まだ続くの?社長の謎解きシリーズ⑧
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。当ブログでは『倭王武』非認定、『雄略天皇』の生き残り戦略により、”神兎が正しい道へ導いた聖帝” 『仁徳天皇』の系譜は、早くも断絶の大ピンチ。擦った揉んだの末 越前から担ぎ出されたのが、”応神 5世の孫” 『継体天皇』で、この『継体天皇』が畿内に入ってから娶った后、『手白香皇女(タシラカノヒメミコ)』の血筋が、実は曰く付きなのです。彼女の母親『春日大娘(カスガノオオイラツメ)』は、『雄略天皇』の “一夜限りの火遊び” の末この世に生を受けますが、又しても「この子、俺の子じゃないんじゃね?」という展開に。そこに登場する疑惑の男が、『饒速日命=ノア』に呪いを掛けられた『物部氏=カナーン人』の末裔で、名前を『物部目(モノノベノメ)』と言います。『物部目』は手八丁口八丁で その場を凌ぎ、『雄略天皇』も渋々 納得しますが、そのやり取りが どう見ても怪しい(苦笑)。
『物部氏』の “モノ” は、『物の怪=悪霊』の “モノ” に通じます。『物の怪=悪霊』はキリスト教で言うところの『堕天使』、人類の人間性を破壊する為 地上界に送り込まれた、謂わば『サタン』の手下です。『丹塗矢』で注ぎ込まれた『大物主命=サタン』の血により、精神や肉体に異常を来した『雄略』『清寧』『武烈』天皇、その窮状を救うべく招き入れられた遠戚の『継体天皇』。新・旧聖書の中には『カナーン人』と『堕天使』を結びつける記述は存在しませんが、『継体天皇』即位に先回りするかのように、『大物主命=サタン』の “僕たち” は宮廷の奥深くまで忍び込んでいたという訳です。ハッキリしているのは、饒速日命の息子『宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)』から『物部氏』へと受け継がれた、『十種神宝』は死者を蘇らせる強い呪力を持つことから、『黄泉がえり』を否定する天孫族にとっては完全なNGアイテム、”悪魔の所業” だということです。
恐らく『物部氏』が饒速日命の直系の天孫族で、『石上神宮(都を守る為の武器庫だったとも言われる)』の管理を任されたというのは建前で、実際は母方に『長髄彦』の血を引く国津神の一族として、『布都御魂(フツノミタマ)』『布都斯魂(フツシミタマ)』の 2本の霊剣では歯が立たず、百済から贈られた『七枝刀(ナナツサヤノタチ)』の “起死回生” の一撃により、漸く『石上神宮』に封印された『物の怪=悪霊=堕天使』なのです。例えば、『隋書倭国伝』に残された600年の幻の遣隋使の記録、「倭国王は天を兄とし、日を弟とし…(兄は)日が出ると政務を止め、弟に委ねる。」も、磐井の乱(537年)と丁未の乱(587年)を経て、「『悪魔崇拝=鬼道』の国津神(兄)が、『太陽信仰』の天孫族(弟)に権力を移譲する」プロセスと解釈すれば、整合性が取れて来ます。
天空に輝き、日が出ると政務を止める兄とは『明けの明星』のこと。江戸時代の国学者『平田篤胤』によれば、『物部氏』が崇拝した『天津甕星(アマツミカボシ)』も『金星』で、『国譲り』神話の中で最後まで天津神に抵抗した悪神です。そして驚くべきことに、『明けの星』はラテン語なら『ルシファー』、天国から追放され『サタン』となった『堕天使』のことなのです!そんな説明を聞かされて、時の皇帝『楊堅』が「義理なし、改めよ(意味が分からないから、出直して来い)。」と返したとしても、そりゃ無理ありませんよね(苦笑)。倭人が自らを中国 周王朝『太伯』の子孫と称したという伝承も、『太白=金星』の勘違いから来ているのかも知れません。時が流れ、室戸岬の岩窟で空海が悟りを開いた際の神秘体験で、口に飛び込んで来たのが『明けの明星=虚空蔵菩薩』だったというのも、決して偶然の一致ではないでしょう。
※誤字脱字を修正しました。
