社長ブログ

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『受胎告知』という、”一世一代の晴れ舞台” をカットされた『中臣鎌足=大天使ガブリエル』は、大織冠まで授かったものの死に際に、「生きては軍国に務無し(貢献出来なかった)」と、後悔の言葉を口にしています。これは一般に言われる白村江の惨敗とは関係なく、国津神『天津甕星=堕天使ルシファー』との最終決戦で、他の天津神『建葉槌命=熾天使セラフィム』や『建御雷之男神=大天使ミカエル』が武功を上げたのに対し、祖神『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)=大天使ガブリエル』が、参戦すらしなかったことに由来していると思われます。

『山科』の落馬事故で怪我を負ったり、死の直前に屋敷に雷が落ちたりと(古代日本では、落雷は “祟り” とされた)、『大化の改新』の功労者でありながら、何故か『中臣鎌足』には惨めな最期が与えられていて、武神であり雷神としても知られる『建御雷之男神』を、氏神として祀る藤原氏の祖に相応しくない死に様からは、寧ろ『中臣鎌足』と藤原氏に、血縁的な繋がりは無かったのではないか?との印象さえ受るくらいです。なるほど『藤原不比等=イエス・キリスト』の父親は、『中臣鎌足=大天使ガブリエル』ではありません(苦笑)。更に『大天使ガブリエル』は女性だとする説もあることから、『中臣鎌足』が “性的マイノリティ” と見なされていた可能性も充分です。孫の『藤原宇合』が、必死に『常陸国』に中臣・藤原のルーツを求めたのも、そんな事情が影響したに違いありません。

『中臣鎌足』の落馬事故は飽くまで、大阪府茨木市に在る『大織冠神社』周辺に残る言い伝えの類いで、文献的な根拠が有る訳ではないようですが、当ブログで『山科』というキーワードは、天智天皇の身代わりに謎の死を遂げた、大海人皇子を連想させます。『鏡女王=聖母マリア』を『中臣鎌足=大天使ガブリエル』に下賜したのも、中大兄皇子を装い、九州王朝(邪馬台国連合、国津神勢力)に寝返った大海人皇子です。つまり『中臣鎌足』の正体は、大海人皇子の内側に潜む心の声。野心に燃える皇子にのみ聞こえた “神のお告げ” であって、『中臣鎌足』も『聖徳太子』同様、架空の人物だったのかも知れません。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑮

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。中臣氏の祖神『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)』は祝詞の神様で、日本の言霊信仰のルーツとも言われます。祝詞は神様に上奏する言葉であると同時に、祭祀に集まる人々への神様からの大切なメッセージでもあって、『天児屋根命』に与えられた役割は、神の言葉を伝える『大天使ガブリエル』と完全に重なります。『大天使ガブリエル』と言えば『受胎告知』で有名ですが、『最後の審判』に於いてラッパを鳴らし死者を甦らせたことでも知られます。『天児屋根命』が祝詞を奏上し、天照大御神を引っ張り出すのに一役 買った天岩戸神話は、”太陽の再生” を示すシーンとして広く認知されていて、この場面は創世記に於ける『セツ』の誕生、つまり “『アベル』の再生” の話がベースとなると考える、当ブログのスタンスとも一致します(但し『黄泉がえり』はタブーとして、『生まれ変わり』に差し替えられている)。

『大天使ガブリエル』には もう一つの側面が有って、ユダヤ教の世界では道徳的に廃退した都市、『ソドムとゴモラ』を滅ぼした天使とされます。映画監督の宮崎駿氏は『天空の城ラピュタ』の中で、それを『インドラ(雷霆神)の矢』と表現しましたが、発掘作業の進むヨルダンの『タル・エル・ハマム遺跡』では、巨大隕石が空中爆発した痕跡が見つかったことから、『ソドムとゴモラ』が実在した可能性も議論されています。両都市が『天からの硫黄と火』に焼かれるエピソードは、専横を極めた『蘇我蝦夷』が業火に包まれた、645年の乙巳の変を連想させます。『輪廻転生』の記紀世界に於いては、『天児屋根命』の後裔であり暗殺事件の中心人物である『中臣鎌足』も また、”神の声のメッセンジャー”として描かれていると考えられる訳です。

ということは、『中臣鎌足=大天使ガブリエル』の最大の見せ場も、本来は『受胎告知』だったのではないでしょうか?日本書紀に描かれることのなかった、”中大兄皇子” から元妃『鏡女王(カガミノオオキミ)』を授かった場面こそ、それに該当するに違いありません。曇りなき『鏡』は西洋宗教画に於いて “処女性” のシンボル、つまり『鏡女王』は聖母マリアであって、その息子『藤原不比等』は、「比較しても等しく並び立つ者は存在しない」という名前が示す通り、救世主イエス・キリストである というカラクリです!!すなわち、春日大社に祀られる『天児屋根命』『比売神』は、それぞれ『中臣鎌足=大天使ガブリエル』と『鏡女王=聖母マリア』を意味するのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。話を戻しましょう。『常陸国』には『建葉槌命(タケハヅチノミコト)』が『天津甕星(アマツミカボシ)』を封印する大甕神社も在って、『建御雷之男神』の鹿島神宮と『経津主命』の香取神宮と合わせ、石上神宮に秘められた国譲り神話のクライマックスシーンを、スケールアップして屋外展示したかのような神社の配置となっています。『常陸国』の歴史は『常陸国風土記(721年)』に詳しく、その編纂には『藤原宇合(フジワラノウマカイ)』が深く関わっていると考えられていて、父・『藤原不比等』を特別な存在に仕立て上げる為に、様々な脚色が行われたことでしょう。

その『藤原不比等』の出生には、長年に渡り信じられてきた異説が有り、それは生母の『鏡王女(カガミノオオキミ)』が、中大兄皇子の元妃であったことから、本当の父親は『中臣鎌足』ではなく、天智天皇ではないか?というものです(当ブログの見解では、兄弟は入れ替わっているので、仮に この異説が事実であれば、『藤原不比等』の父親は大海人皇子であり、天孫族にとっては裏切り者となりますが)。

祖父・『中臣鎌足』の出自は もっと謎だらけで、前半生の記録は全く残されていません。『中臣御食子(ナカトミノミケコ)』の息子とする通説から、稲荷神との関連を疑わせる鎌を咥えた白狐の逸話や、人質として送られてきた百済王子『豊璋』と同一人物とする説まで様々で、歴史愛好家の想像力を掻き立てます。中でも『藤原宇合』の『常陸国風土記』には、藤原の祖を『常陸国』から白鹿に跨って春日の地に降臨した、天津神最強の武神『建御雷之男神』と結び付けたいという、強い情熱のようなものを感じます。

そこで当ブログでは再び、大甕神社に祀られる『建葉槌命』と『天津甕星』を、それぞれ『熾天使セラフィム』と『堕天使ルシファー』に、鹿島神宮に祀られる『建御雷之男神』と香取神宮の『経津主命』を、『大天使ミカエル』とその聖剣に置き換え、『藤原宇合』の真意を深掘りすることにしたのですが、作業を進めて行くうちに、聖書の世界を構成する上で重要なピースが 1つ、リストから抜け落ちていることに気付きました。それは『大天使ガブリエル』、神の声を地上に伝える役割を持つ天使です。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。平安貴族と言えば十二単に衣冠束帯。和歌を詠んだり蹴鞠をしたりの雅びな生活の一方で、暦の吉凶や方角の良し悪しを占い、血の『穢れ』を極端に忌み嫌います。その中心に居たのが『中臣鎌足』を祖とする藤原氏で、彼らが創建した春日大社には氏神として、国譲り神話に登場した『建御雷之男神』『経津主命』と、『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)』『比売神(ヒメガミ)』の 4柱が祀られています。『天児屋根命』と『比売神』ついては別途ご登場して頂くこととして、先ずは天津神を代表する 2柱の武神の謎から、藤原氏の正体に迫ってみたいと思います。

春日大社の『建御雷之男神』は『常陸国』の鹿島神宮から、『経津主命』は『下総国』の香取神宮から、それぞれ勧請されたと伝わります。国譲りで活躍した 2柱が、出雲国から遠く離れた東国に祀られている理由は恐らく、本来は四国を意味していた『葦原中津国』を、日本全土に拡張して “話を盛ること” が目的で、国譲りの舞台となった『稲佐の小浜』も、藤原氏の意向により東方の『常陸国』に移されたのだと思います。鹿島神宮には東西南北に 4つの鳥居が有って、東の一之鳥居の在る『明石の浜』が、『建御雷之男神』上陸の地とされています。

南東から吹く強い海風を “いなさ” と呼ぶことから、『稲佐の小浜』は特定の地名を表す言葉でなく、「強風の吹き荒れる砂浜」の描写であると、当ブログでは考えます。そんな気象条件でも、微動だにせず剣の切っ先に胡坐をかいて居られるくらい、『建御雷之男神』の神力は凄ったということですね。南東からの海風が吹くということは、本来の『稲佐の小浜』も島根県ではなく、四国の東岸で太平洋面した『阿波国』に在ったとするのが妥当でしょう。補足しますと、徳島県には1955年まで『高志村(タカシソン)』という村が存在したそうですから、出雲の地で須佐之男命が倒した八岐大蛇も、『越国=高志国』でなく『阿波国』の『高志村』から “元・出雲” に、毎年 娘を奪いに現れる という設定だったのだと思います。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。太陽に似た恒星では100年に一度程度、桁違いに大きい爆発『スーパーフレア』を起こすそうで、620年の『低緯度オーロラ』が『スーパーフレア』による、超常現象級の出来事だったとするならば、ゆらゆらと揺れるオーロラは正に『天の羽衣』、古代の人々が “機織り神” が降臨したと感じても、何の不思議もありません。しかも “木槌” で敵を叩きのめすのでなく、”葉槌” で優しく包み込んだのです。『低緯度オーロラ=建葉槌命』の、『明けの明星=天津甕星』すら打ち消す程の煌めきに、占星術を駆使して抵抗を続けた物部の残党も、負けを認めざるを得なかったことでしょう。

620年に日本は もう一つの画期を迎えます。日本書紀によれば蘇我馬子と聖徳太子が、『天皇紀』を完成させたのが この年です。聖徳太子と言えば「和を以て貴しとなす。」なるほど!!『天津甕星』の懐柔に成功した『建葉槌命』とは、587年の丁未の乱で物部守屋を打ち破った後、620年の『天皇紀』を以って皇統の神性を世に示した、聖徳太子その人という訳です。太子の佩刀としては四天王寺所蔵の国宝『七星剣』が有名ですが、これは恐らく後世(鎌倉時代以降)の作り話(苦笑)。太子が実際に佩いていたのが、石上神宮の所蔵する『七枝刀』であったとするならば、バラバラだった全てのピースが 1つに繋がります。

剣身に 6本の枝刃を持つことから、『六叉の鉾(ロクサノホコ)』とも呼ばれる『七枝刀』、その神々しい姿は正に天界から現れた『熾天使セラフィム』です。真っ赤に輝く『低緯度オーロラ』を背景に、6枚の翼を持つ聖剣を右手に掲げ、太子は国譲り神話のラストシーンを再現して見せた訳ですね。太子の最も有名な肖像画の両脇に、頼りなさげに描かれる 2人の小柄な従者は、『建御雷之男神』と『経津主神』ということになるでしょう(苦笑)。ちょっと余談になりますが、『熾天使セラフィム』は神武東征にも登場したと考えられます。神武天皇の弓先に降り立つと、この時は黄金の輝きを放ち、饒速日命を恭順へと導いた『金鵄』も また、『熾天使セラフィム』だったのではないでしょうか?『輪廻転生』の記紀世界に於いて、歴史は姿形を変えながら何度も何度も繰り返すのです。

当ブログでは聖徳太子は実在せず、厩戸王とは蘇我入鹿のことです。蘇我一族も出自不明とされていましたが、今回の大発見により期せずして、百済の王族と関係の近い渡来系氏族である可能性が見えて来ました。その一方で蘇我本宗家を滅ぼした、乙巳の変のキーマンであり藤原氏の祖でもある、『中臣鎌足』も また百済王子『豊璋』とも噂されます。藤原氏とは一体 何者なのでしょうか?そして、どのように権力の中枢に上り詰めたのでしょうか?また、古代日本のフィクサー、アリウス派とネストリウス派の秦氏は、この両者の争いに どのよう絡んでいたのでしょうか? 次回以降もお楽しみに。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。もう一方の聖書の世界に目を向けると、『天津甕星』のモデルが『堕天使ルシファー』である以上、バトルを繰り広げた相手の『建御雷之男神』が『大天使ミカエル』、その輝く剣を神格化したのが『経津主神(フツヌシノカミ)』であることは、ほぼ疑いの余地が有りません。肝心の “機織り神”『建葉槌命(タケハヅチノミコト)』に、このシーンは出番がなさそうで諦めかけていたところ、興味深い天使の存在を見つけました。それは天使の最高位に君臨する『熾天使セラフィム』です。 6枚の翼を持ち、唯一神への愛と情熱で体が赤く燃えていることから、『火偏』の付いた漢字を使って “シテンシ” と読みます。

“熾天使” の『熾』と “機織り神” の『織』という 2つの漢字、見た目が よく似ていて、如何にも誤記や混同を誘発しそうですねぇ(苦笑)。倭人が名乗ったのが『太伯の後裔』でなく、『太白(金星)の後裔』の可能性が有るように、中国の歴史書に於いて、漢字の転記ミスは頻繁に見られる問題で、歴史研究者にとっては悩みの種でも、私のような素人の歴史愛好家にとっては、これほど涎の出る “ご馳走” は有りません(笑)。仮に『建葉槌命』が『熾天使セラフィム』であると証明されたならば、「失われた『天皇紀』とは、漢文訳された新・旧聖書である」と考える、当ブログの根幹となるロジックを、強力に補強する大発見となります。

ここで天空の世界に戻って調べてみると、日本書紀の中に西暦 620年に観測された、大変 面白い気象現象の記事を見つけました。それは『低緯度オーロラ』、太陽の活動が活発な時に見られる現象で、2024年には日本でも観測されています。日本書紀によれば、赤く耀くオーロラが閃光を放ちながら、地表から天に向かって放射状に広がる様子は、「まるで鳥の “雉(キジ)の尾” のように見えた」そうです。これは正に 6枚の燃える翼を広げる、『熾天使セラフィム』の姿そのものです!そして想像してみて下さい。夜空を赤く染め上げる扇形のオーロラは、まるで北天に浮かぶ秋の紅葉、巨大スクリーンに映し出された、真っ赤な “カエデの葉っぱ” じゃないですか!!なるほど『建葉槌命』とは絶妙なネーミング、”機織り神” の正体は『熾天使セラフィム』で間違いなさそうです。

※誤字脱字を修正しました。

※写真を差し替えました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。悪神『天津甕星(アマツミカボシ)』が最後まで抵抗した、国譲り神話のラストシーンが中途半端になっていましたので、その続きについて お話しさせて頂きます。日本書紀によると、『建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)』と『経津主神(フツヌシノカミ)』の武神 2柱では手に負えず、『天津甕星』を服従させるには『建葉槌命(タケハヅチノミコト)』の助けが必要だったとされます。石上神宮に主祭神として祀られる 3本の霊剣の内、『布留御魂(フルノミタマ)』こそ『天津甕星』のメタファーと睨んだ当ブログでは、残る 2本の『布都御魂』と『布都斯魂』に、『建御雷之男神』と『経津主神』を当て嵌め(順不同)、”起死回生” の御利益を持つとされる『七枝刀』を、『建葉槌命』の『依り代』と比定した訳です。

その『建葉槌命』については、 “統一日本” の国家形成過程に於いて、重要な役割を果たしたにも関わらず、”機織り神” という以外に殆ど情報がなく、影の薄い正体不明の存在です。『天津甕星』を倒した『建葉槌命』とは、一体 何者なのでしょうか?私の推理した通り、百済から贈られた『七枝刀』と、何らかの関係が有るのでしょうか?『天津甕星』が『明けの明星』であり『堕天使ルシファー』であるならば、『建葉槌命』も また何らかの天体現象、そして新・旧聖書の中にヒントが隠されているかも知れません。

2016年の大ヒット映画『君の名は』の中で、監督の新海誠氏は『天津甕星』を、主人公の三葉と瀧を引き裂く『ティアマト彗星』に擬えました。三葉の実家、宮水神社の祀る “機織り神” 『倭文神(シトリガミ)=建葉槌命』の正体は、彦星との再会を待つ “織姫” であると考えた訳ですね。『巨大隕石落下説』については私も一定程度 支持していて、何故なら、戦いに敗れて地表に落ちた『天津甕星』を、封印する為に創建されたと考えられる神社は、『常陸国』を中心に幾つも存在するからです。果たして『建葉槌命』の正体は、”織姫” なのでしょうか?続きは次回。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今から 60年近く前の昭和41年に、この事実に気が付いていたのが、『特撮の神様』円谷英二氏です。「光の国から僕らの為に、来たぞ我らの『ウルトラマン』」が、自らの過失で死なせてしまった『ハヤタ隊員』に命を分け与え、巨人となって地球を守る姿は、体の大小の関係性は正反対ですが、『大己貴命』に魂を分け与えた『少彦名命』が、立派な大国主命に成長して国を治める様子にソックリです。出雲大社を参拝する際に、『二礼二拍手一礼』でなく『二礼四拍手一礼』する理由は、大国主命の肉体には『大己貴命』と『少彦名命』の 2つの魂が宿っているからでしょう。その出雲大社ですが、2000年の発掘調査で巨大な御柱が出土したことにより、高さ48mの日本版『バベルの塔』は、実在した可能性が高まりました。因みに『ウルトラマン』の身長は40mです(笑)。

さて、『大己貴命』のサクセス・ストーリーは、『ヤコブ』の息子の『ヨセフ』と『イエス』の養父『ナザレのヨセフ』、同じ名前の人物を混同したことによって、生まれた物語と考えられます。ギリシア語の『イエス』とヘブライ語の『ヨシュア』も同じ名前であることから、『八幡神=イエス』が中世を代表する軍神『八幡大菩薩=ヨシュア』へと、変貌を遂げたことも以前ご説明 致しました。異端のキリスト教徒・秦氏の場合は、同じ漢字を使うことを利用して 『秦の始皇帝』の末裔を主張、『大秦国(ローマ帝国)』から渡来したという、自らの出自を巧みに隠しています。彼らが宇佐神宮に残した『聖杯の一族』に関する暗号も、聖母マリアとマグダラのマリアの区別が付かない日本人には、解読することが出来ません。

豊後水道沿岸に一大交易圏が存在した可能性を示す、『大己貴命』のサクセス・ストーリーは、『邪馬壱国』や『耶馬台国』など幾つかの異なる漢字表記を持ち、論争の絶えない邪馬台国についても、新たな示唆を与えてくれました。大分県宇佐市の西隣りの中津市には、『耶馬渓(ヤバケイ)』という名勝が在って、江戸時代に儒学者『頼山陽』が付けた、”中国風” の名前とされますが本当でしょうか?如何にも仙人が住みそうな この巨岩の織り成す絶景が、古来『磐座信仰』の有った日本に於いて、崇拝の対象にならなかったとは考え難く、古の昔から『耶馬の谷』と呼ばれていた可能性は ないでしょうか?『耶馬の谷』が有れば『耶馬の丘』も有った筈で、もし そこに女王国が在ったなら、表意文字である漢字で『耶馬台国(ヤバノオカノクニ)』と、表記したのではないかと思うのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。結論を先に申し上げると、『一寸法師』の正体は『常世国(トコヨノクニ)』から現れて、国造りをサポートした『少彦名命(スクナビコナノミコト)』です。鬼の落とした『打出の小槌』の不思議な力により、『一寸法師』は立派な大人に成長し、『打出の小槌』の持ち主『大黒天』が、大国主命と同一視されることからも、両者に関連性が有るのは確実です。その『少彦名命』が志半ば にして『常世国』に去り、途方に暮れる『大己貴命』の前に光と共に現れたのが、『一寸法師=少彦名命』との戦いに敗れた『鬼=大物主命』。当ブログでは皆さん ご存知の通り、ユダヤ教・キリスト教の唯一神ヤハウェの『荒魂(化身)』な訳ですから、『大国主命=ヨセフ』の夢の中の物語とは言え、何とも奇想天外・支離滅裂な展開です。

“夢解き” の鍵は、意外な神様が握っていました。それは木に架けられて見殺しになった『木俣神(キマタノカミ)』、『大己貴命』と『八上比売(ヤガミヒメ)』の息子神です。彼の魂は『常世国』に向かった後、恐らく 3日後に転生して『少彦名命』となり、そして恐らく40日間に渡り父神を支え続けた後、『常世国』に昇天してしまったのでしょう。もう気付きましたね?つまり『木俣神』とは、『ゴルゴタの丘』で磔にされたイエス・キリストのことなのです!『木俣神=イエス』と言える、明確な証拠が有るので提示しましょう。それは聖母マリアの夫、つまりイエスの(養)父の名が『ナザレのヨセフ』、『大国主命=ヨセフ』と同じ名前であり、『マタイの福音書』によれば『受胎告知』は、『ナザレのヨセフ』の夢の中で行われるのです!!

『一寸法師』の説話を借りて更に踏み込むと、『少彦名命=聖霊』となった『木俣神=子(イエス)』の魂は、昇天したというより寧ろ、全能の神の “不思議な力” によって『大己貴命=父』の肉体に宿り(受胎し)、国津神の祖・大国主命として生まれ変わった、”立派な大人に成長した” ことになります。また、仏教に帰依する持統天皇のことですから、『木俣神=イエス』が『因幡の白兎=ゴータマ・シッダールタ』の転生である可能性も高いでしょう。どう捉えるかは皆さんに お任せするとして、大国主命が結んだ契約は “悪魔の取引”。『一寸法師』や『桃太郎』の活躍により『讃岐国=地獄』に封印されていた、『鬼=大物主命』は『大和国=約束の地カナン』へ解き放たれ、『蛇=サタン』の誘惑に負けた大国主命はダークサイドに落ちました。国津神と天津神の長い戦いは、こうして幕を開けたのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。孫との会話の行き掛かり上、”木の根っこ” の世界となった『根の国(根之堅洲国)』も、基本的には『黄泉の国』と同じ “あの世” のことでしょう。しかしながら『高天原』を淡路島、『葦原中津国』が四国で、『淤岐之島』は高知県の沖の島、『稲羽』を宮崎県の稲葉崎に特定した当ブログとしては、『黄泉の国=根の国』だけ全く実体のない架空の場所として、締め括る訳にも行きません。記紀の原典『天皇紀』は漢文訳の新・旧聖書であり、神話パートの多くが持統天皇のアレンジ作品であることをヒントに、私が導き出した『黄泉の国=根の国』の所在地とは、『葦原中津国』北東部に位置する『讃岐国』です。

阿波の『忌部氏』が開発に携わったと伝承の残る『琴平山』、その山腹に『大物主命』と『崇徳天皇』を祀る『金刀比羅宮』は、”怨霊感” で満ち溢れています(苦笑)。怖いもの見たさでしょうか修験道と山岳信仰の聖地として、明治の神仏分離までは『こんぴらさん』の名で親しまれ、『おいせさん』に並ぶ江戸庶民の観光スポットでした。周辺には『桃太郎(吉備)』や『一寸法師(難波)』など、『鬼退治』に纏わる伝承を多く残し、古代は瀬戸内海に浮かぶ離れ小島だったとも伝わる『琴平山』は、『鬼ヶ島』のイメージにピッタリです。『黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)』も『金刀比羅宮』名物、785段の石段のことかも知れません。

『鬼』の語源は『モノ=怨霊・悪霊』とも言われます。昔話に現れる幾つかの『鬼』を『大物主命』に置き換えるだけで、記紀の世界に新たな地平線が見えて来ました。因みに、『讃岐国』に『難波郷』という場所が在ったのは、歴史学的にも考古学的にも確実で、『鬼=大物主命』と死闘を繰り広げた『一寸法師』も、実は『大己貴神』の夢の続きに登場します。では その『一寸法師』とは何者なのか?そして『大国主命=ヨセフ』の復活と、何か関係が有るのでしょうか?次回は いよいよ、”夢解き” の核心に迫りたいと思いますので、お楽しみに。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。「ウェ~ン、ウェ~ン。パパに会いたい、どうしても会いたいよう。」父を亡くして以降、『軽皇子(後の文武天皇)』の夜泣きが収まりません。「昨日は『木の国』まで話したわね。それじゃ今夜は皆で『根の国』に、パパを探しに行きましょう。」お婆ちゃんが諭すように語り掛けると『軽皇子』も納得、飛び起きた 2人の姉も興味津々、目を爛々と輝かせて お婆ちゃんの話に聞き入ります。と言う訳で当ブログも 2回に分けて、『大己貴命』が夢の中で訪れた地獄の世界、『根の国』について取り上げようと思います。

『根の国』に移動した『大己貴命』は、ダークサイドに落ちた須佐之男命と遭遇します。『文武天皇=須佐之男命』ですから、持統天皇のちょっとした “遊び心” で、『軽皇子』は『大己貴命』との面会を果たしているのですね(笑)。須佐之男命の娘『須勢理毘売(スセリビメ)』に心奪われた『大己貴命』は、『蛇の比礼』と『蜂の比礼』の呪力を借りて、『根の国』からの脱出に成功したものの、浮気を知った『八上比売』は、息子神の『木俣神(キマタノカミ)』を置き去りにして、『稲羽』の実家に帰ってしまいます。

文武:「お婆ちゃん、僕はパパに会いたいんだ、『大己貴命』じゃないよ。」持統:「そうねぇ、パパは『根の国』にも居なかったわね。何処に行っちゃったのかしら?でも良かったじゃない。パパが『須勢理毘売』と浮気したら困るでしょ?」元正:「パパは絶対に浮気なんてしないもの、そうよね、ママ!」吉備:「ね、ママ!!」元明:「そうね、きっと浮気なんてしないわね。パパはママに一途だもの(微笑)。」持統:「ハイ、続きの『越の国』の話は また明日。今日は遅くなったから、もう寝ましょう。」孫一同:「ハーイ!!」689年 夏、飛鳥の夜は こうして更けて行くのでありました。鸕野讚良(後の持統天皇)が即位を決断する、ほんの数ヶ月前のお話です。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『稲羽』の『八上比売』と結ばれて、一柱の神を儲けた『大己貴命』ですが、意地悪な兄たちの仕掛けた罠で、命を落としてしまいます。1度目は赤く焼けた大岩の下敷きになって大火傷、2度目は割れ木の間に挟まれてペシャンコに。その都度 復活したとされますが、本当でしょうか?『大国主命=ヨセフ』と考える当ブログでは、①誰が ②いつ ③誰に対して ④何を ⑤どのように伝えようとしたのか、以下のように解釈致しましたので、順を追って見て行きましょう。

先ず私が注目したいのは、この場面で岩が熱く焼ける様子が、『赤い猪』のように見えたと書かれていることです。伊吹山に現れ日本武尊を倒した『白い猪』と、非常に分かり易いコントラストを成しているので、もう皆さんも お気付きになりましたよね?灼熱に焼かれても死ななかった国津神のヒーローと、極寒に凍え命を落とした天津神のヒーローは、古事記の中で対照的に描かれており、国造り神話と日本武尊の物語の作者は同一人物、つまり『大己貴命』のサクセス・ストーリーも また、③『元正天皇』『吉備内親王』『文武天皇』の為に、①持統天皇が創ったお伽話で間違いありません!!

この後 割れ木に挟まれた『大己貴命』は、『木の国』『根の国』と旅をする訳ですが、これは④『割竹形木棺(丸太を 2つに割り刳り貫いた棺)』に納められた遺体が、朽ちゆく木棺と一体化し根となり土となり、自然に帰って行く様子です。死後の世界を物語形式で婉曲的に表現したのは、⑤幼い孫たちが必要以上に怖がらないようにする為の配慮で、このパートも恐らく、②息子・草壁皇子の葬儀が執り行われた直後に創作されたのでしょう。ここから暫くは “ヨセフの夢” の中、『大己貴命』の臨死体験が走馬灯のように展開して行きます。地獄と天国を訪問した後、光と共に現れる絶対神の啓示を受けた『大己貴命』は、『葦原中津国』の王『大国主命』として、奇跡の復活(蘇生)を果たすのです。

※表現を一部変更しました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。倉敷駅から伯耆大山駅まで、JR西日本の伯備線は中国山地を縦断するように走ります。この谷あいに延びる路線は古代に於いて、陸路『吉備』と『出雲』を結ぶ唯一の回廊で、両者の交易は活発だったようです。仮に『出雲族(倭人=国津神)』が天孫族(古墳人≠倭人)に譲ったのが、四国に在る『元・出雲』であったとするならば、新天地を求め『吉備』を経由して回廊沿いに進軍した『出雲族』が、先住民(渡来系弥生人≠倭人)を駆逐した後、その地を故郷と同じ『出雲』と名付けたとしても、何の不思議も有りません。

『出雲族』は国譲りの見返りとして、淡路島の『五斗長垣内(ゴッサカイト)遺跡』や『舟木遺跡』で作った、鉄製の武器を供給してもらう約束を、天孫族から取り付けたのではないでしょうか?大量虐殺の痕跡を残す鳥取県の『青谷上寺地遺跡』も、皆殺しに遭ったのは先住民の方で、島根県の『荒神谷遺跡』で出土した大量の銅剣や銅矛・銅鐸は、『先・出雲族』が地中に隠した遺物となります。彼らの崇拝した祖先神が『八千矛神(ヤチホコノカミ)』。『大己貴命』とは別神で、海路『高志国=越の国』に逃れ『沼河比売(ヌナカワヒメ)』と結婚した、『八千矛神』こそ『出雲王朝』の真の建国者という訳です。

島根県の弥生遺跡に偏在して出土する『土笛』、弥生時代に出雲から北陸に広まり、古墳時代には姿を消した『四隅突出型墳丘墓』、そして東京大学の示した研究データに於ける、島根県で高く北陸で低い縄文人由来変異保有率と、様々な考古学的・分子人類学的証拠を見るにつけ、この仮説が説得力を増したとの思いを強くします。もしかしたら『越の国』の名前の由来も、”引っ越した国” なのかも知れませんよ(笑)。

さて、『大国主命=ヨセフ』の話に戻ります。『因幡の白兎』に導かれ『八上比売(ヤガミヒメ)』のハートを射止めた『大己貴命』ですが、『八十神』の壮絶な虐めにより命を落としてしまいます。ここからが天才作家・持統天皇の腕の見せ所、当ブログの新解釈も お披露目致しますので、お楽しみに。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『葦原中津国』が四国であるならば、国譲り神話の舞台となった『出雲』が、現在と同じ島根県に在ったと考えるのも不自然です。『大国主命=ヨセフ』が君臨した『日向国=エジプト』にヒントを探すと、出雲神話で最も馴染み深い『因幡の白兎』に関連しそうな、『稲葉崎(イナバザキ)』という町を宮崎県延岡市に、『沖の島(オキノシマ)』という小さな島を、豊後水道を挟んで対岸の高知県宿毛市に見つけました。

古事記では元々、『因幡の白兎』を『稲羽之素菟』と表記します。国生み神話で淡路島・四国に次いで 3番目、九州の一つ前に生まれた『淤岐之島』も、島の配置から言って、島根県の隠岐島ではなく高知県の『沖の島』のことでしょう。愛媛県大洲市や徳島県の吾橋、高知県の土佐町・大豊町など、『出雲』という地名の由来と思われる、雲海の絶景スポットが四国山地に幾つも存在することから、「倭人(国津神)も天孫族も、黒潮に乗って日本に やって来た」と考える当ブログとしては、こちらこそ伝説の舞台に相応しいと感じます。

『因幡の白兎』に似た説話は、東南アジアに広く分布しています。インドネシアではワニの背中を渡るのは小鹿ですが、持統天皇が『白兎』を選んだには恐らく理由が有って、『大己貴命(後の大国主命)』も本来は、”神兎(お釈迦様の前世)が正しい道へ導いた聖帝” だったことを意味するのでしょう。不遇にも日本書紀に於いて、『因幡の白兎』の説話はカットされてしまいます。 何故なら時の権力者・藤原不比等の子孫で、平安時代に隆盛を極めた藤原氏にとって、神の使いは “鹿” なのですから(笑)。

※事実誤認が有りましたので、修正しました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大国主命の正体を探る上で、重要な鍵となるのが国譲り神話の謎。大国主命が天津神に譲ったのは『出雲』なのに、天孫が降臨した地が『日向(ヒムカ)』なのは何故なのでしょう?そもそも『葦原中津国(アシハラノナカツクニ)』が何処を指すのかもハッキリせず、邪馬台国論争と絡めて長年の議論の対象になって来ましたが、当ブログのように、記紀の原典は『天皇紀(漢文訳の新・旧聖書)』と考えると、『葦原中津国』の位置を特定するのは、それほど難しいことではありません。説明しましょう。

まず、宮崎県を『日向』の国と呼ぶのは、日の出の方に向いているからではありません。正解は太陽が向かう西方の国だからで、以前『神武天皇=モーセ』『瓊瓊杵尊=アブラハム』で申し上げた通り、『日向』は聖書の世界の『エジプト』を指します。紀伊半島はシナイ半島、瀬戸内海は紅海に相当し、神武東征のエピソードに四国が登場しないのは、紅海に該当するような大きな島が存在しないからです。私としては結構 自信の有る仮説なのですが、頭の固い歴史学者の皆さんには、なかなか受け入れてもらえないと思います(苦笑)。

もし、聖書の世界で『葦の海』と呼ばれる紅海の真ん中に、日本の現実に合わせて大きな島を浮かべるなら、記紀の世界での名称は、”葦の海原の中の国” となるでしょう。そうです、大国主命の治めた『葦原中津国』とは、神武天皇に素通りされた四国のことなのです(『~津』は所有・所属を表す)。そして『ヨセフ』が『エジプト』の宰相を務めたように、国造りを終えた大国主命も『日向』に渡って王座に君臨、『葦原中津国』の統治は『事代主神』と『建御名方神』の 2柱の息子に任せたと考えれば、瓊瓊杵尊の天孫降臨の舞台が『日向』となった理由も、簡単に説明が付く訳です。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ①

明けましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。「日本人の多くが神社に初詣、教会で結婚式を挙げ、お寺に お墓を買うのは何故なのか?」という素朴な疑問から、2023年10月に始まった古代史の謎解きシリーズ。ど素人だった私も沢山の本を読み知識が増えましたが、その分 逆に謎は深まって行くばかりです(苦笑)。2025年も妄想を巡らせてみようと思いますので、興味のある方は是非お付き合い下さい。

さて、上つ巻の約三分の一を『出雲神話(国津神の祖・大国主命のエピソード)』が占めている以上、「古事記は持統天皇の丸暗記した『天皇紀』、漢文訳の新・旧聖書を口述筆記した物である」と強弁するのは、少し無理が有ると感じた方も多いのではないでしょうか?如何に倭人が海洋民族だったとしても、彼等の習慣・風俗や古くからの言い伝えが、聖書に記載されている筈はないですものねぇ(苦笑)。でも『大己貴命(オオムナチノミコト)』のサクセス・ストーリーも、『三貴子』と同様に持統流のアレンジで、聖書の中にモデルとなる存在が居たと考えればどうでしょう?

事実『大己貴命』のキャラクターは、旧約聖書に現れるイスラエルの祖、『ヤコブ』の息子の『ヨセフ』と似ていると言われます。12人兄弟の 11番目、男前で人気者であるが故に兄弟に苛められ、一度は囚われの身となりますが、”夢解き” の特殊能力により、最後は『エジプト』の宰相まで登り詰めた『ヨセフ』は、嫉妬に燃える兄の『八十神(ヤソガミ)』たちに苛められ、何度も命を落としながらも その度に復活を遂げ、後に『葦原中津国』の頂点に君臨した大国主命、つまり『大己貴命』とソックリなのです。大国主命とは一体 何者なのか? “夢解き” の旅に ご案内致します。