社長ブログ

社長、海を渡る

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。桜の季節が近づいて参りました。昨年は、坂下門から皇居を散策、乾門を抜けて千鳥ヶ淵~靖国神社と、通行手形の撤廃後 初めて、東京の桜の名所を楽しみました(笑)。2012年12月、アジアを中心に 観光ビザの発給要件が緩和されてからは、訪日外国人の数もうなぎ登り。2018年は、前年比8.7%増の3,119万人と、過去最高を記録。特に『お花見』は人気のコンテンツですから、この春も、多くの方々が日本にいらっしゃることでしょう。私の知る限り、アジア諸国からの観光客の皆さん、普通に英語を喋ります。勿論、流暢な方も、そうでない方もいらっしゃいますが、英語でコミュニケーションが取れないのは、中国本土の人と日本人くらいです。

時はバブル、女子大生が、親のゴールドカード片手に、ヨーロッパでブランド品を買い漁っていた頃、卒業を目前に控えた、我々、早稲田大学の男子学生は、『日本人と仕事をしたいなら、お前ら外国人の方が日本語を覚えて来い』くらいに考えていましたね。当時の英語教育と言えば、『読み・書き・文法』。リスニングの授業はなく、学校に英語の話せる先生など居ませんでしたから、英会話などは、夢の夢。一部の洋楽好きは別として、英語の出来る人間は、英語しか出来ない『英語××』、帰国子女は、一般常識をわきまえない変わった人と、白い目で見られていた時代です。難易度の高い英語の入試問題をクリアした、慶応や上智の学生と比較すると、相対的に語学能力の低かった当時の早大生(私だけ?)の、負け犬の遠吠えかだったのも知れませんけどね。

そんな私が一念発起、海外目指して英語の勉強を始めたのが、2010年。歴史的円高により、日本の製造業の空洞化が、深刻になってきた頃のお話です。ということで、これから数回、海外出張での面白いエピソードや、英語を勉強する際の苦労話、或いはグローバル経済に関する私の考え方など、お話をさせて頂きたいと思いますので、お付き合い、宜しくお願い致します。

 

ラッキーな社長⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。競泳、池江選手の白血病公表から1ヶ月。専門家によれば、治療に伴う『しんどさ』も、そろそろピークを過ぎた頃でしょうか。それにしても、彼女のポジティブさには、頭が下がります。たくさん泳いで、たくさん食べる。食いしん坊の池江さんの明るい笑顔が、早く見られると良いですね。皆で応援しましょう。

さて、14日(月)は、暗いうちに家を出ました。地震から3日目、計画停電の内容がハッキリしない中、午前6時20分までに会社に行けば、少なくとも電話は繋がります。午前5時前だったでしょうか。早朝に失礼は承知の上、まず、弁当屋に1本電話を入れました。会社に辿り着いた仲間には、せめて昼飯くらい喰わせてやりたいと。『はい、M社です。今日は出来ますよ。』と、昔馴染みの女社長の声。つい、嬉しくなっちゃって、『うちも営業してますんで、いつも通りお願いします。』と、電話を切ろうとすると、『失礼ですけど、どちら様で?』と。いやいや 興奮の余り、私、会社名を名乗るのを忘れちゃっていたんですね、お恥ずかしい・・・。取り敢えず、この日の弁当は確保。

買い占めの影響で、十分な食材も配送用のガソリンも、手に入るか分らない。しかも計画停電と来れば、お弁当屋さんにとっても、かなり厳しい状況だったことは、間違いありません。15日(火)以降もM社が営業を続けられるのかどうか、次の連絡が来るのを待ちました。コンビニの棚もスッカラカンの有り様ですから、弁当屋に頼らずに、70食前後の食料を、会社が毎日調達し続けるのは 不可能な状況です。食い扶持は個人で持参してもらうよう、皆に説明しなきゃいけないな・・・。半分くらいは諦めかけた、そんな時だったと思います、M社から回答があったのは。『お弁当作ります。やらせて下さい。』と。場合によっては、約束を守れないかもしれない。でも諦めれば、彼らだって収入の道が断たれてしまう。ギリギリの中での、勇気ある決断だったと思います。嬉しかったなぁ、あの一言は。人間、腹ペコじゃ、力が出ないんですから!

今回は、普段は地味で目立たないけれども、2011年の震災直後に、私達の仕事を影で支えてくれた、お弁当屋さんのお話をさせて頂きました。

 

ラッキーな社長⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。二階堂ふみさんとGACKTさん主演の映画、『翔んで埼玉』、人気上々のようですねぇ。ディスられて『なんぼ』の埼玉県ですけど、年間快晴日数では、9年連続で全国ナンバーワン(~2017年、2018年の数字は、まだ公表されていません)。日照時間も長く、日本一天気の良い県なんですよ。太陽光発電には持って来い。

弊社の屋根にもソーラーパネルが載っていて、74.88kw相当の発電能力が有ります。この設置工事が完了したのは、2011年3月23日。未曾有の大惨事、東日本大震災 直後のことです。そして次の事業年度、2011年6月~2012年5月に記録した、年商22億3,499万円が、弊社の過去最高の売上高。震災のダメージを受けたお客様も多く、生産再開に向けた復旧・復興活動に、我々も最大限の努力をさせて頂きました。その結果が表れた数字と言えます。

あの日、伊奈町も、震度5強~6弱くらいは揺れたでしょうか。棚が倒れて1名の怪我人は出たものの、液状化等の被害もなく、週末の間に片付けを済ませれば、月曜日から、工場は通常通りに稼働出来る。そう胸を撫で下ろした矢先に入ってきたのが、例の『計画停電』のニュースです。金属切削が中心の工場に、電気がなければ、開店休業。しかもそれが、数ヶ月に渡って続くかも知れないというのですから、我々にとっては死活問題です。そこで俄かに、従業員の注目が集まったのが、工場の屋根の上。『そうだ、あれだ。あれが完成すれば、俺たちは仕事が出来る。救われる。このタイミングで太陽光を始めるなんて、うちの社長は、ラッキーを超えて、神憑っている。社長は奇跡の人だ。』とのナンセンスな話題で、社内は持ち切りになりました。

結論を申し上げると、第一に、東北・上越新幹線に挟まれた この地区は、鉄道に電気を供給する必要から、計画停電の対象からは除外され、電力不足が操業に影響することは、一切有りませんでした。非常にラッキーだったと思います。そして第二に、もし仮に計画停電の対象になっていたとして、太陽光発電がどれくらい活躍したかというと、御免なさい。設備の中心的役割を果たす、『パワー・コンディショナー』という装置の動力を、外部電源に頼っていますから、停電中はそもそも稼働しません。つまり実際には、全く役に立たなかったという訳ですね(苦笑)。

 

※一部、漢字の誤りを修正致しました。

ラッキーな社長④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。事業承継問題は、中小オーナーの悩みの種。近年は、後継者不在で廃業、雇用を守るため心ならずもM&A なんてケースも、増えているみたいです。私たちのように、商売がちょっと上手く行っている場合に心配なのは、株式移転にかかる相続税・贈与税。ラッキーな社長には、ここでも奇跡が起こります。今回は、かなり専門性の高い話です。出来るだけ分かり易く説明しますが、結構難しいので、興味のない方はスルーして下さい。

中小の非上場会社の株価は、ざっくり言うと、純資産・利益・配当の、三つの要素で決まります。業績が悪くて大赤字、或いは不動産を格安処分等、会社が損をすると、株価がグッと下がり、税負担が減るという仕組みです。会社が損を出せば、経営は当然不安定になる訳ですから、経営者の立場からすると、事業承継と安定経営は、二律背反する課題と言えます。

奇跡は、平成22年3月に届いた一枚の通知によって、もたらされました。私たちの会社、平成5年4月の工業団地入居以来、埼玉県の土地区画整理事業で割り当てられた、『仮換地』で工場を営んでいたんです。長年慣れ親しんだ『小針新宿1247番地』も、仮の表記。通知とは『換地処分』を知らせるもので、これによって、正式な住所『西小針七丁目24番地』を、ようやく手に入れた訳ですが、名刺・カタログの差し替え等、実際 煩わしいことばかり。ところが、顧問税理士の先生から、ここで信じられないような指摘を受けます。『これは一種の、土地の交換取り引き。新・旧土地の差額 は、”譲渡損”として計上可能で、株式の評価額を大幅に下げられます。』と。そんな馬鹿な!!だって、引っ越しもなし、金銭授受もなし、県から届いた紙っ切れ一枚ですよ。曰く、前例も有り、問題ないのだそうです。

その後、先生のご指示通り、提出直前だった会社の確定申告書を差し替え、『相続時精算課税制度』を利用して、株式を一気に移転。世の中には、怪しげな『節税商品』を勧める、経営コンサルタントは大勢いますが、そんなものに一切頼ることなく、また、会社の財務を一切毀損することなく、事業承継に係る税負担を、最小限に抑えることが出来たのですから、これは奇跡としか言いようがありません。

 

※一部、分かりづらい部分が有りましたので、加筆しました。