社長ブログ

社長、水素で走る⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2019年も残り僅かとなりました。平成が終わり、台風が来て、『ONE TEAM』に沸きました。先日、年賀状の準備をしていて、今年に入ってから家族の揃った写真を一枚も撮っていないことに気付き、私自身も含め、今年一年 自己中心的だった自分達を、家族それぞれが反省。我が家の2019年は、『令和最初』の家族旅行で締め括る予定です(笑)。

さて、まだ社会実験的な要素の残る中で、社会貢献活動の一環として弊社がFCVを導入したのも、今年の5月のことです。モーターで加速するFCVの乗り心地は、静かなうえにウルトラ・スムーズ。好き嫌いは有るかも知れませんが、足回りはホンダ車らしく やや固めで、キビキビ走るという印象です。意外と重要なのが室内の『臭い』で、こちらは寧ろ、LPG仕様のタクシーに近いかも知れません。水素の価格は満タン5kgで 5,000円(消費税抜)。街乗りであれば、真夏にエアコンを効かせても 500kmは充分に走りますので、利用者には有り難い価格設定(販売側の採算が取れているかどうかは、知りません)。水素スタンドのスタッフの皆さんは優しいし、充填で長時間待たされことは一度もなく、これで二酸化炭素も大気汚染物質も一切出さない訳ですから、素晴らしいの一言です。とは言え、トラブルが全く無かった訳でもありません。私の経験した その唯一のトラブルについて、つい先日、2019年12月の朝礼でもお話しさせて頂きました。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

納車から約2ヶ月の7月末、真夏の炎天下で突然のトラブルに見舞われた際には、「大変な車を買ってしまった(形式的には、5年間のリース)」と、正直、後悔しました(苦笑)。会社から大宮方面に車を走らせていると、オレンジ色の警告灯が点灯。なにせ、タンクの中には水素を積んでいる、別名『水素自動車』。爆発でも起こしたら一大事と、すぐさま車を路肩に車を停め、FCV専門の営業担当者に直接連絡を入れると、「オレンジ色は、ディーラーの整備工場でのチェックを促す『お知らせ』です」とのことで、その後の点検の結果、水素漏れを検知するセンサーの不具合と判明。「水素が漏れていないことを証明できない状態のまま、運転を続けることを許さない」という、安全思想が反映されているということですね。直ちに車を止めなければならないような場合、例えば、燃料電池スタックの不具合が生じた時などは、赤色の警告灯が点くそうです。仮に発電が止まってしまっても、付属のバッテリーで凡そ100kmの走行が可能。その間に安全な場所に移動すれば、後はロードサービスが帰りの足とレッカー車を手配してくれるので、心配する必要はありません。なお、水素は少し漏れただけで大爆発というのは誤解だそうで、微小な漏れの場合は『プスッ、プスッ』と火が付くだけで、大規模な爆発事故の可能性を残すようであれば、FCVを世の中には送り出していないとのこと。確かにその通りかも知れませんね(苦笑)。水素ステーションの数が少ないなど、少々不便は感じますが、7月のセンサーの不具合以降、特に問題は起こっていません。

価格の高い燃料電池車、国と県から補助金を頂いている関係上、月別走行距離と月別平均燃費、月別充填回数、利用した水素スタンド名等、記録に残さなければなりません。私の場合は、コツコツ地道な作業が苦手ではないので、それほど苦にはなりませんけどね(笑)。11月以降、明らかに燃費が悪くなってきたのは気掛かりです。恐らくは、外気温が下がりヒーターを入れ始めたのが原因で、熱源としての内燃機関を持たない、EVやFCV共通の弱点のようです。スタッドレスタイヤへの履き替えも、燃費の悪化に影響しているかも知れません。高速や山道の走行は、まだ未体験。

2019年最後に、ちょっとイメージしてみて下さい。長く楽しかった夏休み、二学期開始を目前に、手を付けずに残された宿題の山。今更泣き言を言っても無駄で、勿論、最善の努力は必要ですが、計画的に物事を進めなかった自らの行いを反省し、冷静に現実を受け入れることも必要かも知れません。気候変動についても然り。遅れを取り戻すのに必死なのは理解しますが、国連の拙速なやり方に、私は感心できません。中国のような一党支配の国はいざ知らず、過大な負担に耐え切れなくなった人々は、極端な自国中心主義を訴えるポピュリズムに走るだけです。余り報道されませんが、今既に一部の国の分担金の支払いが滞り、国連の台所は火の車の自転車操業。このままでは、気候変動に歯止めを掛ける為の枠組みのみならず、世界の平和を守るシステムまでも、一気に崩壊し兼ねません。全員に参加を求めるなら70点でも合格、120点を要求しては駄目なのです。それでも防げないような気候変動は甘受し、その分、今後起こり得る自然災害に対する備えに力を注ぐ方が、よっぽど賢い選択であると個人的には感じています。国連には、国際社会を『ONE TEAM』に束ねるだけの『寛容さ』を、是非、取り戻してもらいたいです。

それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい。

社長、水素で走る⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。東京でもメダルの期待される、バドミントンは今や日本のお家芸。2015年の学生ロボットコンテスト(通称ロボコン)では、そのバドミントンが競技種目して採用されました。見どころは、カメラ・センサー・通信等を組み合わせ、高度な自動制御を取り入れたハイテク・チームと、人間が手動で操縦するローテク・チームの戦いです。結果はと言うと、操縦者が特訓の成果を発揮し、気合いで数多くのシャトルを拾った、手動ロボットの早稲田大学チームが初優勝。インドネシアで行われる世界大会に進むことになりました。高度な自動制御ロボット同士、豊橋技術科学大学vs名古屋工業大の親善試合の様子は、YOU TUBEでご覧頂けます。

さて、その2年後の2017年の年末、私、先進機能が満載の『ロボット掃除機』を購入し、現在も愛用しております。当時としては最新機種で、レーザー・赤外線・超音波の3種類のセンサーで障害物を検知、更に上向きに付いているカメラで天井を撮影しながら自分の位置を認識、その情報を元にAIが部屋の間取りを学習し、次の掃除に活用するという優れものです。スマホによる遠隔操作も可能。2002年 Rの登場以降、この手の家電製品は確実に進化しています。お値段もそれなりにするので、妻に内緒で買ったら後で怒られました(苦笑)。という訳で今回は、2018年4月の朝礼で取り上げた、『ロボット掃除機』のエピソードからお伝えします。

実際に使ってみると、大したものだと感心します。1回の充電で動ける量が限られている中で、如何に部屋を掃除するか、よく考えられています。ハウスダストを検知するセンサーも付いていて、汚れの酷いエリアを重点的に清掃。また、前回掃除したエリアをAIが記憶していて、残りのエリアはその次に掃除します。問題点も見つかりました。購入して先ずやらなければならない事が、部屋の『模様替え』。3種類のセンサーを以ってしても検知し辛い障害物があって、それについては、人間の方が『ロボット掃除機』に合わせるしかありません。私が使っていて最も気になっているのは、コンセントから床を這う電気の配線コードに、毎回同じように引っ掛かって動けなくなってしまう点。『ロボット掃除機』を使用するに当たって、事前に養生しなければならないポイントなのでしょうが、生活の多くを電気に頼り、あちこちにタコ足配線のある一般家庭に於いて、すべて撤去というのは現実的ではありません。あとは、作り付けの家具の下に、潜り込んでしまうのも難点ですね。現在はAIが経験を積んだからでしょうか、それとも私が教訓から学んだからでしょうか、途中で立ち往生することも随分少なくなりましたが、『ロボット掃除機』のボディー表面は、既に傷だらけです(苦笑)。

自動車産業に於いて、自動運転は注目の分野。高齢化の進む日本に於いて、『アクセルとブレーキの踏み間違い』による痛ましい事故を防ぐ、有力な手段の一つとして期待している方も、多いかも知れません。AI内臓の『ロボット掃除機』は、全く次元の違う話なのかも知れませんが、使ってみて私の言えることは、「AIやセンサー技術は優れた道具ではあるけれど、問題も多く万能ではない」ということ。自動車は『走る凶器』です。公道上でAIに、失敗から学習するチャンスを与えて良いとは思えませんし、入り組んだ路地の多い日本の道路事情、車に合わせてインフラの『模様替え』をするだけの余裕が、この国に有るとも思えません。私たちが今 本当に欲しいのは、交通の安心・安全。それを与えてくれるのが、最先端技術である必要はないのです。

2018年12月現在、自動運転関連の死亡事故の報告事例は、アメリカで3件。多いか少ないか、皆さんは どうお考えでしょう?

社長、水素で走る⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2009年7月から運用を開始したF.DB(不具合情報データベース)は、社内外問わず、発生した品質不具合案件を記録に残し、その傾向を分析、問題を解決する為の重要なツールです。中でも、お客さまからのクレーム案件に関しては、詳細の内容について、管理職の集まる月例会議で情報共有、再発防止を徹底しています。また、10年間蓄積したデータ分析の下、現在、取扱説明書・カタログ等の全面改訂作業中。製品の選定、取扱いの上で、お客様にご注意頂きたい点も、数多く盛り込ませて頂きます。新しい物が出来上がりましたら、WEB上で入手出来るように致しますので、皆さま、是非ご活用下さい。

そのF.DBの運用ルールの原則は、『罪を憎んで人を憎まず』。個人名はデータに残しません。ところがどっこい、スタート当初、社内検査で弾かれる、品質不良の集計結果に目を向けると、原因として『人』が占める割合の、まぁ高いこと。製造現場の管理職の皆さんが、導入に非常に積極的だった理由が分かりました(苦笑)。今日のお話は、総務の仕事として、長年、安全運転管理者講習に参加していた私が、2009年10月の朝礼で取り上げた、『認知科学的アプローチによる、ヒューマン・エラー対策』。もし、説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

自動車の運転は、『認知・判断・操作』で成り立っていると言われます。例えば、前方の信号が赤に変わった場面でいえば、まず信号が赤に変わったことを認めます。これが『認知』。次に、赤は『止まれ』のサインだから停止しようと考える、これが『判断』。そして、停止するためにブレーキを踏む、これが『操作』です。この一連の運転行動が的確に行われず、何処かでミスが生じると、事故を起こす危険性が大きくなります。赤信号を見落とす(認知ミス)、赤信号は認めたものの、停止せずに交差点を走り抜けようと考える(判断ミス)、停止しようとしてブレーキを踏むつもりが、誤ってアクセルを踏む(操作ミス)などです。したがって事故を防止するためには、『認知・判断・操作』に係るミスを、出来るだけ抑えることが重要なポイントです。

では、うっかりミスが多い人が、交通事故多発者かと言いますと、必ずしもそうではないそうです。事故を繰り返し起こすのは、ルール違反の常習者。責めるべきは、安全意識がない、つまりルールを守ることが出来ず、他の交通利用者の迷惑について配慮する気もない人だそうです。弊社に置き換えれば、お客様を第一に考えず、お客様と約束した品質・納期に対する意識の低い人、自己中心的で共に働くチームメートの迷惑について配慮の出来ない人。過ちを犯しても反省の出来ない人です。そして、そんな人間がいつか必ず大きなクレームを起こす。経営理念にもあります。私達はプロなのです。プロとしてのプライドとは、絶えずお客様を意識して仕事をすることです。そしてチームとして闘う気持ちとは、共に闘う仲間を思いやる、優しさなのです。

それから10年。日本社会の高齢化は進行し、状況は一転。「『あおり運転』は故意だから厳罰に、『アクセルとブレーキの踏み間違い』はヒューマン・エラーだから、寛大な措置を」などと、悠長なことを言っていられる時代でも なくなりました。続きは次回。

社長、水素で走る⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。COP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)は、会場をスペインのマドリードに移し、本日 12月2日(月)からスタート。当初開催予定の南米チリでは、反政府デモが激化し、大きな国際会議を行うだけの安全確保は難しいと判断。地下鉄運賃の4%値上げ発表を切っ掛けに、国民の不平・不満が爆発したのだとか。二酸化炭素排出削減の切り札として、『炭素税』導入が必要とのご意見も有りますが、最終的に負担するのは、結局、我々 一般消費者です。日本で暴動は起きないまでも、総論賛成各論反対、『炭素税』を黙って受け入れてくれる人って、世界にどれくらい いるんでしょう。「どうせやるなら、楽しくやりたい」と考えるのが人情。そこで今回は、過去に朝礼で取り上げた話題ではなく、何本かブログを書いているうちに、最近 私がひらめいた『Go Green』な近未来空想企業、夢のサクセスストーリーです。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

〇 A社プレスリリース:大気や海洋の二酸化炭素濃度が上昇する世界では、二酸化炭素を制する者が世界を制すると言っても、過言ではありません。そこで弊社が開発したのが、環境に優しい植物由来の天然素材を配合したヘアカラー。キューティクルに浸透し、艶のあるしなやかな、美しい『緑髪』を実現します。1ヶ月に一回サッと塗って、後はシャワーで洗い流すだけでOK。大気中の有効成分CO2から作り出される、100%オーガニックな栄養素が毛髪の隅々まで行き渡り、髪の毛をのハリを保つだけでなく、抜け毛を防ぐ効果も期待できます。1日一回、専用のシャンプーとトリートメントをご利用頂くと、美しい『緑髪』の状態を、より長く楽しむことが可能です。弊社製品は全て、枠組み条約締約国会議の認証マークを取得。お買い上げ金額の35%分は お客様にポイント還元、ガソリンスタンドにお寄りの際、『炭素税』のお支払いにご利用頂けます。更に、初回お買い上げのお客さまには、専用のシャンプーとトリートメント1本ずつお付けして、料金据え置き。お値段はなんとなんと、送料込みでたったの ×××円。さあ、皆さんも今日から、美しい『緑髪』でストップ・ザ・地球温暖化!

〇 A社開発担当者談:葉緑体を取り込んで、光合成をする特殊能力を身に付けた生物が存在します。人類も光合成できるのが理想とは考えましたが、人間の遺伝子をいじくると、生命倫理の問題が生じるので、断念しました。全身緑色となると、映画の『アバター』みたいで、ちょっと気味が悪いですしね。また、食事を摂るということは、生きる為の義務ではなく、人間の根源的な欲求でもある訳ですから、やっぱり楽しみたいじゃないですか。光合成で自給自足というアイディアも、この時点で選択肢から外しました。そこで思い付いたのが、人間の毛髪に共生する植物性プランクトンの開発。遺伝子編集技術を利用して、頭の上で光合成、二酸化炭素を吸収する、生きたヘアカラーを作り出そうと考えた訳です。人毛という乾燥した環境に、水生単細胞生物を適応させるのには、苦労しましたよ。何せ、頭皮の分泌する汗から生じる微量の水蒸気しか、頼れるものは有りませんでしたからね。現在は この技術を、衣類用繊維の染料として応用できないか、研究を続けています。特許ですか?無償で公開するって、会社の方針みたいです。社長に聞いてください。

〇 A社社長のコメント:開発担当から、「技術的に可能になった」との一報を受けた時は、胸が躍りましたよ。これで地球は救われるかも知れないって。後はこの技術を、ただの学術研究に終わらせないこと、産業として成立させることが、我々に残された使命でした。これで行けると確信したのは、専用のシャンプーとトリートメントの開発に目途が付いた時。消費者の皆さんに、生活の必需品として定期的にご購入頂ければ、経営上も計算が立ちますから(笑)。『緑髪』世界的メガヒットの大きな要因は、海外アニメファンの若者たちから、想定外のご支持を頂いたことでしょうか。日本のコンテンツの影響力は、本当に大きいですね。そこで本来の趣旨には反するんですが、彼らのご要望にお応えして『黄髪』と『赤髪』も開発、近々、発売を開始する予定です。光合成の効率が落ちるんで、ポイントの還元率は下がりますが。そうそう、それから何と言っても、炭素税減免の認証制度設立に日本政府が動いてくれたのは、非常に大きかったですね。結果、消費者の皆さんの懐には優しいですし、旧来型の産業との絆を強めることも出来ました。最後まで不安要素として残された点、例の局所的酸素濃度上昇に伴う、所謂『頭髪着火問題』については、発売当初より注意を喚起していましたが、まさか『頭上喫煙防止法』の歴史的な可決成立に繋がる、一大ムーブメントを巻き起こすとは思ってもいませんでしたよ(笑)。発売以降、マラソンの世界記録は10分短縮。家族揃ってのエベレスト無酸素登頂も、珍しくない時代になりました。

・・・以上、岩井社長の妄想でした(苦笑)。『腸内フローラ』とか『常在菌』とか、最近、耳にすることが増えたじゃないですか。実際、人類も既に、多くの微生物と共生関係にある訳で、100%可能性のない話でもないと思うんです。葉緑体を持ち光合成をする能力のある『Go Green』な生物(≒植物や植物性プランクトン)と良い関係が築けて初めて、人類の未来は開けて来るに違いありません。今回の締約国会議では、『CO2 排出量取引』も議題に上るようですが、環境問題を金儲けのネタにすり替える恥ずかしい議論だけは、絶対に止めて頂きたいですね。多くの中高生が注目してますから!!

社長、水素で走る⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。かつて地球に君臨し、我が世を謳歌していた巨大生物『恐竜』は、6,550万年前、突如として地上から姿を消してしまいました。メキシコのユカタン半島に、直径約10kmの巨大隕石が衝突。発生した火災による煙や、衝突時に巻き上げられた塵埃が太陽の光を遮り、所謂『冬の時代』が到来。地球寒冷化により、全ての生物種の70%が絶滅、『恐竜』も生き残ることが出来なかったと。世界各地のK/Pg境界と呼ばれる特定の地層から、大量に発見されたイリジウムは、地表には殆ど存在しない稀な元素で、隕石衝突の物的証拠と考えられています。そんな逆境の中でも、『恐竜』たちの一部は鳥類へと姿を変え、厳しい『冬の時代』を生き抜いたというのが、最近の通説。彼らの生き残り戦略は、如何なるものだったのか?今回は、2010年10月に取り上げた話。当時、日本の製造業の置かれた状況は、内需は縮小、輸出は円高、頼みの綱の中国は尖閣問題と、自助努力ではどうにもならない、まるで、隕石衝突という外的要因で絶滅の危機に瀕した、『恐竜』たちに そっくり。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

毎年秋になると、チベット方面から8,000m級のヒマラヤ山脈を越えてインドに渡る、『アネハヅル』という渡り鳥がいるそうです。我々人間を含む哺乳類は、横隔膜の伸縮によって、空気を吸ったり吐いたりします。空気の流れは行ったり来たり。その際、肺の奥底にはどうしても多少古い空気が残ります。一方、鳥類の呼吸システムは、気嚢という給排気用のポンプがあって、肺の中には一定方向に新鮮な空気が流れ続け、酸素の供給効率という点で、哺乳類の肺よりも、はるかに優れているのだそうです。だから『アネハヅル』は、ヒマラヤもひとっ飛び。人間がエベレストに登るのは、命懸けです。

2005年には、『恐竜』にも鳥類と同じような気嚢が存在した可能性を示す化石が、発見されました。恐竜が誕生し繁栄するに到った時代は、二酸化炭素濃度が現在より凡そ5倍も高く、逆に酸素濃度は10%程度と、現在の21%よりかなり低かったことが分かっています。人間は18%程度で意識朦朧、その低酸素の環境に適応可能な気嚢を持った『恐竜』たちが、その後の繁栄を極めました。また、鳥のような羽毛を持つ恐竜の化石も、数多く発見されていて、元々は、「幼い個体が体温を保つ為のものだったのではないか」とか、「求愛行動用のディスプレイだったのではないか」等と考えられています。そして、その恐竜の呼吸システムと羽毛を受け継いだ鳥類が、隕石衝突の危機を乗り切り、酸素濃度の安定した今、地表には哺乳類、空気の薄い大空には鳥類という構図が出来上がったんです。

動物の進化って、実は必然的なものではありません。かつてラマルクは、個体が環境に順応し、順応した形質が遺伝していくと考えました。キリンの首が長いのは、木の葉を食べる為に努力して首を伸ばしたからだと。ダーウィンは、自然淘汰により、環境に適した形質をもつ個体が生き残っていくと説明しました。適者生存。更にその進化は、突然変異によって、偶発的に引き起こされるというのが最近の学説。『恐竜』だって鳥になって空を飛ぶことを想定して、気嚢やら羽毛を身に付けた訳ではありません。いくつかの偶然が重なって、鳥として生存競争に勝ち残った。ラッキーだったんです。

『ミドリムシ』については、前回、お話ししました。海に住むサンゴの仲間が、植物性プランクトンと共生関係にあるのは、ご存知の通り。また、軟体動物のウミウシには、食物から葉緑体を取り込み光合成を行う能力(盗葉緑体現象)を持つ、特殊な種類が存在します。最近では、アブラムシやサンショウウオの中にも、光合成の出来るタイプがいることが、明らかになって来ました。2017年現在、大気中に二酸化炭素が占める割合は、0.40%に過ぎません。しかし、産業革命以前と比較すると、その量は46%も増加しており、今後も増え続ける見込みです。『Go Green(緑になる)』な生き残り戦略、偶発的に引き起こされるのを待つ時間的余裕は、我々人類にとって、それほど残されていないかも知れません。

社長、水素で走る⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。環境に配慮した生活スタイルを取り入れることを、英語で、『Go Green (緑になる)』って言います。面白いでしょ?ところが、そんな『グリーン』な生き方を先取りしたEVオーナーの多くが、他の人に対しては、EVに乗ることを薦めないんだそうです。何故かと言うと、充電スタンドに、これ以上の行列が出来るのは困るから(苦笑)。その気持ち分かりますよ。私の場合は、水素ステーションのない群馬・栃木には、怖くて車では近付けませんし。環境に優しく生きるには、社会インフラの充実って不可欠です。今回は、2009年12月の納会で取り上げたエピソード。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

2009年9月、鳩山政権が『政治主導』の名の下に、「二酸化炭素の排出量を、1990年比で25%削減する」と宣言し、産業界の非難を浴びました。そんな頃、東大発の某ベンチャー企業が、ある単細胞生物を使って開発した健康食品で、世間の注目を集めていました。鞭毛という器官を使って動物のように動き回り、植物のように葉緑体を持っていて光合成も行う、その名も『ミドリムシ』。光合成の過程で二酸化炭素を吸収する点に着目し、同年、火力発電所の排出ガスを利用した『ミドリムシ』の培養に成功。それから10年、2019年には大手商社の協力を得て、『ミドリムシ』を原材料とするバイオ燃料や家畜の飼料の商用化へ向け、第一歩を踏み出しました。舞台はインドネシアの火力発電所。『化石燃料』由来の二酸化炭素から『グリーン』エネルギーを作り出し、更に『グリーン』な餌で家畜まで育ててしまおうとは、思考回路の凝り固まった気象学者の皆さんには、思いも寄らない発想でしょう。

畜産・酪農も、大量の温室効果ガスを排出し、環境負荷が高いと批判を浴びる産業の代表例です。そこで飼育される動物たちの落とし物も決して無駄にしないのが、日本の某大手自動車メーカー。家畜の排泄物や、汚泥等の廃棄物系バイオマスから水素を取り出し、その水素を元に燃料電池を使って発電を行う計画です。2020年の稼働開始を予定。発電量は一般家庭およそ2,350世帯分。併設の水素ステーションを通じて、水素をそのままFCVに供給することも可能ですし、スタンドを作ればEVの充電にも対応。自動車の多様な有り方を見据えたこの『燃料電池発電所』は、米国のカリフォルニア州に建設中です。北海道辺りにはピッタリ。北関東にも是非作ってください。美味しい和牛も食べたいし!!こうして環境・省エネ技術の進化を見て行くと、10年前に鳩山さんのぶち上げた無謀な国際公約も、世界に向けた営業トークに聞こえてきますから、なんとも不思議なものです(苦笑)。

さて、荒野に広がる無数のソーラーパネルや集光ミラーは、今や環境に優しい『グリーン』エネルギーの象徴的存在。10年前に注目を集めていたのは、『太陽熱発電』の方。太陽光を鏡で集め、その熱で水を沸騰させ、水蒸気でタービンを回して発電する仕組みは、直射日光の降り注ぐ、砂漠地帯にはピッタリ。当時は『太陽熱発電』の方が、発電効率が良かったようです。この10年間で『太陽光発電』の性能も大幅に向上、変換効率40%を目指す製品まで現れました。では、これで満足して良いかというと、そういう訳にも行きません。温暖化のみならず、人口爆発・食糧難と、地球の未来は問題山積。本来優先すべきは何だったのか?それは砂漠緑化の試みであり、そこに豊かな穀倉地帯を作ること。可能性の残された広大な土地が、不毛なまま、人工的なソーラーパネルや集光ミラーに埋め尽くされて行く姿は、本末転倒、何だか『グリーン』とは程遠い存在にも思えてきます。

最後に、以前ご紹介した科学者として未来を切り開くのに必要な6つの力、皆さんは覚えていらっしゃいますか? ①質問力、②観察力、③ネットワーキング力、④実験力、⑤関連付ける力、⑥『勇気』の 6つです。科学の力を信じると言うのなら、「大切な地球を守る方法は、一つしかない」と、先入観で決めつけちゃ駄目なんです。例えば、遠い未来まで見据えた、人類の採るべき有力な選択肢の一つとして、遺伝子編集技術を駆使、人体にも葉緑体を取り込んで、光合成で自給自足なんてどうでしょう?正真正銘の『Go Green(緑になる)』です(笑)。『昆虫食』よりは、多くの賛同が得られるのではないかと、個人的には考えていますけどね。

※誤字・脱字が有りましので、修正しました。一部、表現を変更しました。

社長、水素で走る⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。10月に上陸した台風19号は、東海地方から関東甲信・東北地方まで、広範囲に渡って、大きな爪痕を残しました。異常気象が頻発し、地球規模で気候変動が進んでいることは、もはや疑いのないところですが、ここに来て、温室効果ガス排出量第2位の米国が、気候変動を抑制する枠組みであるパリ協定からの離脱を、正式に表明しました。

パリ協定の骨子は、次の2点。①世界の平均気温上昇を、産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする。②そのため、できるかぎり早く、世界の温室効果ガス排出量をピークアウトし、21世紀後半には、温室効果ガス排出量と(森林などによる)吸収量のバランスをとる。パリ協定の良いところは、『ボトムアップ方式』を採用した点。日本も2016年11月に批准し、締約国の一つとして、2030年度までに『2013年度比で26%削減』することを、中期目標として掲げました。争点となっているのが、二酸化炭素を悪玉と考える、”所謂”『地球温暖化説』。最も有力と言いながらも、誰かが実証した訳でもなく、一つの仮説に過ぎませんから、今なお、根強い懐疑論があるのも事実です。という訳で、今回は2010年3月の朝礼から。その冬に開催されたバンクーバー五輪が、極度の雪不足に悩まされた一方で、アメリカ北東部では 111年振りの大雪、首都ワシントンD.C.は140cmの積雪を記録しました。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

私たちにとって、“恵みの太陽”。太陽にも活動のサイクルがあって、地球の天候に多大なる影響を与えることが知られています。ひとつの目安は、太陽表面の黒点の数。黒点は9~14年の周期で多くなったり少なくなったりします。黒点が多ければ太陽活動は活発、少なければ活発でない。2010年の当時は、きっちり 11年周期というのが定説でしたから、2008年から黒点が活発に出現し、2011年にはピーク(極大期)を迎える筈が、そうはならず、「地球が寒冷期を迎える可能性がある」と、一部では話題になったものです。当時、私が近くの天文台で太陽を観察した際も、本当に黒点は一つも見当たらず、ゾッとしたのを覚えています。過去のデータから言うと、200年に一度くらいは、黒点が極端に少ない時期があるそうで、1645年~1715年の『マウンダー極小期』には、英国のテムズ川が完全氷結するなど、世界各地にミニ氷河期が到来したと言われています。米海洋大気庁によれば、2019年末~2020年初に掛けて、太陽の活動は極小期を迎えるとのことですから、炎天下での開催が懸念され、今なお、様々な対策に追われる東京五輪にとっては、皮肉な結果となるかも知れません(苦笑)。

地球の表面の70%は海。残りの30%の陸地で生活している人類は、”母なる海”についても、意外と知らないことが多いです。海洋も二酸化炭素を吸収します。その量は、産業活動によって排出される二酸化炭素の約30%、毎年22~23億トンとも言われています。こんな事を主張する学者さんもいます。二酸化炭素の濃度が高くなると、海洋の植物性プランクトンの個体数が増え、さかんに光合成をして二酸化炭素を吸収する。2008年の北京五輪では、セーリング競技会場に藻類の一種のアオサが大量発生、大騒ぎになりましたが、あんなイメージでしょうか。で、二酸化炭素を吸収した植物性プランクトンは、死んだ後海底に沈み、炭素は海の底に蓄積される。だから、地球温暖化が急速に進むことはないんじゃないかと。まるでジブリ映画『風の谷のナウシカ』に登場する、『腐海の森』みたいです。

先日、国連事務総長が御自ら、石油・石炭業界に資金面で圧力を掛けるよう、金融界トップに協力を呼び掛けたそうです。『兵糧攻め』と言う訳ですか!!一部の産業を敵視し恫喝するような、そんなやり方で本当に上手く行くのでしょうか?米国のみならず、『ボトムアップ方式』に賛同して集まった仲間の心が離れても、私は知りませんよ(怒)。国ごとに設定された目標に向かって、(恐らく内心は、反発や疑問を感じながらも) 身を削る努力を重ねるているのは、一体誰なのか?省エネ・環境技術に於いて『現実解』を導き出せるのは、イノベーションを生み出せるのは、一体誰なのか?『化石燃料』と聞いた途端、反射的にヒステリーを起こすような、環境活動家の類いではありませんし、マネーゲームに興じては、しばしば過ちを犯す、強欲な巨大金融資本でもありません。口先だけのメディアも論外。事務総長には、ニュートラルな立ち位置に戻って頂き、我々のような産業界の『声なき声』にも、是非、耳を傾けて貰いたいものです。特に日本の技術屋さんは、自己主張が苦手ですから(苦笑)。

※誤りを訂正しました。【誤】焦点→【正】争点

社長、水素で走る⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。熱狂の44日間が、もう直ぐ 終わろうとしています。今大会で、タックルを受けながらもボールを繋ぐ、『オフロードパス』という言葉が話題となったように、ラグビーは『自己犠牲』のスポーツ。就活売り手市場を謳歌する今の若者たちの心には、どのように映ったのでしょうか?ちなみに弊社の場合はと言うと、「私たちは、チームとして闘う気持ちと、共に闘う仲間を信じる心を忘れません。(経営理念より)」と、チームプレーを大切にする、まさに『昭和スタイル』。今回は、2010年7月の朝礼で紹介したエピソードを参考に、お話しさせて頂きます。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

奇跡の生還から9年、小惑星『りゅうぐう』でのミッションを終えた宇宙探査機『はやぶさ2』が、地球に戻る準備を始めるそうです。プロジェクトメンバーが一致団結、多くの困難を乗り越えて、一号機がサンプル・リターンに成功したのが、2010年6月のこと。役割を終えた『はやぶさ』自身は、大気圏突入の際、閃光を放ちながら儚く燃え尽きてしまいました。そんな『はやぶさ』の感動ストーリーに、私が思い出したのは、1974年から日本テレビ系列で放映されたテレビアニメ・シリーズ、『宇宙戦艦ヤマト』です。2010年に実写版、2017年には新シリーズが劇場公開、そして、つい先日には、『宇宙戦艦ヤマト 2205 ~新たなる旅立ち』の制作発表も有りましたから、世代を越えて、若い皆さんも御存知かも知れません。

東京五輪から10年。1974年というと、オイルショックによる狂乱物価。-1.2%というマイナス成長を、日本が戦後初めて経験し、高度経済成長が終焉を迎えたと言われる年。弊社で言えば、自動車・工作機械の部品加工から完全撤退し、営業品目をロータリージョイント・スイベルジョイントに絞った、ちょうどその頃の話です。ちょっとだけストーリーを説明しますと、西暦2199年、異星人の国、ガミラス帝国の攻撃により地球は荒廃し、人類は滅亡まであと1年。人類を救うべく、『コスモクリーナーD』という環境浄化装置を受け取りに、『宇宙戦艦ヤマト』は、宇宙の彼方イスカンダル星まで、往復29万6千光年の旅に出ます。ちなみに、1光年は9兆4,607億3,047万2,580kmですから、地球とイスカンダル星の往復は 280京0,376兆2,198億8,368万km、『はやぶさ』の7年間の総飛行距離 凡そ 60億kmの、4億6,672万9,370倍という計算になります。

『宇宙戦艦ヤマト』の長旅を支え続けたのが、宇宙エネルギーを圧縮し、超光速タキオン粒子に変換して動力とする、『波動エンジン』という夢の動力装置。航行距離は無限、ワープ航法まで実現しちゃいます。一方、長い距離を少ない燃料で飛べる省エネ型エンジンとして、世界から注目を浴びたのが、『はやぶさ』の『イオンエンジン』。電子レンジでおなじみのマイクロ波を利用して、キセノンという物質にプラスの電気を帯びさせ、高速噴射、推進力を得るんだそうです。何と言っても効率が良く、地上では1円玉を持ち上げる程度の力しかありませんが、空気抵抗がない宇宙空間で加速するには必要充分。前回の帰還で、のべ4万時間の稼働と耐久性を実証しました。今回、『はやぶさ2』に搭載された『イオンエンジン』には様々な修正が施されて、出力(正確には『推力』)が約25%アップ。1円と25銭分を持ち上げることが、出来るようになったという訳です(笑)。

『はやぶさ』の帰還が人々の心を打ったのは、そこに泥臭い人間模様が有ったから。そして、『遣り甲斐』だけが虚しく搾取された当時に於いても、私たちの心の何処かに、『自己犠牲』を肯定的に捉える感性が、少なからず残っていたからかも知れません。では、動力性能の他、制御用推進装置や通信機器にも様々な改良が加えられた、『はやぶさ2』は どうかと言うと、2020年末頃、岩石サンプルの入ったカプセルを地球に届ける予定。但し今回は、本体が大気圏内に突入することはなく、新たなミッションに向けて再び宇宙に旅立ちます。つまり、令和の空気に合わせたかのように、『はやぶさ2』は燃え尽きないんですね。確かに、自分だけが犠牲になる必要なんて有りません(笑)。

※一部、表現を変更しました。

社長、水素で走る④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。「消費税の軽減税率によって、『テイクアウト』の比率を増やさないと、飲食店は『中食』産業に負けてしまう」との議論が有り、生き残りを賭け、各社こぞって対策を講じていらっしゃいます。包み隠さず申し上げるならば、お持ち帰り用の使い捨てプラスチック容器の使用量が増えれば、弊社にとっては或る種のビジネスチャンス。そうは言っても、環境・資源問題を考慮するならば、時代の流れに逆らうような行き過ぎは禁物です。『外食』か『中食』か、あとは消費者の皆さんに、判断を委ねるしかありません。

さて、前々回のHVのお話でも触れましたが、車載用エンジンが、今後消えて無くなる運命にあるとは、私は考えていません。たとえ、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんの発明した、リチウムイオン電池がどんなに優れていたとしても、エンジンは回し続けなければなりません。何故なら 私たちは、ガソリンや軽油を消費し続けなければならないから。今回は、2017年11月に取り上げた話。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

現在の自動車エンジンは大きく分けると、ガソリンで走るガソリン・エンジンと軽油で走るディーゼル・エンジン。ガソリンや軽油は原油を精製して作られます。製油所に運ばれてきた原油は、先ず約350℃に加熱し石油蒸気となります。その蒸気を冷やすと成分ごとに沸点の違いによって、ガソリン・軽油・灯油・重油等に分けられます。これらの石油製品は、原油を精製する際に同時に生産されるので、『連産品』と呼びます。一回の精製で出来る『連産品』の割合は、原油の種類(産地)によってほぼ決まっており、日本が主に輸入している中東産の原油(重質油)からは、およそ、ガソリン24.5%、軽油19.2%、C重油16.4%、A重油12.1%、灯油11.7%、ナフサ7.8%、ジェット燃料油4.7%、潤滑油・その他3.6%の割合で、『連産品』が作られるそうです。

ナフサはプラスチックだけでなく、合成樹脂・合成ゴム・化学肥料・塗料等の原材料として使われます。重油は燃料として使うほか、舗装用のアスファルトの原料にもなります。軽油、日本ではディーゼル車の割合が低いので、余った軽油は海外に輸出されています。軽油と灯油の違いは沸点で、軽油の沸点が240~350℃なのに対し、灯油は170~250℃と低く、灯油はむしろジェット燃料油に近い成分です。因みに、ミサイルの燃料として使われる『ヒドラジン系』の有害化学物質は、原油由来のジェット燃料油とは別物です。合成するのが非常に難しいのですが、2017年9月頃、北朝鮮が自国での生産に成功したのではないかと報道されました。原油を精製する過程では、一定の割合で『副産物』も生成されますが、水素を含む化合物もその一つ。現在は使い道もなく、ただ燃やされているその量は、FCV  840万台分の水素に相当するとのこと。日本がFCVの普及に力を入れているのは、余った水素を『連産品』として有効活用する為なのです。

と言う訳で、何が言いたいかと申しますと、仮に自動車の動力の主流が電気になり、ガソリン・軽油が不要になっても、プラスチック・合成ゴム・化学肥料・塗料・潤滑油・アスファルト等、石油由来の製品の需要がなくなる訳ではないので、その原材料の供給を止めることは出来ません。例えば、摩擦低減や摩耗防止の為、潤滑油やグリースは、あらゆる機械製品にとって必須、なくすことは出来ません。結果、使う当てもなく大量に生産されるガソリン・軽油を、『副産物』として無駄に捨てる(≒燃やす?)訳にも行きませんし、大量の可燃性の液体を、最終処分方法を決めないまま、安全性を確保しながら保管・貯蔵し続けることも、現実的かどうか疑問です。水素同様、貴重な資源の一つとして、有効活用すべきなのです。勿論、燃やす以外の使い道が見つかれば、大いに結構。その受け皿の一つとして考えられるのが、やはり車載用エンジン。動力源か発電機か、どちらの役割がメインになるかは分かりませんが、エンジンを積んだ自動車が、この世から100%姿を消してしまうとは、私には考えられません。燃費を向上させたり、大気汚染物質を抑制したりする技術は、これからも研究を続ける必要のある分野だと思います。

私の知る限り、今やEVには欠かせないリチウムイオン電池自体、石油由来の素材なしには作れません。食事にしても環境問題にしても、何事もバランスが肝要かと。

※一部、加筆修正しました。

社長、水素で走る③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。先ずは、台風の被害に遭われた皆さんに、お悔やみ申し上げます。そんな中、ブレイブ・ブロッサムズの劇的勝利は、私たちに勇気を与えてくれました。更に上を目指す、彼らの活躍に期待すると共に、被災地の復旧・復興に向け、力を合わせて頑張りましょう。

さて、11月2日(土) 、横浜では、ラグビー世界一を決める試合が行われますが、同じ日、埼玉県行田市でも、埼玉県代表の座を掛け、高校生たちの熱い戦いが繰り広げられます。全国の高校生たちが、理科・数学・情報の分野で競争を繰り広げる『科学の甲子園』、今年度で、第9回大会を迎えます。私たちがサポートするのは、今回で2度目。7~9回と、全国大会が埼玉県で開催される縁も有って、将来の日本の科学技術を支える、若者たちの活動を応援しています。2019年4月の朝礼では、全国大会の様子を取り上げさせて頂きましたので、今回はそのお話。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

第8回『科学の甲子園』の全国大会、県予選を勝ち抜いた47チームが埼玉に集結、筆記競技と3つの実技競技で、その力を競い合いました。その様子は、公式WEBサイトにて、動画配信されましたので、競技の様子をご覧になった方も、いらっしゃるかも知れませんね。私は、初日の開会式と、最終日のシンポジウム・表彰式に、参加させて頂きました。開会式の選手入場は、それぞれのチームが個性的で、会場は大いに盛り上がりました。大会の結果は、愛知県代表 K校が、3年ぶり2回目の総合優勝。連覇を目指した神奈川県代表 E校は、涙の総合第2位。3位には、滋賀県代表 S校が入りました。皆さん、おめでとうございます。地元の埼玉県代表であり、私の母校でもある U校は、惜しくも入賞を逃し、総合第11位。企業特別賞の『埼玉県経営者協会賞』に輝きました。協賛企業として、私がプレゼンターを務めた『昭和技研工業賞』は、兵庫県代表T校が獲得。埼玉県の中小企業を代表して、このような機会を頂き、私としては身に余る光栄です。

さて、大会終了から1週間後、私の実家から、思いも寄らぬ知らせが入ります。なんとなんと、T校のメンバー1人が、第二創業初期から、長年に渡って営業面で弊社を支え続けた、大先輩のお孫さんだったと言うのです!!お孫さんから報告を受けた娘さんが、『昭和技研工業賞』に気付いて、ご本人の耳に入り、ご本人から、私の実家に連絡が入ったみたいです。いやぁ、世間は狭いと言うべきか、不思議な『ご縁』って、有るものなんですね。正直、驚きました(笑)。

開会の挨拶で、大会主催の科学技術振興機構さまから、こんな話がありましたので、最後に紹介させて下さい。科学者として、未来を切り開くのに必要な力とは、何か?答えは、①質問力、②観察力、③ネットワーキング力、④実験力、⑤関連付ける力、そして⑥『勇気』の 6つだそうです。①質問力とは、トヨタ生産方式にもある、何故・何故・何故を5回繰り返す、あれです。②観察力とは、物事を偏見無しに、客観的に見極める力ですね。③ネットワーキング力とは、人脈作りです。自分とは違う分野の専門家と、自由に意見交換できる環境を作ることは、非常に大切です。④実験力とは、新しい方法にチャレンジして、試行錯誤する能力のことだそうです。⑤関連付ける力とは、①~④で得られる一見 関係のないデータに関連性を見出し、新しいものを生み出す、クリエイティブな能力です。そして、最後に付け加えられたのが⑥『勇気』、つまり一歩前に踏み出す力です。人間、頭では分かっていても、なかなか行動に移せない事って多いですよね。どんなに優れた科学者であっても、最終的には、この⑥『勇気』がないと、イノベーションは起こせないという訳です。

第9回『科学の甲子園』、埼玉県予選は 11月2日(土)に、全国大会は年明けて、 3月20日(金)~23日(月)に行われます。今年はどんなドラマが彼らを待ち構えているのか、期待しましょう。

※誤字・脱字が有りましので、修正しました。

社長、水素で走る②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。過去の朝礼の原稿を読み返してみると、科学技術は確実に進歩していると感じます。同時に、「時代の要請は常に変化するものだ」ということも、見て取れます。16歳の少女に「裏切るなら絶対に許さない」と強い口調で訴えられ、少々戸惑いは有りますが、2019年7月、世界最大の自動車市場である中国が、ハイブリッド車(HV)優遇への方針転換を検討し始めて以降、エコカーを取り巻く環境は、再び大きな転機を迎えました。EVが限界を露呈する中、限りある資源を有効に活用しながら、地球環境を保全し、且つ豊かな文明社会を築く為の『現実解』として、日本の強みである環境・省エネ技術が再評価されたことは、日本の産業界に身を置く一員として、非常にうれしく思います。

トヨタ・プリウスの代表する、エンジンと電気モーターを組み合わせたHVの量産が始まったのは、1997年のことです。その技術開発の歴史は意外と古くて、1960年代の後半。当初は、伸ばした車体にガスタービンを積んで電気を起こし、モーターを回していたようですね。日本の自動車メーカーが、先端技術でHVの環境・省エネ性能をアピールする一方で、海外では非常にユニークなやり方も。台湾の代理店の社長さんが日本にいらした際、「台湾にも、プリウスに負けないHVが有るよ。ガソリンタンクとは別にLPG(液化石油ガス)用のタンクが付いていて、スイッチ一つで切り替える。燃料代が安く済むんだ(笑)」と、冗談めかして話してくれたのを覚えていますが、この類いはバイフューエル車と呼ばれ、欧米では比較的 普及しているタイプ。日本でも、ガソリン車からの改造が、認められているようです。2014年10月のパリ・モーターショーで展示された、或るコンセプトカーの搭載する次世代ハイブリッド・システムは、 2 ℓのガソリンで100kmの走行を2020年迄に実現にするという、実に野心的なモノ。大容量のリチウムイオン電池や高性能の電気モーター等、ハイテク機器は積んでいません。代わりに搭載しているのが、圧縮空気タンクとその圧力で駆動する空気圧モーターで、車の減速時に余ったエンジン動力と生じる回生エネルギーを利用して、タンクに圧縮空気を貯めておき、再発進や加速などエンジンにアシストが必要な際、タンクから空気を送ってモーターを回す仕組みだそうです。

人類の欲望が、経済的・物質的な豊かさを手放すことは無いでしょう。だからといって、その権利を、非民主的なアプローチで奪い取るようことは、絶対に許されません。前回ご紹介した低速小型EVとFCV、今回のHV、及びPHVやバイフューエル車、そして軽自動車やクリーン・ディーゼル等を含めた、様々な選択肢の中から、それぞれの長所・短所を見極め、最も目的に見合った手段を選択する。そして、大切な地球を守る為、出来る人から一歩ずつ踏み出す。50歳を過ぎたオジサンはそんな風に思って、FCVに乗ることを決めたんです。

今回は、2014年11月の朝礼で取り上げたエピソードを、下敷きにしています。もし、共感頂けるようであれば、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

※一部、表現を変更しました。

社長、水素で走る①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。私が大学に通った頃、学生ラグビーは花形スポーツ。中でも、12月初の『早明戦』は年中行事のメインイベントで、Jリーグ発足前は、サッカーよりも遥かに人気が高かったんですよ。当時は『not-release-the-ball』がもっと厳格に適用されていて、一旦『tackle』が決まると、『loose ball』に向かってFWが全員突進し、巨大な『ruck』を形成。押し合いへし合い、密集の中では『over-the-top』等、ラフプレーも当たり前でした。レフェリーが笛を吹く度、試合の流れがブツブツ途切れた当時と比べると、現代のラグビーは、スピーディーでスマートな印象。別の競技に生まれ変わったとすら感じます。他にも、今の『try』はアメフトの『touchdown』の影響でしょうか、見た目は非常に格好良いんですけど、昔のように厳格にルールを適用したら、ほとんどが『knock-on』ですよねぇ。

では、『LSEV』という言葉は、皆さん知っていますか?こちらは、ラグビー用語ではありません(笑)。後ろにEVと付きますから、何となく電気自動車のことだなと、想像できます。正解は『Low Speed EV』、低速小型EVのことだそうです。二人乗り、最高速度60km/h 以下。1回の充電で100km程度走る、日常の近距離移動用の車です。2018年、お隣りの中国では、78.8万台の電気自動車が売れたそうですが、その約半数が『LSEV』。しかも、登録せずに違法な状態の『LSEV』の方が、正式に登録された車の台数より多いと見られていて、今、自動車業界注目のマーケットとなっているんだそうです。

2019年5月に、弊社で導入した環境対応車は『Fuel Cell Vehicle』、燃料電池車(FCV)です。大きな括りで言うと、電気自動車の一種。バッテリーの替わりに燃料電池スタックを積んでいて、充電する替わりに水素を充填。水素と酸素の化学反応で電気を起こし、モーターを回して走りますので、『水素自動車』なんて呼ぶことも有ります。EVと比較して、一回の水素充填による走行距離が長く、充填の待ち時間が短いのが特徴で、二酸化炭素や大気汚染物質を放出しない、究極のエコカーと考えられています。一方で車両価格が高いこと、水素ステーションの数が少ないことが、大きなネック。それでも私たちは、地域の中小企業の先陣を切って、環境対策に取り組む姿勢をアピールすることに決めたんです。もっとも、「社長の知的好奇心を満たすのが、本当の目的だったんでしょ?」と問われれば、私には、それを否定することは出来ませんけどね(苦笑)。

燃料電池車(FCV)の将来性については、疑問視する方も多いようですが、実際に乗ってみて、私は大きな可能性を感じています。例えば、大型トラックや路線バス等、一定のルートを行ったり来たり、物や人を配送するサービスであれば、水素ステーションをあちこちに新設する必要はありません。また、日本では電動化の進んだ鉄道も、ヨーロッパに於いては、旅客列車の約半分が今尚、ディーゼル・エンジンを動力とし、二酸化炭素と大気汚染物質を放出し続けていますから、鉄道業界に於ける燃料電池車(FCV)の潜在需要は充分です。同様に考えれば、空港と空港を行き来する航空機、港と港を行き来する船舶、温室効果ガスを排出するジェット燃料や重油が、燃料でなければならない理由があるのでしょうか。

という訳で、これから数回に渡り『社長、水素で走る』と題し、環境・省エネ技術等、過去の朝礼で取り上げた科学技術に関わるエピソードを元に、令和新時代の視点も加え、再編集してお届けします。お楽しみに。

※一部、表現を変更しました。

社長、プールで泳ぐ⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。この夏に流行ったものと言えば、『タピオカドリンク』でしょうか。財務省の発表によれば、2019年7月のタピオカとその代替物の輸入量は、1,799トンと前年同月比で5.2倍。空前の『タピオカ・ブーム』と言って良いでしょう。その89%は台湾から輸入とのこと。キャッサバ芋の澱粉から作られるタピオカは、糖質の塊です。1杯の『タピオカドリンク』に含まれる糖質量は、角砂糖20~30個分に相当するそうですから、2015~2016年頃、一気に火の付いた糖質制限ダイエットも、今や昔という感じがします。

スイーツ・ブームで私が思い出すのは、1993年(平成5年)の『ナタデココ』です。この会社に入社する1年前、ファミレスD社でアルバイトをしていた頃に流行ったのが、この『ナタデココ』で、シロップ漬けのナタデココを器に掬って、飲むヨーグルトを注ぎ、イチゴのソースとよく混ぜて、アイスとミントをトッピング。こちらは一食380円で、カロリーは165 kcalと角砂糖10~15個分くらい。私のシフトが平日のランチタイムであったにも拘わらず、多くのお客様からご注文頂いたのを覚えています。消費税はまだ3%、私も含めて日本の若者たちが、バブルの残り香を楽しんでいた頃のお話です。

さて、世界金融危機以降、景気低迷の続いた2008~2009年頃、競泳界を席巻していたのが、所謂『高速水着』です。ポリウレタンやラバー製の素材で撥水性が高く、体が浮く感覚が得られ (空気を含んで、実際に浮き易い素材も開発されました)、且つ、一人で脱ぎ着するのが難しいくらいの強い締め付けで、体の凸凹を補正、体軸も真っ直ぐに安定させることで、抵抗を極限まで減らす効果が有ったようです。私はこの頃、ちょうど水泳から離れていたので、個人的には、この手の水着を試したことが有りませんが、優雅に『タピオカドリンク』など飲んでいたら、あっと言う間に着られなくなることでしょう(苦笑)。もっとも、第一線で活躍する競泳選手の食事量は、平均的な成人男性の約5倍、なんと、1日に12,000 kcalにも上るそうですから、彼等にとっては、練習合間の水分と栄養補給に、丁度良い飲み物かも知れませんけどね。

水着によるタイムへの影響が大きかった為、選手同士の不公平感を解消し、メーカーの行き過ぎた開発競争を抑制すべく、国際水泳連盟が2010年4月以降、水着の素材と形状を制限。所謂『高速水着』の着用は、禁止となりました。そんな『高速水着』全盛期の2009年に、『水の怪物』フェルプス選手が叩き出し、不滅と思われた100mと200m バタフライ2種目の世界記録が、今年の世界選手権で、とうとう塗り替えられました。人間って、いったい何処まで強くなるんでしょうか。

今回は、2019年9月の朝礼で取り上げたエピソードを元に、話を膨らませてみました。米中貿易戦争や日韓関係の悪化、世界的に設備投資も鈍化する中、中東情勢も緊迫する等、10月の消費税増税を前に、日本経済にとっても良くない材料が増えてきました。昨今の『タピオカ・ブーム』は、私の中で、バブル崩壊の記憶と重なります。甘い物を楽しむのも良いですが、気付かぬうちにブクブクに太って、身動きが取れなくなってからでは手遅れです。いざという時に しっかり体が動くよう、そろそろ準備を始めた方が良いかも知れません。弊社の経営理念には、『闘う』という言葉が、2回 現れます。その『闘う』相手とは誰なのか?他でもない、己の中に住む、心の弱い『自分自身』なのです。

もし、説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

※誤字・脱字を、修正しました。

 

社長、プールで泳ぐ⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今や日本は人材難。深刻な人手不足が叫ばれる中、海外から日本にいらした皆さんが、色々な場所で活躍する姿を拝見します。今、コンビニでアルバイトすることが、留学生の中では一種のステイタスなんだとか。確かに、現在のコンビニで提供している幅広い商品・サービスを、母国語ではない日本語で、的確に素早く提供する接客能力には、頭が下がります。バックヤードでは検品作業に入出庫、もし、売れ筋管理や廃棄ロスまで考慮する必要のある、発注業務まで任されたら、そこには小売店舗の経営ノウハウ満載。日本人でも全てを習得するには、随分と時間が掛かるでしょうから、彼らがそんな職場で働くチャンスを手に入れたら、それを誇りに思うのも分かります。

世の中には、純粋な単純作業などと言うものは、存在しない気がします。単純に見えて、そこには多くのノウハウが隠れていて、経験からより多くを学ぶ人が、真の一流になれるんではないでしょうか。今回のエピソードは、2014年5月の朝礼で取り上げた『1万時間の法則』について。ある分野で一流と呼ばれる人たちは、センスや才能の有無は別として、その域に到達するまでに凡人を遥かに凌ぐ時間を練習に費やしており、その目安が1万時間だと言うもの。大事なのは『量』ではなく『質』であるとの考えが主流となって来た今、これには賛否両論あるかも知れません。もし、説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

日米通算4257安打の偉業を達成し、この春、惜しまれながらも現役を引退した球界のレジェンド、イチロー選手が、小学校3年生からの7年間、バッティングセンターに通い詰めたというのは、有名なお話。イチロー選手のみならず、超一流は人一倍努力を積み重ねてきたという逸話は、よく耳にします。モノづくりのグローバル化が進む中、私が英会話のトレーニングを開始して、9年余りが経ちました。自分の得意分野の話題なら、自分でも外国語を使っていることを全く意識しないくらい、ペラペラとお喋りをしていることもありますが、自分の頭が、所謂『英語脳』に切り替わらなことも時々あって、そんな時は、自分の無力さに 本当にがっかりさせられます。実務で英語を使う機会の殆どない私に、『1万時間の法則』を当てはめてみると、1日2時間・1年365日、英語に接する時間を割いて、一流の技術や知識の習得には、13年8ヶ月掛かるという計算。妙に納得させられる数字がはじき出され、日本人として “平均的な” 大きさの海馬を持つ凡人としては、『量』に於いても『質』に於いても、もっともっと努力しなければならんと、再確認した次第です(苦笑)。

設計製作と多種少量生産に強みを持つ、弊社の製造現場。作業標準書やマニュアルの整備を進めましたが、幾つかの分野には、習得に時間の掛かる『熟練技術』が残っています。『石の上にも三年』、1日8時間・年間250日働いた場合、1万時間の経験を積むには、5年掛かるという計算になります。長いと感じるか、短いと感じるかはその人次第。必ずしも自ら進んでやりたいような、内容の仕事ばかりではないかも知れません。間違うかも知れない、ミスをするかも知れません。しかし、それも一つの経験。人間、失敗から学ぶことも、たくさんあると思うんです。「今後10~20年で、多くの仕事が人工知能に置き換えられる」と言われて久しいですが、今もなお、世界に繋がる日本のサプライチェーンは、私たちのような凡人の、小さな努力の積み重ねによって、支えられているんですよ。

※誤りを訂正しました。【誤】開始して、10年余り→【正】開始して、9年余り

 

社長、プールで泳ぐ⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。台風一過、今日も暑くなりそうです。

健康管理は、社長にとって大切な仕事の一つ。先日、遺伝子検査キットを購入し、病気の発症リスク等、自分の遺伝的傾向を調べてみたところ、検査結果280項目の一つに『遺伝的に海馬が小さい』と。海馬は、脳の記憶力や空間認識能力を司る非常に重要な器官で、それが生まれながらに小さいと。今更の指摘に正直ショックを隠し切れず、何かの間違いではないかとも考えましたが、自分でも思い当たる節がない訳でもなかったので、最後は、運命として受け入れることに決めました。これからは、『遺伝的に海馬が小さい』人間として、精一杯生きよう、人一倍努力しようと・・・

それはさておき、男なんて単純なもので、スポーツの祭典での選手の活躍を見ると、少なからず刺激を受けるものです。20日(金)に開幕するラグビーW杯は、1ヶ月半近くに渡る長丁場。今は盛り上がりに欠けるきらいもありますが、10月末頃には、南アフリカの大男に負けず『ラグジャー』の似合う、筋肉ムキムキのマッチョを志向する男どもで、スポーツジムが ごった返しているかも知れません。今回お届けするのは、2018年3月の朝礼で取り上げたエピソード。前回のブログでは、画期的な省エネ泳法を紹介しましたが、今回は、要領よく泳ぐだけでは、やはり世界を相手には戦えないというお話。説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

日本のお家芸と言われてきた平泳ぎ、特に五輪で2種目2連覇を成し遂げた、北島康介選手の洗練されたフォームには、世界の誰もが注目したものです。その美しい『ストリームライン』で水中を効率良くグライドし、ストローク数を極限まで減らした、2008年の北京五輪100m平泳ぎのレースは秀逸。前半の50mを16ストロークで折り返すと、後半も焦ることなく20ストロークでフィニッシュ。ゴールタイムの58秒91は、当時の世界記録です。ところがですね、一人のスイマーの出現により、この流れが大きく変わってしまったんです。その名はアダム・ピーティー。イギリスの選手で、190cmを超える長身とフィジカルの強さを活かして、兎に角パワフルに泳ぎます。2016年、リオ五輪でのピーティー選手のストローク数は、前半21後半25と北京の北島選手より片道で5回も多く、パワーを活かしたピッチ泳法で最初から最後まで泳ぎ切って、優勝タイムは驚異の57秒13。今年の世界選手権では、より洗練された泳ぎで、自らの世界記録を 56秒88まで縮めました。

『テクニック』の時代から『パワー』の時代に移行したと言われる、平泳ぎ短距離種目、注目すべきは、ピーティー選手の水中映像です。水の上から見た時の、躍動感溢れる荒々しい印象とは対照的で、水中の腕と脚の動きは非常にコンパクトに纏められ、淡白と言えるくらい無駄のないスムーズな動きです。これは、世界一美しい『ストリームライン』と評された、北島選手と共通する部分で、水から受ける抵抗を、極限まで減らす『テクニック』についても、ピーティー選手は、ピカイチなんじゃないかと思います。『パワー』と『テクニック』を兼ね備えた、1994年生まれの24歳。一人実力が頭抜けているので、来年の東京五輪、100m平泳ぎの金メダルは、ピーティー選手で ほぼ確定。あとは、彼がどんなタイムで泳ぐのか、東京での世界記録の更新が楽しみです。

中小企業が、グローバル・サプライチェーンの一翼を任されるということ。サプライチェーンの仲間と共に、世界で戦っているという自覚と責任。要領よく泳ぐだけでは駄目で、人一倍の努力が必要だと思います。従業員の皆さんには、そこに喜びと誇りを感じて、日々の仕事に取り組んでもらいたいですし、そう思ってもらえる職場環境を整えることが、私の使命なんだと思います。

さてさて。その後、悶々と生活すること1~2週間。気持ちの整理もついたところで、検査結果の詳細を改めて読み返してみると、そこには、「日本人の65.8%は、海馬が(やや)小さいタイプに分類される」と、そう書いてあるじゃないですか。世界標準で見るとやはり小柄な日本人、体が小さければ頭蓋骨も小さくて、そこに収まる海馬も、若干小振りという訳ですね。なるほど、大男のピーティー選手が、私より大きな海馬の持ち主であることは、間違いなさそうです(苦笑)。

 

社長、プールで泳ぐ⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『ストリームライン』というビジネス用語を、耳にする機会が増えました。名詞として使うと『流線型』、動詞では『無駄をなくして、合理化・効率化する』という意味です。陸上運動の800倍以上の抵抗を受ける、水泳の世界ではよく使う表現で、壁を蹴った後の蹴伸び等で、水の抵抗を最も受けにくい水中姿勢のことを言います。以前お話の通り、目線一つで水中姿勢も変わりますし、『ストリームライン』を維持するには、『体幹』を鍛えることも重要です。

さて、旋盤一台、小さな鉄工所からスタートした弊社。創業期から受け継がれた、『労働=美徳』という価値観を、私は否定しません。しかし、どんなに頑張っても向上しないのが、日本の労働生産性。これは今始まった話ではなく、1980年以降、OECD加盟国(現在36ヶ国)中20番目前後の順位は、バブル期もデフレ期も、景気の良し悪しに関わらず、ほとんど変わっていないんです。そんなこんなで、この4月にスタートした『働き方改革』。『一生懸命頑張る』だけでは駄目で、長い人生、要領よく泳ぎ切るコツを身に付けることも、大切なのかも知れませんね。2016年3月~4月の朝礼で取り上げたのが、『ストリームライン』を保ち抵抗を減らすことで、体力の消耗を抑え しかも速いという、画期的な省エネ泳法。説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

ビート板を持ってバタ足って、水泳入門編の定番だと思います。この単純な基本動作が、私の知らないうちに、根本的に変わっていました。私が高校生だった頃のバタ足とは、上から下に、脚を大きく振り下ろして、水面を叩くような片道運動。私自身も、大きな水飛沫を上げれば上げる程、推進力が増して速く泳ぐことが出来る、そんな風に考えていました。この動きを『ダウンキック』と呼びます。一方、現代のバタ足は往復運動。『ダウンキック』にプラスして、足の裏を使って柔らかく蹴り上げる動作、『アップキック』も意識的に行います。抵抗を減らす為、脚の振り幅は小さく細かく、大きな水飛沫は立てません。

初心者の場合 腰が沈むことの多い、背泳ぎに於いては、理想的な水中姿勢を保つ為に、『アップキック*』の比率が 60~70%と言うのですから、苦手克服の為、力任せに非効率な『ダウンキック*』を打っては、25m持たずに、ヘトヘトに疲れてしまっていた私にとっては、カルチャー・ショック以外の何物でもありません。実際に挑戦してみると、『アップキック*』を習得するのは、非常に難しいです。恐らく、殆どの方が意識したことのない動きですから、どのタイミングで、どの筋肉に、どう力を入れれば良いか、全く見当も付かない筈です。入江 陵介選手のキックが、最高のお手本だと思いますので、水中映像を参考にしてみて下さい。一旦 コツを掴めば、少ないキックの回数でも、腰を浮かして『ストリームライン』を保てることを、実感できると思います。

勘違いしてはならないのは、『ストリームライン』を維持するだけでは、体は前に進まないということ。推進力の70%を担う、プル(腕による掻きの動作)の強化も重要であることは、言うまでも有りません。頑張るべきところは、しっかり頑張るということですね。

なお、背泳ぎでは、本来、アップとダウンの関係性が反対になるのですが、分かり辛くなるので、便宜上、足の甲で蹴るのを『ダウンキック*(背泳ぎでは、アップキック)』、足の裏で蹴るのを『アップキック*(背泳ぎでは、ダウンキック)』と、ビート板を使ったバタ足と同じ表現のまま、説明をさせて頂きました。

※誤字・脱字を修正しました。【誤】言ます。→【正】言います。

 

社長、プールで泳ぐ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。闇営業問題で謹慎中だった、吉本芸人達が活動を再開。とは言え、激烈な競争社会。その座を奪うチャンスを虎視眈々と狙っていた若手は、幾らでもいるでしょうから、今後も彼等が同じように活躍できるかどうかは、本人達次第というところでしょうか。振り込め詐欺の被害に遭われた方々に対する思いを忘れることなく、謙虚な気持ちで頑張ってもらいたいと思います。一方、パワハラ体質で批判を浴びた吉本興業㈱も、所属タレントとの契約方法を見直す方針とのこと。『令和元年』は、芸能界にとっても、大きな節目の年になりそうです。

さて、半導体を製造するうえで、必須の部材や重要な製造装置の多くが日本製であることは、昨今の報道で、皆さん ご存知のことと思います。スマホや車載用のバッテリー関連の分野に於いても同様で、弊社も微力ながら、そのサプライチェーンの一翼を担わせて頂いておりますので、某社の新型スマホが発売直後から出火事故を頻発、大規模なリコール騒動に発展した際には、使用される部材や製造装置の不具合の可能性も取り沙汰され、我々も肝を冷やしたものです。ビジネスに限らず、一度失った信用・信頼関係を取り戻すのは、並大抵のことでは有りません。今回ご紹介させて頂くのは、リオ五輪が終わって間もなくの2016年10月、朝礼で取り上げたエピソードです。説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

皆さんは、ライアン・ロクテという、米国の水泳選手をご存知でしょうか?彼は、オリンピック通算28個のメダルを獲得した、『水の怪物』マイケル・フェルプスと並んで、米国ではマイナーだった競泳をメジャー・スポーツに押し上げた、水泳界のスーパースター。ロクテ選手自身も、通算12個のメダル獲得していますが、彼がリオ五輪で、大変なことをやらかしちゃったんですよねぇ。大会期間中、リオデジャネイロの街で、警官らしき男に拳銃を突きつけられて、金品を奪われたと証言。実はこれが全くのでっち上げで、実際はパーティーで酔っぱらい、帰り掛けに寄ったガソリンスタンドで器物損壊、店側が弁償を求めると更に暴れ出したので、警備員に身柄を拘束されたと言うのが事実のようで、何を勘違いして、話を面白可笑しく脚色したのか分かりませんが、特権意識を持ったアメリカ人が、ブラジル人を三流国民として侮辱した事件として、国際問題に拡大。結果、ロクテ選手は、10ヶ月の資格停止処分やスポンサーとの契約打ち切り等、今まで築き上げて来た、全てのものを失うことになりました。

その後、無許可の静脈注射で、更に14ヶ月の資格停止処分を受け、アルコール依存症にも苦しんだ、ロクテ選手も今年で35歳。引退かと思いきや、8月の全米選手権、200m個人メドレーで見事に優勝、復活を遂げました。失ったものを取り戻す為ではなく、不祥事以降、支えてくれた家族の為、そして自分自身の為に、東京五輪を目指すのだそうです。是非、頑張ってもらいたいですね。

繰り返します。一度失った信用・信頼関係を取り戻すのは、並大抵のことでは有りません。

※一部、表現を変更しました。

社長、プールで泳ぐ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ラグビーW杯前回大会で大活躍だったのが、五郎丸歩選手。グループリーグ4試合で58得点、ベスト・フィフティーンにも選ばれました。彼の人気を、お茶の間にまで広めたのが、プレースキック前に行う、独特の『ルーティーン』。集中力を高める為に、メンタルコーチと、二人三脚で作り上げたんだとか。北海道網走で、最終選考を兼ねた合宿も始まりました。本大会では、どんなニューヒーローが誕生するか、楽しみです。選手の皆さん、頑張ってくださいね。

さて、今回ご紹介するのは、2012年9月の朝礼で取り上げた、私の水泳再開前のエピソードです。直接的には付加価値を生まない、地味な作業も、しっかりと『習慣化』して継続することで、会社の屋台骨とでも言うべき、『経営理念』を支える力になると。説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

長い夏休み中ゲームばかりで、運動不足のお子さんも多いのでしょう。娘の通った小学校の夏休みの宿題には、『一日一回、ハーハーするくらい運動する』というのが有って、当時、小二の娘がやると決めたのは、『縄跳び300回』。運動不足の私も、それくらいなら出来るだろうと、付き合うことに決めました。初日の朝、子供の縄を借りたまでは良いのですが、それで飛ぶのが 一苦労。何せ 短い。必要以上の腿上げに耐え、後頭部をかすめる縄の恐怖に、打ち勝たなければなりません。2日・3日も続けると、次第に筋肉痛は和らぎ、夏休みの間、縄跳びを続けたのが、水泳再開の切っ掛けとなりました。縄跳びって地味ですけど、足腰を中心に、体の中心線『体幹』を鍛えてバランスを整えるのには、とても良い運動だなと思います。体の軸が弱っていると、当然姿勢も悪くなりますし、腹から声が出なくなる。大きな声で、明るい挨拶から1日が始まれば、会話も弾むし、人間関係もスムーズに運ぶもの。『体幹』を鍛えるって、心にも体にも大切です。

会社組織にとっての『体幹』、ブレてはならない軸と言うのは、『経営理念』です。そして『経営理念』を実現する為に、中期経営計画と単年度の経営方針が有って、これらが『縄跳び300回』に当たります。その年の、経営方針の重点項目は、品質に対する意識改革と、品質管理システムの再構築。規格書・作業標準・検査記録の整備や、不具合報告の徹底等、煩わしいばかりで、つい後回しになりがちだった、記録を取る・文書に残すを『習慣化』し、会社の『体幹』を、より強固なものに鍛え上げたい、と考えた訳です。勿論、紆余曲折は有りましたが、その後、この地道な取り組みは、企業の文化として定着。社内の情報共有やカイゼン活動等に発展し、2019年の今も尚、弊社の『経営理念』の第一項目に謳われる、『お客様にご安心頂けるサービス体制』を、支え続けています。

では、『縄跳び300回』の方は、習慣として定着したかと言うと、せっかく『My 縄』を購入したにも関わらず、止めました。マンションの周囲は、コンクリートにアスファルト。足腰に負担が掛かるものですから。替わりに始めて、長年続いている習慣はというと、夕食後の腕立て・腹筋・スクワットに、寝る前のストレッチ。そう言えば、帰り際には公園に寄って懸垂も。他にも、朝は、出勤前にビジネス英単語の習得、会社に着いたら、ネット上の英語ニュースで情報収集。行き帰り車の中でも、CDのシャドーイング。それから週末はプールに行って、英会話サークルに参加して、浅草に行って・・・と、年々『ルーティーン』が増えるばかり。私が学ぶべきは『習慣化』ではなく、整理する技術、『断捨離』の方かも知れません(苦笑)。

社長、プールで泳ぐ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今年は冷夏。暑い夏はやって来ないと信じていましたが、やっぱり来ました。連日の猛暑日に、私は早くも夏バテ気味です。十分な睡眠と、バランスの取れた食事。ビタミンB1やクエン酸、良質のたんぱく質を摂取すると、疲労回復に繋がるようですね。

さて、ニッチな成熟産業に於いて、新規開拓ほど難しい仕事は有りません。何度ご訪問しても色よい返事を下さらないのは、ライバル企業が がっちりとハートを掴んだ、長年の固定客の皆様。自然と営業マンの足が遠のく理由も、分からないではありません。今回お話しするのは、業績不振の続く2015年1月~3月の朝礼で、ちょっとした切っ掛けが 苦手克服に繋がった一例として、取り上げさせて頂いたエピソードです。説得力有りと感じて頂けたら、SNSの投稿に『いいね』下さい(笑)。

体力づくりの一環として、水泳を再開した頃、萩野選手・瀬戸選手の若い2人が、個人メドレーで大活躍。刺激を受けた私は、クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライの4種目を、キッチリ泳げるようになりたいと、思っていました。克服すべき最大の難関は、背泳ぎ。鼻から水が入るのが嫌で、ほとんど練習したことがなかったんです。一般的には、鼻から少しずつ息を吐き続ければ、水は入らないと言うのですが、水中で肺の空気が無くなっていくって、恐怖ですよね。で、慌てて息継ぎをした途端、気管に水が入って、もうパニックです。生理学的に言って不可能というのが、私の今までの見解でした。

ところがです。技術の進歩ってのは凄いですね、或いは、大人ってのは狡いなとでも申しましょうか、ある画期的なアイテムを発見したんですよ。それは何か?『ノーズクリップ』、所謂、鼻栓ってやつですね、昔のシンクロ、今で言う、アーティスティック・スイミングで使っている。私が高校生の頃は、シリコーン製品なんて、一般には出回っていませんでしたけど、その時には、普通のスポーツ用品店でも市販されていて、これがね、凄い。効果抜群。壁から3メートルも行かないうちに、死にそうな顔で咳込んでいた私が、気分は既に、バサロ泳法でソウル五輪金メダルの、鈴木大地(長官)!!

精神的に余裕が出ると、今まで見えなかった世界が見えて来ます。壁を蹴ることを意識する余り、足元ばかりに目が行っていたことに気付いた私は、思い切って、視線を真正面に向けてみることに。すると、水面越しにプールの天井がクッキリと現れ、同時に、水中の深さ約1m辺りでしょうか、自分の体が仰向けのまま、スーッと前に滑って行くのが分かりました。目線を変えただけで、後頭部で受けていた無駄な抵抗が減って、同じ蹴る力でもより効率的に、体を前に運ぶことが出来るようになった訳です。

人生に於いても仕事に於いても、目線をどちらに向けるかって重要だと思いませんか?実際、俯いて下を向いていると、碌な事は起きません。私の場合、ちょっと道具に頼りましたけど、苦手克服の一つの切っ掛けになるのであれば、それはそれで良いんじゃないかと思います。仕事の方はというと、その後、2016年5月期を底に、売り上げは反転。先期まで、3期連続の増収を達成していますから、私の言葉も、従業員の皆さんに、少しは響いたのかも知れません。全国の『アンチ昭和』の、ジョイント・ユーザーの皆様。私が同行してお邪魔する際には、『うまい、うますぎる』で有名な、埼玉銘菓をお持ちしますので、次回の発注の際には、是非、相見積もりにだけでも、参加させて下さいね(笑)。

社長、プールで泳ぐ①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。俳優で歌手の吉川晃司さんが、クールな銀髪で『下町ロケット』に登場して以来でしょうか、最近、敢えて髪を染めず、白髪をお洒落に楽しむ中高年の皆さん、とっても増えました。年齢不相応に真っ黒なよりはナチュラルですし、『逆プリン』を放って置くよりは清潔感が有って、好印象ですよね。私も異論有りません。このまま薄くならずに『ロマンスグレー』になれば、なんて素敵なことだろうと思います。その一方で、私の場合はヘアカラー未体験。人生は何事も経験です。一度もチャレンジする事なく、白髪頭を受け入れるのもどうかと思い、50歳で一念発起、白髪を染めてみることにしました。

店長からは、「白を黒に寄せて、黒を白に寄せると、全体的に明るい色に仕上がりますが、白髪は目立たなくなりますよ」との提案。お任せすると、なかなかの良い仕上がり。5歳は若返ったように感じました。1週間後には、鏡の中の若作りな自分にも慣れましたが、2~3週間待たずして、茶髪がワイルドな、見知らぬ『ちょい悪親父』がそこに現れて、1ヶ月も経過すると、真っ赤な頭がチャラ過ぎて、表に出るのが恥ずかしい位になってきました。染髪の大先輩である妻に意見を求めると、「プールで泳ぐからでしょ?」と一言。なるほど、健康維持のために週一回泳いでいたのが災いして、想定よりも早く、色落ちしてしまったようです。現在は、お店に紹介してもらった真っ黒なシャンプーで、メンテナンスを心掛けています。

中学時代は文化部で、体力向上の為に、高校で私が選んだのが水泳部。水球で、代表クラスの選手だった吉川晃司さんが、『モニカ』という楽曲で颯爽とデビューした、丁度、その頃のお話です。練習についていくのが精一杯で、万年補欠の私でしたが、頭は茶髪、真っ黒な肌には、ピッカピカに光る金色の体毛と、見て呉れだけは、一丁前の水泳部仕様だったんですよ。結婚して子供が出来ると、泳ぐ機会も減りましたが、会社の代表に就任し、少し余裕の出て来た40代中盤で水泳再開。50歳にして、人生2度目の茶髪を経験中です。私の知らないうちに、競泳界には、マイケル・フェルプスやライアン・ロクテなど、世界的スーパースターが出現。科学的なアプローチの導入で、世界記録は大幅に短縮され、泳ぎのテクニックも、根性論のまかり通った私の高校時代から、大きな変化を遂げていました。そして、今回の世界水泳での、『トビウオジャパン』の大活躍。埼玉出身の男子キャプテン、瀬戸大也選手は、3つのメダル獲得と、個人メドレー2種目で東京五輪内定。おめでとうございます!

ラグビーW杯日本大会も、もう直ぐ。水泳に限らず、スポーツの話題って、ビジネスでも参考になる部分が多いので、社内の朝礼で取り上げさせてもらうことが、結構多いんです。と言う訳で、海を渡り、川を語った後は、プールで泳ぎます。以前、従業員の皆さんの前で話した、スポーツ関連のエピソードを元に、令和新時代の視点も加え、再編集してお届けします。お楽しみに。

社長、荒川を語る④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。先日、東武アーバンパークラインに、初めて乗ってみました。昔は、東武野田線と呼ばれていた路線で、大宮~柏・船橋を繋ぐ環状線です。大宮生まれ大宮育ちの私には、馴染みの電車ですが、呼び名が変わってから、乗るのは今回が初めてです。現在は、急行・快速運転もあって、私の実家の最寄り駅には停まらず、大宮から岩槻まで8分、春日部まで15分と、とっても便利。車窓からの眺めは昔と変わらず、大宮公園を過ぎると、懐かしい見沼の田園風景が広がります。ま、正確に言うと、この辺りは野菜畑なんですけどね(笑)。春日部駅で、南北に走る東武スカイツリーラインに乗り換えて、その日の目的地は、せんげん台。このまま乗れば、隅田川の流れる浅草にも行けるみたいですから、今度、時間に余裕のある時にでも、電車の旅を楽しんでみようと思います。

さて、1629年の荒川西遷と1654年の利根川東遷事業、そして、1930年の荒川放水路の完成を以てしても、水との戦いは終わらなかったようです。何故なら、洪水対策とは表と裏、増え続ける江戸・東京の人口を養う為、今度は、農業用水や飲み水の確保等、渇水対策が必要となったんです。荒川の水源から切り離された綾瀬川と元荒川の西側は、水が不足気味で、八代将軍吉宗の享保期、1727年に芝川、1728年に見沼代用水を通し、利根川から農業用水を確保。先程お話しした、埼玉県の原風景とも呼べる、『見沼田んぼ』の新田開発が進みました。人口の急増した、戦後の高度経済成長期には、『治水』派と『利水』派で激論の末、1967年、利根大堰から武蔵水路を開削。結局、利根川と荒川を再び繋いで、埼玉県民・東京都民の飲み水を確保することになりました。東京都の水道水の約78%は、荒川から引いていると申し上げましたが、実はその約半分が、利根川から供給されている水なんですよ。取水口の周辺は、秋ヶ瀬取公園として整備され、埼玉県民 憩いの場所となっていて、2003年と2011年に、アザラシが現れたのも この辺りです。

一方、東武スカイツリーラインの走る、綾瀬川と元荒川の東側はと言うと、一旦水が出るとなかなか引かない、独特の窪んだ地形。こちらには、総工費2,300億円を掛けて、2006年に世界最大級の地下放水路が完成。映画やドラマの撮影にもしばしば活用される、『地下神殿』です。総貯水量は67万立方メートル。総延長6.3キロの地下トンネルで、西から東の順に、古利根川・幸松川・倉松川・中川・第18号水路と、5つの河川を繋ぎ、大雨の際は、春日部の近隣地域を、浸水被害から守ります。貯められた水は、埼玉・千葉の県境を流れる江戸川に排水。ゆっくり4日間掛けて空にするので、下流域に悪影響を与えることは、無いそうです。正式には、首都圏外郭放水路。2018年8月からは、一般向けの見学会もスタートしました。1人 1,000円で、所要時間は約1時間。要予約です。

と言う訳で、地元を代表する河川の1つ、荒川の数奇な運命を通して、我が生まれ故郷 埼玉について、4回に渡って語って参りました。豊かな水に恵まれていると言うことは、酒造りにも好都合。埼玉には35の蔵元が有って、清酒の出荷量に於いては、全国有数の酒処です(苦笑)。その埼玉県勢が、今年5月にロンドンで開かれた、世界的ワインコンテストで大躍進。 IWC 2019 の『SAKE部門』では、9つのカテゴリーに、432社から1,500銘柄が出品される中、『大吟醸酒』と『古酒』の 2部門で、埼玉の銘柄がトロフィーを獲得。惜しくも、『CHAMPION SAKE』のタイトルは逃しましたが、水と戦いながらも、水と共に生きてきた埼玉勢が、味の面でも、世界レベルの実力を証明してくれました。令和最初の暑気払いは、埼玉の冷酒も、是非、一杯 味わってみて下さい。

社長、荒川を語る③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2019年4月から、『働き方改革』が本格スタート。我々のような中小企業にも、従業員の『ワーク・ライフ・バランス』に十分に配慮し、会社の舵取りをすることが求められています。生産性向上の具体的なプランなしに、今まで2人でこなしていた仕事量を、1人に押し付けるような理不尽は、許されません。

1629年に荒川が合流し、名実ともに”荒川”の栄誉に授かった入間川、その肩書に恥じぬよう努力しようにも、丸々川 1本分の負担増に、耐えられる筈がありません。大雨の度にオーバー・フローを繰り返し、下流に在る江戸の街は水浸しに。人的な被害は出なくとも、家屋や農作物への悪影響は頻発したようです。にも拘らず、入間川の『ワンオペ “荒川”』は続きました。ブラックですね(怒)。文明開化から40年余り、1910年の関東大水害で、200人を超える死者・行方不明者等の甚大な被害が出るに至り、ようやく明治政府が動きます。人工の水路を作って、増えた水量を、そちらに流すことになったんです。今に例えると、AI導入で効率2倍、みたいな感じでしょうか。指揮を執ったのは、パナマ運河の建設にも携わった、青山士(あおやま あきら)。着工から17年後の1930年、難工事の末に東京湾まで繋がって、『荒川放水路』がようやく完成、入間川は、300年に渡る”荒川”の重責から解放され、洪水との孤独な戦いは、終焉を迎えた訳です。

大宮から電車に乗って、荒川を越えると次は赤羽。弊社、東京営業所の最寄り駅です。JR荒川橋梁から東を向いて、下流には国道122号線の『新荒川大橋』。その先で、荒川は2つの流れに分かれます。今、荒川と呼ばれ左側を流れる太い方、実は人工的に作られた放水路だったんですね。そして、隅田川と呼ばれ右側を流れる細い方が、伊奈忠次により荒川が合流した、旧入間川の川筋です。電車からも遠くに見える、赤羽岩淵の『赤水門』は、東京都の指定する歴史的建造物。1924年に完成、荒川の流れを堰き止め、当時まだ工事中だった『荒川放水路』に放流、水を貯めて、下流の人々の生活を洪水から守ったそうです。その奥には、1982年に完成し、現役で稼働中の『青水門』。200年に1度の洪水にも耐えられるよう、設計されているのだとか。

埼玉県飯能市、山奥の森林に水源を持つ入間川、1629年以降、荒川の支流扱いになったとは言え、江戸で大火の起こる度不足した木材を、深川の木場まで運ぶ為の、重要な物流ルートとして活用されました。埼玉南西部のブランド杉、江戸の西から流れて来たことから、『西川材』と言います。1965年4月1日の河川法施工で、旧入間川の岩淵水門から下流部分を、正式に隅田川と呼ぶことに。荒川区から、”荒川”が消えた瞬間でもあります。2019年、令和最初の『隅田川花火大会』は、7月27日(土)午後7時に開始予定。埼玉県民の一人として、入間川の苦難の歴史に思いを馳せ、東京の夏の風物詩を楽しみたいと思います。

※一部、表現を改めました。

社長、荒川を語る②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。埼玉と長野・山梨の県境に、甲武信岳(こぶしだけ)という山が在ります。甲州、武州、信州に跨るので、甲武信岳。標高は、2,475m。北東側斜面に降り注いだ雨粒は、次第に一筋の流れとなって、荒川の源流を形成します。北西には信濃川(千曲川)、南には富士川(笛吹川)の源流が在って、日本を代表する3つの河川の、起点となっているんですよ。荒川上流の秩父・長瀞エリアは、自然豊かな観光スポットとして、人気上昇中。荒川のライン下りだけでなく、天然氷を使った『ふわふわ』かき氷や、アニメの舞台にもなった三峰神社等、この夏は是非、埼玉県の魅力を満喫してみて下さい。

さて、荒川は昔、綾瀬川の川筋を流れていた時代が有りました。『あやしの川』の流量を減らす為、バイパスを通して、東隣りを流れる川に分水したのが、戦国時代の話。水量の減った綾瀬川は、後に荒川から完全に切り離され、現在の姿のようになったのだそうです。一方、水量が増えた結果、『荒ぶる川』の本流に昇格したのも束の間、江戸初期には、こちらの川も甲武信岳の水源からは切り離されて、結局、”荒川”の称号を失う羽目に。現在は、W杯ラグビー会場の1つ『あついぞ!熊谷』に在る、ポンプで汲み上げた地下水を源流とし、世界で唯一の『ムサシトミヨ』生息地として復活。埼玉県指定天然記念物にも選定されたこの清流、元々は荒川だったという事で、元荒川と呼ばれています。しかし、戦国~江戸初期となると、元荒川が “荒川”を名乗っていた歴史は、意外と短いんですね。恥ずかしながら、この話は、私もよく知りませんでした。

では何故、元荒川は、”荒川”の地位を奪われることとなったのか。その転機は、1590年の徳川家康の江戸入城です。当時の関東地方は、幾つもの川の流れが入り組む湿地帯。雨が降る度に河川が氾濫するのは相変わらずで、必ずしも人が住みやすい場所ではなかったようです。京都・大坂に負けない大都市 江戸を築くため、家康が考えたのは、江戸湾に注ぐ2つの『暴れ川』の流れを、根本的に変えてしまうこと。『荒ぶる川』こと荒川は、1629年、遥か西を流れる入間川に付け替えられ(荒川西遷)、『坂東太郎』こと利根川に至っては、1654年、常陸川に付け替えられて、太平洋へと流れの向きを変えました(利根川東遷)。”利根川”の大役を退いたこの流れ、現在は古利根川と呼ばれ、途中、元荒川と合流して、昔ながらに東京湾に注いでいます。江戸時代に行われたこの河川大改修、家康にその大役を任されたのが、武蔵国小室藩初代藩主の伊奈忠次。親子三代に渡って大事業を推進し、埼玉県での洪水の危険性は、著しく減りました。皆さんも既にお気付きの通り、本社工場のある伊奈町の町の名前は、この伊奈忠次に由来しています。

ここまでが、私たち埼玉県民が学校で習う、埼玉県の郷土史。その一方で、元荒川に替わって、新たに”荒川”の重責を担うことになった、入間川の300年間に渡る孤独な戦いの歴史と、明治~昭和期に行われた荒川の更なる大改修については、県内で語られることは殆ど有りません。次回はその、埼玉県民が触れてはならない『不都合な真実』について、チョットだけ、お話しさせて頂こうと思います。お楽しみに。

社長、荒川を語る①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。雨の季節です。梅雨も後半に入ると、活発な梅雨前線が停滞し、時に予想もしないような、河川の氾濫、土砂災害を引き起こします。普段から気象情報に注意すると共に、いざという時に備え、日頃から対策を講じておく必要がありそうです。

埼玉県と東京都の県境を流れ、『荒ぶる川』として知られる一級河川、荒川。かつては氾濫を繰り返し、平成最後の大ヒット映画『翔んで埼玉』では、埼玉県民が通行手形なしでは渡ることを許されない、『関所』として描かれています。東京都の水道水の約78%は、荒川の秋ヶ瀬取水堰から引いたものです。では、この荒川が辿って来た数奇な運命について、皆さんはどれ位ご存知でしょうか?今の荒川は、荒川であって、荒川ではありません。アザラシの『タマちゃん』もビックリ、埼玉県民の常識を覆す、意外な事実も。と言う訳で、これから数回に渡り、地元を代表する河川の1つ、荒川の歴史を通して、我が生まれ故郷 埼玉について、熱く語って行こうと思います。

さて、弊社の本社工場が在るのは、伊奈北部工業団地。蓮田市と桶川市に接する、北足立郡伊奈町の北の端に位置します。田んぼに囲まれ、遠くからは雉の鳴き声が聞こえてくる、長閑な片田舎ですが、圏央道の開通以降、桶川加納と白岡菖蒲の、2つのICから近い立地を活かし、関東一円の物流拠点ともなっています。工場の裏門から出て道を挟んだ向かい側、伊奈と蓮田の境界を流れるのが、一級河川の綾瀬川。『リバー・サイド』と言えば聞こえは良いですが、桶川を起点とし、田んぼの落水を源流とする綾瀬川、この辺りでは、季節によっては水が有ったり無かったりで、その姿は一級河川と呼ぶには程遠い、謂わば、水田の『用水路』と言った風情です。そこに水を供給し、『用水路』に少しだけ『河川』らしい姿を与えているのが、工場の東側に在る人工貯水池。梅雨時や台風等の大雨の際には、その力を遺憾なく発揮します。普段は、カルガモやダイサギ、アオサギ、カワウ等、野生の鳥たちの憩いの場所となっており、一級河川 綾瀬川の、実質的な『水源』と言って良いでしょう。その後 綾瀬川は、少しずつ川幅を太くしながら、埼玉スタジアムの脇を抜け、東京都葛飾区で中川に合流、最終的には荒川に合流して、東京湾に注いでいます。1980年から15年連続で『日本一』に選ばれるほど、汚い一級河川として有名でしたが、最近は水質も改善し、コイ、フナ、モツゴ、ウグイ、ドジョウ、ナマズ等の魚が、確認されています。

この綾瀬川、大雨が降る度に水路を変える怪しい川、『あやしの川』を名前の由来とする通り、戦国の昔までは、頻繁に氾濫を繰り返す『暴れ川』、何を隠そう、本家本元の『荒ぶる川』、荒川の本流だったんだそうです。実際、幾つかの地図には、『綾瀬川(旧荒川)』の記載が残っていて、もし、綾瀬川が戦国の世の姿を留め、荒川のもたらす水量を、満々と湛える大河であったならば、我々が、お洒落な『リバー・サイド』を名乗っても、良かったのかも知れません。現実には、情緒豊かな『農業用水路』ですけどね(苦笑)。まあ、こんな悠長なことを言っていられるのも、我々が拠点を置く埼玉県が、自然災害に強い都市づくりを進めてきたからに他ならず、それが、先人たちの努力によって成し遂げられたという事実を、私たちは忘れてはなりません。続きは次回。

※誤りを、訂正しました。【誤】「伊奈町北部工業団地」→【正】「伊奈北部工業団地」

社長、海を渡る<中国編>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。6月28日(金)・29日(土)と、G20サミットが大阪で開かれるのに併せ、トランプ大統領と習国家主席が、話し合いの場を持つことになったようです。『貿易戦争』に名を借りた、米中の『覇権争い』。『新冷戦』或いは、『文明の衝突』なんて言葉を使う人も、出てきました。2つの超大国が矛を収め、着地点を見出せるかどうか、注目しましょう。

さて、私が中国に行ったのは、翌年に上海万博開催を控えた、2009年11月のことですから、ほぼ10年前の話です。中国蘇州の或る商社さんが、上海で開かれる展示会のブースの一角を利用して、私たちの製品を紹介してくれることになったんです。当時、日本の装置メーカーさんの多くが、中国製の粗悪なコピー製品に悩まされていました。製造装置を1台、中国企業に納入すると、その翌年には、何処に発注したかは分かりませんが、見た目そっくり銘板までコピーした、偽物の製造装置が丸々一式、隣りに仲良く並んでいて、白々しくも「壊れたから直してくれ」と、模倣品の方の修理を依頼されることが、しばしば有ったんだとか。リバースエンジニアリングは、一歩譲って許すとしても、商標の盗用は完全NGです。怖いもの見たさ半分、勿論、中国という市場を理解する上でも、私は上海に向かう必要が有ったんです。

リーマンショックから、1年ちょっと。経営再建中のJALに搭乗するのを避ける為、わざわざ、羽田から飛んだのを覚えています。当時、羽田は再国際化前でしたが、第2ターミナルの隣りには、暫定の国際ターミナルが存在して、上海行きの定期チャーター便が就航していました。上海には国際空港が2つ。1999年開港、海外からのお客さま向けの表玄関が、リニアモーターカーの走る『上海浦東国際空港』。そして、浦東のオープン以降、羽田同様、国内線専用に運用されていたのが、上海中心から、約15km西に位置する『上海虹橋国際空港』です。羽田発のチャーター便は、虹橋に降り立ちます。ANAと上海航空が共同運航する、NH6447 虹橋行きに乗り込んだ私は、巨大都市上海を、東から西へと空から横断。眼下には果てしなく広がる市街地、そこに20階は超えるであろう、高層マンション群の延々と連なる光景は、中国という国のポテンシャルを認識するに充分です。

その虹橋空港で、前乗りしていた営業マンと合流。2009年の上海は、全ての物が万博開催に向けて工事中。地下鉄東西線は走っていましたが、肝心の最寄り駅は閉鎖しており、上海中心街を貫け、その東側に在るホテルまで、タクシーで向かうこととなりました。弊社中国市場担当は、台湾在住7年の中国語ペラペラ。唯一『台湾訛り』が抜けないのが難点で、中国本土の人間ではないと、直ぐにバレるのだそうです。当時、中国のタクシーと言えば、VWの旧型サンタナ。1980年代から上海で現地生産され、30年近く愛され続けた中国の『国民車』的存在で、日本車は極少数派です。途中、高速道路上のカーチェイスは冷や汗物でしたが、夕暮れ時、店先の路上にテーブルを並べ、麻雀に興じる人々の姿は印象的で、空からは見えない上海の日常風景も、垣間見ることが出来ました。

肝心の展示会の方はどうだったかと言うと、私の会場入りした展示会2日目は、お世辞にも大盛況とは言えない状況でした。商社の総経理(社長さん)に話を聞いてみると、「中国の人達は、余りにも せっかち過ぎて、来場客でごった返すのは、展示会初日の午前のみ。客足が引くのも非常に早くて、初日の午後以降、お客さまが少ないのは、特段、驚くことではない」のだとか。加えて、11月としては異例の大寒波が中国に襲来。北京では犠牲者が出る程の冷え込みでしたから、そんな影響も有ったのかも知れません。その代わりと言っては何ですが、展示会場を埋め尽くしていたのは、中国・台湾製と思われる『×××品』の数々。詳細についてのコメントは、ここでは差し控えさせて下さい(苦笑)。

2030年頃にはGDPでアメリカを逆転して、世界第1位の経済大国になると言われる中国。実際、私の訪中の翌年、2010年に中国に第2位の座を奪われて以降、日本は、あっと言う間に置き去りにされましたから、アメリカが焦る気持ちも、分からないではありません。

社長、海を渡る<インドネシア編>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。NHKの朝ドラに、AKB卒業生の まゆゆ登場。眼鏡姿も似合ってますね。秋元康プロデュースの姉妹グループ、結成から8年目のJKT48も、インドネシアで大人気。2019年は、いよいよオリジナル楽曲制作なんて話も、有るみたいです。今回は、人口2.7億人を抱え、多くの日本企業からも注目のマーケット、インドネシアのお話です。

それは、1994年4月に私が入社するより ずっと前、シンガポールから届いた、一通のメールから始まったそうです。”e-mail” ではありませんよ、”airmail” の時代です。曰く、「御社の製品が欲しい」と。東南アジア諸国では、日本の中古機械を輸入して再利用するのは、昔から珍しい事ではありません。幾つかの消耗パーツについては、日本から取り寄せなければ手に入らず、我々の製品もその1つだった訳ですね。加えて、そのシンガポールの会社と言うのが、実はインドネシアに本拠を構え、東南アジアで手広く商売をなさっている、華人企業グループの1社だったものですから、当初、スポット案件と考えていた私たちの予想に反し、東南アジアの経済発展と共に、取り引きも急速に拡大。現地の需要を満たす為の、大型の物流倉庫には豊富な品揃えと、私たちのビジネスのグローバル化を語る上では、欠かせないパートナーとなりました。棚から牡丹餅。毎度ながら、ラッキーとしか言いようが有りません(笑)。私がインドネシアにお伺いしたのは、2011年12月ですから、JKT48第1期生お披露目の、ちょっと後。日系小売業の本格参入は、イオンモールの出店が2015年5月なので、もうしばらく先の話です。前年の8月に、グループの創業社長が亡くなり、現社長が名実共に、グループの中心として指揮を執り始めたご多忙の中、貴重な時間を割いて貰いました。

首都ジャカルタの朝はとにかく早くて、何処からともなく、大音量のコーランの斉唱が流れて来るのは、まだ辺りも暗く太陽の昇る前。早朝の礼拝により、世界最大のイスラム国家の、1日がスタートします。日中、高層ビルとスラムが混在する市街地では、私たちの車が赤信号で停まる度、ストリートチルドレンが物乞いに。或る者はガラス越しに花を売り、また、或る者は車の窓を勝手に磨き始めます。学校に行けないのか、行かないのか、それは分かりません。占有率95%以上と、インドネシアも日本車天国。中でも異彩を放っていたのは、東南アジアで高級四駆として依然人気が高い、『三菱パジェロ』。日本向け生産・販売は、2019年8月で終了です。世界最悪と言われる渋滞は、私が伺った当時、まだ、それほどは酷くありませんでしたね。インドの乾燥した大地が黄色いのに対し、インドネシアの土壌は湿り気を含んで、鉄錆のような真っ赤な色。ホテルに戻り、バスタブにお湯を張ってみれば、Yes、インドネシアの水は、とても綺麗な赤色をしています。こちらも絶対に飲んではいけませんよ(苦笑)。

2019年1月、そのインドネシアから私の元に、衝撃の写真が届きました。写っていたのは、弊社製品のコピー品。それ自体は、似ても似つかぬ形状でしたが、本物そっくりの銘板が付けられており、実際に製造装置の一部として稼働している写真は、私も初めて拝見しました。東南アジアには、模造品を作る文化がないので、恐らくは中国製と思われます。中国の国内市場で、偽物が出回っているのは、既に承知していましたが、いよいよインドネシアに輸出されるに至り、我々も対策を迫られているところです。とは言っても、皆さんご承知の通り、有効な手段はなかなか見つからないというのが、現実のところで、私たちのブランドが、アジア市場で一定の評価を頂いている『証し』と捉えたほうが、良いのかも知れませんね(苦笑)。

『社長、海を渡る』シリーズも、いよいよ次で最終回。中国に向かいますので、お楽しみに。

※誤りを訂正しました。【誤】「弊社製品が欲しい」→【正】「御社の製品が欲しい」、他

社長、海を渡る<ベトナム編>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。女子W杯サッカー フランス大会が始まりました。2011年に大会制覇、続く2015年も準優勝の『なでしこJAPAN』、Dグループ初戦の相手はアルゼンチンです。今夜、日本時間の6月11日(火)午前1時、キックオフ。熱い戦いを期待しましょう。

さて、日本人の社会マナーや環境意識、その向上の切っ掛けになったのは、1964年の東京五輪招致と言われています。目覚ましい経済発展を遂げ、BRICSと呼ばれた、ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカの5ヶ国中、五輪やW杯サッカー等、メジャーなスポーツイベントを開催していないのは、残すところ、インドのみとなりました。東京の次、手を挙げる意志は有ったようなのですが、IOCから時期尚早との判断。私も分かる気がします。インド編で取り上げた、デリー郊外で鋳造・鍛造工場を営む、経営一族の皆さん、2回のインド訪問と日米で1回ずつ、都合4回お会いして、悪い方々でないことは理解しましたが、仕事となると話は別。ここでは、私たちの『寛容の精神』が足りなかった、と言っておきましょう。インド式カリー、私にとっては、今なお、ほろ苦い味がします(苦笑)。

その一方で、勤勉な国民性で、我々日本人と相性が良いと言われているのが、ベトナムの皆さん。ベトナム第2の都市ホーチミンに拠点を置く、現地代理店様をご訪問したのは、2013年3月のことです。日本語熱も高く、滞在中は英語一本で通す予定が、「折角の機会だから日本語で」と、『ドラえもん』大好きなベトナム人女性スタッフから、強っての希望。『ポケモン』然り、『ドラゴンボール』『ワンピース』と、日本の漫画・アニメは、世界中どこに行っても大人気です。ベトナムの庶民の足は、四輪でなく、圧倒的に二輪車優勢。バイクの大行進は壮観で、約75%のシェアを持つ『ホンダ』を筆頭に、『ヤマハ』『スズキ』と、現地生産を進める日本勢が、市場をほぼ独占します。一様にヘルメットを着用するのは、やはり国民性なんでしょうか。因みに 南国らしく、お昼はタップリの2時間休憩。会社の就業規則上は、1時間なんだそうですけどね(笑)。

ホーチミン最後の夜は、その代理店主催の、バーベキュー・パーティー。日・独・韓・越、4ヶ国のビジネスピープルが一堂に集い、楽しい一時を過ごさせて頂きました。会場には、大量のビールを冷やすのに、充分な冷蔵庫が無かったようで、ビールジョッキには、次々と氷が投入されて行きます。東南アジア旅行、生水でお腹を壊すのはお約束。これはヤバイと思いつつも、お隣のドイツ人も韓国人も、平気な顔。彼等が『オン・ザ・ロック・ビール』を楽しんでいるのを、目の当たりにし、何故この状況で、ライバル心を燃やす必要があったか、今思い返すと理解不能ですが、「俺のジョッキからは、氷を抜いてくれ」とは、なかなか言い出せないんですよね。お陰様で、帰国から2週間、体調不良に苦しみました。「ベトナム固有の大腸菌が原因で、一回やれば慣れるので、次からは大丈夫。」お医者様は、そうおしゃいますが、大腸菌に関しては、インドよりベトナムの方が『たちが悪い』というのが、私の見解です(笑)。

社長、海を渡る<韓国編>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。毎年640万トンもの食材が廃棄され、大きな社会問題となる中、『食品ロス削減推進法』が成立しました。大手コンビニチェーンも、ようやく対策に乗り出して、期限の迫った食料品を購入した際、数パーセントのポイント還元を検討中とのこと。消費税増税を10月に控え、私たち消費者にとっても朗報となりそうです。

さて、大学卒業以来、ガラケーを持つことにすら拒絶反応を示していた私が、周囲の反対を押し切り、いきなりスマホを購入する切っ掛けになったのが、2010年4月。初めて訪れた韓国で、若者たちが  iPhone を持ち歩く姿に、衝撃を受けたんです( Galaxy の韓国発売開始は、2010年6月)。但し、マイナー志向の私が手にしたのは、ソニーエリクソンの初代 Xperia 。そのデザインは今見ても超クールですが、当時、携帯ショップには、 Android に関する知識を持つ人が、誰一人おらず、メールの送受信等の初期設定は、全て自分で何とかするという条件で、スマホを買ったのを覚えています。韓国に2回目にお伺いしたのは、2018年10月ですから、結構、最近のことですね。私の Xperia も4台目を数え、ディスプレイも液晶から有機ELに。バッテリーの持ち時間・通信速度も、大幅に向上しました。来るべき5Gの時代って、どんなものになるのでしょうか。

これからするのは、日本語が上手な韓国人のL社長と、昨年秋に、釜山の美味しいお店に行った時のお話。前夜、日本では食べられないような、本格的な韓国料理をご馳走になったので、今日はそのお返しがしたいと、紹介してもらった店が、ホテルからは少し離れた、釜山の繁華街のマグロ料理店。ビールで乾杯の後は、L社長ご持参のマッコリを賞味。日本では珍しいですが、韓国や台湾では、お酒の持ち込みOKのお店も多いんです。で、お目当てのマグロ料理はというと、3種類のコースがあって、「折角だから、一番高いやつを注文しよう」と私が言うと、L社長が止めるんです。「いや、二番目で充分ですよ」と、日本暮らしの長いL社長が、これぞ日本の礼儀とばかりに、変に気を遣います。「いやいや、2日間もお世話になったんだから、気にするな」と、仲良くなったら気を遣わない、韓流スタイルで私も応酬。結局、私が押し切って、一番高いコースを選択したのですが、それが悲劇の始まりでした。

インスタはやりませんが、SNS映えするかなと、料理が運ばれる度に、自慢の新型 Xperia で写真撮影。舌鼓を打ちながら、1枚、2枚、3枚、4枚。美酒を堪能しながら、5枚、6枚、7枚、8枚… と、果てしなく続くコース料理に、大食漢の私のお腹も流石に限界。酔いも回って、大トロ・中トロにマグロの目玉、テーブルを埋め尽くす、数々の美味珍味も撮影中断。『生もの』だけに、ドギーバッグもお願い出来ず、結局、貴重な『海洋資源』が、大量の『フードロス』と消えました。和食の場合、『松・竹・梅』 或いは『並・上・特上』と有るように、コースのお値段が上がれば、そもそも高級な食材が、更にグレードアップすると想像した訳です。それが間違い。価格を上乗せした分、料理の品数が増えると考えるのが、世界標準。食べ切れない程の料理こそ、最上級の『おもてなし』なんです。勿体ないとは思いましたが、日韓友好に一役買った訳ですから、今回限りはお許し頂きたい。

※一部、表現を変更しました。

社長、海を渡る<インド編③>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。2002年に多摩川に現れ、人気者となったアザラシの『タマちゃん』、2003年以降、埼玉と東京の県境を流れる荒川にも、姿を見せるようになりました。1970年代の私がまだ子供だった頃、魚も住めないくらい汚かった荒川が、随分ときれいになったもんだと、感心したのを思い出します。東京・埼玉・千葉・神奈川の一都三県が、ディーゼル規制に乗り出したのも、丁度 その頃。以降、黒煙をまき散らすトラックを見ることは、殆どなくなりましたね。令和元年、時代の要請に応え、私の乗る社長車も、いよいよ環境対応車に。納車日は目の前です。

さて、2013年12月、私は再びデリーを訪れました。12月のデリーは、朝方、予想以上に冷え込んで、外気温は10度以下。ジャケットの上にもう一枚、羽織れるものが欲しい気候です。同じホテルには、日系大手自動車部品メーカーA社から、大勢の日本人スタッフの皆さん。お話をお伺いすると、近くに新しい工場が出来て、新規設備の立ち上げ支援だとか。ロビーから外を覗くと、近くを走る地下鉄レッドライン(この区間は、高架橋の上を走っている)の姿は、深い霧に包まれて見えません。ここ最近は、冬になると毎年こうで、視界の利かない状態に、鉄道のダイヤは乱れ、飛行機の遅延・欠航も続出。自動車の玉突き事故も多発するのだそうです。

霧の名所と言われると、我々の世代は、イギリスの首都ロンドンを思い浮かべますが、『霧のロンドン』も、決してロマンチックなものではなかったようです。いち早く産業革命を成し遂げたイギリスでは、石炭を燃やす際に排出される微粒子による、大気汚染が深刻化。その微粒子を核に、空気中の水蒸気が凝結したものが、ロンドンを覆った濃霧の正体であることが、近年の調査で明らかになって来ました。中でも、1952年12月に発生した『ロンドンスモッグ』の被害は甚大で、呼吸器疾患により、12,000人もの方が命を失ったと言われています。

午後になると、インドの大気汚染も本性を現します。霧は晴れても視界は開けず、6月の青空とは対照的。高濃度のPM2.5は、私たち日本人にとっては、移動中の車内でもマスクが欲しくなる程の、危機的状況です。2017年、インドでは大気汚染により、約124万人もの方々が亡くなったとの報告も。石炭に頼るエネルギー事情、自動車の排気ガス、農家の野焼き、はたまた、ヒンドゥの祭典『ディワリ』のお祝いに使う、花火や爆竹と、汚染に繋がる様々な要因が俎上に載せられながら、有効な対策は、未だに取られていないようです。報道によれば、最も深刻なのは人々の『無関心』。確かに、デリーの街に、マスクを着用しているインドの方を、誰一人、見掛けませんでした。

ところで、これも時代の流れで、受け入れるしかないんでしょうか。次の車の『カーオーディオ』からは、『CDプレイヤー』が無くなります。英語の勉強には、必須アイテムだったんです。何か対策を、講じなければなりません(笑)。

※表現を一部、変更しました。

社長、海を渡る<インド編②>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。Rocky(ロッキー)とMayur(マユール)という愉快な2人組が、インド各地を廻って食レポを行う、NDTVの人気グルメ番組がありました。終盤は、太り過ぎた2人のダイエット企画に替わりましたが、『ヒングリッシュ』を学ぶには、とても良い教材だったと思います。副作用として、英語・米語に耳を適応させるのに、かなり苦労をしましたが(苦笑)。

さて、牛糞を避けて歩くのに一苦労という、事前情報は杞憂に終わります。インドが結構な車社会であることは、前回お話しした通りで、首都デリーから延びる幹線道路は道幅も広く、晴天の下、コンサル会社の用意したインド車、マヒンドラマヒンドラでの移動は快適。車窓から覗く景色は、西部劇を思わせるような、黄色く痩せた大地に、雨季の到来を待ちわびる、乾燥地帯独特の植物。そして、歴史を刻んだ、ヒンドゥとムスリムの寺院の数々。アジアとも違う、ヨーロッパとも異なる世界が、そこに在ります。

経済成長著しいインド、工事中の建物を あちこちに見掛けましたが、その建築工事の進め方は、とにかく斬新。地震の多い日本では、基礎工事からスタートして、建物は上に上に伸びていくのが当たり前ですが、インドではビックリ、どうやら工事は、横に横に進んでいくようなんです。例えば、平屋建てのレストランを新築するとしましょう。建物の南半分に屋根を載せ、外壁まで完成したら、残りの北半分の基礎工事を始めるといった具合です。合理的と言えば合理的で、お金が足りなければ、そのまま北側を壁で埋めてしまうことも可能ですし、予算に余裕が出れば、基礎部分を継ぎ足して、床面積を増やしても良い訳です。それにしても、その光景が余りにもユニーク過ぎて、我々日本人の目には、何かの弾みで倒壊して、野晒しのまま放置された、廃墟か何かにしか見えないんですよね(苦笑)。

道路脇の小高い丘から、夏の青空に向かって、白い湯気のようなものが立ち上るのが見えたので、スタッフに尋ねてみると、丘ではなくゴミの山との説明。インドには、ゴミを焼却処分するという習慣がなかったようで、埋立処分場に集められたゴミが、堆く積み上げられ蓄熱して自然発火、悪臭を放ちながら煙を上げ、くすぶり続けているようなのです。インドの環境汚染は、ゴミ問題に留まりません。水質汚染も然り。私の訪れた6月のインド、日中の気温は40度を遥かに超え、マメな水分補給は欠かせません。しかしながら、ホテルのバスタブにお湯を10cmも張ってみれば、蛇口をひねって出る水を、絶対に口に含んではいけない理由が分かります。素敵に黄色いですから(苦笑)。

滞在中、天候に恵まれたのは良いのですが、スーツにワイシャツ、身に着けた全ての衣服は埃塗れに。独特の臭いを吸着しますので、日本に戻ったらクリーニングは必須です。翌年の2013年12月、再びインドを訪れた私は、その汚れ・臭いの原因が単なる砂埃ではないと知り、インドの抱える問題の深刻さに愕然とします。続きは次回。

社長、海を渡る<インド編①>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。痛ましい交通事故が、後を絶ちません。明日、5月11日(土)から、『春の全国交通安全運動』が始まるのに先立ち、多くの従業員を雇用し、社用車にて利益を得る『使用者・事業主』として、そして『ドライバー』の一人として、尊い生命を守る為に何をすべきか、しっかりと再確認したいと思います。

さて、話は変わります。私が英語の勉強を始めた頃、世界の注目を集めていたのは、リーマン危機後の四兆元の経済対策で、『世界経済の救世主』とまで持て囃された 中国でしたが、へそ曲がりの私が夢中になっていたのは、『ヒングリッシュ』、訛りの強い 独特のインド英語の研究でした。平均年齢も若い12億の人口を抱え、更なる発展の期待出来る、インド市場のパイオニアになれたら面白い、との思いが有ったんです。

そんな私が初めてインドを訪れたのは、2012年6月。首都デリーから車で30~45分、クンドリ工業団地の一角にある鍛造・鋳造工場の視察です。私自身がネット上で発見した工場なのですが、日本の某コンサルティング会社が、ツアーをコーディネイトしてくれました。『インドで作ってアメリカで売る』というビジネスモデルで、結果を残していたこの会社、伝統的に製造業が育ちにくいと言われるインドに於いては、非常に珍しい存在で、2014年9月に掲げた “Make in India” を合言葉に、中国に続く『世界の工場』を目指しているインドの、先駆けとも言える企業です。

コンサル会社の現地滞在 日本人スタッフが、インド人ドライバーと共に、空港にお出迎え。街中にクラクションが鳴り響くところは、アジアの新興国共通ですが、国土の広いインドは、想像以上の車社会。四輪車が非常に多く、二輪車は少ない印象でした。2016年現在、四輪車全体の47.4%と、圧倒的なシェアを誇るのが、スズキ自動車のインド法人、『マルチ・スズキ』。インド政府の国民車構想の下、1981年の合弁会社設立以降、積み上げて来た努力の賜物です。インドが面白いのは、三輪車も多い事。黄色と緑色の『オートリキシャ (三輪タクシー)』は有名で、ご存知の方も多いのではないでしょうか?なお、交通事故は、インドに於いても深刻な社会問題で、2017年に交通事故で命を落とされた方は、14万7,913人にも上るそうです。

途中に立ち寄った、巨大ショッピングモールでは、日韓の家電製品バトルが。ちょっと質問してみると、店員の第一声は『貴方、サムスンのマーケティングの人?』(笑)。日本から来たと事情を話すと、色々教えてくれて、40万円前後の液晶TVが、月に4台程度売れ、日韓で 50:50と、比較的 日本贔屓の方が多いのも、インドの特徴です。

不思議の国インドを、一回で語り尽くすことは出来ません。続きは次回。

※一部、補筆しました。

社長、海を渡る<アメリカ編③>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。万葉の古は、お花見と言えば、梅の花だったんですねぇ。私たちの地元 伊奈町にとって、5月は薔薇のシーズン。今年もバラまつりが開催されますので、『令和最初』のお花見は、『バラの町 伊奈町』でお楽しみ下さい。5月中旬以降、見頃を迎えると思いますよ。

さて、アメリカ北東部にある、オハイオ州のクリーブランドと言えば、ゴム・タイヤ産業の中心として、歴史あるアメリカの自動車業界を支えてきた工業都市です。2015年10月に我々が出展した展示会は、我々の得意分野の一つでもある、ゴム・タイヤ製造装置に焦点を当てたもので、地元企業からの多くの集客を見込んでの参加でしたが、結果は散々なものでした。

この時は私に代わり、ベテランの営業管理職を1名派遣、海外営業担当と英語の出来る技術者の、計3名体制の本気モード。出展企業には、日系企業も数社含まれており、英語の出来ない営業部長も、この時ばかりは、にこやかに挨拶回り。ところが、いざ展示会が始まってみると、英語云々の問題ではなかったようで、会期通して閑古鳥が鳴く状態。我々が手にしたのは名刺3枚と、アメリカの展示会では、最低の成果となりました。一体何が悪かったのか?

今思い返すと、中国系装置メーカー等、海外からの出展が多かったことこそが、クリーブランドの皆さんの足を会場から遠のかせた、最大の要因だったのでしょう。実はこのオハイオ州、その約1年後の2016年11月、誰もが想像しなかった、トランプ大統領誕生の震源地となった、『ラストベルト(さびついた工業地帯)』を構成する、代表的な州の一つなんです。中国や日本に、自分達の仕事を奪われたと信じるトランプ支持者の皆さんの、怒りが頂点に達し爆発寸前。そうとは知らず、のこのこと 日本から現れた我々も、『招かれざる客』だったという訳です。

長引く米中貿易戦争が、各方面に影を落としています。この展示会での経験は、もう3年以上前の話ではありますが、”米中協調”の『平成』が終わり、”米中対立”の新時代、『令和』の波乱の幕開けを予感させるには、十分なものでした。

※表現を一部変更しました。

社長、海を渡る<アメリカ編②>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。一青窈さんの名曲で、一躍有名になった『ハナミズキ』、『平成』を名残惜しむかのように、白やピンクの花を開き始めました。皆さんは『令和』の幕開けを、どのように迎えるご予定でしょうか?日本で歴史的瞬間に立ち会おうという方、長めのGWを利用して、海外にご旅行されるという方、それぞれでしょう。フロリダ・ディズニーワールドに、遊びに行かれる方がいらしたら、今日の話は、ちょっとだけ参考になるかも知れません。

2015年2月、フロリダ州オーランドの展示会では、タクシーを頻繁に使いましたが、『Uber』のような配車サービスが、流行る理由は分かります。オーランドの運転手、ほとんどは米出身でなく、英語が上手く話せません。タクシーの整備不良も『ざら』で、メーターの故障程度など、珍しい事ではありません。ある時、余りの安全運転にその理由を尋ねると、『エンジンが故障して、スピードが出ない』と、運転手から仰天告白。更に、タクシーを降りる段になって、マフラーが付いていない事実も発覚。一酸化炭素中毒で、殺されるかと思ったくらいです。

この展示会は、実際の商談を獲得した点で、成功例の一つです。お客様から酒の席にも誘われて、一旦会場で別れた後、先方のホテルで落ち合うことに。我々が呼んだタクシー、今度は幸いカーナビ付。運転手が目的地を登録し、準備万端・出発進行。ところがどっこい、車に揺られて30分。待てど暮らせど、目的のホテルに到着せず、運転手も焦りの色が隠せません。どうやら、カーナビに誘導されるまま車が向かっていたのは、同じホテルチェーンの遠く離れた別館だったようなのです。電話を掛けて、宿泊先を再確認。大遅刻の末、お客様と合流することは出来ましたが、タクシー運転手なら地元の土地勘があると考えた、我々が間違いでした。土地勘が無いからこそ、彼にはカーナビが必要だったんです。

英語が得意で、変にサービスの行き届いた運転手も、要注意です。緊張感も解ける帰路のタクシーでは、こんなことが有りました。無事 空港に到着し、気持ち良くクレジットカードを手渡すと、ドライバーの表情が曇ります。カチャカチャ、カチャカチャ、『端末機が壊れていて、カードを読み取れない』と言うんです。現金が欲しくて、この手口を使うドライバーは多いのですが、この時は様子が違いました。フライト時間が近づき、こちらが焦れて来るタイミングを見計らって、『実は予備の端末機があるから、もう一度カードを遣せ』と。これは怪しい。壊れている筈の、最初の端末機を取り上げて、我々が試してみると、案の定、普通にカードを受け付けるじゃないですか。なるほど、あそこで気を許していたら、我々は、スキミングの餌食となっていたという訳ですね。

日本の常識が世界の常識でないことを、改めて痛感させられました展示会でした。

※分かり辛い部分がありましたので、補筆しました。

社長、海を渡る<アメリカ編①>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。最近、『深藍(こいあい)』の伝統色を身にまとった、トヨタの新型タクシー車両を、目にすることが増えました。従来の車より室内が広いのが特徴。ハイブリッドシステムで、ガソリンよりも二酸化炭素の排出量が少なく、環境に優しいとされるLPガスを、効率的に燃焼します。国内で消費するLPガスは、長年にわたり、中東諸国からの輸入に依存して来ましたが、ここ数年で、アメリカからの輸入が急増。アメリカ産の占める割合は、 2012年の3%から、2017年には56%まで高まりました。

昔々、人間が火を起こすのに利用していたのは、『薪』や『木炭』でした。18世紀後半になると、工業用燃料として『石炭』が普及。蒸気機関を利用して、イギリスがいち早く『産業革命』を成し遂げました。その後100年以上に渡って、圧倒的な産業競争力を手に入れたイギリスが、その経済力・軍事力で世界を支配します。20世紀に入ると『石油』が『石炭』に変わり、内燃機関(ガソリンエンジン)が発達、モータリゼーションが起こります。いち早く自動車(T型フォード)の量産に成功したアメリカが、自動車産業を中心とした産業競争力を背景に、世界の王座に君臨、その覇権を握り続けました。歴史の転換点には、技術革新が付き物なんです。

2012~2013年頃でしょうか、日本でも注目を集めたイノベーションが、アメリカ発の『シェール革命』です。冒頭にお話ししたLPガスも、この技術革新によって もたらされたもの。天然ガスや石油の新たな掘削技術の革新により、今までは無理だった地下深くの固い岩盤(シェール層)から、天然ガスや石油を低コストで抽出することが出来るようになり、結果、アメリカでは2008年頃から天然ガスや石油の産出量が急増。天然資源の輸入国だったアメリカが、世界有数の石油・天然ガス産出国に生まれ変わり、『グリーン・ニューディール』を推し進めた、バラク・オバマ前米大統領ですら、シェールガス・シェールオイルの開発を、エネルギー政策の中心に据えたくらいです。

私たちが、『シェール革命』の中心地、テキサス州 ヒューストンの展示会に出展したのが、2014年6月のこと。残念ながら、その後の原油価格の暴落により、シェール・ブームは急激に収縮。エボラ出血熱のアメリカ上陸も手伝って、私たちが、それ以上深入りすることはありませんでしたが、シェール関連ビジネスが、今後も有望な分野の一つであることは、間違いなさそうです。近年、電気自動車ばかりに注目が集まりましたが、トヨタのHV関連特許無償提供により、北米でのLPガス自動車の普及が促進されるなんてことも、有り得るかも知れませんね。

アメリカでは その後、フロリダ州のオーランド、オハイオ州のクリーブランドの展示会にも、出展を致しましたので、続きは次回。

※誤りを訂正します。『深藍(ふかあい)』→『深藍(こいあい)』

※誤りを訂正します。『バラク前米大統領』→『バラク・オバマ前米大統領』

社長、海を渡る<台湾編②>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。新元号の『令和』の読み方、アクセントをどこに置くのかが、ネット上で話題になるなど、日本人の思考回路が 曖昧さを許さない、デジタルな方向に変化したと、つくづく感じます。ちなみに、元号が社名に付く弊社の場合は、どうかと申しますと、短縮して自らを『昭和』と名乗る場合の “ショウワ” は、語頭を強調しますが、フルネームの『㈱昭和技研工業』の場合の “ショウワ” は、平板に読みます。どらかに統一しろと言われても、困るでしょうね(苦笑)。

新元号の発表は、台湾でも注目度が高く、会見の様子は、地元テレビで生中継されたのだそうです。その台湾、2017年6月に再び訪れましたが、5年前の少し物悲しい印象と比べると、街の雰囲気がすっかり変わっていたのには、驚かされました。空港に降り立つと、車で迎えに来てくれた、現地代理店の社長夫妻と、少し遅めの昼食に。通りを走る車の多くが、日本車なのは相変わらずですが、車の『顔つき』が、日本で見慣れたものと違います。向かった有名デパートで、更にビックリ。昼休みの時間はとっくに過ぎているにも拘わらず、レストランは大勢の人・人・人。若者や家族連れも多く、前回の訪問の時とは、全く別の国のような賑わいをみせていたんです。社長さんに聞いても、理由は分からないと言うので、奥様に聞いてみると、『ほら、声の大きさが違うでしょ、中国本土からの観光客よ』と、なるほどの回答が。日本の観光地もそうですけれど、台湾にもまた、中国本土から大勢の観光客がなだれ込んで、街の様子が一変してしまったんですね。

もう一つ大きな変化を感じた点。台湾の食べ物の味が変わり、街の匂いも変わりました。台湾料理を代表するスパイスの『八角』、漢方薬としても知られており、一種独特の香りがします。ほとんど全ての台湾料理に、この『八角』が香辛料として使われていて、一軒食堂があると一帯が『八角』臭くなるくらい、台湾の皆さんは『八角』が大好き。私はちょっと苦手だったんですが、驚いたことに、その『八角』の匂いが、台湾の街から消えて無くなっているんです。後で調べて分かったのが、インフルエンザ治療薬『タミフル』の原料が、『八角』であるという事実。『タミフル』が品薄になる度に、製薬会社が『八角』を買い占めて価格が高騰。それに輪を掛けて、『八角』を料理に使うと、インフルエンザ予防に効くとの噂が、中国本土で広まり、非常に入手困難な状況が続いていたんだとか。

次回は、太平洋を渡ります。お楽しみに。

社長、海を渡る<台湾編①>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『平成』も残すところ、僅か1ヶ月。新元号発表を数時間後に控え、『平成』はどんな時代か、私が選んだ言葉は『digitization (デジタル化)』です。携帯、パソコンにインターネット、今、あって当たり前のものが、まだ全く普及していなかった平成元年、その約30年後に、弊社のような中小企業までが、ブログやSNSで情報を発信したり、スマホ向けにサイトを最適化する時代が到来しようとは、誰が想像出来たでしょう。

初めての海外旅行も、1989年の平成元年。大学生の私が父の仕事にくっついて、行った先は台湾でした。自然災害も多かった『平成』。思えば、東日本大震災後に、一番多くの支援をして下さったのも、台湾の皆さんでしたね。ということで、敬意を表して、まずは台湾のお話からさせて頂きます。

23年振りに訪れた台湾は、随分変わっていましたね。台湾の首都台北の街並は整然と美しく、道にはゴミ一つ落ちていません。大渋滞の中、バイクの信号無視・斜め横断が当たり前だった交通事情も一変。皆さん交通ルールを守ります。タクシーはトヨタのプリウス。街を走る車の7~8割が日本車で、もうこれは、中国語を耳にしなければ、自分は日本に居るのではと、疑いたくなるくらいです。ちなみに、1989年当時の台湾は、日本車の輸入解禁前で、クラウンはベンツを上回る超高級車、日本でも復活予定のスープラは、夢のスーパーカーと見なされていたそうです。

目覚しい経済発展を遂げた台湾、2012年の滞在中、何となく物悲しい空気が漂っていると、感じていました。その時は雨が降っていましたので、そのせいかなとも思いましたが、日本に戻って調べてみると、台湾の光と影、暗い影の部分を思い知らされました。少子高齢化と産業の空洞化の進行です。台湾の合計特殊出生率は、世界最低レベル。また、中国と言葉が共通である台湾では、産業の空洞化は、日本よりもかなり速いペースで進行したとも言われています。親日的な方が多く、親しみを感じる国ですが、その台湾もまた日本同様、先進国病に悩まされているようなんです。

ところが、5年後の2017年に再び訪れた台湾は、激変。一体、何が起きたのか?続きは次回。

※誤字・脱字を、修正致しました。

社長、海を渡る

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。桜の季節が近づいて参りました。昨年は、坂下門から皇居を散策、乾門を抜けて千鳥ヶ淵~靖国神社と、通行手形の撤廃後 初めて、東京の桜の名所を楽しみました(笑)。2012年12月、アジアを中心に 観光ビザの発給要件が緩和されてからは、訪日外国人の数もうなぎ登り。2018年は、前年比8.7%増の3,119万人と、過去最高を記録。特に『お花見』は人気のコンテンツですから、この春も、多くの方々が日本にいらっしゃることでしょう。私の知る限り、アジア諸国からの観光客の皆さん、普通に英語を喋ります。勿論、流暢な方も、そうでない方もいらっしゃいますが、英語でコミュニケーションが取れないのは、中国本土の人と日本人くらいです。

時はバブル、女子大生が、親のゴールドカード片手に、ヨーロッパでブランド品を買い漁っていた頃、卒業を目前に控えた、我々、早稲田大学の男子学生は、『日本人と仕事をしたいなら、お前ら外国人の方が日本語を覚えて来い』くらいに考えていましたね。当時の英語教育と言えば、『読み・書き・文法』。リスニングの授業はなく、学校に英語の話せる先生など居ませんでしたから、英会話などは、夢の夢。一部の洋楽好きは別として、英語の出来る人間は、英語しか出来ない『英語××』、帰国子女は、一般常識をわきまえない変わった人と、白い目で見られていた時代です。難易度の高い英語の入試問題をクリアした、慶応や上智の学生と比較すると、相対的に語学能力の低かった当時の早大生(私だけ?)の、負け犬の遠吠えかだったのも知れませんけどね。

そんな私が一念発起、海外目指して英語の勉強を始めたのが、2010年。歴史的円高により、日本の製造業の空洞化が、深刻になってきた頃のお話です。ということで、これから数回、海外出張での面白いエピソードや、英語を勉強する際の苦労話、或いはグローバル経済に関する私の考え方など、お話をさせて頂きたいと思いますので、お付き合い、宜しくお願い致します。

ラッキーな社長⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。競泳、池江選手の白血病公表から1ヶ月。専門家によれば、治療に伴う『しんどさ』も、そろそろピークを過ぎた頃でしょうか。それにしても、彼女のポジティブさには、頭が下がります。たくさん泳いで、たくさん食べる。食いしん坊の池江さんの明るい笑顔が、早く見られると良いですね。皆で応援しましょう。

さて、14日(月)は、暗いうちに家を出ました。地震から3日目、計画停電の内容がハッキリしない中、午前6時20分までに会社に行けば、少なくとも電話は繋がります。午前5時前だったでしょうか。早朝に失礼は承知の上、まず、弁当屋に1本電話を入れました。会社に辿り着いた仲間には、せめて昼飯くらい喰わせてやりたいと。『はい、M社です。今日は出来ますよ。』と、昔馴染みの女社長の声。つい、嬉しくなっちゃって、『うちも営業してますんで、いつも通りお願いします。』と、電話を切ろうとすると、『失礼ですけど、どちら様で?』と。いやいや 興奮の余り、私、会社名を名乗るのを忘れちゃっていたんですね、お恥ずかしい・・・。取り敢えず、この日の弁当は確保。

買い占めの影響で、十分な食材も配送用のガソリンも、手に入るか分らない。しかも計画停電と来れば、お弁当屋さんにとっても、かなり厳しい状況だったことは、間違いありません。15日(火)以降もM社が営業を続けられるのかどうか、次の連絡が来るのを待ちました。コンビニの棚もスッカラカンの有り様ですから、弁当屋に頼らずに、70食前後の食料を、会社が毎日調達し続けるのは 不可能な状況です。昼食は個人で持参してもらうよう、皆に説明しなきゃいけないな・・・。半分くらいは諦めかけた、そんな時だったと思います、M社から回答があったのは。『お弁当作ります。やらせて下さい。』と。場合によっては、約束を守れないかもしれない。でも諦めれば、彼らだって収入の道が断たれてしまう。ギリギリの中での、勇気ある決断だったと思います。嬉しかったなぁ、あの一言は。人間、腹ペコじゃ、力が出ないんですから!

今回は、普段は地味で目立たないけれども、2011年の震災直後に、私達の仕事を影で支えてくれた、お弁当屋さんのお話をさせて頂きました。

※一部、漢字の誤りを修正致しました。

ラッキーな社長⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。二階堂ふみさんとGACKTさん主演の映画、『翔んで埼玉』、人気上々のようですねぇ。ディスられて『なんぼ』の埼玉県ですけど、年間快晴日数では、9年連続で全国ナンバーワン(~2017年、2018年の数字は、まだ公表されていません)。日照時間も長く、日本一天気の良い県なんですよ。太陽光発電には持って来い。

弊社の屋根にもソーラーパネルが載っていて、74.88kw相当の発電能力が有ります。この設置工事が完了したのは、2011年3月23日。未曾有の大惨事、東日本大震災 直後のことです。そして次の事業年度、2011年6月~2012年5月に記録した、年商22億3,499万円が、弊社の過去最高の売上高。震災のダメージを受けたお客様も多く、生産再開に向けた復旧・復興活動に、我々も最大限の努力をさせて頂きました。その結果が表れた数字と言えます。

あの日、伊奈町も、震度5強~6弱くらいは揺れたでしょうか。棚が倒れて1名の怪我人は出たものの、液状化等の被害もなく、週末の間に片付けを済ませれば、月曜日から、工場は通常通りに稼働出来る。そう胸を撫で下ろした矢先に入ってきたのが、例の『計画停電』のニュースです。金属切削が中心の工場に、電気がなければ、開店休業。しかもそれが、数ヶ月に渡って続くかも知れないというのですから、我々にとっては死活問題です。そこで俄かに、従業員の注目が集まったのが、工場の屋根の上。『そうだ、あれだ。あれが完成すれば、俺たちは仕事が出来る。救われる。このタイミングで太陽光を始めるなんて、うちの社長は、ラッキーを超えて、神憑っている。社長は奇跡の人だ。』とのナンセンスな話題で、社内は持ち切りになりました。

結論を申し上げると、第一に、東北・上越新幹線に挟まれた この地区は、鉄道に電気を供給する必要から、計画停電の対象からは除外され、電力不足が操業に影響することは、一切有りませんでした。非常にラッキーだったと思います。そして第二に、もし仮に計画停電の対象になっていたとして、太陽光発電がどれくらい活躍したかというと、御免なさい。設備の中心的役割を果たす、『パワー・コンディショナー』という装置の動力を、外部電源に頼っていますから、停電中はそもそも稼働しません。つまり実際には、全く役に立たなかったという訳ですね(苦笑)。

※一部、漢字の誤りを修正致しました。

ラッキーな社長④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。事業承継問題は、中小オーナーの悩みの種。近年は、後継者不在で廃業、雇用を守るため心ならずもM&A なんてケースも、増えているみたいです。私たちのように、商売がちょっと上手く行っている場合に心配なのは、株式移転にかかる相続税・贈与税。ラッキーな社長には、ここでも奇跡が起こります。今回は、かなり専門性の高い話です。出来るだけ分かり易く説明しますが、結構難しいので、興味のない方はスルーして下さい。

中小の非上場会社の株価は、ざっくり言うと、純資産・利益・配当の、三つの要素で決まります。業績が悪くて大赤字、或いは不動産を格安処分等、会社が損をすると、株価がグッと下がり、税負担が減るという仕組みです。会社が損を出せば、経営は当然不安定になる訳ですから、経営者の立場からすると、事業承継と安定経営は、二律背反する課題と言えます。

奇跡は、平成22年3月に届いた一枚の通知によって、もたらされました。私たちの会社、平成5年4月の工業団地入居以来、埼玉県の土地区画整理事業で割り当てられた、『仮換地』で工場を営んでいたんです。長年慣れ親しんだ『小針新宿1247番地』も、仮の表記。通知とは『換地処分』を知らせるもので、これによって、正式な住所『西小針七丁目24番地』を、ようやく手に入れた訳ですが、名刺・カタログの差し替え等、実際 煩わしいことばかり。ところが、顧問税理士の先生から、ここで信じられないような指摘を受けます。『これは一種の、土地の交換取り引き。新・旧土地の差額 は、”譲渡損”として計上可能で、株式の評価額を大幅に下げられます。』と。そんな馬鹿な!!だって、引っ越しもなし、金銭授受もなし、県から届いた紙っ切れ一枚ですよ。曰く、前例も有り、問題ないのだそうです。

その後、先生のご指示通り、提出直前だった会社の確定申告書を差し替え、『相続時精算課税制度』を利用して、株式を一気に移転。世の中には、怪しげな『節税商品』を勧める、経営コンサルタントは大勢いますが、そんなものに一切頼ることなく、また、会社の財務を一切毀損することなく、事業承継に係る税負担を、最小限に抑えることが出来たのですから、これは奇跡としか言いようがありません。

※一部、分かりづらい部分が有りましたので、加筆しました。

ラッキーな社長③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。近江商人の商売の心得に、『三方よし』という言葉があるそうです。売り手良し、買い手良し、世間良し。売り買い双方が満足し、且つ 社会にも貢献するのが、良いビジネスであると。

T社 経営破綻の一報が届いたのは、リーマンショックから約8ヶ月後の、2009年5月のこと。景気回復の兆しは一向に見えず、弊社も、必達ノルマ比 65.4%と、仕事量確保に苦しんでいた頃の話。T社の財務内容が芳しくないとの噂は、前々から耳にしていましたが、年商で10億円も売り上げていた老舗の、突然の倒産に、お客様は大混乱に陥りました。『技術のT』を名乗るだけあって、手の込んだ、特殊な設計製作品の比率が高く、弊社営業窓口には、問い合わせの電話が殺到。我々も一品料理は得意としていましたが、何せ情報が足りない。個別の仕様が分からなければ、手の付けようがありません。

そんな時に私たちに手を差し伸べてくれたのが、T社の破産管財人を務めていらした、弁護士の先生です。先生曰く、製品図面等の技術情報こそが、会社に残された最後の財産。元社員の皆さんが、寝ずの番でそれを守っているので、それをお金に換えて、彼らの未払い給与に充てたいと(CADが既に一般化していた当時も、T社は図面の原本を、紙ベースで管理していました)。 オークションの末、我々が図面を落札。7月24日、正式に『機械図面等譲渡契約書』を取り交わして、『三方よし』。破産管財人様の素晴らしい采配で、私たちも、お客様も、元T社従業員の方々も、全ての関係者が納得し、等しく利益を得ることが出来た訳ですね。

この話、多くの方が仕事を失った訳ですから、ラッキーな事例として取り上げるには、相応しくなかったかも知れません。図面を守り抜いた、元T社の皆さん、今も元気に活躍してくれていると嬉しいなぁ。そう言えば、先日、浅草寺で、おみくじを引きましたけど、結果は『吉』でした。まあまあラッキーな社長も、悪くないでしょ?

※脱字が有りましたので、修正しました。

ラッキーな社長②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。早起きは三文の徳。毎朝、7時半前後に出社して、鍵を開けるのは、今でも私の日課です。皆が出勤する前に点検がてら、工場をぐるりと一周。暦の上では春になりましたが、早朝は冷え込みます。この冬からは、工場に新設した暖房のスイッチを入れるのも、私の役目に。始業の8時半には、結構暖かくなるもので、実務から離れて久しい私としては、仲間が喜んでくれると想像するだけで、ちょっと幸せな気分です。

さて、ロータリージョイント・スイベルジョイントは、隙間産業。ニッチな業界だから競争がない、なんてことは全くなくて、業界固有の熾烈な争いが繰り広げられてきました。ライバル企業が少ない分、営業レベルでは、”顔の見える”相手との激しいパンチの応酬。こと、業界では老舗中の老舗、宿敵のT社が相手となると、品質・価格・納期、全ての面で、消耗戦を強いられる営業のストレスは最高潮に。その矛先は工場サイドに向けられて、結果、社内は一触即発ムード。こんなのは製造業なら、よくある光景なんでしょうけど、私が代表に就任した2008年頃、弊社も、殺伐とした空気に包まれていました。

そのライバルT社、我々の社長交代劇を察知すると、経験の浅い若社長(私のことです)に対して、心理的な揺さぶりを掛けてきます。こういう展開って、『団塊の世代』の大好物。うちのベテラン勢も、止せば良いのに、挑発に乗ってしまうのが悪い癖。更には社内の主導権争いも加わって、社内はひっちゃかめっちゃかに。あいつがああ言えば、こいつはこう言う。思い出すだけで、もう嫌になっちゃいますね(苦笑)。

ところが話は急展開。人生、何が幸いするか分かりません。ラッキーな社長で何が悪い?続きは次回。

※誤りを修正しました。『あいつがこう言えば、』→『あいつがああ言えば、』

ラッキーな社長①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。TPP11に日欧EPAと、大型の経済連携協定が、立て続けに発効しました。国内総生産の合計が世界全体に占める割合は、TPP11が約13%と日欧EPAが約28%。重複する日本の約6%を差し引いて、世界経済の35%をカバーします。アベノミクスの円安以降、やや割高感のあった輸入食材が、また手頃な価格で手に入るようになりそうですから、期待大ですね。

さて、経理・総務畑出身の私、入社当初の担当業務は、伝票入力・給与計算・社会保険手続… 、単純作業の繰り返しで、仕事に遣り甲斐を見出すことが出来ずにいました。仕事の面白みが分かり始めたのは、入社してから凡そ10年後、採用の仕事を本格的に任されてからですね。永年、機械加工部門を支え続けてきた職人さんも、いよいよ高齢化が進み、後継者を育成することが急務だった頃。ハローワーク頼みでは事が進まず、必死に情報をかき集めました。インターネットは既に普及していたものの、通信速度は極めて遅く、コンテンツも限られていたあの時代、必要とあらば、地方都市にも直接出向き、結果として、多くの『ご縁』に恵まれました。その後も、積極的に様々なルートを開拓、そこで巡り合った若手・ベテラン、全ての皆さんが、現在、製造・設計・営業、会社の中心として、活躍してくれているメンバーなんですね。『お父様はそこまで計算して、崇さんに総務の仕事を託されたんじゃないですか?』 と、おっしゃる方もいますが、それは無いです。父は機械工学出身の割に、やることは感覚的・直観的で、計画的なタイプじゃありませんから(苦笑)。

採用については、私自身も努力したつもりでしたが、やっぱり、ラッキーだったんでしょうね。まず第一に、弊社のベテランが、所謂『団塊の世代』 より少し上の年代が中心だったので、他社との人材獲得競争に巻き込まれずに済みました。そして第二に、バブル崩壊後の『就職氷河期』 を経験した、所謂『ロスト・ジェネレーション』の皆さんが、実力があるにも関わらず就職のチャンスに恵まれなかったことも、私たちには逆に幸いしました。現在、日本の中小企業は空前の人材難。今、当時と同じように人を採用できるかと言われたら、その自信はありません。ラッキーな社長で何が悪い?会社は人が財産。素晴らしい仲間と一緒に仕事が出来て、僕はとても幸せです。

大宮っ子の年末年始④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。1月も中旬を過ぎ、まだ年末年始の話の引っ張るには、理由があって、今年の春節は、2月5日(火)。中国を始め、韓国・台湾、その他、ほとんどの東南アジアの国々が、旧暦のお正月をお祝いし、中国では多くの会社が、2月2日(土)から10日(日)までの9連休の見込み。その影響はここ数年、我々のビジネスにも顕著に現れていて、春節休みの前と後に出荷が集中する等、仕事量が大きく変動。アジア経済圏に組み込まれていることを、ヒシヒシと感じます。

さて、2008年の代表就任の後、ある出入りの業者さんに、『社長は運が良いですよね。』と、しばしば言われました。正確には、私の肩書は『代表取締役』で、『社長』は付かないのですが、皆さん、親しみを込めて『社長』と呼んでくれるので、それでも良いかなと。で、ブログのタイトルも、『社長ブログ』としました。ところで、皆さん、『運が良い』と言われると、少し馬鹿にされた気分になりません?結果は出てるけど、『実力はない』って言われているみたいで。私も最初はそう感じたんです。製造業の社長なのに、経理・総務畑出身で、技術・製造・営業の経験ゼロ。この人、ビジネスについては何も分かっていないと思われたって、仕方のない状態でしたけれどね。

実際は、『運が良い』って、最上級の褒め言葉なんだそうです。その出入りの業者さん曰く、『あの社長は運が良いと思われると、自然と周りに人が集まって、商売の話も舞い込んで来るでしょ?運の悪い社長の周りに集まろうなんて人、誰も居ませんよ』と。欲しくても手に入らない能力なんだと。成程、物は考えようで、確かにその通りだと思いましたね。

ラッキーな社長で何が悪い?確かに、自分はラッキーだと感じた経験も多々あるので、いずれご紹介させて頂こうと思っています。そう言えば、今年はまだ、おみくじを引いていなかったです。今度、引きに行こうかな。

※一部、誤字・脱字がありましたので、修正致しました。

大宮っ子の年末年始③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。1968年生まれの私の体は、2/5の昭和と3/5の平成で出来ています。大宮から上尾に越してきたのが1998年ですから、3/5は大宮、2/5は上尾で出来ているとも言えます。

年末年始、大宮はお祭り騒ぎとお伝えしましたが、お隣りの上尾は全く違って、駅前で行われる夏祭りが、大変な賑わいを見せます。駅周辺 8つの町の神輿が集結して行われる、『神輿御渡』は壮観。担ぎ手の圧倒的なエネルギーに驚かされた初体験は、もう20年も前の話なんですね。弊社の本社工場の在る伊奈町は、その上尾市の東隣り。祭りで担ぐ神輿が、志久という地区の1台しか無かったとのことで、地域の若手メンバー(田舎なので若手と言っても若くないのですが…)が協力し、昨年、新たな1台が完成しました。夏祭りまでには、我々の提灯も飾り付けてもらう予定です。

さて、『大宮っ子』の私が上尾に越して、忘れられない年末年始の一つが、2008~2009年の年越しですね。総務課長に過ぎなかった私が、2008年の6月 急遽、代表の座を引き継いで、その後はまさにジェットコースターでした。ストレスからか、不眠・不整脈に味覚異常と、経験のない体調不良のオンパレード。そんな中、急騰する原材料費を賄うべく、最初にやらなければならなかったのが、お客様との価格交渉です。先輩営業マンの力を借りて、なんとかお客様のご理解を得られたと思った矢先、世界経済を襲ったのがリーマン・ショック。経済活動はピタリと止まり、東京の日比谷公園には、『年越し派遣村』なるものが開設されました。11月~2月くらいだったでしょうか、自宅の近くを走る国道17号には、荷物を積んだトラックの影も疎らで、『ガタゴト ガタゴト』、いつもと違う貨物の響きに、高崎線を列車が運ぶ積み荷の量も、極めて少ないであろうと、聞いて想像つく訳です。

物流が止まって、世界が凍りついた年末年始。今でも忘れません。もう10年も前の話なんですね。

大宮っ子の年末年始②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大宮生まれの大宮育ちの私にとって、初詣と言えば子供の頃から、氷川神社と決まっていました。氷川神社には、さいたま新都心駅から続く『氷川参道』とは別に、『裏参道』というもう一つの参道が在るのをご存知でしょうか?私は『裏参道』側に住んでいましたので、私にとってはこちらが表玄関。参拝する際は、いつも人混みを避けることが出来ました。大宮駅の東口から東武バスに乗ると、旧中山道沿いに、『裏参道』というバス停が在りますので、一度使ってみて下さい。

さて、『裏参道』の一つ手前に、『宮町四丁目』というバス停が在ります。駅から北に向かって大宮東口の繁華街を抜け、一部の方には有名な(?)風俗街、『北銀座』をちょっと過ぎた辺り。路地の入り組んだ一角、今は駐車場になっていますが、そこが、私たちの原点とも言うべき、岩井製作所の創業の地です。㈱昭和技研工業設立で、父 岩井正美が新製品の研究開発を進めたのも、この場所です。ま、場所が場所だけに、夜な夜な私の父が界隈に出没したとかしないとかで、『岩井君って、あの岩井さんの息子さんなんだって?』と、近所の中華料理屋のオジさんに冷かされたのも、今や昔の話。当時、実際には何をしていたかって?それは私に聞かないで下さい(苦笑)。

私たちの第二創業は、父 岩井正美の爆発なエネルギーなしには、達成し得なかったと思います。アイディアマンで、誰からも嫌われない優しい性格。ジョイントメーカーとしては後発で、物真似からの見切り発車でしたが、素晴らしい仲間に恵まれて、いくつもの大きな危機を乗り越えてきました。引退後、父は一度も会長を名乗っていません。体調を崩し代表を退くことになった11年前、権力の二重構造による社内対立を心配した私の提案を、快く受け入れてくれたのです。それは仕事一本だった父にとって、大きな決断だったのではないでしょうか。

そんな父も、今年で80歳になります。足腰も弱り、随分歳を取りましたが、二代目 岩井正美は、監査役として、今も私たちの仕事を優しく見守ってくれています。面と向かってはなかなか言えないけど、親父、いつもありがとう。

大宮っ子の年末年始①

あけましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。1月6日 会社を代表し、神田明神にてご祈祷を受けて参ります。昇殿は今年が2回目。当日は、当社の商売繁盛と社運隆昌、それから、読者の皆さんの無病息災と開運招福もお祈りして参ります。神田明神と言えば商売の神様で、そのシステムも最先端。こういう予約申し込みもすべてネットです。11月1日に受付をスタート、神田明神の公式サイトにアクセスして、必要事項を入力してポチッとすると、受付完了を知らせるメールが届きます。受付票は印刷する必要がなく、当日もスマホをかざすだけでOK。来年辺り、初穂料がQRコードでキャッシュレス決済、なんてことも有るかも知れませんよ。

武蔵野国一宮氷川神社の地元、埼玉県の大宮 (現さいたま市) に生まれ育ったせいか、祖父とは違って、私は意外と好きなんですよね、こういうの。子供の頃のお祭りと言えば、神輿を担ぐ夏祭りではなく、12月に氷川神社で行われる『十日市 (大湯祭) 』。全長約2km、日本一長いという参道にはぎっしりと露店が並び、酉の市で熊手を買い求める参拝客でごった返します。商談が成立すると、威勢の良い掛け声と共に三本締めが境内に響き渡り、翌年の商売繁盛を願う訳です。クリスマスを挟んで次に来る大きなイベントが、お正月三が日の氷川神社への初詣で、こちらもお祭り気分。多分これは私だけの話じゃなくて、『大宮っ子』は皆、12月に入ると気分がワサワサしたものなんです。

会社の事業年度で言うと、弊社はちょっと変則で6月に新年を迎えます。今年度も残すところ5ヶ月弱。さて、達磨にもう一つ目を入れる数字に届くかどうか?もうひと踏ん張りです。今年もチーム一丸頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。

※写真の御札と熊手は、昨年のモノです。

※一部、誤りや読みづらい部分がありましたので、修正致しました。