性が示された点は、私にとって大きな発見と言えます。もし そこに悪意を持った誰かが紛れ込み、天皇家を未来永劫 精神的に支配する為、編集ミスを意図的に誘発していたとしたら?そう思うと、ちょっとゾッとしますね・・・

さて今回は日本古代史の謎の一つ、『倭の五王(讃・珍・済・興・武)』の正体に迫ってみたいと思います。『安東大将軍』の称号を求め、413~478年に中国の王朝『宋』に朝貢した『倭の五王』とは誰なのか?古事記・日本書紀には記載がないとして、室町時代から様々な議論が なされていたようです。1968年に埼玉県の『稲荷山古墳』から鉄剣が出土して以降、倭王『武』は『雄略天皇』で確定的とし、『讃・珍・済・興・武』をそれぞれ『履中・反正・允恭・安康・雄略』とする説や、『応神・仁徳・允恭・安康・雄略』とする説などが定着しています。どちらが正しいのか、どちらも正しくないのか?『宋書倭国伝』の記載から、『讃・珍』の 2人と『済・興・武』の 3人を分けて捉える点は、両者で共通しています。

『邪馬台国北九州説』支持に舵を切った私としては、天孫族の国家統一に敵対する勢力の中に、条件に該当する存在が隠されていると踏んで調べを進めましたが、有名どころの『日本武尊(ヤマトタケルノミコト)』や崇神天皇の『四道将軍』の遠征物語には、『 2+ 3= 5』の回答を見つけることが出来ません。捜索範囲を広げ漸く発見した『まつろわぬ民』が、その名も『土蜘蛛(ツチグモ)』。ネット上の画像を見ると、蜘蛛の姿で描かれることが多いですが、『酒呑童子』が退治した妖怪として与えられた、後付けのイメージです。胴が短く手足が長かったのだとか?九州北部の『土蜘蛛』は、『日本武尊』の父『景行天皇』が派遣した討伐軍に徹底抗戦、最後は女王『田油津媛(タブラツヒメ)』が、神功皇后に討ち取られました。続きは次回。

 

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。古代日本には西方キリスト教とは異なる、様々な教えが持ち込まれました。『グノーシス主義』も その一つ。災いばかりの世界をつくった創造神は欠陥だらけ、なんなら、狡猾に『イヴ』を唆した『蛇=サタン』の方が賢いと『蛇』を崇拝したかと思えば、反対に『蛇』から手足を奪ったヤハウェに『蛇』の脚を与え、悪魔の姿に描いて祀るなど奇想天外・支離滅裂な多神教で、新・旧聖書の教えを悉く否定するアンチ・キリスト教の宗派です。この『蛇神』を祀る『グノーシス主義』が、後の日本社会に大きな禍根を残すとは、一体 誰が想像していたことでしょう?

一般的に神道に於いては、神の霊魂は『和魂(ニギタマ)』・『荒魂(アラタマ)』の、2つの側面を持つと考えます。神武天皇の前に現れた熊野の荒ぶる神や、崇神朝に疫病をもたらした『大物主命』は、旧約聖書のエピソードと照らし合わせヤハウェの『荒魂』、密教の世界なら『不動明王』、当説で言うところの “ダークサイド” で間違い有りません。ここまでなら良かったのですが、その『大物主命』が三輪山に住む『蛇神(=縄文の土俗神・アラハバキ?)』として信仰されていることを知ってか知らずか、国津神の女王 卑弥呼を辱める為、『箸墓』伝説の中に『蛇=サタン』のスキームを安易に借用したから、さあ大変!!『ヤハウェ=大物主命=蛇=サタン』と解釈する余地を与えてしまいました。これでは『グノーシス主義』そのものです。

『丹塗矢(ニヌリヤ)』伝説によれば、神武天皇の后『比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)』の父親は『大物主命』。つまり、日向で寄り添った『阿比良比売(アヒラヒメ)』でなく、大和の地の “神の娘” を正妻として選んだ結果、『綏靖天皇』以降の皇統に『サタン』の血が混ざってしまった訳です。”神の子” を宿した神功皇后も『開化天皇』の来孫( 5世代後の子孫)ですから、『応神天皇=イエス・キリスト』にも『サタン』の血が流れています。『王朝交代説』の騒がれる『継体天皇』も応神天皇の来孫。”悪魔の血脈” から逃れることは出来ません。

一部の保守層の皆さんは、記紀編集部が犯したこの致命的なチェックミスに気付き、『グノーシス主義』のジレンマに苦しんでいらっしゃると思います。これを『サタンを中心とする四位基台』と呼び、そこからの救済の道を指し示しているのが、実は例の “半島生まれ” のカルト集団なんです。凶弾に倒れた安倍晋三氏が彼らに近付いた動機は、政治的支持を得る為の邪なものではなく、もしかしたら、宗教的信条の親和性による純粋なものだったのかも知れません。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑮

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。中央アジアのキルギス共和国には、「日本人とキルギス人は元々は兄弟で、西に残った肉好きがキルギス人に、東に向かった魚好きが日本人になった」との言い伝えが有り、『海幸山幸』の物語に似ていると、日ユ同祖論の文脈で しばしば話題になります。神武天皇に繋がるのは『山幸彦』なので、記紀の内容とは関係性が “あべこべ” ですが 、仮に『海幸彦』は大海原に漕ぎ出して『東の島々』を目指したグループ、『山幸彦』は陸路 東に向かった後発グループ、つまり『ディアスポラ』を経験したユダヤの足跡を説明しているならば、興味深い伝説です。

ユダヤ文化が『海のシルクロード』を通って、日本にもたらされた可能性を示す痕跡が残されているのは、琉球諸島だけではありません。ちょっと胡散臭い物も含まれますが(苦笑)、『アーク伝説』の剣山やイスラエルの神殿を思わせる『磐境神明神社』の在る徳島県、ユダヤ人埴輪で有名な『芝山古墳』の在る千葉県など、太平洋沿岸には、海洋民族が黒潮に乗ってもたらしたと思わせる、”ユダヤ的なモノ” が散在します。祭祀一族として名高い『阿波忌部氏』も、海洋民族としての側面を持つようです。

一方、数世紀に渡るローマ帝国滞在中に、キリスト教に改宗したグループ(伏見アリウス派の秦氏、宇佐ネストリウス派の秦氏など)も、異端の烙印を押されると陸路を伝って東を目指したことでしょう。『海幸山幸』に似た物語や『弓月の国』など、シルクロードの北方ルートに、彼らに関する逸話を見つけることが出来るのは、それが理由に違いありません。

海路と陸路、日本で合流するまでの長い月日の間に、両者は『黄泉がえり』を信じ『犠牲』を求めるグループと、『生まれ変わり』を信じ『犠牲』を求めないグループ、死生観に於いて相容れない 2つに分化し、それぞれ国津神と天津神の中に融合・同化して行きました。倭国統一を国津神に先を越された、嫉妬も含まれていたことでしょう、女王 卑弥呼は『サタン』に肉体を委ねて 呪力を手に入れた『ユタ』として忌み嫌われ、『箸墓』伝説に『百襲姫(100人の奴婢を殺めた女王)』の名を刻むこととなったのです。結論、邪馬台国とヤマト王権は対立関係にあり、連続性はなかったものと思われます。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。沖縄の人々が縄文系のDNAを多く残すのは、皆さんご存知の通り。その沖縄に見られる『看過(カンカ)』という風習は、子羊の血を門柱に塗って災禍を避ける、ユダヤの『過越の祭』と非常によく似ています。沖縄に残るユダヤの痕跡は他にも多々有って、その一つが民間霊媒師の存在です。自らを神に選ばれた存在と考え戒律を重んじる彼らは、琉球王国時代から公権力により弾圧を受けた歴史を持ち、洪水を止める為に “犠牲を求める” 神のお告げ、『真玉橋の人柱』という都市伝説も残されています。

その霊媒師の現地での呼び名を聞いて、私はゾッとしましたね。その名も『ユタ』。音の響きが余りにも似ていて、本来は “ユダヤ” を指す言葉だったとしても、何の不思議もありません。つまり私が言いたいのは、「ユダヤ的文化は朝鮮半島からではなく、黒潮に乗り南西諸島を経由して日本列島に流入した。そして その担い手は、海洋民族である縄文の民 自身だったのではないか?」ということです。『ユタ』の多くは女性で、そこは旧約聖書に描かれる『預言者』像と異なりますが、「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」卑弥呼との関連性が窺われて、逆に興味深いです。

余り知られていませんが沖縄にも、縄文晩期に水稲耕作が行われていた可能性を示す、『天水田(雨水や湧き水を使い、大規模な灌漑施設を必要としない棚田のこと)』の遺構が発見されています(何故か学術的には無視されたようです)。日本の在来種のイネの起源が、中国の長江より更に南の南シナ海沿岸部、『珠江』中流域に在ることや、タイに住む少数民族『マニ族』のDNAが縄文人に近いことが、最近になって分かってきています。稲作文化を含め多くのモノが、縄文時代に『海のシルクロード』を通って、日本にもたらされたのかも知れません。

 


社長はこう読む、古事記・日本書紀⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。近年の分子人類学の進展により、埴原和郎氏の提唱した単純な『二重構造モデル』は、否定されたと言って良いでしょう。古墳時代の日本人のゲノム構成には、縄文系弥生人と渡来系弥生人に加え、東アジアから渡来した人々の圧倒的な影響が見られ、現代日本人もそれを受け継いでいます。私たちに残る縄文系のDNAは、僅か15%程度に過ぎません。ところが、男系を辿るY遺伝子を調べると、違った結果が見えて来ます。現代の日本人男性の40%が、縄文系の『YAP遺伝子』を持っているのは何故なのでしょうか?

考古学的証拠が、鳥取県の『青谷上寺地遺跡』に残されていました。出土した人骨には武器が刺さった殺傷痕、殺された殆どが渡来系で有ることが判っていて、個人的な見解では有りますが、縄文系の人々が祖国防衛の為、北東アジアからの渡来人男性を “皆殺し” にした証拠だと思っています。これは幕末の『攘夷運動』と同じで、争いを好まなかったと言われる縄文人も、異人と戦ったのです。恐らくは女・子供の命は助け、一夫多妻制で家族として養ったのでしょう。私には それ以外の理由を、見つけることは出来ません。”開国” に転じたのは、暫く後のことだと思います。

古墳時代の到来前に日本を支配していた国津神の正体は、縄文系の先住民をベースに、北東アジア系女性が混血して形成された民族グループ。当ブログでは『北九州説』で確定の邪馬台国に住む弥生時代の人々が、『黥面文身(全身タトゥー)』を施していたのも、彼らが縄文文化を色濃く残していた証しです。どうやら そこにユダヤ的な教えをもたらしたのも、朝鮮半島を経由して渡来した北東アジアの女性たちではなさそうです。謎解きのヒントは意外な場所から見つかりましたので、次回にお話ししようと思います。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今回は、日本の古代史最大のミステリー、邪馬台国の所在地を知る上で鍵となる、卑弥呼の墓が一体 何処に在るのか?考えてみたいと思います。『黄泉がえり』を否定し『生まれ変わり』を信じる天孫族の歴史書に、”悪魔の子” を宿し慙死した『百襲姫』として描かれた卑弥呼にも、第 2の人生が与えられます。それが “神の子” を宿した神功皇后(当説では応神天皇はイエス・キリスト)、『三韓征伐』等の武勇伝を残すスーパースターです。蘇我氏と聖徳太子の例で ご説明して、当ブログでは お馴染みとなった、”ダークサイド” と “ブライトサイド” ですね。

『百襲姫』の墓とされる『箸墓古墳』には、『特殊器台』という埴輪のプロトタイプのような物が置かれ、100人の奴婢を “生き埋め” にしたとされる、卑弥呼の墓の特徴とは異なります。神功皇后の陵墓として治定される奈良県奈良市の『五社神古墳』は、何故か議論の対象にすらなりません(苦笑)。では、”謎の姫神” の民間伝承が残される、豊の国なら どうでしょう?宇佐神宮本殿の建つ『亀山』の大きさは、『魏志倭人伝』の記述通り「径百歩余」。議論の割れる位置関係もシンプルに、帯方郡から南へ道のりにして「万二千余里( 1里≒70m)」、日数に換算すると「水行十日陸行一月」。近くには『百体神社』が在る上、昭和の修復工事で見付かった石棺は、祟りを畏れて埋め戻された と言われています。

ここに登場するのが、宇佐ネストリウス派の秦氏です。『比売大神(ヒメオオカミ)』の利用価値に気付いた彼らは、伝説上の 2人の卑弥呼に『箸墓古墳』と『五社神古墳』を与えることで、空白となった宇佐の地に『聖杯の一族(イエス・キリストとマグダラのマリアの娘のサラ)』を秘匿、天皇まで傅く “聖なる領域” を築くことに成功します。608年に日本を訪れた隋の使者、『裴世清』から『秦王国』と呼ばれたのも、恐らく宇佐ネストリウス派の支配地域のことでしょう。私の結論、女王 卑弥呼(実体)は宇佐神宮の『亀山』に眠り、邪馬台国論争は『北九州説』に軍配です。

では、邪馬台国が北九州に在ったとするならば、その担い手は一体 何者なのでしょう?邪馬台国とヤマト王権の間に、連続性は有るのでしょうか?次回から少し別角度で考察を進めたいと思います。お楽しみに。

※誤りを修正しました。【誤】1里≒70km→【正】1里≒70m

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。お稲荷さんって、どうしても祟るイメージが付きまといますよねぇ(苦笑)。記紀の中にも『熊野坐神(クマノニマスカミ)』や『大物主神(オオモノヌシノカミ)』など、畏怖の念を抱かせて人々を支配する正体不明の神々が登場しますが、以前お話しした『神武=モーセ』『崇神=ダビデ』に関する逸話から、これらの神々も また唯一神の “ダークサイド”、ヤハウェの化身と考えて 100% 間違いないでしょう。通説のように、『須佐之男命』や『大国主命・事代主神』と同一視するのは、私としては誤りだと思います。

では、本題に入りましょう。『大物主神』がヤハウェであるならば、唯一神に選ばれた女『倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)』こそ、「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」女王 卑弥呼の最有力候補です。或る日、『百襲姫』は恋焦がれた『大物主神』の正体が、実は『蛇』であることに気付きます。旧約聖書の『創世記』で『イヴ』を唆した『蛇=サタン』が、時空を超えて記紀の世界に現れたのです。慌てた『百襲姫』は、お腹に宿した胎児を “箸” で突き胎外に掻き出しますが、万事休す。血の海の中で凄惨な最期を遂げました。想像したくないショッキングな場面ですが、望まない妊娠と中絶の失敗、これが『箸墓』伝説の真相です。

当ブログを愛読して下さっている、読者の皆さんは既にご存知のパターン。『国生み』神話に肝心の『蛇=サタン』が登場しないので、旧約聖書に関する予備知識が無い人には、『箸墓』伝説が真に意味するところを理解できません。この時 併せて記紀の世界から抹消されたのが、謎多き水神『瀬織津姫(セオリツヒメ)』。”白蛇” の姿を持つ『百襲姫』の娘は、生まれること自体を許されず、穢れた存在として海に流されてしまったのです。

日本書紀が完成した 720年、犯した罪の全てを『八幡神=イエス・キリスト』が一身に引き受ける形(贖罪)で、『サタン』と交わり呪力を手にした『魔女』として貶められた、祭祀王の “名誉回復” が図られます。『卑弥呼=百襲姫』に殉葬された100人の奴婢たちは、『八幡神=コンスタンティヌス大帝 /ヨシュア(軍神)』によって討伐された100人の隼人へと すり替えられ、その魂は宇佐神宮の末社『百体神社』で供養されているのです。これは『持統天皇』の遺志を継いだ、異母妹の『元明天皇』の指示によるものでしょう。宇佐のネストリウス派勢力が関与したのも、間違いありません。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。325年のニケーア公会議で異端とされたアリウス派は、431年のエフェソス公会議でローマ帝国を追放されたネストリウス派より、先行して日本に渡来した秦氏のグループと思われます。仏教との役割分担により、居場所を失った『月読命(ツクヨミノミコト)』を引き取って、例外的に『宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)』として祀っていますが、原則としては「神は唯一にして、御形なし」、『稲荷大明神=ヤハウェ』を信仰し、偶像崇拝を嫌う一神教のグループです。なお、八幡神と同様に『稲荷大明神』は記紀に登場しません。

奈良時代に入ると、一介の預言者であった筈の宇佐八幡が、ヤハウェの権威を笠に着て やりたい放題。ここまで静観して来たアリウス派も我慢の限界といったところでしょう、『空海』という “刺客” を用意します。密教の『曼荼羅』は宇宙の真理そのもので、中心に位置する『大日如来』は唯一神のイメージにピッタリです。『稲荷大明神=ヤハウェ=大日如来』とすることにより、『八幡神=イエス=八幡大菩薩』との序列を明確化、羅城門の東西には護国寺を配置して、都に於ける主導権をネストリウス派から奪い取った訳ですね。奈良の大仏が『大日如来』と同一視され、南都勢力は気分が悪い筈がありません。彼等が『空海』にすり寄った一方で、生涯 反りの合わなかった『最澄』は、北東の門番役に遠ざけられています(笑)。

伏見アリウス派の “騙し討ち” により、中央権力から切り離された宇佐陣営も黙っていません。八幡神を『阿弥陀如来』に再度 格上げ。『末法思想』を拡散し平安貴族の恐怖を煽り、『極楽往生』を究極の目的とする『阿弥陀信仰』で形勢逆転を狙いました。両者にとって予想外だったのは、武士階級の台頭でしょう。『南無八幡大菩薩』、石清水八幡宮から各地に勧請された、八幡神のダークサイド(=ヨシュア)が大人気。中世を代表する “軍神” へと変貌を遂げ、東国を中心に新たな巨大マーケットを開拓するのでありました。

と言う訳で、記紀をより深く理解する為に、暫く “寄り道” をさせて頂きましたが、次回からは いよいよ日本古代史 最大のミステリー、邪馬台国の女王『卑弥呼の謎』に迫りたいと思います。「卑弥呼は記紀に登場しないのでは?」と、突っ込まれそうです(苦笑)。さあ、どうでしょうか?お楽しみに。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。神仏習合が進んだ奈良時代末期、八幡神にも『八幡大菩薩』という、仏教式の称号が与えられます。耳触りは良いのですが、『釈迦如来』や『大日如来』のような、全ての煩悩から解放された最高位の『如来』とは異なり、『菩薩』は悟りを開くための修行の身。これは皇位継承問題にまで介入した絶対権力、宇佐八幡の実質的な “格下げ” です。また『空海』は弟子への遺言の中で、56億7000万年後に現れて人々を救うのは『弥勒菩薩』であるとして、『八幡大菩薩=イエス』がメシア(救世主)であることを否定しています。石清水で『裏鬼門』を守ると言っても、要は “番犬ポチ” じゃないですか!!

謎解きのヒントは、『空海』と稲荷神社の特別な関係に隠されていました。『空海』は前世で稲荷神と契約を結び、真言密教は稲荷神の ご加護の下に在るとされていて、真言宗総本山 東寺と伏見稲荷大社の親しい交流は、現在でも続いています。”お稲荷さん” と言えば秦氏。当説ではイエスを祀らない稲荷神社は、イエスの神性を否定するアリウス派、イエスを祀る八幡神社をネストリウス派とし、秦氏にも 2つのグループが有ると考えます。異端としてローマ帝国を追われた点は共通ですが、教義を異にする両者の対立は避けられなかった、ということでしょう。

つまり、「長年に渡り、ネストリウス派に主導権を握られて来たアリウス派が、巻き返しを図る為に巨費を投じて平安遷都を画策。無名の修行僧『空海』に目を付け、多額の留学資金を提供したのもアリウス派です。そして真言密教という新しい教えを “隠れ蓑” に利用して、宇佐のネストリウス派と南都のカトリック勢力を一掃、アリウス派による支配体制の確立を目指すと、純真無垢で優柔不断な桓武天皇は、まんまと彼等の “権謀術数” に乗せられた」と言う訳です。もしかすると、聖武朝の『長屋王』や桓武朝の『早良親王』の怨霊騒ぎも、3つ巴の権力闘争の中で行われた “情報戦” かも知れません。まさか疫病も誰かが意図的にバラ撒いた?世の中は今も昔も、何も変わっていないですね(苦笑)。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。そもそも皇位継承権のない人物の即位について、宇佐八幡に お伺いを立てるとも思えませんが、仮に通説に従って『道鏡』が物部系の『弓削氏』出身とするならば、彼もまた『饒速日命』の “呪われた民” となります。排仏派の末裔が僧侶の姿を装って頂点まであと一歩、結局は『十種の神宝』の呪力によって闇に葬られた、そう解釈することも可能かも知れません。

さて、禁教令以降の江戸時代の長崎には、現に『マリア観音』なるものが存在したそうです。「仏像は聖母マリアに見えてはならないし、聖徳太子を連想させる “イケメン” でも駄目。」そんな無理筋の注文に応えたのが、仏教界に突如 現れた天才『空海』です。留学先の “国際都市” 長安では真言密教の教え以外に、『景教(中国のネストリウス派)』についても学んだと考えられており、敵の手の内を知り尽くした『空海』が日本の仏教に新たに導入したのが、怒りの炎で全ての煩悩を焼き払い怨敵を調伏する『不動明王』。『大日如来=毘盧遮那仏(奈良の大仏)』の化身に、泣く子も黙る “憤怒の形相” を与えました。これなら宇佐の “うるさ型” も文句の付けようがなく、太子の “推し活女子” もドン引きです(苦笑)。

807年に『空海』所縁の『大安寺石清水房』に勧請された八幡神は、860年以降 平安京の『裏鬼門』を守る役割を与えられます。これにより宇佐神宮は『二所宗廟』の一角としての使命を終えて、その座を『石清水八幡宮』に譲ることとなるのです。仏教勢力の排除を目指した筈の平安遷都で、逆に宇佐のネストリウス派が骨抜きにされてしまうとは、”裏権力” の中枢で一体 何が起こったというのでしょうか?続きは次回。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。記紀をより深く理解する為に、もう暫く “寄り道” を続けさせて下さい。奈良時代末期に『称徳天皇』を虜にした僧侶、『道鏡』の出自には二つの異説が有ります。天智系の『志貴皇子(シキノミコ)』の落し胤(後に即位する『光仁天皇』の異母兄弟)とする説と、天武系の『弓削皇子(ユゲノミコ)』の血筋であるとする説です。天武天皇(=漢皇子)は蘇我入鹿(=高向王であり厩戸王)の息子であり、生母 皇極天皇の諡号を『皇統を極まらせた(瀬戸際に追い詰めた)』と解釈する当ブログとしては、後者に軍配を上げたいと思います。

『宇佐八幡宮神託事件』の切っ掛けは、時の権力者『藤原不比等』が創り上げた、虚構のスーパースター『聖徳太子』です。蘇我の血筋を貶める筈でしたが、乙女心を読み違えました。『弥勒菩薩』風の中性的 “イケメン男子” を妄想したのかも知れません、娘の『光明皇后』はボランティア活動と称し太子所縁の『四天王寺』に入り浸り。その娘で『称徳(聖徳太子を称える)』との諡号を与えられた女帝も、厩戸~天武~弓削という蘇我の “ブライトサイド” を受け継ぐ『道鏡』の中に、聖徳太子の再来を感じたに間違いないと思います。正に『我、蘇る』なのです。

朝廷はここでも宇佐八幡に裁定を仰ぎます。宇佐神宮も ようやく『偶像崇拝』の仏教を許容した失敗を認め、”ヤハウェの神託” により『道鏡』を排除、秦氏の経済的支援の下で、天智系の『桓武天皇』は南都を離れます。後の世で東大寺を焼いたのが『桓武平氏』なのも、偶然ではないかも知れません。奈良時代の終わりと共に、批判の矢面に立たされた仏教。この窮状を救うべく一人の天才が立ち上がります。続きは次回。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。国津神が『黄泉がえり』を信じていたのに対し、天津神が信じていたのは『生まれ変わり』と言って良いでしょう。「イエスの肉体は滅び、神格だけが復活した」とするネストリウス派の教えは、仏教の死生観『輪廻転生』と相性抜群。日本人の中に “霊魂” という概念を創り出しました。一度 肉体を離れた魂は、仏教に於ける冥界の王『閻魔』の裁きにより別の肉体に宿ります。応神天皇はイエスの『生まれ変わり』、神功皇后はイエスの母であり、妻でもあります(マグダラのマリア)。現世に恨みを残して次に落ち着きどころのない魂は、『怨霊』となって漂い災いをもたらす訳ですが、”この世” の案件なので『鎮魂』を担当するのは神社です。

そんな仏教の問題点は何と言っても『偶像崇拝』。特に聖母マリアの信仰を禁ずるネストリウス派にとって、太秦に在る『弥勒菩薩』のような、女性的な雰囲気を醸し出す仏像を拝むことは、絶対に受け入れられなかった筈です。失われた『天皇紀』は『乙巳の変』で炎に包まれた訳ではなく、「神学論争の末に “隠れカトリック(マリア信仰OK)” の蘇我氏と決別、宇佐に引き籠った秦氏が他の聖典と共に隠し持っていたのではないか?」というのが、現時点の私の考えです。正式な教義に乗っ取った形で宮廷儀式を執り行えなくなった、飛鳥の都は大混乱に陥ったことでしょう。重祚した『斉明天皇(=喪が明けた天皇)』が宇佐に近い筑紫に遷幸したのも、秦氏を頼ってのことに違いありません。

奈良時代になると、宇佐八幡にお伺いを立てなければ、聖武天皇でさえ大仏建立を許されない、それ程ネストリウス派の権力が強大になって行きます。大仏の開眼法要には宇佐から八幡神も招待されたと、『東大寺縁起』に記録されているくらいです。2度の戦火で焼かれた東大寺の大仏、建立当時の面影を残すのは台座のみで、現在の “顔” は 17世紀末に鋳造された四代目だそうですが、752年の建立当時、聖武天皇は『毘盧遮那仏(ビルシャナブツ)』に、どんな “顔” を与えたのでしょうね。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『アブラハム』と『ノア』がそれぞれ、『瓊瓊杵尊』と『饒速日命』であることを突き止めた以上、旧約聖書に残されたメインキャスト、『アダムとイヴ』についても調べたくなるのは、当然の欲求と言って良いでしょう。それが『伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)』であることは、疑いの余地のないところですが、記紀の編集者たちは『失楽園』のストーリーを借用して、日本人に どのような教訓を伝えたかったのでしょうか?

『失楽園』と言えば『禁断の果実』です。狡猾な『蛇=サタン』に唆された『イヴ』に勧められ、『アダム』も林檎(?)をかじって 2人はエデンを追われます(この時『蛇』は永遠に手足を失いました)。記紀で『禁断の果実』に相当する食べ物が現れるのは、『伊邪那美尊』が出産時の火傷で亡くなった後のこと。『黄泉の国』の食べ物を口にすることを、『黄泉戸喫(ヨモツへグイ)』と言いますが、『アダム』が『イヴ』に続いたように『伊邪那岐命』も『黄泉戸喫』を行えば、愛する妻と 2人『黄泉の国』で幸せに暮らせたに違いないのに、『伊邪那岐命』は そうしませんでした。何故なのか?

ヒントは『因幡の白兎』の物語に隠されていました。助けたウサギの導きにより、『八上比売(ヤガミヒメ)』のハートを掴んだ『大己貴命(オオムナチノミコト)』。嫉妬に燃える兄の『八十神(ヤソガミ)』たちに苛められ、何度も命を落としながらも その度に復活を遂げ、後に国津神の頂点に君臨する『大国主命』へと成長して行きます。私の知る限り、死からの再生を果たすのは、記紀の世界で唯一『大己貴命』のみで、そんな天津神は居ません。これは天津神が『黄泉がえり』を信じていなかった、証拠とは言えないでしょうか?

日本版『失楽園』を通じて記紀の編者が伝えたかったこと、それは「人間は一度 死んだら、もう二度と生き返らない」ということ。それでも、もう一度会いたかったんですね。悲しみを『禊ぎ』で隠そうにも隠せない『伊邪那岐命』。彼の右目・左目から溢れる涙と鼻水は、『三貴子』に姿を変えました。記紀の完成を前にして『持統天皇』が崩御。遺体は荼毘に付され、日本の古墳文化は終焉を迎えて行くのです。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。イスラエルの初代国王『サウル』は余程 資質に問題が有ったのか、『欠史八代』のモデルからも外されます(苦笑)。第 2代目のダビデ王こそ “初代” の誉れに相応しいという、記紀編集者からユダヤ教・キリスト教信者の皆さんへのメッセージでしょう、ダビデ王をモデルとする 10代 崇神天皇に『御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト=初めて国を治めた天皇)』という称号が与えられています。なかなか “粋な” ことをしますね!!初代 神武天皇と崇神天皇が 同一人物という意味ではありません。

さて、中世日本に天皇の “人喰い” 伝説を残した『ヨシュア』が、『欠史八代』から1100年余りの時を経て、亡霊の如く再び記紀の世界に現れます。『カナーン人』に該当するのは『饒速日命』の子孫である物部氏。仏教の受入れを巡って蘇我氏と対立し、587年には『物部守屋』が “呪われた民” の末裔として、『蘇我馬子』によって滅ぼされました。その後も『崇峻天皇』を暗殺したり(592年)、『山背大兄王』を自害に追い込んだり(643年)と、『我、蘇る』と名乗る一族の傍若無人振りは、教科書にも書かれているので皆さんご存知の通り。正に『ヨシュア』の再来です。

「えっ?蘇我って『イエス復活』を意味する名前ではなかったのですか?」と突っ込まれそうです(苦笑)。実はイエスと『ヨシュア』は表裏一体。ギリシャ語とヘブライ語読みの違いで同じ名前、つまり『ヨシュア』はイエスの “ダークサイド” なのです。幼少期のイエスの素行の悪さを描く『外典福音書』も有り、「厩戸王は蘇我入鹿のことである」と考える、当説の主張とも合致します。母親を信仰の対象にしない、子供の頃は やんちゃだった、結婚していて娘がいる等、『三位一体説』を受け入れながらもイエスの “人性” を強調する異端のキリスト教徒、ネストリウス派の記紀編纂への関与を強く疑わせる部分です。

なお、強い呪力を持つ『饒速日命』の『十種の神宝(トクサノカンダカラ)』は『神武東征』で紹介されますが、『ノア』が孫の『カナン』にしたような肝心の呪いのシーンは、またしても描かれていません。張り忘れた伏線の回収を読者に強いる、記紀では お馴染みとなった荒技です(苦笑)。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。第 2代『綏靖天皇』から第 9代『開化天皇』までは『欠史八代』と呼ばれ、実際には存在しなかったと考えられています。記紀は新旧聖書を下敷きとして編纂されたと考える、当ブログの結論から先に申し上げると、『欠史八代』はモーセの後継者『ヨシュア』と、『士師記』に現れる地域の政治的・軍事的指導者『大士師』のうち女性の『デボラ』を除いた 6名に、『サムエル記』の主人公でイスラエルの指導者『サムエル』を加えた、計 8名をモデルとして描かれたと思われます。旧約聖書の流れを意外と忠実に踏襲しているので、『紀年延長(日本の歴史を長く見せる)』を目的に、『欠史八代』が創作された訳ではないことが分かります。

具体的には、『綏靖=ヨシュア』『安寧=オテニエル』『懿徳=エフデ』『孝昭=バラク』『孝安=ギデオン』『孝霊=エフタ』『孝元=サムソン』『開化=サムエル』となります。『神武=モーセ』と『崇神=ダビデ』の間を埋める旧約聖書の元ネタは、彼らの行いが余りにも酷過ぎた所為でしょう、流石の記紀編集者も、天皇家のエピソードとして借用するのを躊躇ったようです。中でも、武力によって約束の地の征服に成功した『ヨシュア』が、”呪われた民”『カナーン人』に見せた残虐非道は目に余るものでした。

不幸にも『ヨシュア』に当て嵌められた『綏靖天皇』には、「人々に平和や安心感をもたらす」という諡号が与えられた一方で、中世に成立した『神道集』という説話集の中に、”食人趣味” という不名誉な伝説が残されす。なんでも朝夕 7人ずつの人間を喰い殺したとか?『ヨシュア』が『カナン』で行った大量虐殺について、その意味が理解できなかった日本人は悩みに悩んだ末、「陛下が美味しく召し上がった。」という解釈に辿り着いたのだろうと思われます(苦笑)。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。そうは言っても『建御雷之男神』と『天鳥船神』は交渉係の “伝書バト”、『ノア』と呼ぶには役不足と言わざるを得ません。有力候補の『瓊瓊杵尊』は当説では『アブラハム』で確定、しかも舟に乗っている描写が見つからないので選択肢から外します。一体 誰なのかと探していると、『ノア』に相応しい大物を発見しました。

それは『饒速日命(ニギハヤヒノミコト)』、このブログには 2度目の登場です。『瓊瓊杵尊』とは別ルートで地上界に降臨し、後に大和の地を神武天皇に禅譲した天孫族ですね。彼が乗っていた『天磐船(アマノイワフネ)』は、大船団を組んでいたとの話も有り、洪水に見舞われた高天原からの避難民を運んだ、『ノアの方舟』にピッタリです。ここまで『神武東征』『天孫降臨』『国譲り』の順に考察し、それぞれは関連性の薄い個別の逸話だと思っていたのですが、旧約聖書の洪水神話に対応する一連のストーリーが、これほど巧みに記紀に編み込まれているとは、私自身も全く想像していませんでした。

さて、洪水を生き延びた『ノア』、ある日 泥酔した『ノア』は息子『ハム』の行いに激怒して、何故か『ハム』の息子、つまり自身の孫に呪いを掛けます。この逸話は旧約聖書の逸話の中でも、説明のつかない謎とされているそうで、呪われた孫の名前は『カナン』、約束の地の先住民『カナーン人』のご先祖さまです。物語は この後、約束の地を目前に息絶えたモーセ、そこで堕落していくイスラエルの民、そしてイスラエル初代国王の誕生と続いて行きますが、ここにも古代日本の秘密を解く鍵が隠されていました。続きは次回。

※一部、修正しました。

 

社長はこう読む、古事記・日本書紀①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。出雲の『国譲り』神話と『ノアの方舟』の類似性を指摘する意見も有ります。アマテラスが『建御雷之男神』の前に地上界に送り込んだのは、順に『天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)』『天穂日命(アメノホヒノミコト)』『天若日子(アメワカヒコ)』の三柱。彼らが途中で引き返したり大国主に寝返ったりする姿が、波間を漂う『ノア』が方舟から放った伝書バトの、行ったり来たりした末に最後は戻って来なかった様に、ソックリだというのです。

記紀の編集者が旧約聖書の教えに否定的なことを念頭に、このシーンを私なりに解釈すると こんな対比が見えて来ました。未曾有の災禍を前に有効な手段を取れないまま、成り行き任せの正に神頼みで、全生命を絶滅の危機に晒した『ノア』と、事態を打開する為なら実力行使も厭わず、結果的に相手への危害を最小限に抑えながら(『建御名方神』の追放)、子孫の安住の地を確保することに成功したアマテラス。読者は知っていて当然の前提条件として、大洪水に関する記述は ここでも省略されていますが、恐らくは高天原も存亡を懸け非情の決断を迫られる状況、という設定でしょう。

国津神との難民受入交渉は、硬軟 織り交ぜて行われています。最後の切り札として派遣されたのは、剣神『建御雷之男神』だけではありません。随行した神様の名は『天鳥船神(アメノトリフネノカミ)』。『ノア』が意のままに操ることの出来なかった、方舟とハトを組み合わせたような名前を持つ存在を、合意に導く “平和の使者” として物語に登場させるセンスは秀逸、もはや脱帽するしか有りません。

 

謎解きにハマって困った社長⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『アブラハム』が記紀の世界では誰に置き換えられているか考察する過程に於いて、「『人身御供』を続ける国津神はユダヤ教の影響を受けており、それに終止符を打ったのがキリスト教系新興勢力の天津神である」いう仮説を導き出しました。出雲を舞台とした『国譲り』神話の中に、これを支持する逸話を見つけたので紹介したいと思います。

高天原から派遣された『建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)』との、戦いに破れた国津神『大国主命(オオクニヌシノミコト)』の息子『建御名方神(タケミナカタノカミ)』が、逃れた先は出雲から遠く離れた長野県諏訪地方。この地では『イサクの燔祭』を受け継ぐと言われる奇祭、『御頭祭』が今でも執り行われています。

『モリヤの山』で神のお告げを受けるシーンと、ソックリな場面を演じるのは、諏訪大社の神官と 8歳くらいの子役。『イサク』の替わりに神に捧げられる75頭の鹿が、剥製で代用されるようになったのは明治以降のことだそうです。諏訪湖の南に横たわる山の名が『守屋山』で、諏訪大社の主祭神として祀られるのが『建御名方神』ですから、これを偶然の一致と言うには無理が有ります。

『国譲り』神話は弥生時代に日本を支配したユダヤ教勢力が、古墳時代に渡来したキリスト教勢力に主導権を明け渡した歴史を、映し出しているとも考えられそうです。調査を続けますので、続きをお楽しみに!!

 

謎解きにハマって困った社長⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『瓊瓊杵尊』のモデルは『アブラハム』なのか?『ヤコブ』なのか?原典となる『天皇紀(当説では、異端のキリスト教徒としてローマ帝国を追われた、秦氏が日本に持ち込んだ漢文訳の新旧聖書)』が失われたことで、記紀の編者たちの中にも混乱が有ったのではないかと考えています。

その痕跡と見て取れるのが、『神武東征=モーセの出エジプト』説の中で紹介させて頂いた、神武天皇の異称の一つの『彦火火出見命』。燃え盛る炎の中に唯一神ヤハウェの姿を見たモーセと、ピタリ一致する名前です。その『彦火火出見命』という異称を持つ天孫族がもう一人いて、それが山幸彦こと『火遠理命(ホオリノミコト)』。神武天皇の祖父に当たり、『彦火火出見命』と言えば世間一般では、『火遠理命』を指すケースの方が多いようです。

この二人の『彦火火出見命』の 2世代のズレこそ、祖父と孫の関係に在る『アブラハム』と『ヤコブ』に由来していると考えます。『レビ族』のモーセは『ヤコブ』の玄孫に当たります。両者の系図を一致させるには、『瓊瓊杵尊』を『アブラハム』とすれば『火遠理命』が『彦火火出見命』となり、『瓊瓊杵尊』を『ヤコブ』とすれば神武天皇が『彦火火出見命』となるのです。原典を失い真偽を確認できなくなった、記紀の編集者たちの取った苦肉の策が “両論併記”、これが山幸彦と神武天皇に同じ名前を与えた理由に違いありません。

 

謎解きにハマって困った社長⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。所謂『日ユ同祖論』者の間で、『瓊瓊杵尊』との類似性が指摘されることが多いのは、前回 私の取り上げた『アブラハム』ではなく、イスラエルの祖とされる『ヤコブ(アブラハムの孫)』だそうで、この説ではモーセの後継者『ヨシュア』を神武天皇と考えます。では、息子を神に捧げた『アブラハム』に当たるのは誰なのか?『ヤコブ=瓊瓊杵尊』説に従って系譜を 2世代遡ってみると、記紀の中に もう一つの『人身御供』が見つかりました。

それは、皆さんご存知の『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』伝説。高天原を追われた『須佐之男命(スサノオノミコト)』が、国津神の娘『櫛名田比売(クシナダヒメ)』を救うため『八岐大蛇』を倒し、出雲の国の『人身御供』を終わらせる話です。「『瓊瓊杵尊』の直系のご先祖様は、『須佐之男命』でなく『天照大神』ですよ」と突っ込まれそうです(苦笑)。勿論、私は『アブラハム=瓊瓊杵尊』を支持しますが、『八岐大蛇』伝説に於いても『木花咲耶姫』と同様に、”生け贄” を捧げる風習を持っていたのが国津神サイドであることは、注目に値します。

息子の命を差し出す覚悟を求めるユダヤ教と、イエスの『贖罪』により それ以上の犠牲を求めないキリスト教。そして『人身御供』の伝統を残す国津神と、悪習に終止符を打ちたい天津神。西暦 248年に『卑弥呼』が亡くなった際、殉葬された奴婢の数は100人余りと言われますが、犠牲を伴う埋葬方法はヤマト王権に繋がる天孫族には馴染みません。このように切り分けると、今までのステレオタイプ化された『日ユ同祖論』では、見えなかった世界が見えて来るかも知れませんね。

※事実誤認が有りましたので、ここに修正しお詫び申し上げます。

 

謎解きにハマって困った社長⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今までの流れから考えて、キリスト教・ユダヤ教、そしてイスラム教の祖である『アブラハム』をモデルとした人物が、記紀の中に描かれていないとしたら不自然です。『アブラハム』最大の見せ場と言えば、自らの信仰心の強さを証明する為に、息子の『イサク』を “生け贄” として神に差し出すシーン。記紀の中に『人身御供』を連想させるシーンを探すと、『天孫降臨』の場面に一つ見つかりました。

天津神の『瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)』は、国津神の娘である『木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)』に一目惚れ。ところが、結婚した途端「身籠ったのは国津神の子」と妻を疑い、『木花咲耶姫』が取った行動が産屋に火を放つこと。我が身・我が子の命を賭して、自らの潔白を証明して見せた訳です。『木花咲耶姫』は無事に『海幸彦』と『山幸彦』を出産。”釣り針” を巡る兄弟喧嘩の末に二人は和解し、弟・『山幸彦』の血筋が皇統へ続き、兄・『海幸彦』の流れは『隼人』となって、ヤマト王権に服属して行くことになります。

では登場人物を比べてみましょう。『アブラハム』の美しい嫁『サラ』と女奴隷『ハガル』に、『木花咲耶姫』と容姿に恵まれなかった姉『石長比売(イワナガヒメ)』。何となく似ています。『サラ』の息子『イサク』と『ハガル』の息子『イシュマエル』。この異母兄弟の関係は その子孫たちにも引き継がれ、イスラエルとアラブ対立の起点になっているとも言われていて、『山幸彦』と『海幸彦』が序列を決め、後世の争いの火種となるのを避けたのとは対照的です。

余談ですが、エジプト滞在中の身の安全を図る為、『アブラハム』は『サラ』を妹と偽って、ファラオの妃候補として宮廷に送り込んでいます。気付きましたか?『天孫降臨』の舞台でもある日向が、エジプトを指すことは以前お伝えした通り。つまり、記紀で『瓊瓊杵尊』が『木花咲耶姫』に疑いを掛ける場面、原典の参照部分に書かれている内容を知っていて初めて、本当の面白みが分かる仕掛けに なっているのです。

 

謎解きにハマって困った社長⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。645年の『乙巳の変』で失われたとされる『天皇紀』は、異端としてローマ帝国を追われた秦氏が日本に持ち込んだ、漢文訳の新・旧聖書だったに違いありません。モーセ・ダビデ・マリア・イエスの名は それぞれ、神武・崇神・神功・応神と翻訳されていたことでしょう。宇佐神宮の中央に鎮座する謎の姫神や、『我、蘇る』と名乗った豪族の栄枯盛衰など、世界史のタブーや日本古代史の秘密を解く鍵が、そこに隠されていたと想像すると、もう興奮が止まりませんね(笑)。

さて余談になりますが、ネタに困った記紀の編集者が聖書の次に頼ったのが、インドの説話集、ゴータマ・シッダールタの前世を描く『ジャータカ』と思われます。地獄界・飢餓界・畜生界・修羅界・人間界・天上界、どの世界に生まれ変わるかは前世の行い次第という中で、釈迦が輪廻から解脱する為、前世で如何なる善行を積んで来たかが描かれています。その『ジャータカ』の中に “ウサギの布施” の話が有ります。飢えた老僧への施しを探せなかったウサギが、自らを食糧として差し出し焚火に飛び込む話。手塚治虫先生の『ブッダ』の冒頭にも このシーンが描かれているので、ご存知の方も多いでしょう。

この説話に影響を受けていると思われるのが、仁徳天皇の皇位継承に纏わる兄弟愛、皇太子として父・応神天皇の寵愛を受けた『菟道稚朗子(ウジノワキイラッコ)』が、異母兄の『大鷦鷯尊(オオサギノミコト)=仁徳天皇』に天皇の座を譲るべく、自らの命を犠牲にするという お話です。『菟道稚朗子』の『菟』は『兎(ウサギ)』の旧字体で、仁徳天皇は「神兎が正しい道へ導いた」つまり、お釈迦様により選ばれた『聖帝』となる訳です。『八百万の神々』の国は、これだから面白い!!

 

謎解きにハマって困った社長⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。豊前国一之宮、宇佐神宮の勅使門の3つの参拝所の中心に祀られるのは、主祭神の八幡大神(応神天皇)ではありません。それは『比売大神(ヒメオオカミ)』。公式な見解では『宗像三女神』とされていますが、その正体は謎に包まれています。歴史的神託事件の舞台であることから、時に天照大御神と同一視されることもある、邪馬台国の女王『卑弥呼』を指すとの説も有り、『邪馬台国北九州説』の根拠の一つとされています。

ここで「秦氏が創建に関わる宇佐八幡宮の “真の” 主祭神、つまり神託の声の主は唯一神『ヤハウェ』である」とする立場から、私なりの謎解きを展開させて頂きましょう。宇佐神宮の『比売大神』の正体、それはズバリ、聖書の世界から抹消された謎の聖女『サラ』です。持論によると、八幡神は石棺から奇跡の復活を遂げたイエス・キリストで、ネストリウス派の秦氏(聖母マリア信仰はNG)にとって、神功皇后は石棺(≒鎮懐石)の封印を解いたマグダラのマリア。夫婦である二柱の間に鎮座するのに相応しい “姫神” と言えば、そうです、『ダ・ビンチ・コード』にも描かれるイエス・キリストとマグダラのマリアの愛娘、『サラ』以外には考えられないのです。

ローマ帝国は中国の史書に『大秦』と記されています。『秦』の始皇帝の末裔とも言われる秦氏ですが、彼らがニケーア公会議(325年)やエフィソス公会議(431年)で『大秦』を追われた異端の民だったと考えると、色々と辻褄が合ってきます。所謂『聖杯の一族』の伝承が残される南仏に潜んだ一部を除き、多くはヨーロッパ・小アジアを逃れ、シルクロードを経由して遥か極東の島国に辿り着いた人々が、『聖杯の一族』の秘密を暗号化して宇佐神宮の中に隠し続けて来たという訳ですね。

 

謎解きにハマって困った社長⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。折角 復活したのに、40日で昇天してしまうイエス。困った記紀の編者は、イエス・キリストをモデルとした応神天皇の人生に、別の偉人の業績を付け足します。それは長きに渡り迫害されたキリスト教を公認(313年)した “聖人”、ローマ皇帝の『コンスタンティヌス 1世』。ゲルマン人を傭兵として雇うなど軍事力を強化して、複数の皇帝が分割統治していたローマ帝国を再統一(324年)、ローマからコンスタンティノープルへ遷都(330年)するなど、その偉業から『コンスタンティヌス 1世』は “大帝” と称されます。『八幡神(応神天皇)』が後の世に軍神とされるのは、「そのモデルが優秀な軍人でもあったから」というのが私の考えです。

では、応神天皇の業績を見てみましょう。筑紫の『産宮(サンノミヤ)』で生まれ神功皇后に連れられ大和に戻る途中、異母兄弟の『香坂王(カゴサカノミコ)と忍熊王(オシクマノミコ)の反乱』に遭遇します。『武振熊(タケフルクマ)』の活躍により反乱は鎮められ、その後、応神天皇は『軽島之明宮(カルシマノアキラノミヤ)』を拠点とし天下を治める訳ですが、『弓月君(ユズキノキミ)』率いる百済 120県の民を受け入れて、国力を強化したのは有名な話です。

皇位継承争いでの勝利は、ローマ帝国の再統一に似ています。後に飛騨の『両面宿儺(リョウメンスクナ)』も倒す、将軍『武振熊』はゲルマン人を意識した配役で、『産宮』から『軽島之明宮』への引っ越しは、ローマ帝国の首都移転をモデルにしていると思われます。数字を “10倍に盛る” のは古文書には よくある手口、百済 120県の渡来人は 12使徒(イエスの弟子)の “教え” のことで、キリスト教の公認によりローマ帝国は更なる発展を遂げたとの意味ではないでしょうか?『弓月君』は若しかしたら、イエスの血脈を示唆するものかも知れません。

 

謎解きにハマって困った社長⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『春秋左氏伝』という中国の歴史書によると、神武天皇の『武』という文字の起源は、「戈(ほこ)を止めること」つまり「争いを止めること」、この用法が旧来より信じられてきた通説だそうです。私たちのイメージとは正反対ですが、古代日本も それに倣っていると考えた方が自然で、確かに奈良時代の文武天皇(701年の大宝律令制定)や、聖武天皇(743年の大仏建立)は どちらかと言うと戦争とは無縁で、それぞれ『法令』と『宗教』の力で国を治めたと考えた方が しっくり来ます。

言い換えるならば、『鎮護』という熟語が最も相応しいでしょう。神武天皇は『神』の力、天武天皇も『天』の力により、災いや戦乱を鎮め国の平安を護りましたから、異存ないのではないでしょうか?面白いのは怨霊に悩まされ続けた桓武天皇で、『桓』の字には「うろうろと徘徊すること。進まないでためらうこと。ぐずぐずすること。」という “裏” の意味が有って、国家安寧を図るためとは言え、長岡京・平安京と短期間に遷都を繰り返し、最後は神も仏も受け入れて『京都祇園祭』の原型を創った、彼の性格や統治スタイルを反映した諡号なのでしょう。

さて、新・旧聖書からストーリーを拝借してきた記紀の編者も、『イエス復活』によりクライマックスを迎えた段階で、大きな問題が横たわっていることに気付きます。「ヤバイ。生涯独身のイエスに昇天されたら、『万世一系』の物語が終わってしまう!!」これが『八幡神(応神天皇)』が軍神になった理由です。次回に詳しく説明しますので、お楽しみに。

 

謎解きにハマって困った社長④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。モーセ不在の間にイスラエルの民が制作した『金の子牛』像と、『長髄彦(ナガスネヒコ)』との合戦中に神武天皇のもとに現れた『金鵄(キンシ):金色のトビ』には、黄金に輝く動物という以外に共通項が無いようにも見えますが、同族の中に隠れていた異分子を炙り出し、排除するシーンに現れるという点で同じです。

ここにも、原作から着想を得ながら過ちを教訓として活かし、内容を書き換える記紀編集者の知恵が見て取れます。旧約聖書の世界では、偶像崇拝に加担したイスラエルの民 3,000人が、天罰として仲間の手によって粛清されているのに対し、同じ天孫族同士の争いであることに気付いた『饒速日命(ニギハヤヒノミコト)』は、『長髄彦』一人に責任を取らせる形で東征軍と和睦、民の犠牲を最小限に抑えることに成功しているのです。

さて、ここまで『神武東征=モーセの出エジプト』との、持論を展開させて頂きました。日向がエジプト、瀬戸内海は『葦の海(紅海)』、熊野は『シナイ山』に比定します。『八咫烏』は『アロン』で『布都御魂』は『モーセの杖』に相当し、『金鵄』は『金の子牛』像をモデルとしています。どうですか?まだ納得のいかない方も いらっしゃるかも知れませんので、最後に取って置きのネタを披露しましょう。

『神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコスメラミコト)』や『始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)』など、様々な異称を持つ神武天皇ですが、その一つが『彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)』。なんと、燃え尽きない柴の “炎に出でた神を見た” モーセと、ピタリ一致する名前を持っているのです!!流石に ここまで来ると、記紀に於ける神武天皇のエピソードの数々が、モーセの逸話を参考にしていることに疑いの余地は有りません。

 

謎解きにハマって困った社長③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『八咫烏(ヤタガラス)』は東征の途中、熊野で道に迷った神武天皇一行に、突如、高天原から道案内として遣わされた三本足のカラスです。カラスなのに喋ります(笑)。大和に入って最初の敵『兄磯城・弟磯城(エシキ・オトシキ)』との戦いを前に、神武天皇の使者として派遣されるなど、記紀の中で『八咫烏』は交渉術に長けた、頼れる存在として描かれています。では、口下手なモーセの前に唐突に現れた、『八咫烏』のような弁の立つ心強いパートナーとは、一体 誰のことなのでしょうか?

それはモーセの兄・『アロン』です。羊飼いのモーセは、燃えても燃えても燃え尽きない不思議な柴(小枝)の炎の中に現れた神により、80歳にして初めて雄弁な兄の存在を知らされます。その後のエジプト脱出 長旅の行程で、交渉役として終始モーセを支えたのが『アロン』です。では、『八咫烏』の三本目の足は、一体 何を表しているのでしょう?

それこそが『アロンの杖』、ユダヤ三種の神器の一つです。モーセが神から授かり、有名な『海割り』のシーンで使われた『モーセの杖』と、同一とも別物とも言われる “魔法の杖” ですが、ハリー・ポッターが使うような短いものではありません。歩行補助具として使用される長い杖は、正に三本目の足ですね。

なお、稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた『杖刀人』という文字からも分かる通り、古代日本に於いて杖は刀剣も意味します。神武天皇の剣と言えば、熊野の地で『高倉下(タカクラジ)』が献上した『布都御魂(フツノミタマ)』。つまり『モーセの杖』は神武天皇の霊剣、『アロンの杖』はカラスの足と、記紀の世界では差別化した形で描き分けられているという訳です(笑)。

 

謎解きにハマって困った社長②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。出エジプトで最も有名なシーンと言えば、やはりモーセの『海割り』でしょう。『葦の海』に追い詰められたモーセが杖を高く掲げると海が割れ、イスラエルの民の前には道が開かれます。その後を追うエジプト軍の頭上には波が砕け、敵の騎兵や戦車は海に飲み込まれてしまうのです。

出エジプトのルートは定かではありませんが、定説通りならば、エジプト東部から紅海を越えシナイ半島へ渡ったモーセ一行は、何故か目的地の方向に真っ直ぐ向かわず海沿いを南下、ぐるっと遠回りをして、半島南部の『シナイ山』で神と出会って『十戒』を授かります。ここで西日本の地図を並べて比べてみて下さい。勘の良い方は既にお気付きかも知れませんが、日向を出港して瀬戸内海を東に向かい、大阪での敗戦後 進路を南に変え、紀伊半島を迂回して上陸した熊野の地で、『荒ぶる神』と出会い霊剣を手に入れた神武東征の経路は、このモーセの出エジプトと そっくりです。

ストーリー展開を拝借しながら、オリジナル作品を軽く “ディスる” 記紀の作風は、この場面でも健在。まず、海洋民族を自負する日本人に『海割り』は必要ないので、神武天皇は『おきよ丸』を建造して船出します。また、『マナの壺』を授かったモーセ一行の食糧は神頼み、荒野を40年間も彷徨い続けた挙句、結局 モーセ自身は約束の地『カナン』に辿り着けなかったのに対し、神武天皇は高千穂の出陣から橿原宮での即位まで、筑紫に 1年と安芸・吉備に それぞれ 7年と 8年滞在し、兄・『五瀬命(イツセノミコト)』と共に農業指導を行って、国を豊かにしたとされています。

 

謎解きにハマって困った社長①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日本の古代史の謎解きにハマってしまって困っています(苦笑)。昨年12月のブログの中で、「仮に崇神天皇がダビデ王をモデルとするならば、神武東征はモーセの出エジプトに当たるでしょう。」と申し上げました。崇神・垂仁朝とダビデ・ソロモン朝の類似性をヒントに、神武・崇神・神功・応神と “神” の字が『諡号』に入る天皇(皇后を含む)は、新・旧聖書に登場する主要なキャラクターと何らかの関係が有りそうだ ということで、それぞれをモーセ・ダビデ・マリア・イエスと当て嵌めてみた訳です。

例えば、『崇(あがめる)』は『祟(たたる)』の裏返しなので、崇神天皇(神に祟られた天皇)は、同じく疫病蔓延に苦しめられたダビデ王。『応(おうじる)』には『相応しい』という意味も有り、応神天皇(神に相応しい天皇)で、三位一体説に基づきイエス・キリスト。となると、神功皇后の『功績』も『三韓征伐』を示すのでなく、聖母マリアの『処女受胎』は “神のお手柄” と解釈できます。その一方で、残る神武天皇の仮説に限っては、私の中にも少し違和感が残っていたんです。

その後の調査のおかげで色々と見えて来ましたので、今回は そんなお話をさせて頂こうと思います。なお、保守派の皆さまに お断り申し上げておくと、この考察は記紀に描かれたエピソードの幾つかが、聖書からアイディアを拝借している可能性が有ることを示唆するものです。建国記念の日を前に、神武天皇の存在自体を否定するものでは有りませんので、予め ご了承ください。日本の古代史に ご興味のある多くの方々に、エンタメ感覚で お付き合い頂けると幸いです。

※一部、不適切と思われる表現を削除しました。

 

岩井社長の秘密の特訓④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今年の大河ドラマ主役、吉高由里子さんは左利き。猛特訓の末に右手での毛筆をマスターしたそうです。では私が密かに進めて来た特訓 最後の一つはというと、一部の車好きの間ではホットな論争となっている、『左足ブレーキ』の活用です。

オートマ車の普及が早かったアメリカでは、3割くらいの方が採用しているとも言われる『左足ブレーキ』、教習所で『右足ブレーキ』を推奨する日本でも、禁止されている訳では有りません。カートの世界ではブレーキは左足、ラリー・ドライバーはマニュアル車でも『左足ブレーキ』を多用する等、競技の世界では当たり前の技術です。

何故、今になって『左足ブレーキ』の練習なのかと言うと、自動車の電動化に伴い『回生エネルギー』をバッテリーに回収する技術が、ドライバーに求められるようになったと感じるからです。一見『左足ブレーキ』と全く関係ないように感じられるかも知れませんが、EVの『ワンペダルモード』を一度 経験すれば、右足をアクセル操作に専念させなければならない理由が分かる筈です。

時々ブレーキを引き摺って走ってしまい、消えないストップランプに後続車が困惑している可能性は否定しませんが、私の場合は練習開始から 2ヶ月程度で『左足ブレーキ』に慣れました。

 

岩井社長の秘密の特訓③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。世の中の流れに乗り遅れ気味だった、私が始めた秘密特訓とは何なのか?二つ目は『e-TAX』による所得税の電子申告です。申告期間は毎年 2月16日~ 3月15日。税務署に行ったり来たりは煩わしいと分かっていながら手を付けませんでしたが、昨年、家族揃って『マイナンバーカード』を作ったのを機に、一歩踏み出してみました(還付申告は 2/15以前もOK)。

これは “縦割り行政” の弊害と言って良いかも知れません。民間のアプリが感覚的にサクサク進めるよう作られているのと対照的に、後から継ぎ足したデジタル庁の『マイナポータル』と国税庁の『e-TAX』の関係性は複雑で分かり辛く、『ご利用ガイド』をしっかりと読まずにスタートした私が悪いのかも知れませんが、パソコンに表示されたQRコードを前に、危うくスマホの小さな画面での申告入力を強いられるところでした(苦笑)。途中で誤りに気付いたから良かったものの、申告を手早く済ませようと国税庁のWebサイトを訪れた納税税者の、”やる気” を削ぐには充分です。

更に、マイナンバー確認の為PC作業を一時中断した際に、ファイルの拡張子を[.data]から印刷用の[.pdf]に変更して保存した結果、再開の時に情報を読み込めず、同じ入力作業を 3回やり直して人生初めての電子申告が完了。給与計算係として年末調整事務を14年間、役員になってから16回目の確定申告。経験充分な私でも 2時間以上を費やし、最後は精も魂も尽きてヘトヘトになりました。

年に一回の作業の業務フローを全て記憶に留めて置くのは困難。来年も同じ苦労をするのは嫌なので、今回の教訓をブログに書き残します。①スマホは『e-TAX』のQRコードの読み取り用、『マイナポータル』にログインするのではなく『読取り』をタップすること。②(スマホの機種を変えていなければ、)数字 4桁のパスワードを入力後、『マイナンバーカード』は裏面の磁気テープが向かって左側、縦に見えるようにセット。③扶養家族のマイナンバーは事前確認、紙に書き出しておくと、作業を一時中断せずに済む。

 

岩井社長の秘密の特訓②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。世の中の流れに乗り遅れ気味だった、私が始めた秘密特訓とは何なのか?一つ目はキャッシュレス決済への対応です。恥ずかしながら、私が利用していた電子マネーは『SUICA』のみ。車通勤で定期券を購入することが無かったのも災いしてか、昔ながらのICカードを そのまま使用しておりましたので、先ずは『Google ウォレット』をインストールして、『SUICA』とクレジットカードをスマホに纏めてみました。

その後、何処に出掛けた帰りか忘れましたが、疲れていたので高崎線のグリーン車に乗ろうと思ったら、スマホを券売機に かざしてもグリーン券が買えないじゃないですか。駅員さんに聞いてみると別のアプリが必要とのこと。何度か挫折し掛かりましたが『モバイルSUICA』をインストール、クレジットカードに紐づけることが出来ました。

今まで無駄にしていた『NTTドコモ』の ポイントを使うべく『d払い』にも挑戦、割り勘の際に便利とのことで『LINE Pay』にも 1万円ほどチャージしてみましたが、自動販売機の缶コーヒー購入が消費活動の中心に在る自分にとって、時間の掛かるQRコード決済は結構不便ですね。目的に応じた使い分けが必要だったようです(苦笑)。

 

岩井社長の秘密の特訓①

皆さん、明けましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。2024年は、”おめでとう”という言葉を使いづらいスタートとなりました。先ずは被災地の皆様にお悔やみを申し上げると共に、北陸地方の一日も早い復旧・復興をお祈りしたいと思います。また、被災地支援に向かう途中で殉職なさった、海上保安庁の皆さんのご冥福をお祈りいたします。

2024年はどのような年になるでしょう? オリンピックもありますので選手の活躍にも期待したいところですが、やはり今年は政治の年。1月13日に台湾総統選、3月にロシア大統領選、ウクライナの大統領選挙は延期されそうですが、11月にアメリカ大統領選など、世界各国で政治的リーダーを選ぶ選挙が行われます。グローバル化の進んだ今、その結果は否応なしに私たちの生活にも影響することになるでしょう。

日本に於いても 9月には自民党総裁が任期を迎え、総理大臣が変わる可能性も有りますが、正直、誰がやっても同じなので何も期待していません(苦笑)。私は世界の変化に対応すべく、昨年末から秘密の特訓を始めました。年初は暫く、そんな話をさせてもらおうと思います。本年も宜しくお願い致します。