社長ブログ

社長、with コロナを生きる⑳

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。鼻風邪の原因となる従来のコロナウイルスや、世代を重ね弱毒化した『SARS-X』、或いは新型コロナの第二世代『K型』等の『交差免疫』により、日本で既に『集団免疫』が成立している可能性を示唆する専門家の声も多いです。確かに欧米のような指数関数的な感染爆発は見られませんが、そんな日本ですら寒くなれば この有り様ですから、有効性95%のワクチンが行き渡った後の with コロナの世界に対しても、過剰な期待を抱くのは禁物です。

さて、ヒト細胞は、人体の恒常性を維持する為に必要な『情報伝達物質』を受け取る為、様々な種類の『受容体(レセプター)』を持っています。その形状は受け取るメッセージ物質と一対一、正に『鍵と鍵穴』の関係なのですが、中にはウイルスのように、そっくりな “鍵山” の合鍵で細胞内に侵入して悪さをする連中が居ます。 細胞の錠前を勝手に開けられないよう、 鍵山の凸凹にピッタリくっ付いて邪魔をするのが『抗体』の本来の役割。ところが時折り出来の悪い奴も現れて、関係のない鍵穴の凹凸を塞いでは思わぬ副反応をもたらすから困ります。その他、化学物質の中にも偽物の鍵で忍び込んで内分泌系を撹乱する、所謂『環境ホルモン』が有りますね。以上のことから、ヒト細胞の全ての『受容体』の形状を解明することが、感染症のみならず様々な奇病・難病を人類が克服する為の、重要な “鍵穴” となりそうです。

2020年 最後に一言。コロナ対応で何かと批判されることの多かったトランプ米大統領でしたが、医療機器の不足していた3月27日(金)には、大手自動車メーカーGMに対し人工呼吸器を作るよう命じています。重症患者の多くが高齢者の日本に於いて、医療現場を圧迫しているのは介護の負担だそうです。コロナ禍で仕事を奪われた人々の中には、志ある優秀な方も大勢いらっしゃる筈で、何故、彼らが看護師の資格なくとも臨時の医療スタッフとして働けるような特別措置を執れないのか、私には不思議でなりません。

 

社長、with コロナを生きる⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ガリレオ以前の常識通り あらゆる天体が地球を中心に回っていたならば、『はやぶさ2』のミッションは もっと単純なものだったでしょう(笑)。小惑星からのサンプルリターンに2回連続の成功は、欧米各国の10年先を行く快挙。今回も多くの町工場の技術が活かされたとのことで、皆さん、おめでとうございます。

一方、ワクチン開発の分野では米英の製薬メーカーが先行。世界に先駆け英国で12月8日(火)に接種が開始されました。 今回承認されたmRNAワクチンは、謂わばウイルスの部品の “設計図” そのもの。人工的に複製したウイルスの遺伝子を注入して、細胞内でスパイク蛋白質(=抗原)を合成、抗体を誘導しようというものです。遺伝子組み換え食品にすら抵抗感を示す日本人ではありますが、ウイルスを人工的に作り出す技術を確立したのは東大医科学研究所の河岡義裕教授ですから、この分野で日本が後れを取っているという訳ではありません。

この件で ふと思い出したのが、2020年1月31日(金)にインドの科学者たちが公表したプレプリント(査読前の論文)。新型コロナウイルスのスパイク蛋白質の “設計図” には不自然な挿入が見られ、それがHIVウイルスと酷似しているというもので、数日後には撤回されたものの、「新型コロナは、人工的に作られた生物兵器である」との疑惑を後押しする結果となりました。そうは言っても火のない所に煙は立たない訳で、事実、数十年に渡りパンデミックの続くHIVに対しても、遺伝子を人工的に複製したDNAワクチンの動物実験が進められており、被検動物の細胞内で新たな部品の “設計図” を手に入れた コロナウイルスが、HIVと奇跡の融合を起こしたとしても不思議ではないと思います。

12月11日(金)、オーストラリア政府は被検者がHIVの擬陽性を示したとして、新型コロナのワクチン開発を中止すると発表しました。人類は侵してはならない神の領域に、踏み込んでしまったのかも知れません。

 

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社長、with コロナを生きる⑱

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。人気映画シリーズ『ハリーポッター』に登場する悪役『ヴォルデモート卿』は、”名前を呼んではいけない あの人” として魔法界でも恐れられていました。with コロナの今日に於いて、SNSの世界ではWHO(世界保健機関)の方針に沿わない発言(例えば「コロナは ただの風邪だ」とか「日本人はコロナに罹らない」など)は “禁句” だそうで、それがウイルスの専門家や名の有る科学者の見解であっても次々と削除され、場合によってはアカウント閉鎖まで追い込まれるケースも有るそうです。

4月18日(日)に『ファクターX 』の存在に言及した山中伸弥教授も、最近は発言を控えていらっしゃるようで、 自身の特設サイトに12月1日(火)付で更新した『ファクターXは続くのか?』の中には、「マスクは有効である」のような当たり障りのない記述しか見られません。何だか言論統制が行われているみたいで、とても気持ちが悪いです。

さて、例年と比べ この冬はインフルエンザが流行していません。この傾向は今始まった訳ではなく、新型コロナウイルスの日本上陸前後 2020年1月くらいから見られたそうで、 呼吸器感染症を引き起こすウイルス同士の陣取り合戦で、インフルエンザが新型コロナに敗れた結果だとの見方もあり、このような現象を『ウイルス干渉』と呼ぶそうです。もしwith コロナを切っ掛けに、インフルエンザを撲滅出来るならば嬉しい誤算。更に この『ウイルス干渉』を発展的に応用、遺伝子編集技術を駆使して、新型コロナと干渉し且つ人体に無害なウイルスを人工的に創り出して野に放てば、今回のコロナ禍も終息させることが可能な訳ですから、ノーベル医学生理学とノーベル平和賞、ダブル受賞級の快挙です。私のブログは影響力がないので、この発言が削除されることはないでしょう(苦笑)。

ガリレオ・ガリレイ曰く、「それでも地球は回っている。」自由闊達な議論あってこそ科学技術は発展すると思うのですが、如何に?

 

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社長、with コロナを生きる⑰

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。先日、伊奈町商工会より『新しい生活様式対応補助金』のご案内が届きました。新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、感染予防のための関連用品購入やキャッシュレス決済の導入など、中小企業が新しい生活様式に対応するのをサポートする取り組みです。弊社もパーテーションや空気清浄機・非接触型体温計などを購入しましたので、補助金の申請をしてみたところ早速入金があったそうです。とても有り難い話ですね。

商売でお世話になっている伊奈町に何とか恩返しが出来ないかと、数年前から私が個人的に取り組んでいるのが “ふるさと納税”。元々 返礼品目当てではなかったのですが、with コロナの今年は、伊奈町の農家の皆さんのお役に立てるのではないかと、返礼品として頂いた季節の採れたて野菜を、私と家内の実家に届けてもらっております。

さて、東洋経済ONLINE『新型コロナウイルス国内感染の状況』によれば、11月29日時点で、検査陽性者数が累計で 146,465名(前日比 +2,041)、実効再生産数が 1.01 (前日比 -0.04)。医療現場の逼迫度を示す重症者数は、累計 472 名(前日比 +10)となっています。但し、私たちの見ているwith コロナの世界は、2週間前に起こった過去の出来事を反映した結果であって、目に見えない現実の世界は、常に その2週間先を進んでいるのだそうです。結果、対策は後手後手にならざるを得ません。

今回の『Go To キャンペーン』を廻る一連のドタバタ劇を見て、私は、2016年に大ヒットを記録したアニメ映画『君の名は』を思い起こしました。映画の中で、3年という時差のある “パラレルワールド” を生きる主人公の『瀧くん』と『三葉』は、スマホやノートにメッセージを書き残すことで、異次元空間の間の交信に見事成功、行動変容を促した『三葉』の活躍により、本人も含めた多くの人命が救われることに。経済と感染防止の両立は至難の業です。目に見えないもう一つの世界で、今、何が起きているのか? 3年は要りません。せめて2週間先を生きる『瀧くん』が残した書き置きを受け取った人、誰かいないかなぁ…

 

社長、with コロナを生きる⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。公害防止事業団(現 環境再生保全機構)による町工場の集団移転という枠組みを活用、 大気汚染や水質汚濁・騒音・振動等に寄せられる近隣住民の苦情に、肩身の狭い思いをしていた中小企業 17社が寄り添って、1988年3月に協同組合を設立したのが “ミニ工業団地” の始まりです。残念ながら、好景気の際に計画した崇高な理想は、思い通りには進みません。バブルが崩壊すると発足メンバーが相次いで離脱、竣工・引渡し後にも脱退する会社が出るなど紆余曲折の末、新たなメンバーを加えた14社による船出は、前途多難なものとなりました。

私が入社したのが工業団地への移転の翌年、1994年4月のことです。工業団地に続くメインの通りはまだ舗装されておらず、辺りにはコンビニ 1軒すら無い “僻地” でした(苦笑)。埼玉県が企業誘致を始めてから工業団地は徐々に拡大。『伊奈北部工業団地 』と正式に呼ばれるようになったのは、1997年8月に工業団地の連絡協議会(先行14社を含むが、協同組合とは別の組織)が発足した前後だったと思います。以降、弊社は本社工場に加えて、開発実験棟・組合会館(会議研修棟)・第五倉庫の 3つの施設を工業団地内に取得。今でこそ有効活用させて頂いておりますが、それらは当時、必ずしも前向きな投資だった訳ではありません。長引くデフレ経済に耐え切れず組合員が次々と店を畳む中、協同組合という『共助』の現実を目の前に、弊社独自の人員計画・設備計画を断念せざるを得なかったのがこの時期です。

その後のリーマンショック・東日本大震災と、更なる厳しい試練を耐え抜いた11社は、2013年3月に集団化事業に関する償還期限を無事満了、20年余りに渡る私たちの戦いは一つの区切りを迎えました。『共助』は美しく、そして過酷です。 伊奈町の町制施行50周年を記念する2020年11月、with コロナという時代を生き抜く為の新たな戦いは、既に始まっているのかも知れません。

 

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社長、with コロナを生きる⑮

こんにちは。株式会社昭和技研工業の岩井です。経理事務の経験の有る方はご存知の通り、押印を省略できない仕事って矢鱈に多いです。『電子記録債権』普及により随分減りましたが、今なお『約束手形』や『小切手』という、旧態依然とした資金決済システムが 罷り通っているのが、日本の中小企業の現状。私が経理を見ていた頃は会社が製・販 2つに分かれていて、月一回の両社間の決済は、販社サイドが お客様から受け取った手形を、工場サイドに『裏書譲渡』。社長が兼任の場合は両社の『裏判』に加え、『取締役会承認済』というゴム判まで手形の裏に押さなければなりません。その七面倒臭さに苛立ちは諦めに替わり、一種、歌舞伎のような “様式美” すら感じたものです(苦笑)。

海外の皆さんは日本固有の『ハンコ文化』についてはどう思っているのか、アメリカ人の知り合いに尋ねてみると、来日早々、留学先の大学で漢字を当て字した印鑑をプレゼントされ、その “クール” なデザインを大層気に入って今でも大切に使っているのだとか。間髪入れず「個人を識別するのに使うのに、あんなに単純な印影で問題ないのか?」と、興味津々な様子。100均ショップ等で売られている奴が念頭に有ったようで、「今 盛んに議論がされている、”形式的な” 手続きに使うのが三文判。日本人も、実印や銀行の届出印などの “公式な” 印鑑には、他と区別がつくよう複雑にデザイン化された漢字の彫り込まれた、少し値段の高い印鑑を用意するのが普通だよ。」と教えてあげました。そこで ふと思い出したのが、人の不安心理に付け込んで不当に高額な印鑑や壺を売りつける、所謂『霊感商法』の存在。2018年の消費者契約法改正で規制は強化されたようですが、with コロナで心が不安定な今、悪徳商法やカルト集団の勧誘には充分に気を付けなければなりませんね。

気温と湿度の下がる この時期には、毎年 風邪が流行ります。新型コロナ第三波の到来も当初の想定通りです。この数ヶ月間、私たちは多くを経験し沢山の事を学びました。慌てず騒がず “正しく恐れ”、栄養・休養・適度な運動で自己免疫力アップ、感染防止対策を徹底して、with コロナの冬を乗り切りましょう!

 

社長、with コロナを生きる⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。令和 2年も残すところ後 2ヶ月弱。来年のカレンダーを準備しなければならない頃ですが、東京オリンピック延期に伴う祝日の移動が正式に決まらず、今回は暫定版を用意せざるを得なくなりました。5月29日(金)の閣議決定に沿ったものを作成しても良かったのですが、ヨーロッパの現状を理解すれば、そんな気持ちは無くなります。

ヨーロッパ各地で再びロックダウンと聞いた時、「新型コロナウイルスは弱毒化、事態は収束しつつある 」と考えていた私は自分の耳を疑いました。”トランプ劇場” に気を取られている間に状況は一変、 日経新聞電子版の『新型コロナウイルス感染 世界マップ 』で確認すると、10月以降、ヨーロッパでは確実に死者数が増加しており、BCG接種のお陰で日本同様、第一波の被害を免れたと言われた東欧諸国でも今回は感染爆発、多くの方々が命を落としています。致死率の高い変異種が蔓延しているとの見方も有り、『武漢封鎖』や『ダイヤモンドプリンセス号』の悲劇を対岸の火事と見て被害の拡大を許した欧米の教訓を、私たち日本人も無駄にしては なりません。政府には渡航規制・入国管理等の水際対策徹底をお願いし、私たち国民自身も、もう一度気を引き締める必要がありそうです。

10月20日(火)から、神田明神の新春参拝の受付も始まりました。with コロナ初の初詣では、混雑を避け分散して欲しいとの要請も有り、令和 3年はオンラインで御札を授与して頂くことと致しました。要は お守りの “ネット通販” で、こんな形で初穂料のキャッシュレス決済が実現するとは、思ってもいませんでしたね。 来年の祈願内容は『社運隆昌』と『除災厄除』に決定。流石に目先の『商売繁盛』を優先して、働く仲間の『無病息災』を蔑ろにする訳には行きませんので(笑)。


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社長、with コロナを生きる⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。経済の低迷するwith コロナの今、徹底した経費節減を進めるのは勿論ですが、売り上げを取り戻すための努力も怠ってはなりません。弊社では新たな取り組みとして、WEB広告の掲載を始めました。AIがビッグデータを学習し、弊社製品に興味のありそうな方にピンポイントで広告を表示 、我々の少ない予算を最適配分してくれるというのですから、マーケティングの知識の少ない中小企業としては助かります。ロータリージョイント・スイベルジョイントの新規採用、或いは他社製品からの切り替えをご検討の皆さま、是非、弊社ホームページにお立ち寄り下さい。

さて、デジタル化の進展に伴い、新製品の開発手法として『 アジャイル開発 』が大流行。ネット上には色々な解説がありますが 要は “スピード重視”、ライバルに先んじて新製品を市場に投入、お客様を囲い込んでから小刻みなサイクルでPDCAをグルグル廻し、細かな修正を重ねながら製品の機能を追加・ 品質を向上せて行く方法です。手をこまねいて何もやらない位なら、完成度が低くても一歩踏み出した方が良いという訳ですね。

その一方で、先を急ぐあまりバグだらけの粗悪品が、世に出回るケースが増えてきているのは気懸りです。後で見直せば修正の利くデジタル情報なら まだ良いですが、感度 30~70%のPCR検査を大々的に導入したり、有効性も安全性も不確かなワクチン開発に莫大な費用を投じたりと、新型コロナの登場によりパニックに陥った人類には、差し込んだ一筋の光明に対し、PDCAサイクルを廻しながら冷静な判断を下す余力が残されていないように感じます。

世界の注目する米大統領選挙は、もう直ぐ投票日を迎えます。

※誤りを修正しました。【誤】IA→【正】AI

 

社長、with コロナを生きる⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。 オレンジ・黒・紫、秋の一大イベントに定着した感のあったハロウィンも、 2017年の1,385億円をピークに その経済効果は減少傾向。 with コロナの今年は『密』を避ける為、歴史ある川崎市のパレードもオンラインで実施されるそうですから、10月生まれが故にハロウィンに想い入れのあった私としては、ちょっと寂しい気がします。

私が幼い頃は、クリスマスケーキの盛り付けですらバタークリームが一般的な時代でしたから、ハロウィンをお祝いする文化なんて日本には有りませんでした(笑)。ハロウィンとの初めての出会いは映画の中、1982年12月公開、スティーブン・スピルバーグの『E.T.』です。その後、ハローキティのサンリオが日本初のハロウィン・パレードを開催したのが翌年の1983年、ご存知 東京ディズニー・リゾートでスペシャル・イベントが始まったのは1997年だそうです。

日本のハロウィンの特徴は子供以外の参加率の高さで、大人が仮装して大挙 街に繰り出すのは、海外では考えられないことだそうです。1998年公開の『リング』が代表するように、1990年代後半~2000年代前半の日本は、当時の暗い世相を反映して空前のホラー映画ブーム。その頃に多感な時期を過ごしたミレニアル世代にとっては、ちょっと不気味な特殊メイクも抵抗感の無い、むしろ身近な存在。そこにサブカルから昇格したコスプレとSNSが融合、自らを積極的に発信する大人が増えたのかも知れませんね。興味深いのは ブームが巻き起こったのが、過度な自粛ムード漂う東日本大震災の翌年だった点で、これは実際に統計があって、2011年に560億円だったハロウィン関連市場規模は、2013年には1,003億円と2年間でほぼ倍増しています。

自粛ムードの続く with コロナの2020年秋、炭治郎や禰豆子で渋谷の街が溢れ返ることもなく、異様なまでの盛り上がりを見せていたハロウィンブームも終焉を迎えそうですが、それに取って代わる何かは、デジタルネイティブな若者たちの間で、既に始まっているに違いありません。その胎動に気付けない時点で、ま、私も結構なオジサンになったという事ですね(苦笑)。

 

社長、with コロナを生きる⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今から約10年前、『もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら: 2009年初版)』が国民的ベストセラーになりました。ドラッカー曰く、マネジャーに必要な資質は『真摯さ』だそうです。『狡猾さ』ではありません。

日本人はやっぱり野球が大好き。3ヶ月遅れ、当初 無観客でスタートした日本のプロ野球、7月10日(金)には5,000人、9月18日(金)以降も入場制限を徐々に緩和しながら、いよいよ終盤戦を迎えました。今年、セ・リーグは『クライマックスシリーズ』を行わず、11月21日(土)に日本シリーズが開幕予定。その後のシーズンオフには、with コロナ初めての年俸交渉が待っている訳ですが、プロスポーツの経営環境も厳しい中で、選手の皆さんが どのような要求をするかにも、世間の注目が集まりそうです。

思い返すと『りそなショック』の翌年、2004年には『プロ野球再編問題』も有りました。2002年のW杯サッカー日韓大会の成功以来、Jリーグに人気を奪われつつあった日本野球界。オリックスと近鉄の球団合併構想とダイエー本体の再建問題を皮切りに、球界再編の流れは『10球団 1リーグ制』へと一気に加速。この動きに対し反発した選手会がストライキを起こすと、ライブドア・楽天・ソフトバンク等、時代の寵児とも言えるIT系新興企業が次々と球団買収に名乗りを上げ 、結果『12球団 2リーグ制』は維持されることとなりました。

“球団オーナー” という魔力に取り憑かれたかのように、日本のIT長者たちが経営権獲得に奔走していた2004年、 米国では Facebookが産声を上げ Googleが IPO(株式公開)を実現するなど、後に世界を席巻するテック・ジャイアントが 頭角を現し始めていました。2007年に iPhoneが登場して以降、日本で独自進化を遂げた『 ガラケー(ガラパゴス携帯)』がスケープゴートにされることが多かったですが、『プロ野球再編問題』こそが実は、日本のデジタル化が世界から取り残される上での、”歴史的分岐点” だったのかも知れません。

 

社長、with コロナを生きる⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。学生時代には殆ど勉強しなかった私ですが、政治学科を卒業していますから、ニッコロ・マキャヴェリという名前くらいは知っています。15~16世紀の商業都市国家フィレンツェの外交官で、その外交経験と歴史書で学んだ知識から、理想的な為政者はどうあるべきかを論じる『君主論』を記した政治思想家です。『君主論』は “権謀術数の書” として語られることが多いですが、 時流を読んで自らを変えたり、時の恵みを静かに待ちながらもチャンスを逃さず行動することの大切さを説くなど、不安定な with コロナの時代を生きるには、参考になる一冊と言えるかも知れません。

『君主論』 は道徳を排した実践の書で、マキャヴェリは その中で君主に必要な資質の一つとして、”キツネの知恵 ” つまり『狡猾さ』を挙げています。 為政者は勇猛果敢なだけでなく、冷酷な策略家でもあるべきという訳です。 そんなマキャヴェリの政治思想を信奉する人を 『マキャヴェリスト』と呼びますが、 日本の政治家の中で私が真っ先に思い浮かべるのは、 目的の為には手段を選ばず 明治維新を成し遂げ、最後は盟友西郷隆盛とも決別した大久保利通あたりでしょうか。財政難の明治政府に於いて、私財を投げ打ってまで国家に尽くしながらも、士族の恨みを買って紀尾井坂で殺されてしまいました。

ここに来てマキャヴェリが改めて注目を集めているのは、菅義偉首相が好きな作家・政治思想家として名前を挙げたからですが、それを明かしてしまった時点で、 “キツネの知恵” が求められる『マキャヴェリズム』の実践としては、既に何かが間違っている気がします(苦笑)。群雄割拠の中世ヨーロッパとは異なり、民主国家の日本に於いて為政者が読むべき時流は “世論” 、ましてや with コロナの今、 全国民が 安倍長期政権の後継内閣に期待しているのは、感染防止対策と経済活動の両立です。 ここに来て急速に高まった、弱者切り捨てに対する警戒感を払拭できなければ、他に選択肢のない総選挙は乗り切れたとしても、2021年の総裁選で地方党員の信認は得られないと思います。

 

社長、with コロナを生きる⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。 2003年 4月にペイオフが解禁されると、翌月りそなグループに公的資金が注入され、弊社のメインバンクも実質国有化されることとなりました。所謂『りそなショック』です。埼銀時代からお世話になっている我々からすると、不良債権処理を急ぐ小泉・竹中体制の下 “アレンジ” された縁組の結果、貧乏くじを引かされたという格好で、当時、埼玉県民の間には被害者意識が かなり強かったと思います。 それから12年余り、関係各位の皆さまのご努力により2015年 6月に公的資金を完済、 りそなグループは日本の金融業界の先頭を走る存在に生まれ変わりました。2018年11月には、埼玉りそなの前身 『武州銀行』設立から数えて100周年を迎えられ、上尾支店で催された式典には私もご招待頂きました。同じ苦難の時代を戦い抜いた一人として、感慨深いものが有りましたね。

少し話は逸れますが、バブルの後遺症に苦しんでいた弊社にとって、2003年は “しがらみ” を断ち切る上で、非常に重要な合意に達した 1年でもありました。当時、総務・経理の仕事をしていた私は裏方として深く関与していた案件ですし、その意義については充分理解しております。with コロナの今だからこそ、教訓として語り継ぐべきとの気持ちも有りましたが、今回ここに取り上げるのは控えさせて頂きます。いつか適切な機会が訪れたら その際に、お話しさせて頂くことも有るかも知れません。

10月になりました。新型コロナウイルスを相手に こみ上げる怒りは やり場を失い、どんよりとした空気が世の中を覆い始めています。景気低迷が続く中、中小・零細企業が最後に頼りにするのは、地域に根差した地方銀行や信金・信組です。 そして残念ながら、数年を待たずして不良債権が問題となる可能性も高いです。『貸し渋り・貸しはがし 』、最近の若手行員の皆さんは、平成版『半沢直樹』の世界を実際に経験したことが有りません。人道に悖るような過ちを繰り返さない為に、予防的に資本注入・地銀再編を推し進めるのだとするならば、それは悪くはない選択肢なのかも知れません。

※表現を一部変更しました。

 

社長、with コロナを生きる⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。9月16日(水)に菅新政権が発足、”デジタル庁” 構想を掲げるなど、行政サービスの分野でも『デジタル化』の流れが加速しそうです。日本の産業界も期待する『デジタル化』、つい華やかなソフトウェア産業に目を奪われがちですが、ハードウエアの技術革新なしに その進展は語れません。例えばスマホや5G通信網に必須の半導体、その長くて複雑な生産工程には様々な最先端技術が投入され、どれ一つを欠いても精巧な半導体を作り上げることは出来ません。2019年 7月に半導体原材料  3種類の対韓輸出管理が厳格化され、日韓の大問題に発展したのは ご存知の通り。2020年 9月15日(金)、今度は米国が安全保障上の観点から、米国製の製造装置を使用して作った半導体の中国通信機器大手H社向け輸出を禁止。米国製装置は市場の52%を占有することから、日本・台湾・韓国の半導体サプライヤーの業績にも、今後 大きな影響を及ぼしそうです。

半導体を生産する場合は、高度な製造装置を専門の装置メーカーから購入することが多いようですが、業界によっては自社向けに自ら装置の設計開発を行う会社も有りますし、装置メーカーから購入する場合でも、カタログに記載されている量産品を買うのでなく、一部を特殊な仕様に改造して納めさせる会社も有ります。コスト・耐用年数・機能性・扱い易さなど、何に優先順位を置いてどのような装置を選択するかは、会社の個性が強く現れる部分。どちらにしても、モノづくりに於いて製造装置は非常に重要な要素となります。そんな大切な道具が突然使えなくなったら、皆さんどうしますか?with コロナの今、そんなリスクも考慮しておかなければならないかも知れません。

先月、バブル崩壊以降 連鎖倒産等による影響が深刻になって来たのは、1990年代後半になってからだとお話ししました(勿論、1997年にはアジア通貨危機が有ったように、全てバブルが原因だと言う気は毛頭 有りません)。膨らむ不良債権や伸び悩む売り上げに、弊社も厳しい舵取りを強いられていた 2001年11月、重切削用の大型NC旋盤で定評のあった国内工作機械メーカーD社が、86億円の負債を抱え民事再生手続きを開始したとの一報が届きます。大口径・長尺ワークを高精度に削るには、剛性が高く汎用旋盤の操作性を残したD社のフラットタイプが最適で、大型の設計製作品をお客さまに提供する弊社には欠かせない製造装置。当時 D社の皆さんも再建に向けて痛みを伴う改革を断行なさっていたようですが、最後に納品された一台は主要部材を海外製に置き換えたとかで、その著しく低下した加工精度は我々の実用に耐えません。結果、残された蝋燭の灯火が消えてしまう前に代替生産設備を探さなければならないという、弊社にとっては経営の根幹を揺るがしかねない一大事となったんです。量産機を得意とする他メーカー製のフラット型NC旋盤や、大型正面旋盤のベッドをストレッチしたような特注品を導入するなど、数年間にわたり試行錯誤を繰り返したものの  やはり “帯に短し襷に長し” 。その後の景気回復と関係各位の必死の御努力によりD社の業績も向上、品質も改善したから良かったものの、結局 私たちは、D社製に相当する加工精度・操作性を兼ね備えた代替装置を見つけることが出来ませんでした。

「刃物台と往復台に送りハンドルが付いていないと、扱いづらくて仕事にならない」との意見は、当時弊社にも多かった職人気質の従業員特有の我儘だったと思いますが(苦笑)、油圧に頼らず重量物をチャックに咥える技術が熟練を要することは間違いなく、モノづくりは生産設備さえ整えば何とかなるという類の物でもありません。これは恐らくデジタル技術の分野でも然りで、with コロナという危機の時代、ソフトウェアにハードウェアそして人材に於いて、産業競争力を維持・発展させる努力を怠れば、日本という国は間違いなく滅びます。

社長、with コロナを生きる⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。世界全体の公的債務が膨張、日米欧など先進27か国では、第二次世界大戦後のピーク(1946年:対GDP比 124.1%)も超える見通しです。2008年の金融危機以降、中央銀行が大量の通貨を供給し国の借金を肩代わりする形が常態化、コロナ禍で歯止めが利かなくなる中、IMF(国際通貨基金)は “だんまり” を決め込んでいるようですが、このままで本当に大丈夫なのか心配になってきます。

昔々、各国が通貨を発行できる量は、その国の『金(gold)』や『銀(silver)』の保有量によって決まっていたなんて話をしたら、今の若者は驚くかも知れません。産業革命で圧倒的な輸出競争力を手にしたイギリス、広大な植民地で手に入れた『金』を通貨価値の基準とし、1816年に『金』1オンス=約 3.17ポンドの固定相場で紙幣の発行を始めます。有史以来の採掘量が 50mプール約 4杯分程度しかない『金』の希少価値は高く、『金』との交換レートが保証されている紙幣は安心感が違うという事で、ヨーロッパの各国はこの動きに追随しました。これを『金本位制』と呼びます。このイギリスのポンドを中心とする『金本位制』は、第一次世界大戦前の 1914年まで続きました。

1929年、ウォール街の株価暴落から始まった世界恐慌で、多くの国々が『金本位制』から離脱。経済の行き詰まりにより国益を優先する各国の関係は悪化し、第二次世界大戦に突入して行きます。戦争の終結するちょっと前の 1944年、アメリカのブレトンウッズという町で国際通貨協定が結ばれ、IMFが創設されます。この際、強力な経済力で戦争中も『金本位制』を維持し、世界一の『金』保有量を誇っていたアメリカの通貨、米ドルを基軸通貨として各国との交換レートを上下 1%に以内に固定、米ドルを介して間接的に『金』に結び付ける、新たな『金本位制』が確立されました。交換レートは、1オンス=35ドル。この時出来た通貨体制を、町の名前にちなんで『ブレトンウッズ体制』、或いは『金』との交換レートを保証されていた米ドルを機軸通貨とすることから、『金・ドル本位制』と言います。

第二次大戦の傷も癒え世界経済が復興に向かうと、この『金・ドル本位制』に無理が生じてきます。そもそも『金』の埋蔵量・産出量は限られていますから、急速に回復する世界経済全体に流通する通貨の量に対し必要な、『金』の絶対量が足りなくなってきたんです。また、高い交換レートで為替を固定して貿易赤字に苦しむアメリカは、ベトナム戦争の多額の戦費で財政も逼迫。「カネが無いなら刷っちまえ!」とばかりに、『金』の裏打ちの無い大量の米ドル紙幣を発行し、1971年 8月15日(日)、当時のニクソン大統領が『金』と米ドルとの交換停止を一方的に表明します。困った国際社会はそれでも『金』の信用力にしがみ付こうと 1971年12月に先進 10ヶ国(G10)蔵相会議を開催、交換レートを 1オンス=38ドルに切り下げて何とか『金・ドル本位制』の維持を図りましたが、結局 長くは続かず、翌年 1972年 6月のイギリス離脱を機に『金・ドル本位制』は終焉を迎えるのでありました。

現在の『管理通貨制度』に於いては、その国の経済の信頼性によって貨幣の価値が決まります。日本はコロナ以前の段階で既に対GDP比200%超の公的債務を抱え、2020年3月末時点で44.2%と その多くを日本銀行が引き受けています。 世界最大の純債権国・日本(2019年の対外純資産: 364兆5,250億円)だからOKでも、他の国が同じことをして上手く行くとは限りません。通貨暴落にハイパーインフレ、混乱が生じてからでは困るので、IMFでもG20でも構いませんから、with コロナで許容される金融・財政に関する国際的ルール作りに、速やかに着手して頂きたいと思います。

社長、with コロナを生きる⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。告白させて下さい。私は生まれてこの方、インフルエンザに罹ったことがありません。正確に申し上げると、インフルエンザの迅速検査キットで陽性になった試しがなく、咳・喉の痛みや高熱、節々の痛み等の明らかにインフルエンザ感染を疑わせる症状が出ていても、『タミフル』とか『リレンザ』等の治療薬を処方してもらったことがないんです。『ラピアクタ』『イナビル』に続き、一度飲めば翌日には熱が下がると評判の新薬『ゾフルーザ』が登場した際には、流石に羨ましくて、2回目の検査をお願いしたところ やっぱり陰性で、5日分の漢方薬を頂いて病院を後にしたこともあります。

インフルエンザの治療方法が画期的に向上したのは 、『タミフル』が 2001年に保険適用を受け、1998年頃から普及し始めた抗原検査(=迅速検査キット)が、診断・薬の処方の基準として使われるようになった頃でしょうか。私の 50年余年の人生から見ると結構 最近(?)の出来事で、それまでは予防が中心。一旦インフルエンザに罹ると、水枕や濡れタオルで頭を冷やし熱が下がるまで兎に角 自宅でゆっくり休むくらいしか出来る事は有りませんでした。1957年の『アジアかぜ(H2N2亜型インフルエンザ)』大流行をきっかけに、日本では予防接種が義務化され(1977~1987年)、当時小中学生だった私は先生に指示されるまま教室の列に並んで、皆で仲良く集団接種を受けたものです。残念ながら、1980~1986年に前橋医師会によって行われた比較データによると、児童のワクチン接種率 90%以上の高崎市と、効果がないとして接種を中止した前橋市とでインフルエンザの感染を調査した結果、インフルエンザに掛かる確率は どちらも ほぼ同じだったそうです。「一般的に、呼吸器ウイルス感染症に対するワクチンで、感染予防効果を十分に有するものが実用化された例はなかった」と、8月21日(金)の分科会で尾身会長があっさりと認めていらっしゃるように、新型コロナのワクチンの有効性についてもインフルエンザ同様、疑問符が残っているようですね。

では安全性についてはどうなのか?動物コロナウイルスの場合で見てみると、犬や豚向けワクチンの開発には成功している一方で、猫や馬向けについては上手く行っていません。特に猫の場合は、ワクチンを接種すると かなり高い確率で深刻なADE(抗体依存性感染増強)を引き起こすことが知られて、猫用としては抗体を誘導しないタイプの開発が今 進められています。新型コロナのワクチンに関して人間の場合には どんな副反応が出るかというと、ワクチン開発は10~15年という長い年月を掛けて安全性を確認するのが普通だそうですから、現段階では よく分からないというのが現実でしょう。副反応を抑えるよう人工的にデザインした抗体、『モノクローナル抗体』を直接投与して予防薬・治療薬として使う研究も進んでいるようですが、かなり高額なものになりそうです。最近の予防接種には『アジュバント』という細胞性免疫を高める物質が添加されているとのことなので、私としてはワクチンの安全性が確認されるまで当面の間は、その補強剤だけを注射して貰いたいくらいです(苦笑)。

最後に、アフリカ東部のウガンダ出身の知り合いから聞いた話。謎の薬草を処方する呪術医が今も幅を利かせているウガンダですが、蚊が媒介する世界最悪の感染症で毎年 2億人が感染し 40万人が亡くなると言われる『マラリア』、こちらも有効なワクチンは依然開発されていませんが、安くて良く効く薬が近くのドラッグストアで誰でも簡単に購入出来るようになって以降、最早 恐れるべき病気ではなくなったんだそうです。with コロナの今、どうせ同じ大金を投じるなら、そんな夢の治療薬の開発に力を注いで頂きたかったです。

※誤りを修正しました。【誤】長い年月が掛かけて→【正】長い年月を掛けて

※誤りを修正しました。【誤】抗体性免疫増強→【正】抗体依存性感染増強

社長、with コロナを生きる⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。レジ袋の有料化がスタートして 2ヶ月が経過、『エコバッグ』によるお買い物が随分と浸透したせいか、有料化の例外とされたバイオマス素材配合のレジ袋を目にする機会は余り多くはありません。環境に優しいとされる『バイオプラスチック』には 、植物由来の成分(バイオマス素材)を原料に製造される『バイオマスプラスチック』と、微生物によって分解可能な『生分解性プラスチック』の 2種類があって、店頭で無料配布されているレジ袋は 25%以上のバイオマス素材を含み、国から『バイオマスプラ』の認証を受けたものが中心です。

『バイオマスプラスチック』は植物の光合成の仕組み等を利用して、大気中の二酸化炭素をプラスチック内に封じ込め、地球温暖化を防止することを主な目的としています。トウモロコシ・キャッサバ・サトウキビ・さとう大根の糖分や、パームヤシ・大豆・唐胡麻の油脂、或いは稲わら・ヤシ殻などの植物性のバイオマス資源を主な原料とし、その成分から発酵技術・化学変換技術を使って作られます。一般的に製造コストは高く、2016年現在、日本での使用量は全体の約 0.4%に留まっています。また “バイオ” と付いているからと言って、土に埋めれば自然に帰るという訳ではありません。ただ一般のプラスチック同様に焼却処理した場合でも、植物由来のCO2は再び植物に吸収されるので排出量にカウントしないのが、『カーボンニュートラル』という考え方ですね。

一方の『生分解性プラスチック』は『グリーンプラ』と呼ばれ、プラごみによる環境汚染の防止を主な目的としています。微生物によって分解されるモノであれば、原材料がバイオマス資源である必要はなく、こちらもレジ袋有料化の例外となっています。石油由来の原料から化学的に合成可能な『グリーンプラ』は、分子レベルでの設計の自由度が高く、繊維化して各種織物・不織布・網・ロープ・紐・ネットなどを作ったり、インフレーションフィルム・押出シート・延伸フィルムなどを製造、或いは紙のラミネートやコーティングに使用したりすることも可能。また、射出成形・ブロー成形・発泡成形、或いはシートからの真空成形・圧空成形などによって、様々な成形品を製造することが出来るそうです。

“モノづくり” をする側の立場から言わせて頂きますと、使い捨てプラスチックごみが世界的な環境問題となる中、その削減に努力する事に異論は無いとして、買い物袋の主流が『エコバッグ』になるのか、『バイオマスプラ』なのか『グリーンプラ』なのか、或いは紙袋になるのか、紙袋であれば内側にどのようなコーティングを施すのか、デザイン上の印刷やラミネートはどうするのか、はたまた欧米諸国同様、新型コロナ感染症対策の一環としてレジ袋の無料配布に回帰するのか、兎に角、世の中の趨勢が決まってこないと、私たちとしては何も身動きが取れません。製造設備は、数年~数十年に一回の大きな買い物ですから、選定ミスは絶対に許されません。実際に印刷・フィルム製造業界では、次の設備投資を躊躇されている企業さまが多いそうで、景気低迷の一因となっているんですよ。

なお、経産省のホームページを覗いてみると、フィルムの厚さが 50μm以上のレジ袋(ヒトの髪の毛の太さが 50~100μm)も、有料化の例外とされていました。繰り返し利用することが可能だからだそうです。これは知りませんでした(苦笑)。

最後に、私 個人の中にどうしても残る大きな疑問について一言。地球温暖化のみならず、人口爆発・食糧難と地球の未来は問題山積。そこに新たにwith コロナも加わった今、広大な作付面積を利用して せっかく栽培したトウモロコシ等の穀物を『バイオプラスチック』の原材料として使うよりも、人間の食用に回した方がよっぽどましだと考える私は、間違っているでしょうか?

社長、with コロナを生きる④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。来年の夏は各地とも、『平年並み』の気候に落ち着くかも知れません。2021年は 10年に一回、気象データの統計期間の更新時期に当たり、2030年迄の  10年間は 1991~2020年の 30年間の平均値が比較の基準となり、10歳若返った『平年並み』の方から、私たちの感覚にグッと近づいて来る筈です。暑い夏になることは変わりないでしょうけどね(苦笑)。9月も近づき、台風が気になるシーズンになって来ました。2019年10月31日(木)の日経新聞一面記事によれば、全国の『工業団地 580ヵ所浸水の恐れ』、埼玉県に至っては工業団地のほとんど全てが、浸水想定区域内に在ると指摘されていました。弊社の在る伊奈北部工業団地は、荒川や利根川などの大きな河川からは随分と離れた場所に在りますが、本当に安全ではないのか? with コロナの今、水害のリスクについて もう一度確認をしておこうと思います。

弊社の浸水リスクに触れる前に。皆さんは、埼玉県鴻巣市の名物の『川幅うどん』をご存知でしょうか?市内を流れる荒川の川幅が、日本一広いことから発案されたご当地グルメです。大宮からJR高崎線下りに乗って 6つ目、鴻巣駅の少し南側を走る、県道 27号東松山鴻巣線、そこに架かる『御成橋』付近の川幅は 2,537m。そうは言っても、この川幅一杯の水が常時流れているという訳ではありません。堤防から堤防までの距離に余裕があり、普段は水田・麦畑や運動場として使われている河川敷が、いざという時には遊水池のような役割を果たす訳ですね。上流に在るゴルフ場を越えて、同じくJR高崎線の吹上駅の手前で通りを左に折れると、今度は広大なコスモス畑が川沿いに広がります。例年ですと、10月の中旬から 11月初めに掛け、ピンクや赤・白・黄、約 1,200万本のコスモスが楽しめるのですが、昨年は台風 19号の影響でこの一帯も水没、コスモスも全て倒れて、駄目になってしまったそうです。

吹上駅から更に上流に遡り、行田駅を越えた所に『久下橋』という橋が架かっています。徳川家康の命により、1629年に武蔵国小室藩初代藩主の伊奈忠次が、荒川を締め切ったのがこの熊谷市久下の付近。以前 社長ブログでも取り上げましたが、今の荒川の流れは人為的に入間川に付け替えたもので、元々の荒川の自然な流れは この辺りから現在の元荒川の川筋を通り、弊社の隣の綾瀬川に注いでいたんです。さて、ここからが本題。水は低いところ低いところへ流れます。伊奈町の『洪水ハザードマップ』によれば、万が一、万が一にも熊谷市久下の付近、河口から 69.6~74.0kmで荒川の土手が決壊すると、その水は自然の摂理に従って、元荒川・綾瀬川へと流れ込み、約 12時間後に伊奈町に到達。最悪の場合、伊奈北部工業団地は 1.0~2.0m浸水すると想定されています。こうなると、土嚢を積む程度の自助努力では、如何ともし難いでしょう。”熊谷市久下”、この地名については、伊奈町に本社の在る私たちには、覚えておく価値がありそうです。

伊奈町の『洪水ハザードマップ』は同時に、弊社から20km以上も離れた熊谷市久下付近で荒川の堤防が決壊(≠氾濫・溢水)しない限り、弊社に洪水の被害が及ぶことはないことを示しています。仮に他の個所で堤防決壊・氾濫・溢水が起こったとしても、『大宮台地』と呼ばれる高台が水の流れの行く手を阻んでくれるので、伊奈町には何の影響も及ばないんです。殆ど有り得ない被害想定を過度に心配する必要はなく、2019年の台風 19号の際、鴻巣から吹上付近の広い川幅が遊水池として十分に機能してくれたことを加味すれば、少なくとも伊奈北部工業団地に関して言えば、水害に弱い工業団地には該当しないのではないかと考えています。

鴻巣市商工観光課の担当者様に電話確認したところ、新型コロナの影響でコスモスの種蒔きは行っておらず、10月のフェスティバルは今年も “お預け” とのことでした、残念(涙)。安全性および有効性の両面で理想的なワクチンが開発される保証のない中、適度な運動とバランスの取れた食事、充分な睡眠そして過度にストレスを溜めない事、健康的な生活習慣こそ最良の “ワクチン” です。自己免疫力を高め、2021年秋には満開のコスモスを楽しめると信じて、with コロナの時代を生き抜いて行こうと思います。

【関連記事】↓

社長、荒川を語る①~④ https://www.sgk-p.co.jp/blog/date/2019/07/

※分かり難い表現が有りましたので、修正しました。

社長、with コロナを生きる③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。いつもと違う特別な夏休みも終わりました。帰省を控えた方も多そうですが、国民一人 10万円の『特別定額給付金』のおかげで懐具合も良いのでしょう、海辺等の観光地を訪れる人々の表情に悲壮感は見られません。そりゃそうです。一時 17,000円を割り込んだ日経平均は 4月30日(木)には 20,000円台を回復、7月末に発表された2020年6月の失業率も 2.8%(季節調整値)と低い水準に抑えられています。2020年4月の自殺者数(暫定値)が前年同月比 19.7%減の 1,457人と報じられると、「テレワークによる対人ストレス軽減が理由」と真しやかに囁かれたくらいで、緊急事態宣言が再発出されれば、もう 10万円配られるのではないかと期待する若者が少なからず居ると思うと、正直、日本の将来について心配にならざるを得ません(苦笑)。

もっとも、私も彼らに何か言えた義理ではありません。日本は 1990年年代初頭にバブルの崩壊を経験、その後、長引くデフレ経済に苦しみました。株価がピークを打ったのは 1989年末、土地価格の下落が始まったのが 1991年です。当時 大学生だった私はバブルが弾けたなどつゆ知らず、アルバイトで稼いだお金は全て趣味につぎ込んでおりましたし、社会人になってからも その消費性向は暫く変わらず、1995年に阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件を経験した後も、多くの若者がバブルの “残り香” を楽しんでいたという記憶が有ります。人々がバブル崩壊の深刻さに本当の意味で気付いたのは、大手金融機関(山一・拓銀・長銀)が連鎖的に経営破綻した 1997~1998年頃。1991年に 2.1%だった失業率は 1997年に 3.4%、1998年には 4.1%へと悪化、日本の自殺者数は 1978年の統計開始以来初めて 3万人を上回り(前年比 34.7%増)、経済生活問題が原因の自殺者は 6,058人を数えました。2002年に 5.4%の失業率を記録すると、2003年には自殺者数は過去最多の 34,427人を記録。その数が 3万人を下回るようになったのは景気回復の本格化した2012年以降で、失業率が 2.4%まで改善した2019年には、20,169人と過去最少となっています。

弊社の数字で見てみると、バブル崩壊以降 1994年12月の決算までの 4年間に経営破綻した取引先が 3社、金額にして 17,587千円の貸し倒れだったのに対し、1997~1998年の2年間には、製鉄関連特約店や段ボール製造装置メーカー等 新たに不良債権化した案件が 4社、計 27,656千円の焦げ付きが発生し、『債権償却特別勘定(回収の見込めない債権の 50%損金算入を認める制度)』の繰入額は、最大で △18,000千円にまで膨らみました。弊社の売上高がバブル後最悪の水準(1,416,669千円)に落ち込んだは、その翌年の 1999年12月期のことです。1997年4月に日産生命保険(相)、2000年10月には千代田生命保険(相)と、弊社とお付き合いのあった金融機関 2社の経営破綻も、バブルが弾けて暫く経ってからのことでした。

今の株価に失業率、財布の中身までが “ハリボテ” です。これからの2~3年間 with コロナの時代を何とか切り抜けたとしても、その先に待っているのが “いばらの道” であることは経験上 知っていますし、生き残りを賭けた長く厳しい闘いへの覚悟は出来ているつもりです。むしろ私が恐れているのは、コロナショックを機に『パラダイムシフト』と称して現在の基本的価値観をひっくり返そうとする、得体の知れない勢力の存在の方ですね。リーマンショックですら大人の世界で起こった他人事、異次元の金融緩和が当たり前の若者たちの眼に、果たして 今の世の中はどのように映っているのでしょうか?とても興味深いところです。

社長、with コロナを生きる②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大企業ではやっていて当たり前のことでも、弊社のような中小企業では実施出来ていないことって多いです。例えば弊社の場合、正門前に守衛さんが張り付いている訳ではないすから、入構管理は手薄でした。弊社で入構時のマスク着用を “義務化” したのは 4月11日(土)。その後、AI体温測定顔認証端末とハンディ型サーマルカメラを導入、7月1日(水)から運用をスタートし、従業員が毎日の検温結果と体調の変化について『検温シート』に記録するだけでなく、ご来訪のお客さまにも体温と万が一の際の連絡先を『入構申請書』に記載して頂き、入構管理を徹底することが出来ました。遅ればせながら 8月3日(月)からは、弊社従業員がお客さまや協力工場をお伺いした際の記録も『訪問履歴レポート』として残し、いざという時にも保健当局に速やかに情報提供出来るよう、体制の充実を図っています。with コロナを変化の切っ掛けとして、前向きに捉えるのも悪くないかも知れません。

さて、コロナ禍の外出自粛・移動制限によって、売り上げが蒸発してしまったと言われる観光・外食・エンタメ業界の受けた打撃は計り知れないことでしょう。救済策の第一弾として『Go To トラベル』は 7月22日(水)からスタートしましたが、感染確認状況を見る限り、続く『Go To イート』『Go To イベント』が いつ頃始められるかは、”神のみぞ知る” という状況が続いています。東洋経済ONLINEによれば、8月9日(日)現在の日本の『実行再生産数』は『Rt=1.09』と、7月4日(土)の『Rt=1.86』から随分下がって来ました。因みにドイツが叡智を結集して導き出した、感染抑制と経済回復の黄金比をもたらす『実行再生産数』は、『Rt=0.75』だそうです。

3月13日(金)以降、一切 外食をしていない私が口出しするのも何ですが、ソーシャルディスタンスを確保する為に空席を残していては採算ベースに乗る筈もなく、外食産業復活には満席にしても安心・安全を確保出来るような抜本的な対策が必要ではないかと感じます。総務課長時代の2006~2007年、労働基準監督署からの是正勧告を受け、労働衛生の改善に携わった私の感覚では、油煙や臭いを強力に吸引する装置をテーブル毎に備える焼肉屋は、衛生対策で安心感 二重丸。以前お話しましたが、有機溶剤や特定化学物質から働く人の健康を守る為、工場では設置を義務付けられている局所排気装置、最近はかなり軽量・コンパクト化が進んでいて、価格的にもリーズナブルな物も出て来たようです。『上引きフード』なんてデザイン的にもお洒落ですし、『マイクロ飛沫』を強制排気する設備として国が助成金を出してでも、これを外食産業に於ける、with コロナのスタンダードにすべきなんじゃないかと思います。製造業やダクトの施工業者さんにもメリットが出ますしね(笑)。

ライブハウスや小劇場がクラスター感染の温床となってしまった、エンタメ産業も厳しいですね。密閉空間での大声はNGです。私が ふと思い出したのは北京オリンピック開会式で、あの時、国歌斉唱で歌い手を務めた少女は『口パク』でした。別人の歌声だったことで非難を浴びましたが、事前に収録した音声を流すこと自体は、咎められることではないですし、感染リスクを減らせるなら、今は それも一つの選択肢なんじゃないかと思います。思い切って お客さんの歓声や拍手、場合によっては彼らの掛け声でも歌声でも台詞でも、何でも事前に録音させてもらう。編集後、演出の一部として本番で流す。生の臨場感が薄れても、その分 一緒に作り上げた感 半端なくMaxなら、お客さんは大満足なんじゃないでしょうか(笑)。或いは、新鮮な空気を求めて、屋外でやるのも悪くないです。色々と調べてみるとピンからキリまで、日本各地には公共・民間を含め、”趣” のある野外ステージ(劇場・音楽堂)の類いが、沢山有ることが分かります。ライブハウスや小劇場のオーナーに無償提供して、お客さんの移動・宿泊費用は半分補助。今こそ回転率の低いハコモノの、有効活用を検討してみては如何でしょうか?

前回のタブレット端末、今回のAI体温測定顔認証端末とハンディ型サーマルカメラも然り、1台に一つ、液晶モニターとリチウムイオン電池が組み込まれている訳ですから、弊社も関連の深い高機能フィルム業界からすれば “特需” とも言えますが、現実を直視すれば、製造業の将来も決して平坦な道程ではありません。米中の対立は深まる一方、日韓関係も悪化の一途を辿っています。活気ある世界経済を いつか取り戻せると信じて、with コロナの時代を生き抜いて行こうと思います。

社長、with コロナを生きる①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。月に一回 各営業拠点から集結する面々と、『赤羽一番街』という人気の “夜の街” に繰り出すのは、私にとって一つの楽しみでもありました。月例の全体会議『総合会議』の 前日、営業の情報交換の為、赤羽に在る東京営業所に集まるのが『グローバル販売戦略会議』。彼らと最後に酒を酌み交わした思い出は、2月5日(金)まで遡らなければなりません。専門家から『瀬戸際』との見解が出され 、大事をとって3月の『総合会議』の中止を決定、併せて『グローバル販売戦略会議』も休会としました。4月の『総合会議』については安心・安全に配慮した形で実施する予定でしたが、東京首都圏や関西・中京圏に於いてオーバーシュートの兆候が見られた為、本社所属の管理職数名に規模を縮小(この枠組みが、後の『新型ウイルス対策協議会』)。4月7日(火)に緊急事態が宣言されると、最早、お酒どころではありません。

コロナ禍で 2ヶ月も営業と顔を合わせず流石に心配になってきた私は、プライベートのONLINE英会話で使ったことのあるZoomを利用して、『グローバル販売戦略会議』をリモート開催することを、彼らに提案してみたんです。とは言うものの、弊社のPCにWebカメラは内蔵されておらず、極端な物不足の中で外付のWebカメラの入手は困難、社内ネットワークの通信速度は酷く遅い上に、Zoomのセキュリティにも不安がありましたから、皆さんの個人所有のスマホ(通信手当を会社にて負担しています)を、ビデオ会議に利用させてもらうことになりました。経験上、環境によっては上手く繋がらない場合もあると承知していましたから、開催に当たっては慎重に準備を進めることに。メンバー各自でZoomのインストールとセットアップを済ませた後、個別に通信テストを実施し、翌日には、全員同時に “入室” した場合もオーディオが機能することを最終確認。4月16日(火) に ようやく、『グローバル販売戦略会議』第一回リモート開催に漕ぎつけました。一部からは早速、”リモート飲み会” 開催を切望する声も上がりましたが、そこは我慢(笑)。

第二回目のビデオ会議は 5月15日(金)に実施。やはり小さなスマホの画面は不便ですし、いつまでも仲間の好意に甘え続ける訳にも行きません。外出も儘ならず業者にも声を掛けづらい中、ネット上で色々と調べた結果、SIMフリーのタブレットと格安SIMカードの組み合わせなら納期を待たず入手可能、導入費用・ランニングコストも比較的安く抑えられることが分かり、5月21日(木)にオンラインで契約・発注。社内ネットワークからは独立した通信環境で、ビデオ会議の体制を整えました。6月6日(土) には、Zoomを初めて使う技術部のメンバーにも加わってもらい、『 “拡大” グローバル販売戦略会議』のリモート開催も無事成功。いよいよ7月からは『総合会議』の再開です。ところが、大人数の集まる大会議室に、営業所からリモート参加してもらうビデオ会議は、タブレット同士の小規模なものとは訳が違います。そもそも、マスク着用の上に感染予防の為設置したアクリル製のパーテーション越しの発言、換気用に開けた窓の隙間からは外部の騒音が侵入、室内に新設した空気洗浄機からの音も加わり、マイク無しでは室内に居る参加者の耳にすら届きません。これでは『グローバル販売戦略会議』で積み上げたビデオ会議のノウハウは、全く役に立たないじゃないですか!!

ここに朗報が届きます。前々から予定していたUCOM切替工事が 6月9日(火)に終了し、光回線の通信速度が大幅向上したんです。セキュリティを強化したというZoomの言い分を信じて、避けていた社内ネットワークの使用を解禁。有線で繋がれたPC 1台に大型モニター、通販で購入した高角Webカメラと収音マイク、アンプ付スピーカーを接続し、6月17日(水)・6月26日(金)の 2回に渡るリハーサル。試行錯誤の結果、本社会議室の参加者はワイヤレスマイクを通して発言、アンプ付スピーカーから出る音声を収音マイクで拾い、営業サイドのタブレット端末に届けることに。営業サイドの発言もPCを経由して同じアンプ付スピーカーから流れますので、一見、音声が無限ループしそうな繋ぎ方なのですが、そうはならないから不思議です。本社サイドのタブレット端末も、ポータブル無線カメラとして上手く活用。オーディオ機能をOFFにすればハウリング・エコーを防ぎながら、発言者の表情まで営業サイドに配信可能なことも分かり、7月11日(土)に行われた『総合会議』第一回目のビデオ会議、画面の共有で多少のハプニングは有りましたが、本社会議室に居るメンバーにも営業所からリモート参加のメンバーにも、無理な負担を掛けることなく、何とか終了することが出来ました。

8月に入りましたが、感染収束の道筋は見えて来ません。また『赤羽一番街』で楽しく飲める日々が戻ることを信じて、with コロナの時代を生き抜いて行こうと思います。

※誤字・脱字を修正しました。

社長、コロナ騒動を振り返る⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日経電子版によれば、4月5日(日)現在の日本の感染確認者数は、累計で3,271人(前日比 +336人)。「ニューヨークとは違う。」そう信じていた私ですが、3月の欧州型の流入以降、『ファクターX』を以ってしても御することの出来ない脅威を前に、正直 心が折れかけていました。医療崩壊だけは絶対に防がなければならない。5日間予定を早め 、4月6日(月)に『新型ウイルス対策協議会』を招集、工場の操業を一時止める可能性について言及しています。以前ブログでもお話ししたように、ロータリージョイントは医療用機器にも使用される『不織布』を製造する工程で、欠かせない生産材です。しかし会社は、自分たちの力だけでは運営できません。仮に埼玉県を含む首都圏に於いて、行政から更なる厳格な外出自粛・移動制限を求められ、サプライチェーンが寸断されれば、我々の努力も水の泡。自分たちが果たすべき、社会的責任とは何なのか?「このまま従業員をリスクに晒し続けるくらいなら、一層のこと工場を止めてしまった方が、どんなに気持ちが楽なことだろう…」疚しい思いも心に過ぎります。4月8日(水)にWebサイト上に掲載した『重要なお知らせ~緊急事態宣言と最悪のシナリオに備えて』には、4月6日(月)~7日(火)と自問自答を繰り返し、眠れぬ夜を過ごした私の心の揺れが色濃く反映されているのです。

恐れていた現実は直ぐに訪れます。4月11日(土)の、政府による出勤者7割削減の要請(後に “極力” 8割の方が定着)です。 4月16日(木)には緊急事態の適用地域が全国に拡大され、私たちの通常運転が行政から ”お墨付き” を頂くには、その翌日の4月17日(金)まで待たなければなりませんでした。大野元裕埼玉県知事からの依頼として届いたFAX 曰く、「製造業のうち、医療・支援が必要な人の保護・社会基盤の維持等に不可欠なもの(サプライチェーン上の重要物を含む。)を製造しているものについては、感染防止に配慮しつつ、継続する。」と。4月24日(金)に1都3県が『いのちを守る STAY HOME週間』の共同キャンペーンを発表、5月4日(月)には緊急事態の5月末までの延長が決まりました。この間、東京・名古屋・大阪の営業所では、電車通勤者の在宅勤務や交代勤務等の対応を取りましたが、工場は感染防止対策を徹底しながらカレンダー通り操業を続け、今日に至っています。

出勤者削減の要請については、主に首都圏の通勤電車等での『3密』を防ぐことを主眼としていたことは明白で、4月11日(土) の首相会見でも その対象はハッキリと『オフィス・ワーカー』に限定されていました。にも拘わらず意図的にそれを隠し、恰も生産材を扱う『工場勤務者』も削減対象に含まれているような歪曲報道を繰り返した、公共放送を含む左派メディアの姿勢には、今でも強い憤りを感じています。私たちが一致団結したのは医療崩壊を防ぐ為であって、8割という数値目標達成の為ではありません。多くの業種の人たちが『自粛』とは名ばかりの『強制』に苦しめられる中、サプライチェーンで与えられた使命を全うする為に操業を許された私たちが、どれだけ心を痛めながら仕事を続けて来たのか、彼らに理解してもらいたいとは思いません(怒)。

5月14日(木)に名古屋、5月21日(木)に大阪、5月25日(月)に東京・埼玉と、順次 緊急事態が解除。一連の感染症対策が適切だったかどうか、議論は残ります。果たして、日本の被害を最小限に食い止めている、『ファクターX』とは何なのか?

人類は遺伝的に多様です。単一民族と思われがちな日本人ですら、ミトコンドリアやY染色体のDNA情報の違いにより、10種類以上のグループから構成されることが分かっており、それをハプログループと呼びます。ハプログループは分子人類学による遺伝的特性別の区分であって、外観や地域性 言語や宗教の違いにより、時として差別を助長するような人種や民族とは異なった概念です。アフリカを起源とする現生人類は、絶滅寸前の旧人類の穴を埋めるようにユーラシア大陸に進出、土地々々で その生残を吸収ながら広範囲に拡散し、免疫機能に於いても多様性を獲得して来たと考えられます。その多様性を示す一つがHLA型、白血球の血液型に相当するもので、その組み合わせは数万種類に及ぶそうです。人類の長い歴史(旧人類を含む)に於いては、持ち合わせたHLA型の特性によりコロナウイルスとの戦いに敗れ、途絶えてしまったハプログループも有ったかも知れません。今まで激しい戦いの最前線に立たされた経験のないハプログループの中には、BCG接種により休眠中の『細胞性免疫』系のスイッチのON・OFFが切り替わり、今回のパンデミックを耐え抜いたハプログループも居ることでしょう。そして注目の『ファクターX』、目まぐるしく変異を繰り返す敵に対し、昨日の『善玉抗体』は今日の『悪玉抗体』、『ADE(免疫依存性増強 : サイトカイン・ストームもその一つと考えられる)』を引き起こす可能性のある “諸刃の剣” を敢えて手放し、その代わり、コロナウイルス全般に交差的に機能する『ヘルパーT細胞』を筆頭に、マクロファージやキラーT細胞・NK細胞等の白血球が、体内の異物(ウイルス・細菌・がん細胞等)を攻撃・排除する機能を発達させたハプログループ、それが東アジア一帯に偏在していたとしても、決して不思議なことではないのです(私見です)。

日経電子版によれば、7月19日(日)現在の日本の感染確認者数は、累計で24,642人(前日比 +510人)。慎重論も高まる中、明日 7月22日(水)、『Go To キャンペーン』がスタートします。

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社長、コロナ騒動を振り返る⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。有機溶剤や特定化学物質を扱う工場では、労働衛生の観点から全体換気装置・局所排気装置が設置され、働く人たちの健康を守る対策が取られています。弊社では元々マスクの着用率も高く、油で汚れた手を洗わずに食事を摂ることは出来ませんから、コロナ対策の下地は既に出来上がっていたのかも知れません。3月1日(日)に密閉・密集・密接という避けるべき3項目が明示されると、翌々日の3月3日(水)には、お昼休みの食事は食堂だけでなく、事務室や大会議室等を利用して分散して食べ、5人以上の会議は狭い会議室の使用を禁止し、大会議室や食堂等の広いスペースを利用するよう改めました。当初は渋々応じた従業員も多かったようですが、皆さん、今はその重要性を理解してくれていると思います。

3月5日(木)に、習近平主席の国賓来日延期が正式発表、続く3月6日(金)の『正念場』との政府見解を受け、弊社では3月9日(月)に特例を定め、全従業員を対象にした自宅待機・隔離の取り扱いについて、従業員が新型コロナウイルス感染者との濃厚接触が疑われ、保健所或いは医療機関等から健康観察を求められた場合、従業員に自宅での勤務を命じることとしました。期間は最長で11営業日(暦日で14日間)、会社が認定した日数です。発熱・咳など通常の風邪で見られる軽い症状で、保健所或いは医療機関等に電話相談後、新型コロナウイルス感染が確認されないまま自宅待機を求められた場合も、同様の扱いとしました。

弊社の就業規則に於いても、「従業員は、必要に応じて行う防疫措置を受けるものとし、会社が必要と認定したときは、従業員に対して就業制限、業務転換、治療、その他適当な措置を命ずることがある。従業員はその措置に従うものとする。」とあります。事実を隠して出勤されても困りますが、PCR検査を受けられないまま、元気な人間を2週間も就業制限することにも疑問が有り、その間の従業員の経済的な不安を払拭する為に、工場の現場で働く皆さんには “業務転換” という名目で、自宅勤務をしてもらうことにした訳です。幸い今のところ該当者は出ていませんが、実際には与えられる代替業務はなく、研修用の教材を特別に用意した訳でもありません。

3月22日(日)、IOCが東京五輪延期の検討に入り、4週間以内に判断すると発表。安倍・バッハ電話協議の後 急転直下、3月24日(火)に延期が正式決定した この頃から、日本でも感染確認数は急上昇に転じます。

弊社では当初、PCR検査の結果として感染が確認され、強制的な入院・隔離措置等が必要となった場合は、有給消化か傷病手当の受給を想定していましたが、実際に感染したケースの方が感染疑いより、不利な扱いを受ける規定になってしまっていたので、3月26日(木)には、感染確認後も、その期間が感染確認前の自宅勤務期間と通算で11 営業日(暦日で14日間)を超過しない範囲については、自宅勤務と同等の扱いとし、給与を支給することに改めました。この辺りの素早い判断は、総務の仕事をしていた社長の強みですね。なお、この日は同時に『東京封鎖』宣言に対応すべく、外出自粛・移動制限(実質的な都市封鎖)により就業不能になった場合、つまり、封鎖された都市に就業場所が在る若しくは、その都市に居住していることにより就業場所に移動できなくなった場合も、就業しているものと見なし、給与を支給するという取り決めもしています。こちらは杞憂でした(苦笑)。

官邸で緊急事態発出の準備が進む 4月7日(火)には、モラルハザードを防ぐ為に定めていた保健所或いは医療機関等への電話相談の義務を無くし、従業員が発熱・咳など、通常の風邪で見られる軽い症状を発し、新型コロナウイルス感染が疑われる場合、最初の4日間については保健所或いは医療機関等の要請がなくとも、職場の管理者の判断で自宅勤務扱いとすることを認めています。予定を早め4月6日(月)に招集した『新型ウイルス対策協議会(工場勤務の部長を中心としたBCMチーム)』の初会合で、繋がらない電話の指示待ちでは実務上問題が有るとの、現場サイドの指摘が有ったからです。従業員の検温記録やお客さまの入構管理の徹底、Web会議システムの構築等、後に第二波襲来に備えて採用した対策の多くが、この会議で提起されたものです。

彼らの仕事に対する “熱い想い” とは裏腹に、同会議では、経営幹部に対し緊急連絡網を配布することも、併せて決められました。緊急事態発出の前日、私は工場の一時操業停止も覚悟していたんです。続きは次回。

※一部、修正しました。

社長、コロナ騒動を振り返る⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大雨が心配な季節になりました。昨夜は五色の短冊に願いを託したご家庭も、多かったかも知れませんね。七夕に素麺を食べて、無病息災をお祈りする地域も有るそうです。私の場合、会社の発展と働く仲間の健康と幸せを願って、神田明神に初詣でにお伺いしておりますが、ネットの事前申込みは結構早くて、2020年の場合は前年の10月25日(金)。木札に書いてもらう2つの祈願内容は、この段階で決めなければなりません。決めると言っても会社を代表してお祓いを受ける訳ですから、普通は『商売繁昌』『社運隆昌』が定番中の定番、土木建設関係なら『工事安全』を選択する社長さんもいらっしゃるかも知れません。例年なら私も型通りで選ぶという意識すらないのですが、何故か今回は初めて、『社運隆昌』を外して『除災厄除』を選んでいるんですよね。こういうのを、”虫の知らせ” と言うのでしょうか。武漢閉鎖の約3ヶ月前のことです。2020年に入ってからの私のブログ、特に『社長、歴史に学ぶ』シリーズを読み返してみても、1,000万人の人権を軽視して政策を押し進めるC政府や、輪転機を廻して無制限にお札を刷る政府・日銀、ガールズバーに出入りする中年男の顛末を取り上げる等、かなり予言めいた部分があって、我ながら少し薄気味悪く感じます。

この傾向は最近に始まったことではなく、今月100歳を迎える母方の祖母は北九州の神主の家の出身、6人孫がいると一人くらいには遺伝するものなのでしょうか、子供の頃も「崇が言うと実際に起こるから、変なことを口に出さないでくれ」と、家族から時折り理不尽な注文を受けておりました(苦笑)。近年の例では、果たして これは “霊感” とか “第六感” と呼ぶに、相応しいかどうか分かりませんが、2011年の年賀状の件。『卯年』ということで、家族用の年賀状にうさぎのキャラクターを入れることになりました。代表例なら『ミッフィー』に『ピーターラビット』、バンビの友達うさぎの『とんすけ』辺りでしょうか。何か面白いキャラクターはいないかと、2010年末に私が選んだのは『ありがとウサギ』。バレエの衣装を纏った “ブサかわ” キャラで、わざわざPCのスクリーンショットを切り貼りして使いました。「ポポポポーン。」それから3ヶ月とちょっと、今でもトラウマとして皆さんの耳から消えないACジャパンのCMで、あれ程 度々 “彼女” にお会いすることになろうとは、私も想像していませんでしたね(苦笑)。また、2019年には思い立ったかのように、4月に南浦和で鈴木康博さんのLIVE、6月には さいたま新都心で小田和正さんのコンサートと、私にとっては神のような存在の元オフコース2人の生歌を、人生で初めて聴きに行ったんですけど、何故 突然そうしようと思ったかは自分でも理解不能。言葉にできません。チャンスを逃しませんでした(笑)。

さて、そんな私ではありますが、経営判断に関しては勘に頼ることなく科学的な目線で情報収集、行政の要請には真摯に応じ、速やかに対処して参りました。最初に動いたのは2月26日(水)、専門家会議が『瀬戸際』との見解を示した翌々日のことです。同日、NHKが番組の中で『マイクロ飛沫感染』という表現を使い、マスク不足の中で専門家と既存メディアが “封印” し続けた『エアロゾル伝播(中国では2月初めに確認)』の存在をようやく認め、満員電車による通勤が感染拡大のリスク要因として急浮上した時のことです。幸い弊社の場合は殆どの従業員がマイカー通勤、電車通勤は少数派でしたので、それぞれの事情を考慮しながら時差出勤を認める等、個別対応の範囲で収まりました。この時の記録を見ると、「専門家の意見が分れているので、空いている電車内でのマスク着用は強制しない」と指示しています。現在も続く時差出勤など、全てが2週間限定の特別対応からスタートしましたが、2月27日(木)に全国の小中高校に突然の休校要請、翌2月28日(金)には楽しみにしていた第9回科学の甲子園全国大会の中止が決まる等、俄かに世間の雲行きが怪しくなってきました。

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社長、水素で走る③ https://www.sgk-p.co.jp/blog/1489/

※誤字・脱字を修正しました。

社長、コロナ騒動を振り返る⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2020年新年早々に、私はある大きな決断をしました。長年に渡り会社に配達してもらっていた日本経済新聞の購読契約を見直し、2月からは遂に、日経電子版に切り替えることにしたんです(笑)。大袈裟だと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、弊社のジョイントは様々な印刷機械にもご採用頂いていますから、電子化はある意味で印刷業界のお客さまに対する背信行為、延いては自分たちの首を絞める結果に繋がります。大きな決断と呼ぶにはもう一つの理由が有って、こちらも嘘のような本当の話で、新聞紙の優れた『吸油性』です。金属加工関連のお仕事をされている方は良くご存じだと思いますが、読み終わった後の新聞紙は工場の現場サイドで再利用のニーズが高く、実は無くてはならない存在なんです(苦笑)。随分長い間 迷い続けたんですが、結局、一部の紙メディアを残すことを条件に、日経についてはPCでもスマホでも読める利便性を優先させて頂きました。 ヒト-モノ-ヒトの接触感染も心配される新型コロナウイルス、今後このような流れは一気に加速するのかも知れません。難しい時代になりました…

弊社に於いても、ウィズ・コロナを意識していたという訳ではないのですが、この5月25日(月)に全面リニューアルした製品カタログ及び、取扱説明書(日・英・中)は、原則、PDF版をホームページからダウンロードという方式に改めさせて頂きました。シリーズ毎に冊子を分けて内容を充実致しましたので、ジョイントの新規選定や取付工事・メンテナスの際に、是非ご活用下さい。皆様のご理解・ご協力を宜しくお願い申し上げます。

さて、2月22日(土)を以ってベネチアのカーニバルが途中で打ち切りになる等、新型コロナウイルスの感染はヨーロッパ各国に拡大。ニューヨーク州などアメリカでも感染爆発が始まると、WHOは3月11日(水)になって ようやく、COVID-19の流行をパンデミックと認定します。この頃の私の日課は、東洋経済オンラインの『新型コロナウイルス 国内感染の状況』と日経電子版の『新型コロナウイルス感染 世界マップ』をチェックすること。急激に膨らみ続ける欧米諸都市の感染者数を見るにつけ、春節休みを利用して来日した中国人観光客が大勢集まる浅草で、マスクをしなくとも感染爆発を起こさなかった日本人の中に、所謂『ファクターX(ノーベル医学・生理学賞受賞者で、新たな有識者会議のメンバーにも選ばれた山中伸弥教授が、新型コロナウイルス関連情報を発信する自身の特設サイトの中で、4月18日(日)に掲載した『解決すべき課題』の一つとして掲げ、5月下旬にメディアに取り上げられて以降 一般的になった用語。東アジア、特に日本に於いて新型コロナ感染者数・死者数を少なくしている未知の要因のこと)』が存在していることに、私も次第に確信を深めていくようになりました。

とは言え、個人的な見解と経営判断は別です。大半の従業員は至って健康ですが、中には神経質な者も居ますし、持病を抱えている者も居ます。高齢の親と同居している社員と、医療従事者を家族に持つ者や趣味でバンド活動を行う者が、同じ屋根の下で働いているのです。何よりも生産材を扱うメーカーとして、お客様にご安心頂けるサービス体制をお約束する責務がある訳です。という訳で これからは、中小メーカーの代表取締役として、私が何を考えどのように行動してきたかに焦点を当て話を進めて行こうと思いますので、ご興味の有る方は是非お付き合いください。

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社長、五輪に思いを馳せる⑤ https://www.sgk-p.co.jp/blog/3297/

※一部、表現を改めました。

社長、コロナ騒動を振り返る④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。遡ること 8ヶ月、滞在先の韓国での予定をキャンセルし急遽帰国、台風19号の対応に当たってから 1週間後の10月19日(土)のことです。私のもとにムンバイから一通のメッセージが届きました。数年前、デリー郊外の工業団地にお伺いした際にお世話になった会社の会長の息子さんからで、私としては今更ビジネスの話をされても困るなぁと思いましたが、11月に入って2度目の連絡、奥様と妹さんと3人で日本に遊びに来るとのこと。頼れる日本人の知り合いは私しか居ないようでしたから、予定を空けて東京の観光案内をしてあげる約束をしたんです。来日は2020年3月1日(日)で、2週間の滞在予定とのことでした。

正月の2日(木)には新年の挨拶が届き、来日初日に浅草で会うことに決まりました。成田に降りるなら都営浅草線に乗り入れている京成線に乗れば便利だと伝えたのですが、もうJRの優待券を購入してしまったとのこと。仕方なく東京駅で待ち合わせをすることにしましたが、成田エクスプレスの到着ホームは地下5階。30分の遅れは誤差の範囲と考えるインドの人との待ち合わせ、しかも構造の良く分からない不慣れな東京駅地下ホームでそれを実践するとなると、合流までに相当な困難が待ち構えているのは必至で、のっけからブルーな気分です。

気を取り直して食事のアレンジ。以前、浅草でボランティア活動中、インド人観光客に「良いベジタリアンレストランを教えてくれ」と頼まれて、本来は特定の店を紹介するのはNGなのですが、色々と調べてあげました。今は随分と増えましたが当時は違って、ベジタリアン料理・ヴィーガン料理を提供してくれる店は、浅草界隈には ほとんど有りませんでしたから、「上野辺りまで出れば、インド料理店が沢山ありますから、そこに行けば間違いないですよ」と答えると、「日本に旅行に来て、何故、わざわざインドカレーを食べなきゃいけないんだ?俺は日本のベジタリアン料理を食べたいんだよ!」と、散々駄々をこねられました。今思うと、精進料理とか薬膳料理とか、或いはマクロビみたいなものを検索すれば、喜んでもらえたのかも知れませんね。今回のお客さんは、マハーラーシュトラ州在住ベジタリアンの若者3名。浅草の専門店を幾つかネット上で見繕っておきました。

そんなこんなで私が思いを巡らしている間にも、湖北省武漢では新型コロナウイルスが密かに感染を拡大、私たち人類が恐怖のどん底に突き落とされる瞬間が、刻々と近付いていたのです。

1月29日(木)、体調不良を訴える5人を含む、日本人206人がチャーター便により武漢からが帰国。うち2名がPCR検査を拒否し帰宅する等 、日本人の間にも動揺が広がる中、彼から4回目のメッセージが届きました。マスクが店頭から一斉に消える等の日本の混乱振りは、インドにも既に伝わっていたようで、「マスクはN95を用意したから問題ないよね?」とか、「消毒液を持ち歩けば大丈夫だよね?」とか、心配ながらも日本行きを相当楽しみにしている様子。私も分かる範囲で回答はしましたが、何せ “未知のウイルス” 、私に判断を求められても困ります。「I have no idea. It’s up to you.」来るか来ないかも含め、最終的には自己責任で決めてもらうしかありません。

そして2月14日(金)、前々回もお話ししましたが、私に行動変容を促す大きな切っ掛けとなったのが、都内タクシードライバーの感染確認です。この 5回目のやり取りでメッセージを送ったのは私の方からで、記録を見ると「日本はウイルスの封じ込めに失敗したから、来日を考え直した方が良い。もし君が来たとしても、私が東京駅まで迎えに行くことはないから。」と、彼にハッキリ伝えています。その後、3月6日(金)の段階では彼の無事を確認してします。「気温27℃を超える環境では、新型コロナは増殖しないらしいから、ムンバイは大丈夫。」と気丈に振舞ってはおりましたが、希望的観測虚しく、3月25日(水)にはインド全土がロックダウンに突入。1ヶ月後に失業率が27%を超えると一転、感染拡大が続く中 6月には殆どの産業で営業を再開するなど、新型コロナウイルスとの共存を模索する動きを加速しています。

6月16日(火)に発表された厚労省の抗体検査の結果は、東京 0.10%、大阪 0.17%、宮城県に到っては 0.03%。ソフトバンクグループが独自に行った大規模調査でも0.43%という低い値、つまり日本に於いては、99%以上の人たちが新型コロナに対する抗体を持っていません。この数字をどう評価し、予測される第2波・第3波に備えながら、日本経済を如何に回復軌道に乗せるのか?人生は決断の連続です。

※一部の表現を変更しました。

社長、コロナ騒動を振り返る③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。消毒用のアルコールの代替品として注目の次亜塩素酸水について、噴霧して使った場合に効果が有るのかどうか、体に悪影響が無いのかどうか、話題となっていますね。7都府県に緊急事態宣言が発出された4月7日(火)、出入りの営業マンに「御社ではどんな対策を講じているの?」と尋ねたら、返って来た答えの一つが この手の噴霧器で、今回の緊急事態は手元にある物資で乗り切る覚悟でいた私は不勉強、正直に申し上げて初耳でした。早速ネットで色々と調べた結果、ランニングコストが馬鹿にならないだろうとの結論に達し断念。第2波・第3波への備えとして弊社で導入を決めたのは、某S社のプラズマクラスターイオン発生装置です。こちらはウイルス不活性化の実証実験のデータも有り、公共施設の導入実績も豊富です。もっとも、感染症対策に有効なのはマイナスイオンではなく、偶然の産物として発生しているオゾンの方だとの説も有力ですけどね(笑)。

それはさておき、塩素消毒に話を戻しますと、話を聞いて まず私が想像したのはプールの匂いなんですね。現在、プールの消毒で一般に使われているのは、次亜塩素酸ナトリウム液か又は、次亜塩素酸カルシウムや塩素化イソシアヌル酸の顆粒か錠剤。私が高校生の頃のプールと言えば塩素がキツくて、屋内ともなると まともに深呼吸出来なかった記憶が有りますが、最近はどこのプールに行っても、体に害が有りそうな程の強烈な塩素臭さは無くなりましたから、科学技術の進歩というのは大したものです。

2~3月と全国のスポーツジムでクラスター感染の発生が相次ぐ中、以前お話しした通り、健康維持の為に週に 1回プールに通っていた私の取った行動はと言いますと、実は、3月28日(土)に いつものプールの使用中止が決まるまで、普通に泳いでおりました(笑)。1月中旬に味わった浅草での恐怖体験以降、かなり早めに自粛モードに突入した私なので、意外と感じる読者の皆さん(いつもお付き合い頂き、有り難うございます)も大勢いらっしゃるかも知れません(そんなに大勢は読んでくれてないでしょう!)。厚労省クラスター対策班の考察の結果として、クラスター感染発生の共通点として『3つの密・3密(密閉・密集・密接)』という表現が使われ始めたのが、3月1日(日)。幸い田舎の公共プールの利用者は少なく、更衣室で『3密』状態になることもありませんし、例の塩素消毒ですね、私は効果が有るんじゃないかと思っています(飽くまでも私見です)。そしてプールの窓は開け閉め可能な構造で換気もOK、私は比較的安心して利用を続けていました。そして何より、ウイルスに打ち勝つには、自分の免疫力を高めるのが一番と考えていましたので、3月22日(日)に泳いだ後、次回は金曜日の仕事の帰り際に寄ろうかどうか迷って結局 行かず、翌日から施設が閉鎖されてしまって がっかりしたのを覚えています。

ちなみに、これも意外と思われるかも知れませんが、私が日常的にマスクを着用するようになったのも結構 遅くて、4月1日(水)の『アベノマスク』構想 発表以降。政府による布製マスク配布、世間の評判は芳しくありませんが、私にとって行動変容の切っ掛けとなったのは事実で、現在は個人的に購入した藍染め仕様のマスクを愛用中です。

社長、コロナ騒動を振り返る②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。唾液の飛沫量なら中国語だって負けていません。人口密度の高い中国本土で自分の存在感を示すには、自然とボリュームが高くなるのだそうで、相手に中国語が通じないと解っても母国語で押し通す、彼らのマイペース振りには いつも圧倒されます。そうは言っても、浅草でのボランティア活動を、1年半も続けた私も手慣れたもので、彼らが次に打ってくる手はお見通し。精度の低いスマホの翻訳機能に振り回される前に先手必勝、中国語版でも日本語版でも、私から地下鉄の路線図や観光案内を差し出せば、大抵 事は簡単に済みます。『新宿』『渋谷』『原宿』『上野』『秋葉原』等、東京の人気スポット、中国語読みでは全く違う発音になりますから、何度聞き返しても分かりませんが、簡体字 ・繁体字・日本語表記に多少の違いは有れど、漢字を見ればお互い識別することが可能です。資料片手に指差し確認でコミュニケーションを図れば、言葉は喋れなくとも結構 何とかなるものです。

浅草と言えば都内屈指の観光名所、2019年には約953万人の外国人が訪れたそうです。主に地下鉄の乗り継ぎや浅草の道案内を英語で行うボランティア活動で、週末に私たちの対応してきた内訳を見てみると、中国・韓国を中心にアジア系が40%、欧米系が20%くらいでしょうか。南米やアフリカからのお客さまも、時々いらっしゃいます。そして残りの40%はというと、意外と感じるでしょうか(当たり前と思うかも知れませんけど)、それは日本人の皆さんです(苦笑)。もっとも、英語が出来る出来ない以前に、浅草周辺の土地勘と関東一円の鉄道網の知識が必要で、日本人観光客の対応も結構 勉強になるんですよ。さて、1~2月は浅草にとってオフシーズン。3月末に桜が咲き始めるハイシーズンまで暫くは、海外からの皆さんの比較的少ない時期が続きます。中国の旧正月をお祝いする春節の期間だからといって、皆さんが想像する程、浅草の街が中国人観光客で ごった返すということはありません。2020年活動初日 1月4日(土)の浅草は少し遅めの初詣、大勢の日本人参拝客で賑わっておりました。

当初は野生動物との濃厚接触が原因とされていた新型肺炎も、1月中旬には「どうやらヒトからヒトへも感染するらしい」と分かってきて、私たちのグループにも緊張が走ります。1月19日(日)の活動からは、私もマスクとアルコール消毒液を持参することにしました。中国の保健当局が正式に『ヒト-ヒト感染』を認めたのが 1月20日(月)、武漢封鎖が 1月23日(木)。それでも継続されたボランティア活動、少人数で切り盛りしている関係上、ギリギリになって参加を断る訳にも行かず、結局 私はゴーグルとゴム手袋まで用意して、臨戦態勢で事に臨む破目になりました(流石にゴーグルを着用するには至りませんでしたが)。誤算だったのは、中国人観光客数が想定外に多かったことですね。昨夏の日韓関係悪化・ボイコットジャパン以降、韓国人観光客の穴を埋めるように来日してくれていたのが、中国からの皆さんな訳ですから、これは仕方が有りません。

実は この頃の上野や浅草界隈で、マスクをしていたのは外国人観光客ばかり。特に中国人観光客の皆さんは、ほぼ例外なくマスクを着用していらっしゃいました。『武漢ウイルス』の負い目からかも知れませんけど、『爆買い』とマナーの悪さが際立った数年前とは大違いで、彼らの気配りに驚かされたのを鮮明に覚えています。一方の日本人はというと、報道を知らないのか鈍感なのか、マスクを付けて歩く人など殆どおらず、ウイルスが東京に蔓延するのは時間の問題だと覚悟しましたね。「日本人のマスク習慣が日本方式の成功に繋がった」なんて、絶対に嘘です。新型コロナウイルス感染症が『COVID-19』と命名されたのが2月11日(火)、2月14日(金)には隅田川の屋形船でのクラスター感染が発覚。1月18日(土)に船上で開かれた或るタクシー会社の新年会だそうで(それが浅草ではないことが判明したのは後々のことです)、もはや私も我慢の限界。組織運営上のトラブルも耳に入って来ましたから、その後の参加予定を全てキャンセル、2月2日(日)の活動を最後に、ボランティアグループと “距離を置く” 決断を下したのでありました。

それから4ヶ月。色々と思うところは有りますが、今後は本業に専念させて頂きます。

※一部、修正しました。

社長、コロナ騒動を振り返る①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。英語で親密な人間関係を表すのに、『rub elbows wth~ 』とか『rub shoulders with ~ 』なんて言います。肘や肩が擦れ合うくらい、物理的にも心理的にも近い関係という表現です。一方で、よそよそしい人間関係を表す場合には、『keep ~ at  arm’s length』とか『be on nodding terms with ~』なんて言ったりします。日本人には当たり前の、腕 1本分の距離感や会釈をする間柄は、英語の世界では親しい関係とは考えないようです。それから、英語を喋っていて気付いたことなのですが、子音に『破裂音』や『摩擦音』が多いからでしょうか、日本語で話す時よりも多くの唾液が飛び散るように思います。人との距離を詰めたがる文化的背景とは裏腹に、『social distancing』が欠かせない言語です。

英会話のトレーニングを開始して約10年、実務で英語を使う機会の殆どない私の場合、語学学校に通ったり、週末に英会話サークルに参加したり、或いは、外国人観光客相手のボランティア活動に協力したりと、折角 身に付けたスキルを錆び付かせないよう、様々な方法で努力を継続してきましたが、これほど長く英語によるコミュニケーションを中断したのは、今回が初めてです。1月末から世間ではマスク不足が始まり、ダイヤモンドプリンセス号が2月3日(月)に横浜港に到着した頃には、「中高年は、不要不急の外出を控え、人混みを避けるように」との報道。よくよく話を聞いてみると対象年齢は『50歳以上』で、私にとっても他人事でなく、2月24日(月)を最後に『face-to-face communication』による英会話の自粛を決断。外国語ってスポーツと似たところが有って、少し離れると感覚を取り戻すのに結構 時間が掛かるんです。取り敢えずは「ここ1~2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際」との専門家会議の言葉を信じ、結局ズルズルと自粛を続けること約1ヶ月の3月25日(水)、小池さんの『東京封鎖』発言ですよ。日本の法律では有り得ないと頭では理解しつつも『翔んで埼玉』、荒川に架かる幾つかの橋を遮断されたら実質アウトですから、もう英会話どころではありません!

3月30日(月)には、子供のころ大好きだった志村けんさんの訃報が伝わり、違法にアップロードされたものと知りつつ、部屋に籠ってYou Tube三昧の週末。このままでは拙いと、Zoomを使ったオンラインの英会話にも数回チャレンジしてみたものの、私の頭は既に “変なおじさん” に占有され、所謂『英語脳』に切り替わらない状態に陥っておりました。他の参加者のやり取りを ただ傍観しているだけで、上手く会話の中に『cut in』出来ません。おまけに接続状況が不安定で、声が聴き取り辛かったりそもそもアクセス出来なかったりと、不具合が続いたのも災いして、オンラインの英会話も断念。それから更に1ヶ月以上が経過、読み書きやリスニング、通勤の車の中でのシャドウイング(聴き取った英文を、即座に復唱する)は、その間も継続していたんですけど、自己診断では結構な重症です。コロナ関連の語彙だけは増えましたが(苦笑)。

緊急事態は5月25日(月)を以って解除されました。様々な経済活動も再開したとは言え、地域によっては感染確認数が順調に減っている訳でもなく、私の『英語脳』を取り戻すためのリハビリ活動も、なお慎重さを要求されそうです。ということで今も進行中ではありますが、新型コロナウイルス騒動に揺れた2020年前半を振り返り、その時、私が何を考えどのように行動してきたか、プライベートから会社の『decision making process』まで、許される範囲で『社長BLOG』に書き残しておこうと思います。もし ご興味が御座いましたら、よろしく お付き合い下さい。

※一部、表現を改めました。

社長、五輪に思いを馳せる⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。衝撃的な『武漢封鎖』に始まった新型ウイルス騒動、弊社の本社工場の在る首都圏に於いても、ようやく収束の兆しが見えて来ました。同じコロナウイルスで2003年にパンデミックを起こしたSARSの場合、その後に再流行が起こらなかった一方で、凡そ100年前に『スペイン風邪』が世界的に流行した際は、1918年春の第一波の犠牲者が少なかった日本でも、秋の第二波で26万人(罹患者の致死率 1.2%)、翌1919年の第三波でも18万人(同 5.3%)の方々が命を落としたのだそうですから、全く油断できません。お客様にご安心頂けるサービス体制をお約束する為にも、今秋に向け万全の対策を講じていきたいと思います。

さて、出口戦略を語る上でも引き合いに出されることの多いのが、『100年に一度の経済危機』と言われた 2008~2009年のリーマン・ショック。マーケットが急激に縮小していく中ライバル企業が倒産し、実質的にその営業基盤を引き継いだ弊社の場合、その後の業績は順調な回復を見せましたが、私たちの肌感覚は表面上の数字とは全く違っていて、追い風に乗って順風満帆という印象とは程遠いものでした。例えるなら “糸の切れた凧” とでも言うべきでしょうか、荒れ狂う激しい嵐に巻き上げられ、自分の意志とは関係なく強風に流されるままに身を委ね、行き先は『風まかせ』といった状態。お客様のご要望にお応えするのに精一杯で、結局その傾向は、東日本大震災の復旧復興需要まで続き、”神風が吹く” とは、こういうことを言うのかも知れないと、つくづく感じたものです。今回は、2011年1月の朝礼で取り上げたエピソードから。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

皆さんは、『フォロー(追い風)』と『アゲンスト(向かい風)』、どちらが有利だと思いますか? スポーツの中には『アゲンスト』の方が有利なものも有って、代表的な例ではノルディク・スキーのジャンプ競技。国際スキー連盟によれば、風速1m/秒の向かい風が吹くと飛距離が約5mも伸びるそうで、不公平をなくす為、現在は風向きによって点数を補正するルールとなっています。10m/秒を超える海風が名物、プロ野球千葉ロッテの本拠地は ZOZOマリンスタジアム。上空ではセンターからホーム方向に吹く風が、バックネット裏の観客席にぶつかって吹き降ろし、マウンド上のピッチャーは向かい風をまともに受ける形に。2010年日本シリーズの第3戦、これを巧みに利用したのが千葉ロッテの渡辺俊介投手。持ち味の緩い変化球は強い逆風に変化を増し、中日相手に97球、省エネの完投勝利で、リーグ3位からの下剋上の原動力となりました。

ジャンプの飛距離が伸びたり、変化球の切れが増したり、これらは向かい風から受ける『揚力』を利用しています。五輪種目でもあるセーリング(ヨット)競技、『風まかせ』のスポーツと思われるかも知れませんが実は違って、セールに受ける向かい風により生じる『揚力』と、センターボード(船底にある横流れ防止用の板)に受ける水流からの『揚力』を巧みに利用して、風上に向かって進むことも出来るんです。風向きに対して45度方向。従って その航路はジグザグとなり最短距離とは行きませんが、ライバルの位置取りを予測しながら風向きや波・潮流を読み取って、無限の選択肢から最善のルートを選び出し、他艇より早くゴールすることを目指します。大海原を舞台に向かい風を物ともしない このセーリング競技、コロナ・ショックという逆風に晒されている今、私たちの一つの参考になるかも知れませんね。

2011年1月の朝礼を、当時の私はこう締め括っていました。「私が船長だったら、乗組員の人数分のオールも載せます。風が止んだら、皆で漕ぐしかありませんから(苦笑)。」今回は流石に、この手の “根性論” は お勧め致しません。未知のウイルスとの長期戦、業種によっては、手遅れになる前に一度 “けじめ” をつけるという選択も、一つのオプションなのかも知れません。長い人生、少し遠回りになっても良いじゃないですか。世界には、幾つもの会社を潰しながらも、成功を掴み取った起業家が大勢いると耳にします。日本では何故それが難しいのか? “再挑戦の出来る国” 。ポスト・コロナの日本が、そんな国に生まれ変わってくれることを期待したいと思います。

※一部、表現を変更しました。

社長、五輪に思いを馳せる⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2019年のプロ野球観客動員数、2,653万人は過去最高だそうです。2008年の北京五輪以来 3大会ぶりの復活となれば、この夏 横浜スタジアムを中心に行われる野球競技が、盛り上がることは間違いない筈でした。思い返せば 2009年3月、延長までもつれた韓国との決戦、イチローの一打で『侍ジャパン』はWBC 2連覇達成。世界金融恐慌後の景気低迷に苦しむ日本に、明るい話題をもたらしてくれたのも野球でした。その活躍の裏で、実は日本選手の多くが、国際試合で使用されるボールへの対応に苦慮したのだそうです。今日は、2011年7月の朝礼で話したエピソードからお届けします。もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

野球のボール、その規格は世界共通で定められています。公認野球規則1.09「ボールはコルク、ゴムまたはこれに類する材料の小さい芯に糸を巻きつけ、白色の馬皮または牛皮二片でこれを包み、頑丈に縫い合わせて作る。重量は5オンスないし5オンス1/4 (141.7g~148.8g) 、周囲は9インチないし9インチ1/4 (22.9cm~23.5cm) とする。」 ただし、巻き糸や縫い糸、反発度に関する規則はなく、反発係数はNPB(日本野球機構)では、独自に0.4134~0.4374の範囲と定める等、日本で使用されているボールと国際試合で使用されるボールには、いくつかの点で違いがあったのだそうです。2013年のWBCを見据えて2011年シーズンから採用されたのが “統一球”、所謂『飛ばないボール』です。

具体的には何が変わったのか。まず、コルク芯を覆うゴム材を、新たに開発した低反発素材に変更し、反発係数を、NPB独自規格値下限の0.4134に、限りなく近づけました。この新素材の採用により、ある条件下の計測結果では、打球の飛距離は1.0m短くなったとされています。統一球が『飛ばないボール』と呼ばれる所以です。縫目については、国際球に感触を近づけるために、縫目幅を7.0mmから8.0mmへ、1.0mm広く、縫目高さを1.1mmから0.9mmへ、0.2mm低くなりました。ボールの表面を覆う牛皮は、滑りづらい背中側の部位のみを使用していましたが、ツルツルとした脇や腹の一部も使うこととなりました。結果として、2011年シーズンは近年稀に見る『投高打低』。顕著なのがホームラン数の減少です。2010年12球団トップの年間144試合で226本塁打を記録したジャイアンツで、半分以下の年間108本にしか届きません。最下位の千葉ロッテに至っては、なんと52本塁打。これ個人成績ではありませんよ。

しかし 1950~60年代の日本プロ野球は、2011年シーズン同様『投高打低』だったんだそうです。『神さま・仏さま・稲尾さま』、1961年シーズン42勝をあげた稲尾和久投手の、1956年~1969年の14年間の通算防御率は1.98。1試合9イニング投げ抜いて奪われる点数が2点以下という、驚異的な数字です。1970年代に入ると、投手受難の時代が到来。日本の高度経済成長に合わせるように、プロ野球では打撃戦が増えました。反発力を高めた、つまり『飛ぶボール』が導入されたからだ、と言われています。以降、王・長島の活躍、ジャイアンツのV9と共に、プロ野球は黄金時代を迎えました。1980年までは、反発力を高めるために木材に樹脂加工を施した『飛ぶバット』、圧縮バットの使用も認められていました。ホームランは “野球の華” と言う訳です。国際球に反発係数などを近づけたボールを『飛ばないボール』と呼びましたが、2010年まで日本で使用していたボールの方が “ガラパゴス” 、実は『飛ぶボール』だったんですね。

新型ウイルス感染拡大による休校措置の長期化を受け、『9月入学』が議論されています。子供の教育を受ける権利を保障するだけでなく、秋入学が一般的な『国際標準』に合わせられることもメリットで、私は大賛成です。ポスト・コロナの時代を支える主役は誰なのか、厳しい国際競争に晒されるのは誰なのか、考えれば答えは明白で、子供たちは今から『飛ばないボール』に慣れたほうが良いに決まっています。聞こえてくるのは、悲しいかな 教育関係者の屁理屈ばかり。如何なる “大人の事情” も、子供たちの学ぶ権利を奪うようなことが有ってはなりません。

※誤りを修正しました。【誤】観客動員数、263万人→【正】観客動員数、2,653万人

※一部、表現を改めました。

社長、五輪に思いを馳せる⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。愛犬家の皆さんは よくご存知の『フィラリア(寄生虫の一種)』のお薬が、新型コロナウイルスの治療に期待できそうだというのですから驚きです。子供の頃、お尻の穴に貼ったフィルムを学校に提出した、所謂『蟯虫検査』を皆さんも鮮明にご記憶のように、寄生虫による感染症は人類も長年 悩まされてきた病気です。近年の日本では、生魚から感染する『アニサキス』が問題となりました。アジア・アフリカの熱帯地域に於いては、寄生虫症は今なお深刻な問題で、その特効薬がノーベル医学賞・生理学賞の大村智先生が開発した『イベルメクチン』という訳です。副作用が少なく量産体制の整えやすい この薬が、家庭の常備薬として早期承認を受けることを期待したいところです。一方、寄生虫に感染する機会の減った日本では花粉症等のアレルギー症状に苦しむ人が増えていて、寄生虫に抗う為に発達した自然免疫が敵を失い、スギ花粉等に過剰反応した結果なのだそうです。

さて、スペインの征服により16世紀に滅びたアステカ文明、近年はスペインから持ち込まれた感染症(天然痘・サルモネラ菌等)が滅亡の主な原因だったのではないかと考えられていて、免疫を持たない先住民の人口は、100年足らずのうちに10分の1以下に激減してしまったのだそうです。その標高2,200mを超えるアステカの地で、1968年10月、ホスト国メキシコを下し銅メダルを獲得したのが、サッカー日本代表。エースストライカーの釜本邦茂は、6試合で7得点を決め得点王となりました。その後は2012年のロンドン大会の4位が最高で、長年メダルには手が届いていない日本。今回はサッカーW杯ブラジル大会の最中、2014年7月の朝礼で取り上げたエピソードから お伝えします。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

本田、香川、長友ら、ヨーロッパの名門クラブで活躍するタレントを揃え、直前に行われた親善試合にも2連勝。初のベスト8入りも期待されながら、初戦コートジボアールに敗れ第二戦もギリシアと引き分け、後がなくなったザック・ジャパン。強豪コロンビアとの大一番を前に、ザッケローニ監督と日本サッカー協会との間で話し合いが持たれ、『パワープレー』が封印されました。前線の長身の選手の頭に合わせてロングボールを放り込み、ヘディング又はそのこぼれ球でゴールを狙うというシンプルな戦術を禁止し、コロンビア戦では結果を恐れず、素早いパス回しで相手守備陣を崩す、本来の日本サッカーを貫こうと言う訳です。結果は 1-4 の惨敗。勝ち点1で一次リーグC組最下位という、残念な結果に終わりました。

4年後のロシア大会ではコロンビアに 2-1 で雪辱し、ポーランド戦での時間稼ぎには賛否両論ありましたが、見事に決勝トーナメント進出。強豪ベルギーを相手に選手たちは日本のプレースタイルを貫き、世界の称賛を集めました。ザッケローニは、何故『パワープレー』に頼らなければならなかったのか?ブラジル大会、南米勢、出場6ヶ国中5つのチームが決勝ラウンドに勝ち残りました。中米の2チームを含めると、16チーム中、実に半数近い7チームがブラジル周辺の中南米で、これはもう地の利を生かしたとしか考えようが有りません。ブラジルと言えば、アマゾン川と熱帯雨林。体格の差を、早いパス回しと運動量で補う日本のサッカースタイルは、どう考えても南米の高温・多湿の気候に不向きです。ブラジル大会以前に行われた4回の南米遠征で、日本代表は実に19戦16敗3分と、データを見ても苦手なのは明らか。敗戦の将は多くを語らず日本を去って行きましたが、過酷な環境の下、一つの戦術に拘っていては結果を残すことは出来ないと気付いていたのは、ザッケローニ監督だけではなかった筈です。代表メンバーに南米のクラブチーム所属の選手、つまり、現地の気候に慣れた “専門家” が、一人もいなかったことが悔やまれます。2021年 炎天下の東京五輪、U-23日本代表は如何に勝ち点を積み上げていくのでしょう。是非、ブラジルの反省を活かして貰いたいものです。

緊急事態が延長されました。行政の長から「専門家の提言を頂きながら…」と聞くと、1980年代の薬害エイズ事件を思い出さない訳にはいきません。HIV感染の原因となった非加熱製剤の、承認に関する『エイズ研究班(≒専門家会議)』の答申が適切だったかどうか、法廷で裁かれたことは有りません。政府の意思決定に於いて、専門家の言葉に どれだけ重みが有ろうとも、彼らが責任を問われることはないのです。ご存知の通り、「『8割』という数字の独り歩きを許した科学が、今度は経済を殺そうとしている」という議論が有ります。この副作用の強い劇薬は、科学自体の未来すら奪ってしまいかねません。優秀な専門家の皆さんには、スタンドプレーに走らず黒子に徹して頂き、あとは政治判断に委ねてもらいたいというのが、私の偽らざる気持ちです。

社長、五輪に思いを馳せる⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ウイルスや細菌への感染やワクチンの接種によって後天的に手に入れる抵抗力を『獲得免疫』と呼ぶのに対し、病原体に対して生まれつき持っている防御機能を『自然免疫』と言います。アフリカに起源を持つ現生人類はアジア・ヨーロッパに進出する過程で、旧人類のネアンデルタール人やデニソワ人と交配を繰り返し、彼らの病原体に対する強い『自然免疫』を獲得して来たというのが近年の定説。

私たち現代人は最大で約2%程度、ネアンデルタール人由来のDNAを持っているそうで、白い肌や青い目 金髪など、外見上の特徴を色濃く受け継いだのが欧米系の白人、混血の影響をほとんど受けていないと考えられているのが、アフリカ大陸に残った黒人。そして、ネアンデルタール人の強力な『自然免疫』に関連する3つの遺伝子(TLR6-TLR1-TLR10)について、最も高い割合で継承していているのが日本人なのだそうで、その割合は驚きの51%。つまり私たちの二人に一人は、先天的に強い免疫力を持っています。「アジア大陸横断の長旅で、ホモサピエンスは より多くの旧人類たちと交流しながら彼らのDNAを濃縮、極東の地で縄文人という特異集団を形成した。そして その縄文人の子孫である私たち日本人が、ネアンデルタール人由来の特殊な遺伝子を最も高い確率で受け継いだ」と考えれば、何の不思議もありません。この『自然免疫』を司る3つの遺伝子、実は花粉症の文脈の中で悪者扱いされることが多かったのですが、世界がコロナショックに喘ぐ中、相対的に少ない東アジアの感染者数・死者数(人口比)の秘密を説明する上で、有力な手掛かりとなりそうな気がします(私見です)。

さて今回は、2016年9月の朝礼で取り上げたエピソード。ロンドンの惨敗から4年、リオ五輪で復活を遂げた男子柔道のお話です。金2銀1銅4の計7個、1964年の東京五輪以来52年振りの全階級でメダル獲得と、日本チーム全体に勢いを付ける大活躍を見せてくれましたが、当時はメダルを取った選手本人達よりも、新たに指揮を任された井上康生監督の指導者としての手腕を称える声が目立ちました。確かに、2018年7月に出張で奈良に行った時、偶然ホテルでお見掛けした井上監督、スーツの上から見ても分かる屈強な肉体は、現役引退から月日が流れたことを全く感じさせず、その後ろ姿は凄まじい “オーラ” を放っておりました。しかし、まずは選手を褒めてあげたいですよねぇ(苦笑)。お家芸として「金メダル以外はメダルに非ず」と考える柔道界に於いて、敗者復活戦を勝ち抜いて勝ち取った銅メダル4個は、選手たちが最後まで諦めずに戦い抜いた証しです。

リオ五輪までの4年間に変更されたルールが、日本柔道に味方したのも間違いありません。国際柔道連盟は、2013年に『両手刈り』や『朽木倒し』等、タックルのように足を掴んで相手を倒す “力技” を全面的禁止、組み合って投げ技を競い合って “興行” として見栄えのする柔道に、大きく舵を切ったんです。結果、フィジカルの強さを活かしたパワー柔道『JUDO』から、柔よく剛を制するという柔術から発展した武道である、日本古来の『柔道』への回帰現象が起こったという訳ですね。仮にこのルール改正について、日本柔道界から積極的な働き掛けが有ったとしても、そして、そのルール変更が日本勢に有利に働いていたとしても、リオで獲得したメダルの輝きが、色褪せるということはないと思うのですが、2016年当時、この事実が報道されることは殆ど有りませんでした。

個人的には、現在タレントとして大活躍中の篠原信一前監督も、貢献度が かなり高かったんじゃないかと思っています。リオ五輪の始まる前、彼がお茶の間の注目を一身に浴びてくれたお陰で、現役の選手・監督は変なプレッシャーを受けずに、練習に集中できた訳ですから(笑)。

4月7日の緊急事態宣言の発出から約1ヶ月、私たちは、海外メディアから “ギャンブル” とまで酷評された『日本方式』を貫いて来ました。厳しい状況が続く中でも、医療関係の皆さまのご尽力により犠牲者数は最小限に抑えられ、何とか瀬戸際で踏み止まっている状況に見えます。”力技”のロックダウンを実施しながら、感染爆発・医療崩壊を止められなかった欧米諸都市と、一体 何が違ったのか?ニューヨーク州で亡くなった方の、約7割がアフリカ系住民とのデータを見るにつけ、国による防疫対策や医療水準の違いを遥かに超越した、何か特別な力が作用しているとしか、私には考えられないんです。日本人の生活様式によるものなのか、コロナウイルス間の交叉免疫が働いているのか、BCGワクチンの効用か、或いは、旧人類譲りの強力な『自然免疫』なのか?それらが複合的に機能しているのかも知れません。分かりません。科学の未発達だった時代に、このような現象を “神風” と捉える人たちが居たたとしても、私たちに それを責めることは出来ないでしょう。

大切な人たちの命を守る行動を。もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい。

※誤りを訂正しました。【誤】攻める→【正】責める

社長、五輪に思いを馳せる④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今年の2月下旬にトイレットペーパーが不足するとのデマが流れ、無いと困りますから、弊社の総務部でも急遽 少し多めに調達したそうです(苦笑)。ご存知の通り、これには二つの誤解があったようで、先ず第一に、日本で使用されるトイレットペーパーの殆どは日本国内で生産されていて、中国製ではありません。第二に、マスクの原材料は『不織布』で、マスクの需要が拡大してもトイレットペーパーの生産には影響が有りません。『不織布』についてネットで調べてみると、各不織布メーカーさんが かなり詳しく説明してくれていますので、ご紹介しようと思います。前回お約束した『縄文人』の件は、次回お話しさせて下さい。

まず、『不織布』とは何かと言うと、漢字で見ると分かり易いです。繊維を織らずに絡み合わせたシート状の物を、『不織布』と呼びます。基本的には、繊維状に加工できるものであれば、どんな素材からでも『不織布』は作れるそうで、主に化学繊維用の樹脂ペレットや、PETボトルやフィルム・樹脂製品などのリサイクル材料から作られています。 製造には、①繊維をランダムに重ねて『ウェブ(又は、フリース)』を作る工程と、②その『ウェブ』をシート状に結合させる工程の二つがありますが、『不織布』の用途や不織布メーカーさんによって、幾つかの異なる製造方法を採用なさっているようですね。その幾つかの工程で、私たちのロータリージョイントが、製造装置の配管部品として使用されています。例えば、A)『湿式』という方法で『ウェブ』を作る (水中に漂う短い繊維を漉し取る、和紙を漉くようなイメージでしょうか)場合は、湿った『ウェブ』を乾燥する工程で、B)『サーマルボンド法』という方法で『ウェブ』をシート状に結合させる場合は、熱を加えて溶着加工する工程で、加熱用のロータリージョイントが、そして、C)一旦加熱された『不織布』を冷やすため、巻き取る工程前には恐らく、冷却用のロータリージョイントが使用されていると思います。この業界に身を置いて長いですが、正確には把握していません。済みません(苦笑)。

『不織布』は様々な用途で使われています。コロナ禍で改めて注目の花粉やPM2.5、ウイルスをカットする目的で使われるマスク、先日お話ししたアルコール消毒にも便利なウェットティッシュ、そして医療用防護服も然り、他にも紙おむつや生理用品が『不織布』で作られています。更には、自動車部材、土木・建築資材、工業用シート、農業用シート、コーヒーのドリップ用フィルターや食品用トレーマットなどの生活資材等の様々な分野に応用され、リチウムイオン電池のセパレーターフィルム、人工透析や今注目のECMO(体外式膜型人工肺)用の血液フィルター等、多孔性の機能性フィルムも広い意味では『不織布』に分類されるそうですから、これはもう『不織布』に足を向けては眠れません。ジョイント・メーカーは弊社だけではありませんので、医療用の『不織布』製造ラインに、私たちの製品をどれくらいご採用頂いているかは よく分かりませんが、このような形で社会貢献できていることを誇りに感じますし、今後もジョイント業界が一丸となって、『不織布』に不可欠な生産材の安定供給に全力を傾けたいと思います。

「岩井社長、ところでオリンピックとは何の関係が有るのですか?」と突っ込まれそうです(苦笑)。スポーツ用品によく使われる『合成皮革』、こちらも大別すると『不織布』に分けられます。バスケットボールのボール等、最近は本革製にも負けない質感のものも開発されているようです。2021年のバスケ会場は、さいたまスーパーアリーナ。八村塁選手らの活躍に期待しましょう。という訳で、今日は2020年4月の朝礼用に用意して、お蔵入りしたネタをご紹介致しました。もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

社長、五輪に思いを馳せる③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。細胞の核DNAを解析すると、東アジアに暮らす人々のDNA情報は帯状に連なった分布を示します。これは、彼らは遺伝的に近縁だということを意味するそうです。一方、明らかに異なった特徴を示すのが私たち日本人のDNAで、それは極東の離れ小島 日本で独自進化を遂げた『縄文人』の血を受け継いでいるからだそうです。『縄文人』の立ち位置は非常にユニークで、まさに『ポツンと一軒家』状態。日本人の分布は、その『縄文人』と現在 北京付近に暮らす中国人を結んだ直線の、ちょうど中間くらいに位置していています。

面白いのは現代の韓国人のDNAの分布で、同じ直線上の中国寄り、日本人と北京の人々との真ん中くらいに位置しています。これは韓国人もまた他の東アジアの人々と異なり、『縄文人』の遺伝的特性を引き継いでいることを示していています。今回の新型コロナウイルスの流行で、PCR検査に関するアプローチが真逆ながらも、多くの死者を出さずに持ち堪えている日本と韓国。もしかしたら この『縄文人』由来のDNAが、何かしら関係しているのかも知れません(飽くまでも私見です)。『縄文人』が何故そんなに特殊なのかは次回お話しするとして、今回は2010年12月の朝礼で取り上げた、バレーボールの話題からお届けします。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

バレーボールは、1895年、テニスをヒントにアメリカで生まれたスポーツ。日本に入ってきたのは1913年(大正2年)で、当時はまだ明確なルールもなく、日本の場合、1チーム16人からスタート。その後、16人が12人に、12人が9人になり、今尚、『ママさんバレー』で親しまれている、9人制バレーボールが出来上がりました。ですから6人制バレーボールのルールは国際バレーボール連盟が、9人制のルールは日本バレーボール協会が決めています。バレーボールがヨーロッパに紹介されたのは、日本よりやや遅れて、以前お話した第一次世界大戦の頃。戦場に渡った米軍兵士がフランスに伝え、それがヨーロッパ全土に普及したようです。バレーボールがオリンピックの正式種目となったのは1964年(昭和39年)。若者諸君、分かりますか? そう、東京オリンピックです。バレーボールは東京オリンピックで初めて正式な種目となり、『東洋の魔女』たちが、初代チャンピョンに輝いた訳です。

バレーボールって、誰もが一度はやったことのあるスポーツだと思いますけど、皆さん、どんな競技だと思いますか? 私ね、今月 還暦を迎える会社の或る先輩から、バレーボールについてこんな事を教えてもらったので、ここでご紹介しようと思います。「バレーボールはね、同じ人がボールを続けて2回は触れないでしょ? だから自分のミスは、必ず誰か別の人に取り戻してもらわなければならない競技なんだよね。」なるほど確かに、サッカーなら自分のミスで奪われたボールは、自分で取り返しに行けますが、バレーボールではそうは行きません。必ず誰かにフォローしてもらわなければならない。その分、ミスをしないよう一人一人が一所懸命やるから、ミスがあっても仲間を責めるような選手は、誰もいない。逆に声を掛け合って励まし合う。そんな助け合いのチーム競技なんですよね、バレーボールって。深い!非常に深い話だなと、私はそう思いました。

各家庭にマスクが2枚ずつ配られます。布製だって良いじゃないですか。1927年に金融不安を封じ込める為、高橋是清が用意した『弐佰圓札』も、裏は印刷していなかったんです。緊急事態の今 ウイルスを封じ込める為、そして取り返しのつかないミスを犯さない為にも、自分がマスクをした方が良いに決まっています。

※誤字・脱字を修正しました。

社長、五輪に思いを馳せる②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。免疫学の専門家によると、類似したウイルスに感染することで獲得する免疫を、『交叉免疫』と呼ぶそうです。緒方洪庵や手塚良仙等の努力により、幕末の日本に導入された天然痘の予防接種『種痘』は、この免疫反応を応用したものです。牛の乳絞りに携わり牛痘に感染した農夫が天然痘に罹らないことから、牛痘ウイルスと天然痘ウイルスには『交叉免疫』が起こると考えた、イギリスの医学者 エドワード・ジェンナーが発案した予防接種で、天然痘撲滅に大きく貢献しました。現在では、天然痘ウイルスと『交叉免疫』を持っていたのは、牛痘患者の膿疱に含まれていた、牛痘ウイルスと近縁の別のウイルスであることが分かっていますが、ワクチン創始者ジェンナーの功績を称え、このウイルス、『ワクチニアウイルス』と名付けられています。

主に鼻風邪の原因となるコロナウイルスの場合はどうかというと、近縁同士での『交叉免疫』を期待できないと、現段階で100%否定することは出来ないそうです。SARS(2003年)もMERS(2015年)も上陸しなかった日本に於いて、Covid-19の感染拡大が緩やかなのも、偶然ではないかも知れないという訳ですね。蓄膿症で幼い頃は耳鼻科の常連、私のような昭和世代の『はなたれ小僧』たちが『集団免疫』の盾となって、日本をコロナ禍の脅威から守っているなんて想像するのは、ちょっと考え過ぎでしょうか。あくまでも私見ですが・・・

さて、第二次世界大戦の影響で、1940年・1944年と2回続けて五輪が中止になったのは、皆さん ご存知の通り。1937年に中国との泥沼の戦争に突入した日本は、1940年大会の開催を辞退、東京での五輪開催が実現したのは、それから24年後のことでした。1944年の幻の五輪、開催予定地だったのはロンドンで、第二次大戦後 最初の五輪は、1948年に そのロンドンで開かれました。ロンドンでは過去3回の五輪が行われていて、初めての開催は1908年。当初はイタリアのローマで開かれる予定でしたが、1906年のベスビオ火山の噴火によりイタリアが財政難に。急遽ロンドンで五輪が開催されることになったのだそうです。なるほどね(苦笑)。当時のイギリスと言えば、産業革命以降、圧倒的な経済力を誇った大英帝国。代替開催にも係わらず、メダル数は金56個を含む146個と他の国を圧倒したそうです。

マラソンが42.195km (26マイル385ヤード) で争われるようになったのも、1908年のロンドン大会から。26マイルで行われる筈が、イギリス王室からのリクエストで、スタート地点は宮殿の庭に、ゴール地点は競技場のボックス席の前に変更された為、中途半端な385ヤードが付け加えられたんだとか。ですから、42.195kmというのは、一般に言われるようなマラトンからアテネまでの距離ではないんですが、結局1921年に国際陸連が承認して、マラソンの国際標準として定着しちゃったんだそうです。今回の話題は、ロンドン五輪の始まる直前、2012年7月の朝礼で取り上げたエピソードから お伝えしました。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

日本に於いても緊急事態の宣言が現実的になる中、ここに来て俄かに脚光を浴びているのが、『Tokyo 2020』ならぬ『Tokyo 172』。日本など結核予防のBCGワクチン接種を義務化している国では、新型コロナウイルスの感染が広まり難かったり、人口当たりの死亡率が低かったりと、かなりの相関関係が見られるようです。ジェンナーの『種痘』も結果オーライでした。多くの国でBCGの臨床試験が始まったそうですから、今後の検証結果に注目しましょう。

※誤りを訂正しました。【誤】非常事態→【正】緊急事態

社長、五輪に思いを馳せる①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『おしぼり』は古事記や源氏物語にも記述が残る、日本の伝統的な『おもてなし』文化。海外では、ほとんど見られないサービスだそうです。時は流れ、提供される形態も、濡れタオルからウエットティッシュに変化。飲食店を訪れる度に提供されるウエットティッシュを、大量生産・大量消費、或いは使い捨て文化の象徴と批判する声もありそうですが、欧米で歯止めの利かない新型コロナウイルス感染拡大を見るにつけ、先人から引き継がれてきた綺麗好きな日本人の国民性と『古の知恵』に感謝です。因みに、ウエットティッシュと呼びますが、その多くはマスク同様、紙ではなく『不織布』を原材料にしています。

さて、江戸古来の紋様をベースに3種類の藍色の四角形を45枚組み合わせ、国や文化の違いを超えて繋がり合うことを意味しているのが、『組市松紋』と名付けられた東京オリンピックのエンブレム。すったもんだの末、2016年4月25日、最終候補に残った4案の中から選ばれましたのが、野老朝雄さんの作品でした。皆さんも、それぞれ好みがあったと思います。私も正直、これが選ばれるとは思っていなかったのですが、「夏の大会なので涼しげなものにした」との野老さんのご説明を伺って、すっかり考えが変わりました。東京オリンピック当初の開催予定期間は、真夏も真夏の2020年7月24日(金)~8月9日(日)。すると、日本の夏の風物詩である風鈴、花火、団扇、西瓜、朝顔、夏祭りの提灯、水風船、”まぁるくて” 涼しげなものが、バババッと頭の中に映像として浮かんで来て、日が陰って夕涼み、浴衣を着て縁側に出て江戸切子のお猪口で冷酒でも一杯やったら、さぞ美味いだろうなって、勝手に妄想しました(苦笑)。野老さんは建築出身のデザイナーで、今回の幾何学模様もデザインに非常に時間を掛けた理詰めのもののようですが、私はその中にも、何か紋様が醸し出す詩的な情緒みたいなものに、えらく感動してしまいました。

日本に於いても首都圏を中心に感染が拡大、『東京封鎖』が議論されるに至りました。感染拡大防止と従業員の安全、そしてお客様に安心のサービス体制を両立する為に、今後も難しい舵取りを強いられそうです。2021年7月23日(金)~8月8日(日)に延期された、オリンピックは希望の灯火。という訳で、これから数回に渡って、『社長、五輪に思いを馳せる』と題し、過去の朝礼で取り上げたエピソードを元に、令和新時代の視点も加え、再編集してお届けします。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

※誤字脱字を修正しました。

社長、歴史に学ぶ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。最近、AIで復活を果たした漫画界の巨匠 手塚治虫も、大正時代の日本を舞台とした作品を残しています。1899年の義和団事件に始まる『一輝まんだら』は、二・二六事件の理論的指導者・北一輝の生涯を描く予定も、出版社の都合により途中で打ち切りとなった、未完の歴史大作。戦争反対、平和への想いを数々の作品に残した彼が、大正~昭和の動乱期にあたる続きの部分を、本当は どのように表現したかったのか、非常に興味深いところですね。

自身のご先祖様、蘭方医の手塚良仙・良庵親子の奮闘を描いたのが『陽だまりの樹』。作品の中では、『天然痘』と『コレラ』の2つの感染症が幕末の日本を苦しめます。超人的なメス捌きで人間の “心の弱さ・醜さ” を鋭く えぐり出す、皆さんご存知の『ブラックジャック』は、『エボラウイルス』研究の第一人者、北海道大学 高田礼人教授の人生に、最も影響を与えた作品の一つだそうです。さて今回は久しぶり、ブログを書いているうちに、最近 私がひらめいた妄想の世界に、皆さんをご招待。ちょっとセンシティブなトピックではありますが、科学的根拠もなければ政治的な意図も全く含まない、ただの エッセイですので ご容赦ください。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

人類の歴史は、感染症との戦いの歴史でもあると申し上げました。私たちは人類の一員ですから、どうしても人類の立場から見て物事を判断しがちですが、それでは裏側に隠れる本質の部分を見落としてしまうかも知れません。人類が生き残りを賭けて様々な疫病と戦ってきたのと同様、如何に生存競争に勝ち残るか、病原体には病原体なりの戦略がある筈で、私たちは戦う相手の気持ちになって、現在起こっている事象を捉え直す必要があるのです。たとえそれが、生命と非生命の中間的な存在である、ウイルスだったとしてもです。

ウイルスは ある特定の固有種に対して、無害な存在でなければなりません。その生き物の体内で長く寄生していられる程、楽なことはないからです。病原体に感染しながらも無症状に元気でいられる生物を、その病原体の『自然宿主』と呼びます。多くの種類のコウモリが、病原体の宿主として重要な役割を果たしていると考えられ、今回の新型コロナウイルス『Covid-19』に於いては、96%遺伝情報の一致するウイルスが体内から発見された、雲南省生息のキクガシラコウモリが、最も有力な『自然宿主』の候補です。コウモリの寿命は小型動物としては比較的長く、日本に生息するアブラコウモリで3~5年。驚くべきことに、キクガシラコウモリの仲間は20~35年も生き続けるそうですから、『Covid-19』にとっては、長い間 体の中で寝て暮らせる、非常に優秀なパートナーと言えます。

ここで考えてみて下さい、もし『Covid-19』が新たな『自然宿主』を探すならば、キクガシラコウモリよりも長生きな、少なくとも35年以上は生き続ける種を選ぶでしょう。そしてコウモリ同様、空を飛んで長距離を移動できるなら なお良い。一時期、漢方薬の材料として珍重されたセンザンコウに容疑が掛けられましたが、10~12年の寿命で空も飛べない この動物を、『Covid-19』が敢えて選択する理由はありません。『SARS』のハクビシンと異なり、アリクイのような おちょぼ口では、センザンコウがコウモリを捕食することはないでしょうから、『中間宿主』としての可能性も考えにくいと思います(その後の調べで、ハクビシンの疑いも晴れたようです)。

私の言いたいこと。感染症の専門家の皆さんは明言するのを避けますが、要するに「『Covid-19』が『自然宿主』に選んだのは、我々人類だ」ということです。科学技術の発展により、100年の人生と大空を羽ばたく自由を手に入れた人類は、『Covid-19』にとって申し分のないパートナー。比較的低い致死率(WHOの専門家チームの2月20日迄の調査結果によれば、感染拡大初期に医療崩壊の起きてしまった湖北省で、5.8%と突出して高いのに対し、中国のその他の地域では0.7%と かなり低い)は、ウイルスからの信頼の証しです。若い人は発症しないばかりか、感染したことにも気付かないくらい。従って、一旦陰性判定を受けた人が再び陽性を示すこともあるように、よほど効果的な新薬の開発なくして自然完治することはなく、騙し騙し人体にずっと居座り続けることでしょう。

高齢者で重篤化するケースが多いことについては、こう説明できると思います。ある植物は水を十分に与え続けると、花を着けないと言います。水やりを止めると その植物は生命の危機を感じ、花を咲かせ実を付けて、子孫を残すのだそうです。この『Covid-19』というウイルスの場合はというと、感染した対象が70~80代、つまり宿主に残された時間が、キクガシラコウモリの生涯の20~35年よりも短いと解った途端、危機を察知、期待を裏切られたかのように、突然、牙をむき襲い掛かって来る印象。まるで 、”命の回数券” とも呼ばれる長寿遺伝子『テロメア』の長さを、測るセンサーでも持ち合わせているかのようです。そして新たな安住の地を求めて再び旅に出る唯一の方法こそが、患者の肺の中で急速に増殖し、咳の勢いで大気中に飛び出すこと。それが人を死に至らしめたとしても、『Covid-19』にとっては生き残りの為の手段であって、目的ではないのです。

近い将来 人類は科学の力で、必ずや『Covid-19』を克服することでしょう。しかし、もし人類が “選ばれた存在” だとするならば、宿主が健康で免疫機能が正しく働いている限り、何の悪さもしない『Covid-19』を、科学の力を以て強制的に排除することが、正しいことなのかどうか、私には分かりません。適度な運動と栄養、充分な睡眠、ストレスを溜めないこと、つまり、私たちが生活習慣を改め、健康で幸せな生活を送る努力をすることによって、私たち人類と『Covid-19』は共存することが可能なのですから。それは何だか、原始の時代にコウモリの棲みつく洞穴で暮らした我々の祖先が、コロナウイルスとの “共同生活” から決別する以前の生活様式に似ています。『ホッキョク・ヒグマ』が寒冷化の度に極寒の局地を目指すかのように、呉青秀の異常性行動が呉一郎に乗り移ったように、そして手塚治虫の代表作『火の鳥』や『ブッダ』に描かれる輪廻転生のように、ホモサピエンスと共に歩んだ太古の記憶が、『Covid-19』の遺伝子には深く刻み込まれているのかも知れません。

※誤字を修正しました。

社長、歴史に学ぶ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。1925年の普通選挙法成立で、一つの結実を看た『大正デモクラシー』。しかしながら、終わりの見えない不況の中 退廃的文化に興じ、現実から目を背け続けた我々のような下衆な男どもが、一部のインテリ・エリート層の期待虚しく本格的政党内閣に『NO』を突き付け、反対に熱狂の渦の中で拍手喝采を以って歓迎したのは、泥沼の戦争への歩みだった訳ですから、これは皮肉としか言いようがありません。

さて、第三回目は夢野久作の問題作、『ドグラ・マグラ』を取り上げさせて頂きます。1935年に出版されたこの作品は、構想から10年近くを費やした大作、『エログロナンセンス』の極みと言って良いでしょう。1988年には映画化、2016年にもDVD化さています。色々な解釈のある作品ですが、私なりに出来事を時系列にまとめました。ネタバレを含みますので、途中まで読んで挫折した方は、このブログを読んでから、これからチャレンジする方は、この先を読む前に、難解な文学作品に挑戦してみてください。そして、もし共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さいね(笑)。

精神病の研究をする、奇才 正木敬之は、呪われた血筋、呉家に伝わる『心理遺伝』に興味を持ち、仲間でありライバルでもある、法医学の専門家 若林鏡太郎と共に、呉家の次女 千世子に近づきます。呉家に生まれる男児は 代々、その高祖 呉青秀の描いたとされる絵巻物を見ると、精神に異常をきたし、『妻を殺し、死んだ妻が腐敗していく過程を、絵に描き続ける』という、呉青秀の異常性行動が乗り移るというのです。

二人と関係を持った千世子は、やがて、正木の息子 一郎を授かります。呉家の私生児として育てられた一郎が成人すると、正木は自らの仮説『心理遺伝』の実証実験に着手すべく、行動を起こします。先ず、一郎出生の秘密を唯一知る、千世子を殺害。その罪を、心の病を患う一郎に擦り付けます。更には事故を装い、大学の恩師 斎藤教授も殺害。研究の権威付けする為に必要な、大学教授の地位も手に入れます。そして、密かに入手した絵巻物を一郎に見せると、一郎は自らの従妹で婚約者の、呉モヨ子を殺害(実際は未遂に終わります)。実験は見事に成功し、一郎は、呉青秀 同様に、死んだ婚約者の裸体の絵を描き始めるのでした。

自らの学説には自信を深めたものの、実験後、一郎の口から事件の真犯人が発覚することを恐れた正木。今度は『狂人の開放治療』という、新たな精神病の治療実験を開始。一郎を 患者の一人として、施設内に匿うことに成功しました。ところが、治療の一環として行われた農作業中に、一郎が5人の男女を殺傷する事件を起こし、事態は急変。秘密を隠し切れないことを悟った正木は、若林の協力の下 自らの遺言と称し、息子である一郎本人に全てを告白、『心理遺伝』に関する研究成果を託そうと試みます。一郎はそれを拒否、また、絵巻物の空白に、研究よりも子供の幸せを願う、千世子のメッセージを見るに至り、正木は絶望のうちに、自らの命を絶つのでありました。

物語は、男女5人殺傷事件で自らも怪我を負った一郎が、意識を取り戻すシーンから始まります。第一のポイントは、夢野久作の仕掛けた巧妙な日捲りカレンダーのトリック。カレンダーが『10月19日』を示しているにも関わらず、若林の教授としての権威ある一言に、一郎のみならず読者自身も暗示に掛かり、カレンダーが示すその一ヶ月と一日後の、『11月20日』に物語が進行していると、勝手に信じ込んでしまいます。結果、『10月19日(10月20日未明)』に自殺したとされる正木が、一郎の目の前に現れたりする訳です。その日が『11月20日』であるという客観的情報を、夢野久作は作品の中に一つも書き残していません。

そして驚くべきことに、千世子は一郎を宿した当初から、正木の計画に気付いていたんですね。いずれ自分は殺され、一郎が実験道具に使われるということを。その上で、正木に宛てたメッセージを、絵巻物の最後に残したんです。『子を思ふ心の暗(やみ)も照しませ ひらけ行く世の智慧のみ光り』 これが第二のポイントで、巻頭歌の『胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか』に、繋がってくる訳ですが、多くの方々が、ストーリーとほぼ無関係、饒舌で難解な『心理遺伝』のくだりに疲れ果て、最も重要なポイントまで辿り着くことが出来ません。これは、夢野久作自身も想定外だったかも知れません(苦笑)。『ドグラ・マグラ』は、角川文庫の卑猥な表紙絵でも有名。俳優で絵本作家でもある、故・米倉斉加年さんの作品ですが、あれも内容とは全く関係がありません。何を隠そう この作品は、息子を思う母親の『愛情物語』なんですから。

そう言えば、呉家の血を引くモヨ子と正木の研究資料は、最終的にライバル若林の手元に残されたんですよね。となると、果たして若林の次なる行動とは?ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

※表現の一部を変更しました。

社長、歴史に学ぶ⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大正末期~昭和初期、『テロよりエロ』『アカよりピンク』という言葉が有ったそうです。 1917年のロシア革命以降、『大正デモクラシー』の潮流と左翼思想が結びつくことに、政府はかなり警戒をしていたようで、厳しい検閲の中、プロレタリア文学作品の代表とも言える『蟹工船』は危険思想として発禁処分、作者の小林多喜二も獄中死する一方で、エログロナンセンス作品には政府も目をつぶったとも言われていて、これは一種の『愚民化政策』ですね(苦笑)。

この頃、高い死亡率と感染力で恐れられていた不治の病が『結核』で、第二次大戦後に抗生物質が普及し治療法が確立されるまで、日本だけでも10万人を超える人々が、毎年この肺病によって命を落としてきました。『結核』をモチーフに描かれた文学作品は数多く残されていて、”死”というものが人々にとって、かなり身近な存在だったことが窺い知れます。さて、第二回目は、谷崎潤一郎に並ぶ耽美派の巨匠、永井荷風の作品『つゆのあとさき』です。大戦景気から一転、出口の見えない戦後恐慌の続く中、首都東京は大震災に見舞われます。震災恐慌(1923年)、金融恐慌(1927年)、昭和恐慌(1930年)、立て続けに日本を襲う経済危機。とりわけ農村は大きな打撃を受け、欠食児童や女子の身売りが社会問題となりました。1931年、中央公論に掲載されたこの作品は、こんな時代背景を知らずに読んではいけません。今回も朝礼で取り上げた話題ではありませんが、もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

舞台は、震災から数年後の東京。17歳で実家を飛び出し銀座のカッフェーで働く、主人公の君江は 21歳。脛に疵を持ちながらも(私娼をしていた時期がある)、女給として難しい時代を、逞しく生き抜いて行きます。多くの場合、無給で働く女給の収入源は、男性客の支払うチップ。まさにカッフェーが、女給のエロを売りにしていた時代です。君江もまた、多くの男性と関係を持ちますが、その姿は自然体そのもの。気の赴くままに、肉体の求めるままに行動するところが、逆に、君江の女としての『強さ』、本能的な『生命力』を際立たせます。一方で、『大正バブル』という過去の栄華にしがみつき、『金』の力を信じ『酒と女』に溺れ、君江を求める中高年男性客たち。或る者(矢田)は一夜の情事を望み、或る者(清岡)は嫉妬に狂い、その躍起になる男達の打算的な姿は、自然体の君江と非常に対照的な、救済すべき『かよわい』存在として描かれていると感じました。作品は、人生最後の一夜を共にした君江に感謝の言葉を記した、或る男(川島)の遺言状で締めくくられています。娼婦を神聖化したようなエンディングこそ、『好色』を芸術に高めた、永井の真骨頂と言えるかもしれません。

永井荷風の研究は進んでいて、この作品『つゆのあとさき』も私小説、君江のモデルとなった女性が、実際に居たようですね。永井はその『女給』さんを口説くのに必死で、カッフェーに通い詰めたとのこと。矢田も清岡も川島も、君江に言い寄った全ての男の全ての手口が、永井が実際に試した方法だと思うと、これは “野暮” としか言い様がありません。ちょっと笑えませんか?

なお、大正末期~昭和初期に登場した、洋装と断髪が特徴的な『モダンガール』。女性の社会進出の象徴と見られることもありますが、イメージと実態には、大きなギャップがあるようです。大戦景気に伴う産業化により、多くの『職業婦人』が誕生したのは事実としても、洋装・断髪は極少数派の奇抜なファッション。且つ、その中には君江のような、体を武器に生活費を稼ぐ『女給』も多く含まれていた訳ですから、『モダンガール』という言葉の裏には、夜の女を蔑む意味合いが含まれていたんだそうです。

喘息用の薬『シクレソニド』や新型インフルエンザ用に備蓄していた『アビガン錠』に、治療効果が期待できるとのこと。まだしばらくは不安な時期が続きそうですが、チーム一丸、『ONE TEAM』で難局を乗り切りましょう!次回は、”暇つぶし” に最適な作品をご紹介しますので、お楽しみに。

社長、歴史に学ぶ⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大正初期の日本を舞台にした『鬼滅の刃』という漫画が、若者たちの間で大人気。日露戦争で大きな犠牲を払い、その負の遺産に苦しんだ日本。物語の主人公・竈門炭治郎と鬼舞辻無惨の戦いが始まるのは、後に『大正デモクラシー』と呼ばれる、自由と権利を求める気運が人々の間で高まった丁度その頃。その後の第一次世界大戦による戦争特需も束の間、大正末期~昭和初期に相次いだ震災や経済危機に庶民生活は再び困窮、政争に明け暮れ一向に成果の上がらない立憲政治に人々の心は折れ、世間では女給の”サービス”を売りにする『カフェー(カフエエ、又はカッフェー)』が流行するなど、『大正デカダンス』や『エログロナンセンス』といった、退廃的でアングラな文化が花開いていきます。

振り返るに 1990年代初のバブル崩壊以降、雇用・設備・負債の『3つの過剰』に苦しみ、産業競争力を失ってきた日本。そして阪神大震災・東日本大震災と、追い打ちを掛けるように発生した自然災害。国内消費は低迷し、『失われた20年』とも30年とも言われたデフレ経済。6年間で6人の総理大臣に、決められない政治。自殺、引きこもり、そして格差社会。”平成” という時代に於いて、私たちの経験してきた文化や流行・社会現象が、同じような時代背景に誕生した、厭世的で自堕落でモラルに欠けた風潮と、多くの共通点を持っていたとしても、決して不思議ではありません。

そこで、これから数回に渡り、大正~昭和初期を象徴する文学作品を通して、苦難の時代を生き抜いた人々の生き様について、ご紹介して行きたいと思います。その第一回目は、日本における耽美派の代表的作家、谷崎潤一郎の『痴人の愛』です。舞台は、関東大震災前の東京。第一次世界大戦の影響で、輸出が急激に拡大。日本が、空前の好景気に沸いていた頃のお話。作品の中には、浅草のカフエエ・ダイヤモンドと銀座のカフエエ・エルドラドオの、2つの『カフェー』が登場します。関東大震災以前の『カフェー』は、謂わば 平成バブル期の『ディスコ』や『クラブ』。ダンスホールのような、若い男女の社交場としての賑わいを見せていたようですね。

28歳ながら高給を取り豊かな生活を送る、電気技師の河合譲治は、白人コンプレックスの持ち主。一方、譲治が足繁く通う浅草の『カフェー』で女給をするナオミは、ハーフを思わせるルックスの15歳。譲治は、銘酒屋(飲み屋を装った売春宿)の娘 ナオミを、自分の理想の妻に育てようと身元を引き請け、英会話・音楽・ダンスと英才教育を施しますが、期待虚しく、ダンスホールを訪れては複数の男と不貞を働く、阿婆擦れ女へと変貌して行きます。更生への期待を何度裏切られても、ナオミの肉体的魅力に打ち勝てない譲治、途中、ナオミの不倫相手にして、同じ境遇に苦しむ慶応ボーイの浜田との間に、不思議な友情を育みながら、次第に、自身の中のマゾヒズムに目覚めていくのでありました。

愛のカタチは人それぞれ。谷崎潤一郎自身が、この作品を私小説だと言っている以上、淡い妄想を膨らませては悉く打ちのめされながらも、不貞を働くごとに女性としての魅力を増すと感じている譲治の性癖は、谷崎本人のそれを投影したもの。この作品を、悪女に破滅させられた可哀そうな男の話と読むのは、正しくないと思います。譲治とナオミの間に有るのは、寧ろ強い相互依存関係であって、ナオミは、谷崎の理想の女性として描かれているのです。

面白いのはエピローグ。二人は関東大震災を前に、運よく東京を離れます。親の遺産を受け継いだ譲治は、友人と電気機械の会社を立ち上げ悠々自適。その後も白人男性とのロマンスを繰り返したナオミは、流暢な英語を習得 (これは、身元引き請け当初、譲治がナオミに期待したものでした)。大戦景気のバブルが弾けて、日本が暗黒の時代を迎えた後も、二人は優雅な生活を送り続けるという、ハッピーエンドで結ばれていて、ある種の “喜劇” として読んだほうが、楽しめるかも知れません。

平成生まれ、バブルを知らずに育ったミレニアル世代が描く、大正ダーク・ファンタジー『鬼滅の刃』。単行本の入手は困難のようですが、アニメ版がネット配信されていますので、それを家族で楽しむも良し。或いはこれを機会に、日本の文豪の残した作品に触れてみるのも良いかも知れません。今回の話題は、勿論、朝礼で取り上げたものではありませんが、もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

※誤りを訂正しました。【誤】身元引き受け→【正】身元引き請け

社長、歴史に学ぶ⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今年で52歳、不要不急の外出を控え人混みを避けるとなると、自宅での映画鑑賞も たまには良いかも知れません。近年はレンタル店に出向く必要もないですから、便利な時代になりました。新型コロナウイルスが騒動になる前、この冬に劇場で観た話題作2本は、どちらも主人公の女性が自分のルーツを探す旅。1987年に『ミトコンドリア・イブ』なんて仮説も発表されましたが、現代の遺伝子解析技術を以ってすれば、男系も含め自らの起源を知ることが可能です。 映画の世界では勿論、そんな野暮なことは致しませんが、幾多の困難を乗り越えて探し当てた、2人のヒロインの原点とは?『STAR WARS/スカイウォーカーの夜明け』と『アナと雪の女王2』。こんな時だからこそ、新作のレンタルや配信の開始を早める努力をして頂けると、我々としては嬉しいですよね(笑)。

さて、先日は南極で20.75℃を記録したようですが、世界気象機関(WMO)によれば、2019年の世界の平均気温は観測史上2~3番目に高く、9~10月には北極海の氷山の大きさが過去最小になりました。住処を失ったホッキョクグマは陸に上がり、極東ロシアの村落では、群れをなして餌をあさる行動パターンが常態化。住民生活に支障が出ているそうです。ホッキョクグマの体の構造は、北極の厳しい自然環境に適応しています。白く見える体毛、実は透明で中は空洞。太陽の光を皮膚まで通し、且つ空気の層で熱を逃しません。小さな流線型の頭と長い首は、海を泳ぐのに適応した結果です。このまま北極の海氷が無くなれば、慣れない温暖な陸地で、ライバル ヒグマとの生存競争に晒されるホッキョクグマにとって、地球温暖化は死活問題。

ところが、そのホッキョクグマ、実は驚くほど巧みに環境に適応し続ける、本物の地上最大最強の肉食獣である可能性が、近年、明らかになってきました。ホッキョクグマの進化の歴史を辿ってみると、彼らがヒグマから分岐して独自の道を歩みだしたのは 50~60万年前のこと(諸説あり)。その後 地球は温暖化と寒冷化を繰り返し、ホッキョクグマが生き抜いて来た気温差は、驚きの±15℃です。果たして、どんな戦略で生き残ってきたのか?今回は、2011年12月に取り上げた話。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

これはね、衝撃の事実ですよ。ここ数年、温暖化の影響もあり、北上してきたヒグマと陸地に上がってきたホッキョクグマの生息域が重なり、『ハイブリッド』と呼ばれる、ヒグマとホッキョクグマの交配種が、自然界で多く確認されています。また、国際研究チームによるミトコンドリアDNAの分析の結果、現在、北極に生息するホッキョクグマの母方のルーツは、5万~2万年前に英国やアイルランド付近に生息していた、ヒグマに辿り着くということが判明、ホッキョクグマが陸地に進出して、ヒグマとの間に子孫を残していたのが、この数年間に限ったことではないことも明らかになって来たんです。2011年当時、ホッキョクグマという固有種が出現したのは、11~16万年前とされていましたが、その後の研究成果では、これもヒグマとの交雑の痕跡を示すものと解釈されています。こうなると最早、ホッキョクグマとヒグマを分類上区別すること自体が、間違っている気さえします。北極に住んでいるのは、ホッキョクグマではなく『ホッキョク・ヒグマ』。

ここからは、かなり私見が入ります(笑)。ヒグマとホッキョクグマ、見た目は随分違いますが、遺伝子レベルでは ほとんど同一種。一度 地球の寒冷化が進むと、ヒグマの一部は『ホッキョク・ヒグマ』に姿を変え、北極に進出します。地球の温暖化が始まると今度は陸地に戻り、世間で言うところの『ハイブリッド・ヒグマ』が増加、もっと温暖化が進むのか或いは寒冷化が再び始まるか、地球環境の変化をじっくり観察しながら、次の機会を狙っているのです。もっと温暖化が進めば唯の『ヒグマ』に戻り、また寒冷化が始まれば『ホッキョク・ヒグマ』に姿を変え、再び北を目指します。北極の王者は、60万年間このような変化を繰り返しながら、環境の変化を生き抜いて来たんじゃないでしょうか?ここに一つ疑問が残ります。『ホッキョク・ヒグマ』は、何故その都度、極寒の僻地を目指すのか?それは きっと、脂の乗ったアザラシの味が、忘れられなかったんでしょうねぇ(笑)。

抗HIV薬の他にも、抗マラリア薬や完治した方の血漿を使う等、効果的な治療法が確立されつつあるのは、一つの安心材料です。次回は再び、大正時代の日本に戻りますよ。お楽しみに。

社長、歴史に学ぶ⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。国立感染症研究所によれば、既存のコロナウイルスとしては、人から人へとうつって『風邪』の原因となるものが4種類と、動物から感染して重症の肺炎を引き起こす、SARS(重症急性呼吸器症候群)とMERS(中東呼吸器症候群)の2種類で、合計6種類が存在することが知られていました。そこに新たに登場したのが、武漢の海鮮市場から拡大したとされる新型コロナウィルスです。『中国製造2025』の中心地、武漢市の在る湖北省だけでなく、上海市、江蘇省、浙江省、広東省など、多くの日系企業が進出する製造業の集積地帯でも感染が拡大。工場の本格再稼働の目途が立たないところも多いようですから、アジアに広がるサプライチェーンの一翼を、微力ながら担当させて頂いている弊社に於いても、全くダメージを受けないとは言えないような状況になって来ました。

その新型コロナウィルス、遺伝子レベルでは、96% コウモリ由来のウイルスと一致するとのこと。ここで大いなる疑問が出て来ます。大昔、ホモサピエンスは洞窟で暮らしいたと考えられていて、それが証拠に、アルタミラやラスコーの洞窟には、我々の先祖が描いた美しい壁画が残されています。恐らくそこには、コロナウイルスの宿主であるコウモリも、数多く生息していたに違いありません。もし当時の人類にとって、コウモリ由来のコロナウイルスが脅威であったならば、彼らが洞窟を住処に選ぶことは、なかったのではないでしょうか。太古の人骨から採取したDNAを調べれば、そこにコロナウイルスと人類が共存してきた歴史、感染拡大を止める方法を、読み取ることが出来るかも知れません。もっとも、今回のウイルスが人為的に作り出されたものだとすれば、全く別の話ではありますが。

さて、2013年4月の朝礼の原稿で、「『白から黒』へ。あたかも、オセロゲームのボード上の石が、次々と塗り替えられていく様を見ているようだ」と表現していたのが、黒田日銀の異次元金融緩和政策。リーマンショック以降、2012年末には、ECB(ヨーロッパ中央銀行)とFRB(アメリカ連邦制度準備理事会)が、2008年初比で それぞれ、250%と300%まで資産規模を膨らませ、所謂『通貨安戦争』が勃発。金融引締めを志向する白川日銀の下、歴史的円高は止まるところを知りませんでした。『白から黒』へ。円高・円安、為替は業種によって利害が背反するので、ここでは触れないこととして、黒田日銀含め、海外の中央銀行の間でも、今尚、金融緩和政策の一つのお手本とされているのが、1927年の『(昭和)金融恐慌』を抑え込んだ、高橋是清の金融政策です。今回は、日本を金融危機から救った、『白から黒』ならぬ『白から赤』について、お話しさせて頂きます。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

皆さんは、『弐佰圓札』ってご存知ですか?前回・前々回とお話しした通り、1920~30年代の日本は、恐慌、恐慌また恐慌で、大変な時代でした。1918年に第一次世界大戦が終了し、荒廃していたヨーロッパの産業が競争力を回復すると、特需に浮かれていた日本経済は一気に転落。更に追い打ちを掛けるように、1923年には関東大震災が発生し、日本経済は泥沼の恐慌から抜け出せなくなりました。1927年、銀行への取り付け騒ぎが起こるなど金融不安の高まる中、その経験と手腕を買われ、自身3度目の大蔵大臣に就任したのが、『ダルマ大臣』の愛称を持つ、高橋是清です。

彼が大蔵大臣としてやった政策は主に2つ、銀行に対し借入金の返済を猶予したことと、大量のお札を刷って世の中にばら撒いたこと。金融危機に人々が不安を募らせる中、「お金は充分に有りますよ、慌てて銀行に駆けつけなくても、何時でもお金を下ろすことが出来ますよ、心配しないで下さいね」と、そんな意味合いを込めて、高橋是清が大量に用意したのが『弐佰圓札』です。実は、当時発行された『弐佰圓札』には、2種類あって、一つ目は、4月25日に発行された『弐佰圓札』。表には彩りの美しい紋様が描かれたのに対し、裏面は、相当急を要したんでしょう、印刷が省略されて真っ白、通称『ウラシロ』と呼ばれています。さすがに偽札と疑われるということで、その15日後に発行されたのが、もう一つの『弐佰圓札』。表には大和朝廷時代の伝説の人物『武内宿禰』の姿、裏には赤い紋様が施され、通称『ウラアカ』と呼ばれています。『ウラアカ』については銀行に積まれたまま、結局、一般の預金者の手に渡ることはなかったそうです。SNSの『裏垢』とは関係ないですよ、念の為(苦笑)。

近年、『MMT(現代貨幣理論)』が話題になっています。ごく簡単に説明すると、「政府・中央銀行が通貨を発行すれば、国の赤字は返せるのだから、国はいくら借金しても潰れない」という理論。官のマイナスは民のプラス。借金を増やしてでも積極的に財政出動することが、持続的な経済発展に繋がるという考えを、後押しするものです。102兆円を超える新年度予算案、現在の日本の金融・財政政策が、無原則な『MMT』に基づいて行われているかどうかは分かりませんが、新型コロナウイルスの感染拡大で景気の下振れリスクの高まる中、政治家の皆さんには、国民の生活を守る為の有効な使い方を、しっかりと議論して頂きたいと思います。

※『てにをは』の誤りを修正しました。

社長、歴史に学ぶ⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。厚生労働省の発表によれば、2009年の新型インフルエンザにより、国内で亡くなった方の人数は203名。病原性は強くないと聞いていましたので、想像を遥かに上回る数字に、正直、驚かされました。1918~1919年の『スペイン風邪』の大流行では、日本だけでも39万人もの方々が亡くなったそうですから、人々の心に暗い影を落としたことは、間違いありません。

さて、前回の続き。日本にとっては『泣きっ面に蜂』。『反動恐慌』の収まらない1923年9月1日、今度は関東地方を直下型の大地震が襲います。関東大震災です。揺れとその後の火災により、44万戸の家屋が焼失、10万人を超える方が命を落とす大災害となりました。震災後、戦後の不況は一層深まりましたので、関東大震災後の不況を『震災恐慌』とも呼びます。ところがビジネスってのは面白いもので、正二郎の『地下足袋』はその安全性も手伝って、震災後の復興過程でも大いに重宝がられます。増産のために昼夜2交代制。設備を増やしても間に合わず、注文を断るのに苦労するほど。1923年1月の日産1,000足は、年末には1万足にまで増加したそうです。

一方、投機的な商売でメインバンクの台湾銀行に多額の借入れのあった、『鈴木商店』の金子直吉も策を練ります。政府による、所謂『震災手形』の損失補償制度を利用して損失を穴埋め。『鈴木商店』の『震災手形』の総額は、現代の物価に換算すると438億円という巨額だったものですから、影響を鑑みた政府も黙認の姿勢を取りました。損失補償制度自体が、金子直吉の政治力によるものとも言われています。

が、悪いときには悪いことが重なるもので、1920年代に入ると、セルロイド製造に使う新たな化学合成物質が開発され、『鈴木商店』の樟脳は、次第に市場を奪われていきます。更に1927(昭和2)年、当時の大蔵大臣片岡直温の失言を機に、銀行で取り付け騒ぎが始まります。『(昭和)金融恐慌』です。流石の『鈴木商店』もここで資金調達不能になり、業務停止・事業精算へと追い込まれました。更に海外では、1929年11月にはウォール街で株が大暴落。皆さんよく御存知の『世界恐慌』です。1930年には、その影響が日本にも波及します。壊滅的打撃を受けたのは農村。生糸の対米輸出が激減し、米の価格が下落したことで、『青田売り』『欠食児童』、女子の『身売り』が深刻な社会問題となりました。一般的には、1930年の経済危機を『昭和恐慌』と言い、大蔵大臣の失言による1927年の『(昭和)金融恐慌』と区別します。

『反動恐慌』『震災恐慌』『(昭和)金融恐慌』『世界恐慌』に『昭和恐慌』。恐慌・恐慌・恐慌と、恐慌のオンパレード。第一次世界大戦後の日本は、立て続けに不況の嵐に襲われます。要するに、ずうっと景気が悪かったんですね。そして感染爆発に自然災害。その窮状打開に無策な政府に対して、軍部が物申します。発言力を強めた軍は1931年の満州事変、そして泥沼の日中戦、太平洋戦争へと突き進んで行くのでありました。

さて、1900年代初頭にチャンスを掴み、その後明暗を分けた2つの会社、今はどうなっているかと申し上げますと、石橋正二郎の『日本足袋社』は、ゴム底の地下足袋開発を機にゴム工業の世界に進出。世界を代表するタイヤメーカー、ブリヂストンへと発展します。そう言えば、ブリヂストンのタイヤ再生技術、磨耗したタイヤの表面を張り替える『リトレッドタイヤ』は、足袋にゴム底を貼り付けた、地下足袋の発想とよく似ています。一方の『鈴木商店』だって、失敗例のように見えますけど、その後は凄いんですよ。双日グループ、神戸製鋼所、IHI、帝人、出光昭和シェルなど、『鈴木商店』の流れを汲む多くの会社の多くが、その後、日本の大企業へと成長して行きました。金子直吉って人は、色々と悪名も高いようなんですけど、働く仲間を大切にする彼の考えは、今も脈々と生き続けているんです。

結びに、敬称略でお届けしましたこと、関係者の皆様には、お許し下さるようお願い申し上げます。

社長、歴史に学ぶ⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもあります。例えば、中世に大流行した『黒死病』を皆さんはご存知でしょうか。病原体となるペスト菌を保有するネズミに寄生していた、ノミやシラミが人間を吸血・ペスト菌を媒介して、病気が広まったと言われていて、14世紀の大流行の際は、数年でヨーロッパ全土に広まり、人口の60%が亡くなったと考えられています。

1918~1919年に世界的に大流行したのが『スペイン風邪』。こちらは、鳥インフルエンザ由来の強毒性ウイルス(H1N1亜型)が、突然変異によりヒト・ヒト感染能力を手に入れたものと考えられており、感染者数は5億人、死者数は5,000万~1億人に達したそうです。特徴的なのは、若い健康な成人が犠牲になった一方で、高齢者の多くが生き残ったこと。記録によると、1847年と1889年にもインフルエンザの大流行があって、ここで何らかの免疫を獲得した高齢者は、『スペイン風邪』の試練を乗り越えることが出来たようです。それから100年余り、時は流れ科学も進歩しました。やみくもに恐れる必要はないのかも知れませんが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大が、速やかに終息することを切に願うばかりです。

さて、明治維新以降、『富国強兵・殖産興業』と近代化を進めて来た極東の新興国 日本にとって、1900年代初めは経済的に非常に厳しい時代でした。重工業製品はヨーロッパから買わないと手に入らず、日清・日露と度重なる戦争に海外から借り入れた戦費の返済と、貿易収支も経常収支も大赤字。そんな時、ヨーロッパを舞台に起きた戦争が、日本経済に大きな影響を与えます。今回は、2010年11月の朝礼で取り上げたエピソード。時代に翻弄されながらも偶然をチャンスに変え、日本を代表する大企業の礎を築き上げた、二人の対照的な実業家についてお話しをさせて頂きます。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。なお、敬称略でお届けしますので、関係者の皆様には、お許し頂けると幸いです。

1914(大正3)年、オーストリア皇太子が銃撃されたサラエボ事件を機に、戦争が勃発。第一次世界大戦です。戦争が始まると、日本を取り巻く状況は一変します。ヨーロッパの戦争参加国の工業生産能力は縮小、逆に主戦場から離れた日本には、軍需のため注文が急増、日本の輸出高が大幅に伸びました。所謂、『大戦景気』は、物流の中心の海運業からはじまり、それに伴い造船業に広まりました。海外からの輪入が途絶し供給不足となった薬品・染料など化学品工業、鉄鋼業、機械工業が活況を呈し、やや遅れて、輸出拡大に刺激された繊維業が好景気に沸きました。企業新設・拡張が盛んに計画され、1918年、年間投資計画額は、開戦時の10倍以上に達したそうです。

この頃、物価の高騰を予測して、投機的な買い付けで大儲けをしたのが、金子直吉率いる『鈴木商店』です。『鈴木商店』は、1877年頃に砂糖商として神戸で開業。台湾の樟脳油の販売権を獲得してから、番頭金子直吉の指揮のもとで急成長。樟脳油はクスノキから抽出され、防虫剤、或いはプラスチックのない当時、最先端素材であったセルロイドの製造過程で使用されていました。当時、台湾は日本の領土で世界最大の樟脳油の産地だったんです。で、その『鈴木商店』、貿易業を軸に樟脳の製造・製糖・製鋼・製粉など製造業に進出、第一次大戦が始まると、投機的な商売で規模を拡大し、1917年の年商は三大財閥の一角を凌ぐに到りました。

1918年に戦争は終結。前述の『スペイン風邪』の流行は、それを早めたとも言われています。翌年1919年に、パリのベルサイユ宮殿で講和会議が開かれヨーロッパに平和が戻ると、当時まだまだ技術力や商品力の劣る日本企業は、ヨーロッパの企業に たちまちシェアを奪い返されます。戦時中に投資した生産設備は過剰となり倒産企業が続出、1920年には株価や商品相場も半値以下に大暴落。所謂『反動恐慌』、バブルだったんですね。さすがに10倍の投資はやり過ぎです。これにより、『鈴木商店』も、大きな損失を受けることとなりました。しかし、経営難に陥って赤字工場を閉鎖すべきだとの意見が出た時も、金子直吉は「社員は家族である !!」として、工場閉鎖に断固反対したそうです。

もうひとつは、足袋メーカー『日本足袋社』。『反動恐慌』の中売れ行き不振で、抱えた在庫は足袋100万足。会社を切り盛りしていた石橋正二郎と兄の徳次郎は、この苦境を新製品分野への進出によって打開しようと、あるアイディアを思いつきます。この当時、日本の勤労者の履物は依然、稲藁で作られる伝統の『わらじ』。『わらじ』では足に十分な力が入らないため働く効率を妨げますし、釘やガラスの破片を踏み抜きやすく危険でもありました。しかも、耐久性が無いため一日に一足は履きつぶしてしまう。「だったら足袋の裏側にゴム底を貼り付けて、『地下足袋』というネーミングで売り込んでみてはどうだろう?」 標準的賃金が日給  1円程度の当時、履物代だけで年間15円の節約が出来る計算となると、これは画期的な大発明ですよね。

日本にとっては『泣きっ面に蜂』。『反動恐慌』の収まらない1923年9月1日、今度は関東地方を直下型の大地震が襲います。続きは次回。

※表現の一部を変更しました。

社長、歴史に学ぶ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。先代・先々代から どのように”襷”を繋いできたか、弊社の歴史について、2回に分けてお届けさせて頂いておりますが、今回はその第二回目。銀行系情報誌 2018年2月号からの引用で、必要な個所については、加筆修正をさせて頂いております。

・・・現社長の岩井崇氏が入社したのは、平成6(1994)年。入社後は経理や総務の仕事を14年間任された。「その頃は採用も担当していて、優秀な人を採用して一人前の技能工に育てることにやりがいを感じて全力投球しました。ただ、求人票を出しても採用に結びつかなかったので、”待ち”の採用ではなく地道な”攻め”の採用を仕掛けて、優秀な人材を獲得したのです」(岩井崇社長)

攻めの採用-それは、求人募集を出すだけでなく、自ら欲しい人材のいるところに足を運んで採用を勝ち取るというものだ。当時環境が整いつつあったインターネットを駆使して埼玉や地方の技術専門校、行田市のものつくり大学等の情報を集めて出向き、積極的に自社をアピールして人材を集めた。「機械加工にしても組み立てにしても、モノづくりが好きじゃなければ続かないし伸びないのです。ですから、専門の勉強をして、ある程度知識のある人材を採用しています」(岩井崇社長)

そうして採用した新人を、OJTによる指導を中心に外部研修も活用し技術を習得させ、さまざまな資格も取らせながら、3~5年で一人前に育てるのだという。現在の社員の平均年齢は44歳(2017年の取材当時)、23歳の若手社員も生き生きと現場で働いている。

平成5(1993)年、同社は伊奈町小針新宿(現在の表記は伊奈町西小針)のミニ工業団地内に新工場を開設し、それまで伊奈に二つあった工場の生産設備や物流拠点を1カ所に集約した。石油危機を乗り越えバブル以降も、右肩上がりで急成長していた同社が、これから生産をさらに強化しようと考えていた矢先、日本の経済を押し上げていたバブルがはじけた。「その頃は売り上げが相当落ちて大変でした。けれど、利益は確保できていたので、事業縮小のために現役世代の人員整理をすることは一切しませんでした」(岩井崇社長)

バブル崩壊後、特注品の需要は大幅に減った。競合他社は、その少ない需要を赤字覚悟の価格で手に入れようとしてきた。そこで同社は、価格競争になりがちな採算性の悪い特注品の受注を積極的に取りにいくのを止め、売り上げが少なくても利益をしっかりと確保できる製品の比率を増やす決断をした。実際、会社を運営するに充分な需要を確保することに成功した。その後、競合他社が財務状況を悪化させていく中、同社は決断が功を奏して、「財務内容が大きく傷つくことはなかった」(岩井崇社長) という。

そしてさらにもう一つ、バブル崩壊後低迷する同社の成長を救ったものがあった。それは、高機能フィルムや炭素繊維という新たな素材産業の台頭であった。パソコンやテレビ等の液晶画面に用いられる偏光フィルムやリチウムイオンバッテリーに用いられるセパレーターフィルム等の高機能フィルム。航空機の主翼・胴体やスポーツ用品にも使用される軽量・高強度の炭素繊維。その多くは当時、斜陽化したといわれてきた化学繊維企業が、それまでに培った生産技術と既存の製造装置を活かして新たに研究・開発して生み出した素材だ。同社は繊維産業が活気のあった時代から、製造装置用部品のロータリージョイントやスイベルジョイントの提供を長らく続けていた。そこで、化学繊維企業の顧客から高機能フィルムや炭素繊維の製造に向けた圧力回転継手の依頼が入るようになった。「お客さまの景気の良し悪しに関係なく、常にお客さま第一で製品をつくり続けてきた。だから当社に声がかかったのだと思います。フィルムやシート、繊維状の製品に付加価値を与える量産ライン(ロール・ツー・ロール方式)に於いて、弊社のジョイントは今や欠かせないアイテムとなっています」(岩井崇社長)

その後、再び同社はオーダーメイド品のウエイトを増やし、高機能フィルム等の新素材産業の成長と並走するように再び成長をドライブさせていく。現在の産業別売り上げ構成を見ると、フィルム・ゴム・プラスチック産業は、鉄鋼・非鉄金属に並ぶ売り上げを占め、稼ぎ頭へと大きく成長している。

液晶ディスプレイがタッチパネル付きへと高度化したように、製品の高度化に伴って製造装置の部品にも高い性能が求められている。例えば、従来よりさらに高温化する熱媒体に対応できる部品開発や、製造現場のクリーン化に対応する高精度な製品づくりなどなど。同社は次々と生まれる革新的技術や新素材に対して、対応すべく体制を整えなければならない。「新規性のある製品製造に関しては、基礎データを蓄積しなければいけないので、当社独自の摩擦摩耗試験機を開発、開発実験棟には専任の人員を配置しデータを取って開発実験を続けています」(岩井崇社長)

岩井社長曰く、ロータリージョイントやスイベルジョイントは、成長性は乏しいながらも非常に安定した市場だという。競合他社との厳しい競争に勝ち残った同社はその市場に安住することなく、今後も自社の技術開発やノウハウのシナジーが生きる分野を模索し続けていく。

“お客様にご安心頂けるサービス体制をお約束致します”-これは、岩井社長が平成20(2008)年社長に就任した時につくった経営理念の一つだ。迷った時は常にこの経営理念に立ち返るのだという。この理念を胸に、今後も顧客第一で地道に真摯にサービスを展開していく同社。それが成長エンジンとなって、新たなフィールドを切り開いていくに違いない・・・

と、インタビュー内容を、美しい文章に編集して頂きました。私自身も以前、関連記事をブログに載せていますので、お時間の許す方は、是非。

【関連記事】↓

大宮っ子の年末年始③~④ https://www.sgk-p.co.jp/blog/date/2019/01/

ラッキーな社長①~③ https://www.sgk-p.co.jp/blog/date/2019/02/

ラッキーな社長④~⑥ https://www.sgk-p.co.jp/blog/date/2019/03/

※関連記事を追加しました。

※関連記事のリンクを張りました。

※誤りを訂正しました。 【誤】偏向フィルム→【正】偏光フィルム

社長、歴史に学ぶ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。先代・先々代から どのように”襷”を繋いできたか、弊社の歴史についても、少しお話しさせてもらおうと思います。2018年2月、銀行系情報誌で弊社を紹介して頂いた際に、スッキリと内容をまとめて下さったので、そちらの記事から引用し、不足部分を補いながら、2回に分けてお届け致します。今回はその第一回目。尚、中小企業の経営層向けの読み物用に、『成功事例』の一つとして編集して頂いたものですから、今 読み返してみると、小っ恥ずかしいくらいに “盛った” 表現もチラホラ。そこは謙虚に修正させて頂きましたので(苦笑)。

・・・鉄鋼、非鉄金属、フィルム、ゴム、プラスチック、化学、薬品、印刷、食品、繊維、半導体など、さまざまな産業の製造装置に用いられるロータリージョイント(圧力回転継手)。油や水、水蒸気、空気等の流体を、固定された配管から製造装置のロール状の回転部分に供給・排出するのに使用される。回転体の動力を損なわずかつ液体や気体を漏らさない継手の設計・製造は、100分の2~3ミリ単位の寸法公差が必要となり、確かな技術を要する。「例えば、モノづくりの中には、材料を回転する二つのロールの間を通して薄く伸ばしてシート状にする工程があります。最初は素材を加熱しながらロールの間を通して伸ばし、次に徐々に冷却しながら巻き取っていく。ロータリージョイントは、そこで熱媒体や冷媒体を固定配管から回転体に供給する継手としてしばしば使われます」(岩井崇社長)

株式会社昭和技研工業は、ロータリージョイントをはじめ可動配管用のスイベルジョイント(圧力屈折継手)など、標準品や特注品の各種流体継手を製造する業界のトップメーカーだ。標準品を顧客の希望に合わせてカスタマイズするものから新規性のあるものまで、多様な依頼を請け負い、技術力とノウハウを蓄積してきた。同社のように圧力回転継手のオーダーメイド品に特化している企業は、今、世界にもほとんどないのだという。「それが当社の強みでもあります。さらに、非常にニッチな業界でパイが限られている割に初期投資もかかるので、参入障壁が高いことも強みになるでしょう」(岩井崇社長)

同社の歴史は昭和22(1947)年、現社長の祖父・岩井正光氏が自動車部品や工作機械部品の機械加工を行う岩井製作所(後のパールセーコー株式会社)を創業したことからスタートする。昭和41(1966)年、現社長の父・岩井正美氏が昭和技研工業を設立(平成20(2008)年にパールセーコーと合併)。大学の機械工学部で学んだ知識を生かしてロータリージョイントやスイベルジョイントの設計・開発を始め、岩井製作所に委託して製品の一貫生産を行う。これまでの自動車部品の下請け製造から脱却して、自社製品の製造に事業の軸足を移そうと考えたのだ。「長年機械加工を手がけてきた祖父と機械設計の勉強をしてきた父。見よう見まねの見切り発車ではありましたが、2人の力が合わさってなんとか新規事業のスタートに漕ぎ着けました。当社には鉄工所としての長年の経験や実績があった。だから、ある程度の競争力を持つ製品ができたのだと思います」(岩井崇社長)

圧力回転継手や屈折継手は、先行する企業はあったものの大企業が進出しない小規模な市場で、成長が見込める分野であった。業界での経験豊かな営業マンをスカウト。さらに、時代は高度成長期。旺盛な企業の設備投資が後押しとなり、同社にロータリージョイントやスイベルジョイントの注文が徐々に入るようになった。その後、石油ショックのモノ不足で他社が供給力不足に陥ると、その依頼が同社に舞い込んだ。ロータリージョイントやスイベルジョイントは消耗品、一度受注があると継続的な補修・取り替え需要が発生する。長年良質のモノづくりを行ってきた同社の製品は、顧客の信頼と満足を勝ち取り、その後他社との競争を繰り返しながらもリピートで受注を確保。こうして、同社は先行企業の市場のパイを勝ち取り、シェアを着実に拡大した。そして、昭和50(1975)年には自動車・工作機械部門から完全撤退し、事業の軸足をロータリージョイント、スイベルジョイントへと移行する・・・

次回に続く。なお、私自身も以前、関連記事をブログに載せていますので、お時間の許す方は、是非。

【関連記事】↓

パールの謎①~④ https://www.sgk-p.co.jp/blog/date/2018/12/

大宮っ子の年末年始②  https://www.sgk-p.co.jp/blog/151/

※関連記事のリンクを張りました。

社長、歴史に学ぶ②

こんにちは、㈱昭和技研工業の岩井です。スパイ映画さながら、カルロス・ゴーン被告の逃亡劇で年明けを迎えた2020年、米中の貿易戦争や日韓関係に改善の兆しが見えてた矢先、今度は米国とイランの激しい応酬に民間機が巻き込まれる最悪の事態。何だか、きな臭い一年になりそうで心配です。気分を変えましょう(苦笑)。新春はスポーツイベントも盛り沢山。全国高校ラグビーでは、神奈川県の桐蔭学園が優勝。6年振りに花園の切符を手に入れた我が母校、その桐蔭に敗れたものの、ベスト16に進出する大健闘を見せてくれました。おめでとうございます。今回は、2020年1月の朝礼で取り上げる予定のお話。共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

『ONE TEAM』の典型的なスポーツと言えば、往路107.5 km、復路109.6 km、計217.1 kmを襷で繋ぐ箱根駅伝。昨年の台風被害の影響も心配されましたが、大会記録を6分以上も短縮する好記録で、高速レースを制したのが青山学院。私も中継をずっと観ていた訳ではないのですが、10区間中7区間で新記録の生まれた今年の大会で、選手たちの足元を支えたのが、ナイキの開発した蛍光ピンクの『厚底シューズ』。クッション性を高める為に採用された超軽量のソールは、宇宙航空産業用。そこに埋め込まれたカーボンファイバー・プレートの反発力は、従来品に対しランニング効率を4%高める効果が有るそうです。元々は怪我の予防を目的に開発されたこのシューズ、確かに、近年はブレーキで襷を繋げなくなる事例が、随分と減ったような気もしますし、今年の記録の向上にも大きく貢献したと言う訳ですね。

過去にも用具の進化によって記録が大幅に向上した例は幾つかあって、例えば、2008~2009年頃、競泳界を席巻した『高速水着』。これは以前ブログの中でご紹介しました。 他にも、1998年 長野五輪の直前に登場したのが『スラップ・スケート』。スピードスケートの世界に於いて、通常は靴に固定されていたブレードを、踵の離れる可動式に。バネ仕掛けでブレードの戻る力も手伝って、効率的に氷を押すことが可能となり、記録が飛躍的に向上しました。この流れに素早く対応した清水宏保選手が、金と銅の2つのメダルを獲得したのに対し、もう一人のメダル候補、堀井学選手は開発段階にある新技術の採用に躊躇、最終的には『スラップ・スケート』での戦いを決断したものの、良い結果を残すことが出来ませんでした。ちなみに、転倒や接触の多いショートトラック種目に於いては、『スラップ・スケート』の使用は禁止に。選手の安全を第一に考えた判断のようです。

これはスポーツに限ったことではありません。昨年ノーベル化学賞を受賞された、吉野彰さんのリチウムイオン電池も然り。新たな技術革新は、しばしば世界を大きく変える力となって来ました。新たな素材の開発やその生産技術の確立に、我々がどのような形で関与し、どれくらいの貢献が出来るのか?勿論、売り上げが幾らになって、どれくらい利益が残せるかも大切(笑)。今の段階で、それは海のモノのとも山のモノとも分からないかも知れません。しかし、5~10年後に花開くかもしれない、新たな産業の “匂い” を嗅ぎ出して、日々の努力を積み重ねて行くことが、今、私たちに求められている事であり、次の世代に “襷” を繋げることになるのです。「ジョイントのことだったら、まずは昭和さんに相談してみよう。」お客様にそう思って頂けるプロ集団であり続けたいと、私は願って止みません。

【関連記事】↓

社長、プールで泳ぐ⑧ https://www.sgk-p.co.jp/blog/1291/

※関連記事のリンクを張りました。

社長、歴史に学ぶ①

あけましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。今年も神田明神にお参りし、商売繁昌・除災厄除を祈願して参りました。JR御茶ノ水駅の聖橋口から出て、左に折れて神田川を渡ると、左手には東京医科歯科大学、右手には湯島聖堂。突き当たって信号を右折、中山道を暫く歩くと左側に現れる鳥居を潜って、小高くなった参道の先に、緑青銅板葺きに少し濃い目の朱色の社殿が見えてきます。神田明神には三つの柱の神様が祀られていて、一つ目が商売繁盛の恵比須様、二つ目が縁結びの大黒様、そして三つ目が厄除けの神様で平将門公。

弊社の場合、3年前に訳あって宗旨替え(昇殿は2年前から)。実は それまで長年、成田山にお参りしていたんです。歴史に詳しい方はご存知かと思いますが、西暦939年、朝廷と対立した将門が関東で反乱起こします。将門を調伏する為に京都から派遣された、僧侶が創建したのが成田山新勝寺、首をはねられた将門の霊を供養し、江戸の守り神として祀ったのが神田明神ですから、2つの寺社は因縁の関係、両方に参拝するのは御法度なのだとか。因みに、江戸から明治へと時代が変わると、皇室に矛を向けた逆賊として再び問題視された将門公、神田明神の祭神から外されるという憂き目に遭います。将門が神田に戻って来られたのは、第二次大戦が終わって40年近くも経った1984年の事なのだそうです。京都と江戸、立場が変わると見える世界も違ってくると言う、典型例の一つかも知れません。

さて、日本と中国の関係が改善する中で、不謹慎かも知れませんが、今回は、石炭からの転換を強力に推進した結果、北京に青空を取り戻したと言われる中国の、ちょっと笑うに笑えない裏話。2018年1月の朝礼で取り上げたエピソードです。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

中国が国策として、大気汚染防止活動をスタートしたのは、2016年7月のこと。翌2017年の10月には、北京市・天津市と26の都市に石炭禁止令を発令し、学校や家庭の石炭ストーブも政府の命令に従って強制撤去します。その後 急ピッチで工事を進めたものの、天然ガスや電気式の暖房設備の設置が、冬の到来には間に合わないケースが多発。運良く間に合ったところで、 急増した需要に、いざ火を入れようにも天然ガスの供給が追い付きません。さすがの中国政府も世論に突き動かされ、石炭の使用を許可したは良いものの、石炭ストーブは既に撤去されていて後の祭り。結果、1,000万人以上の人達が、その冬を暖房なしでやり過ごさなければならないという、大問題に発展しました。因みに、大量の煙をまき散らしていた地域の工場はどうしたかと言うと、さっさと周辺都市に逃げ出して、その後はそちらの大気汚染が深刻なんだとか(怒)。

立場が違えば見える世界が異なっても、それは仕方のないことです。気候変動を食い止めるという観点からすると、どんなにそれが高効率・低公害だとしても、石炭を燃やすのはグッド・アイディアではないかも知れません。しかし、世界人口100億人時代を前に、石炭や褐炭を有効活用する技術については、再び世界の注目を集めている分野。その先頭を切る日本は、技術開発を継続すべきと考えます。太陽光発電導入済みの、弊社だからこそ言わせてもらいますと、工場の屋根全体をソーラーパネルで覆っても、必要量の10分の1強を発電するのが精一杯と、かなりスペース効率が悪いんです。2020年1月からパリ協定が本格スタートしますが、良い子の皆さんは、化石燃料産業を『オワコン』と決めつけて、後で後悔することのないようにしましょうね(笑)。

『教訓』から学ぶということは、大切です。という訳で、これから数回に渡り『社長、歴史に学ぶ』と題し、過去の朝礼で取り上げたエピソードを元に、令和新時代の視点も加え、再編集してお届けします。今年も宜しくお願い致します。

※一部の表現を改めました。

※誤字・脱字がありましたので、修正しました。