社長ブログ

社長、海を渡る<アメリカ編②>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。一青窈さんの名曲で、一躍有名になった『ハナミズキ』、『平成』を名残惜しむかのように、白やピンクの花を開き始めました。皆さんは『令和』の幕開けを、どのように迎えるご予定でしょうか?日本で歴史的瞬間に立ち会おうという方、長めのGWを利用して、海外にご旅行されるという方、それぞれでしょう。フロリダ・ディズニーワールドに、遊びに行かれる方がいらしたら、今日の話は、ちょっとだけ参考になるかも知れません。

2015年2月、フロリダ州オーランドの展示会では、タクシーを頻繁に使いましたが、『Uber』のような配車サービスが、流行る理由は分かります。オーランドの運転手、ほとんどは米出身でなく、英語が上手く話せません。タクシーの整備不良も『ざら』で、メーターの故障程度など、珍しい事ではありません。ある時、余りの安全運転にその理由を尋ねると、『エンジンが故障して、スピードが出ない』と、運転手から仰天告白。更に、タクシーを降りる段になって、マフラーが付いていない事実も発覚。一酸化炭素中毒で、殺されるかと思ったくらいです。

この展示会は、実際の商談を獲得した点で、成功例の一つです。お客様から酒の席にも誘われて、一旦会場で別れた後、先方のホテルで落ち合うことに。我々が呼んだタクシー、今度は幸いカーナビ付。運転手が目的地を登録し、準備万端・出発進行。ところがどっこい、車に揺られて30分。待てど暮らせど、目的のホテルに到着せず、運転手も焦りの色が隠せません。どうやら、カーナビに誘導されるまま車が向かっていたのは、同じホテルチェーンの遠く離れた別館だったようなのです。電話を掛けて、宿泊先を再確認。大遅刻の末、お客様と合流することは出来ましたが、タクシー運転手なら地元の土地勘があると考えた、我々が間違いでした。土地勘が無いからこそ、彼にはカーナビが必要だったんです。

英語が得意で、変にサービスの行き届いた運転手も、要注意です。緊張感も解ける帰路のタクシーでは、こんなことが有りました。無事 空港に到着し、気持ち良くクレジットカードを手渡すと、ドライバーの表情が曇ります。カチャカチャ、カチャカチャ、『端末機が壊れていて、カードを読み取れない』と言うんです。現金が欲しくて、この手口を使うドライバーは多いのですが、この時は様子が違いました。フライト時間が近づき、こちらが焦れて来るタイミングを見計らって、『実は予備の端末機があるから、もう一度カードを遣せ』と。これは怪しい。壊れている筈の、最初の端末機を取り上げて、我々が試してみると、案の定、普通にカードを受け付けるじゃないですか。なるほど、あそこで気を許していたら、我々は、スキミングの餌食となっていたという訳ですね。

日本の常識が世界の常識でないことを、改めて痛感させられました展示会でした。

※分かり辛い部分がありましたので、補筆しました。

社長、海を渡る<アメリカ編①>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。最近、『深藍(こいあい)』の伝統色を身にまとった、トヨタの新型タクシー車両を、目にすることが増えました。従来の車より室内が広いのが特徴。ハイブリッドシステムで、ガソリンよりも二酸化炭素の排出量が少なく、環境に優しいとされるLPガスを、効率的に燃焼します。国内で消費するLPガスは、長年にわたり、中東諸国からの輸入に依存して来ましたが、ここ数年で、アメリカからの輸入が急増。アメリカ産の占める割合は、 2012年の3%から、2017年には56%まで高まりました。

昔々、人間が火を起こすのに利用していたのは、『薪』や『木炭』でした。18世紀後半になると、工業用燃料として『石炭』が普及。蒸気機関を利用して、イギリスがいち早く『産業革命』を成し遂げました。その後100年以上に渡って、圧倒的な産業競争力を手に入れたイギリスが、その経済力・軍事力で世界を支配します。20世紀に入ると『石油』が『石炭』に変わり、内燃機関(ガソリンエンジン)が発達、モータリゼーションが起こります。いち早く自動車(T型フォード)の量産に成功したアメリカが、自動車産業を中心とした産業競争力を背景に、世界の王座に君臨、その覇権を握り続けました。歴史の転換点には、技術革新が付き物なんです。

2012~2013年頃でしょうか、日本でも注目を集めたイノベーションが、アメリカ発の『シェール革命』です。冒頭にお話ししたLPガスも、この技術革新によって もたらされたもの。天然ガスや石油の新たな掘削技術の革新により、今までは無理だった地下深くの固い岩盤(シェール層)から、天然ガスや石油を低コストで抽出することが出来るようになり、結果、アメリカでは2008年頃から天然ガスや石油の産出量が急増。天然資源の輸入国だったアメリカが、世界有数の石油・天然ガス産出国に生まれ変わり、『グリーン・ニューディール』を推し進めた、バラク・オバマ前米大統領ですら、シェールガス・シェールオイルの開発を、エネルギー政策の中心に据えたくらいです。

私たちが、『シェール革命』の中心地、テキサス州 ヒューストンの展示会に出展したのが、2014年6月のこと。残念ながら、その後の原油価格の暴落により、シェール・ブームは急激に収縮。エボラ出血熱のアメリカ上陸も手伝って、私たちが、それ以上深入りすることはありませんでしたが、シェール関連ビジネスが、今後も有望な分野の一つであることは、間違いなさそうです。近年、電気自動車ばかりに注目が集まりましたが、トヨタのHV関連特許無償提供により、北米でのLPガス自動車の普及が促進されるなんてことも、有り得るかも知れませんね。

アメリカでは その後、フロリダ州のオーランド、オハイオ州のクリーブランドの展示会にも、出展を致しましたので、続きは次回。

※誤りを訂正します。『深藍(ふかあい)』→『深藍(こいあい)』

※誤りを訂正します。『バラク前米大統領』→『バラク・オバマ前米大統領』

社長、海を渡る<台湾編②>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。新元号の『令和』の読み方、アクセントをどこに置くのかが、ネット上で話題になるなど、日本人の思考回路が 曖昧さを許さない、デジタルな方向に変化したと、つくづく感じます。ちなみに、元号が社名に付く弊社の場合は、どうかと申しますと、短縮して自らを『昭和』と名乗る場合の “ショウワ” は、語頭を強調しますが、フルネームの『㈱昭和技研工業』の場合の “ショウワ” は、平板に読みます。どらかに統一しろと言われても、困るでしょうね(苦笑)。

新元号の発表は、台湾でも注目度が高く、会見の様子は、地元テレビで生中継されたのだそうです。その台湾、2017年6月に再び訪れましたが、5年前の少し物悲しい印象と比べると、街の雰囲気がすっかり変わっていたのには、驚かされました。空港に降り立つと、車で迎えに来てくれた、現地代理店の社長夫妻と、少し遅めの昼食に。通りを走る車の多くが、日本車なのは相変わらずですが、車の『顔つき』が、日本で見慣れたものと違います。向かった有名デパートで、更にビックリ。昼休みの時間はとっくに過ぎているにも拘わらず、レストランは大勢の人・人・人。若者や家族連れも多く、前回の訪問の時とは、全く別の国のような賑わいをみせていたんです。社長さんに聞いても、理由は分からないと言うので、奥様に聞いてみると、『ほら、声の大きさが違うでしょ、中国本土からの観光客よ』と、なるほどの回答が。日本の観光地もそうですけれど、台湾にもまた、中国本土から大勢の観光客がなだれ込んで、街の様子が一変してしまったんですね。

もう一つ大きな変化を感じた点。台湾の食べ物の味が変わり、街の匂いも変わりました。台湾料理を代表するスパイスの『八角』、漢方薬としても知られており、一種独特の香りがします。ほとんど全ての台湾料理に、この『八角』が香辛料として使われていて、一軒食堂があると一帯が『八角』臭くなるくらい、台湾の皆さんは『八角』が大好き。私はちょっと苦手だったんですが、驚いたことに、その『八角』の匂いが、台湾の街から消えて無くなっているんです。後で調べて分かったのが、インフルエンザ治療薬『タミフル』の原料が、『八角』であるという事実。『タミフル』が品薄になる度に、製薬会社が『八角』を買い占めて価格が高騰。それに輪を掛けて、『八角』を料理に使うと、インフルエンザ予防に効くとの噂が、中国本土で広まり、非常に入手困難な状況が続いていたんだとか。

次回は、太平洋を渡ります。お楽しみに。

社長、海を渡る<台湾編①>

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『平成』も残すところ、僅か1ヶ月。新元号発表を数時間後に控え、『平成』はどんな時代か、私が選んだ言葉は『digitization (デジタル化)』です。携帯、パソコンにインターネット、今、あって当たり前のものが、まだ全く普及していなかった平成元年、その約30年後に、弊社のような中小企業までが、ブログやSNSで情報を発信したり、スマホ向けにサイトを最適化する時代が到来しようとは、誰が想像出来たでしょう。

初めての海外旅行も、1989年の平成元年。大学生の私が父の仕事にくっついて、行った先は台湾でした。自然災害も多かった『平成』。思えば、東日本大震災後に、一番多くの支援をして下さったのも、台湾の皆さんでしたね。ということで、敬意を表して、まずは台湾のお話からさせて頂きます。

23年振りに訪れた台湾は、随分変わっていましたね。台湾の首都台北の街並は整然と美しく、道にはゴミ一つ落ちていません。大渋滞の中、バイクの信号無視・斜め横断が当たり前だった交通事情も一変。皆さん交通ルールを守ります。タクシーはトヨタのプリウス。街を走る車の7~8割が日本車で、もうこれは、中国語を耳にしなければ、自分は日本に居るのではと、疑いたくなるくらいです。ちなみに、1989年当時の台湾は、日本車の輸入解禁前で、クラウンはベンツを上回る超高級車、日本でも復活予定のスープラは、夢のスーパーカーと見なされていたそうです。

目覚しい経済発展を遂げた台湾、2012年の滞在中、何となく物悲しい空気が漂っていると、感じていました。その時は雨が降っていましたので、そのせいかなとも思いましたが、日本に戻って調べてみると、台湾の光と影、暗い影の部分を思い知らされました。少子高齢化と産業の空洞化の進行です。台湾の合計特殊出生率は、世界最低レベル。また、中国と言葉が共通である台湾では、産業の空洞化は、日本よりもかなり速いペースで進行したとも言われています。親日的な方が多く、親しみを感じる国ですが、その台湾もまた日本同様、先進国病に悩まされているようなんです。

ところが、5年後の2017年に再び訪れた台湾は、激変。一体、何が起きたのか?続きは次回。

※誤字・脱字を、修正致しました。