社長はこう読む、古事記・日本書紀⑲
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。東京大学の大橋順教授・渡部裕介特任助教の発表した、『都道府県別の縄文人・渡来人由来のゲノム比率』から見て、黒潮に乗って太平洋側から淡路島に上陸した、『倭人』とは別のグループ(『鯨面文身』の風習のない民族)が存在すると考えています。近畿・四国(卑弥呼の時代には、『倭種≒倭人?』が住んでいたと伝えられる地域。南海トラフ地震により集落が壊滅し、”空白地帯” となっていたのかも知れません。)及び北陸に進出し、『倭の五王』が朝鮮半島の軍事的支配権に固執する間に、一気に勢力を拡大したのでしょう。天孫族とは何者なのか?倭国の東に どのような世界が拡がっていたのか?残念ながら『宋書倭国伝』からは、読み取ることが出来ません。
さて、記紀の世界で卑弥呼に与えられた第 3の人生を語る前に、先ずは関連情報をアップデートさせて下さい。『排仏崇仏論争』で蘇我氏と物部氏は激しく対立、587年に起こった争いを『丁未の乱』と言います。結果は排仏派の物部氏の惨敗で、『四天王寺御手印縁起』によると、『物部守屋』の子孫ら 273人が四天王寺の奴婢にされています。四天王寺を建立したのは聖徳太子。当ブログに於いては聖徳太子は実在せず、厩戸王と蘇我入鹿は同一人物。『厩戸王=イエス』で “ブライトサイド”、『蘇我入鹿=ヨシュア』の “ダークサイド” で、両者は表裏一体という立場です。『丁未の乱』という “宗教戦争” の結果、『饒速日命=ノア』の呪いにより永遠に隷属する運命を与えられた『物部氏=カナーン人』を、生かすも殺すも全ての権利は『厩戸王=蘇我入鹿=ヨシュア』の手中に収まりました。旧約聖書と日本古代史に於ける この合わせ鏡のような類似性は、私には偶然の産物であるとは思えません。
まだ有ります。『カナン』の地に入り、各部族に土地を割り当てた『ヨシュア』は、イスラエルの民 団結の為 偶像崇拝を止め、ヤハウェのみを信仰することを誓います。これを『シケムの契約』と呼びます。一方の日本では、強敵の物部軍を前にして、厩戸王は四天王像を彫って必勝祈願。勝利の暁には仏塔を造って仏教を広める約束をしていて、何だか『シケムの契約』とソックリです。二つの場面が『ヨルダン川』と『餌香川(エカガワ)』という、河原を舞台として描かれていることまで重なります。但し『厩戸王=蘇我入鹿=ヨシュア』つまり、『シケムの契約』を求めた張本人が 、時間も空間も飛び越えて、お釈迦様とヤハウェに “二股” を掛けた格好ですから、そりゃ一神教の神様は見逃しません。645年の入鹿暗殺は “身から出た錆”、天罰が落ちたのです(苦笑)。