社長ブログ

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉔

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。DNAの解析結果を見ても、『古モンゴロイド』が『新モンゴロイド』に押し出されるように、周辺地域に拡散したのは ほぼ明らかです。タイの森林地帯に住む『マニ族』については以前お話しした通り。縄文系の典型例とされる『ハプログループD (Y染色体)』は、日本や南西諸島・中国南部(珠江流域)・アンダマン諸島(インド洋)・チベット高原に高頻度で見られ、中国・朝鮮半島・東南アジアでは少数派です。免疫系のHLAタイプで比較した研究では、日本人・ウルチ族(ロシア極東のアムール川下流域に住む)・韓国人・台湾先住民・オーストロネシア系フィリピン人が、遺伝的に縄文人に近いと示されています。

沖縄県石垣島の『白保竿根田原(シラホサオネタバル)洞穴』で、2007年~2009年に発掘された約2万7000年前の古代人は、ミトコンドリアDNAの解析により母方が、南中国や東南アジア起源であることが分かっています。何かと議論になりがちな朝鮮半島については、釜山広域市の『獐項(チャンハン)遺跡』で見つかった、約6300年前の人骨から『ハプログループD (Y染色体)』が検出されており、同じく釜山の『東三洞(トンサンドム)遺跡』の 5000年~4000年前以降の地層から、多くの『貝輪』が出土していることにより、『日琉語族』を使用する民族は半島南部に於いても、活発な経済・文化交流を展開していたと推測することが出来そうです(但し、沖縄産の貝が出土したとの報告はない)。

日本列島で水稲耕作が始まった歴史は、約 3000年前まで遡るというのが最新の研究結果(陸稲栽培は更に 1000年以上 遡る)なのですが、その時代の日本の地層からは、DNAレベルで所謂 “(朝鮮半島からの)渡来系弥生人” の特徴を示す、人骨が見つかっていない というのが現実です(分子人類学の第一人者であり、国立科学博物館長の篠田謙一氏も、これからの課題であると指摘している)。一方、南西諸島での農耕開始は 1000年~900年前に始まったグスク時代からとされ、約 3000年前に水稲耕作を行った痕跡は見つかっていませんが(『天水田』を思わせる遺構が、発見されたとの報告事例は有るものの、定説とはされていない)、そもそも交易の “中継地点” で、大規模な農業を営む必要が有ったかどうかは疑問です(『年神様』が毎年 食糧を持ってやって来たのでは?)。

そろそろ纏めましょう。古代、中国南部からベトナム北部にかけた、広大な沿岸地域に居住していた非漢民族を総称して、『百越(ヒャクエツ)』と言います。​『魏志倭人伝』に見られる『断髪文身』の習俗や、高い航海技術・鉄器を使用した水稲耕作・龍蛇信仰など、『百越』には『倭人』との共通点が非常に多く、『倭人』も『百越』の一支族だった若しくは、両者の間に活発な交流が有ったとの解釈は、今や有力な学説の一つと成りつつあります。『貝輪交易』を始めとした経済活動を通じ、台湾・南西諸島を経由して縄文後期~弥生時代に日本に渡来・定住したのが、『古モンゴロイド』系の “混血民族” である『倭人(国津神)』。孤立言語と考えられてきた『日琉語族』の起源も、彼らに在るというのが現段階での当ブログの結論となります。

2025年1月、日本最古級の文字記録が、実に意外なところから発見されました。大和でも北九州でも出雲でもなく、高知県南国市の『若宮ノ東遺跡』から出土した 1800年~1700年前の土器片に、「何不」と思われる漢字 2文字が刻まれていることが明らかになったのです。黒潮に乗ってやって来た『国津神』と『天津神』の間で、奪い合いとなった『葦原中津国』とは、四国のことであると考える当ブログにとって、これは世紀の大発見と言えます。2026年は、どんな新事実が明らかになることでしょう?今から楽しみですね。今年もご愛読 頂き有難う御座いました。それでは皆さん、良い年をお迎え下さい。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉓

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『倭人(国津神)』とは何者なのか ?『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』の混血は日本列島で始まった訳ではなく、それは大陸で少しずつ進行し、そこで生まれた “混血民族=倭人” が南方から黒潮に乗って、日本列島の太平洋沿岸に渡って来たというのが、当ブログのスタンスです。文献学的アプローチで見ると、中国史書に於ける『倭人』の初見は周王朝への朝貢に遡り、献納した『鬯草(香草の一種)』の自生地からは、約 3100年前~3000年前の彼らの居住地域が、西日本から珠江水系(現在の広西チワン族自治区)までの、広範囲に及んでいたと推測することが可能です。また『魏志倭人伝』や『後漢書』には、倭国の地理的位置として「会稽東冶の東」という記載が有り、九州から台湾に連なる島嶼群の何処かを指し示していると考えられます。

比較言語学的なアプローチでは、日本語と琉球諸語には類似点が認められ、『日琉語族』という一つの言語グループに分類することが可能です。SOVの語順の膠着語で、謙譲表現を含む高度に発達した敬語体系を持つのが特徴、その言語共同体が当ブログの定義する『倭人(国津神)』と最も近い概念です。台湾東北部には『宜蘭クレオール』という、日本語に近い言葉を話す少数民族が現存していて、日本統治時代の “負の遺産” とするのが一般的な理解ですが、この一帯では約 4000年前から本格的な『貝輪交易』が営まれていたことから、地理的に近い台湾の先住民が古来、交易に有利な言語を使用していたしても、私としては何の不思議もないと思っています(台湾が『小琉球』と呼ばれた時代もある)。因みに、対岸の広東省(広西チワン族自治区の東側)で使われる『広東語』と日本語にも、発音と語彙の点で偶然では片付けられない共通点が有るのだそうです。

一方、縄文時代に東日本で繁栄を極めた、純血の『古モンゴロイド』は『蝦夷(毛人)』と呼ばれ、約 1300年前~800年前(飛鳥・奈良・平安時代)には、朝廷は通訳なしに交渉を行うことが出来なかったとされます。①『鬼界カルデラの大噴火』以降の数千年に及ぶ断絶の間に、両者の言語に大きな差異が生じたのか、②初めから『倭人(国津神)』とは異なる言語を話す、別系統の『古モンゴロイド』だったのか、その他にも幾つかの可能性が考えられると思いますが、センシティブな問題を抱えながら真相は闇の中です。大陸での『新モンゴロイド』等との融合の過程で、『倭人(国津神)』自身の言葉の方が大きく変化したのかも知れません(『タミル語』の影響を指摘する意見まである)。

そして約 2500年〜2200年前、西遼河流域から朝鮮半島を経由して主に日本海沿岸に、青銅器等の最先端技術をもたらした『新モンゴロイド』が、所謂 “渡来系弥生人” に当たるのではないかと考えます。約 9000年前に生まれたと言われる『原始トランスユーラシア語』を話し、『八千戈神(ヤチホコノカミ)』を祖神とする彼らは、天津神の軍事支援を得た大国主命の侵攻により出雲を追われた後、『越国=出雲第二王朝』を建国した出雲の先住民で、当ブログでは『先・出雲族』と呼んで、出雲系の国津神と区別しています。真の使用目的が未だ謎に包まれている『銅鐸』、そして『四隅突出型墳丘墓』や『土笛』など、出雲特有の遺構・遺物は彼らによって持ち込まれたもので、恐らく『倭人(国津神)』とは言葉が通じなかったのではないでしょうか?

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉒

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『縄文人』と『弥生人』という呼び方は、発掘された土器の特徴に基づく時代区分に由来し、民族(言語・宗教・生活様式など)の移動を説明するに充分でないと考えますので、ここでは便宜上、『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』という言葉を使用させてもらいます(こちらも相当 古い表現ではありますが)。出アフリカから先にアジアに到達したのが『古モンゴロイド』、その一部が北ルート・半島ルート・南ルートを通って、日本列島まで辿り着いたのが約3万8000年前。寒冷化により海面は低かったようですが、ナウマンゾウ等の野生動物が渡った約30万年前とは異なり、当時の日本は大陸と完全な地続き という訳ではなかった というのが最近の研究結果で、つまり、人類は何らかの方法で海を渡ったということですね。

3万年前頃 シベリアに『新モンゴロイド』が出現すると、彼らは次第にアジアの辺縁部・島嶼部に追い遣られて行きますが、ここで重要なポイントは、大陸に残った『古モンゴロイド』が絶滅してしまった訳ではないということです。南下する新勢力の圧迫を受けながら、対立と融和(混血)の歴史を繰り返し、独自の民族性を発展させ続けたとことでしょう。特に 9000年~7000年前には水稲耕作を始めていたとされる中国南岸の珠江デルタ地帯では、温暖な気候の恩恵により約 4200年前の世界的な寒冷化イベントに伴う食糧危機を乗り切っただけでなく、豊富な海洋資源を求めて航海技術を高めたと考えられます。約 8200年前に西遼河流域に進出した『新モンゴロイド』の中には、『古モンゴロイド』との融和を選択しなかったグループも居たようです。農業は寒冷な気候に合ったアワやヒエ等の雑穀栽培、広大な平原で放牧を営み移動手段は馬です。約 3100年前には青銅器のような西方の先端技術を取り込み、黄河流域とも長江流域とも異なる固有の文明を発展させました。

約 7300年前の『鬼界カルデラの大噴火』により、西日本が壊滅的なダメージを受けたのは、歴史好きの皆さんなら ご存知の通り。日本列島に人類が進出して以降、約2万9000年前の『姶良カルデラ(現在の桜島)の大噴火』に続く 2回目の大災害で、東日本に孤立した『古モンゴロイド』が唯一無二の文化圏を形成した一方で、西日本は再び、殆ど人の住まない空白地帯となりました。人類の活動再開が読み取れるのは 1300年~2300年も後の遺跡からで、『火焔型土器』のような東との連続性を示す発掘はなく、その多くは恐らく この地に新たに入植した人々の生活痕。大陸南岸地域に暮らす『古モンゴロイド』系の “混血民族” と、北東アジアの『新モンゴロイド』が残したものとも思われます。前者は『日本海流=黒潮』を利用し琉球諸島を経由して主に太平洋沿岸に上陸、後者は『対馬海流』や『リマン海流』に翻弄されながらも、日本海沿岸に漂着したのではないでしょうか?

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉑

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ヘブライ語の『セラフ(セラフィムの単数形、漢字の誤記により “熾天使” は “機織りの神” となった)』は、旧約聖書『民数記(エジプト~カナンのエピソード)』の文脈では “燃える蛇” という意味で使われており、このシーンでは『熾天使=金鵄』ではなく、『炎の蛇(毒蛇)』と翻訳すべきだったことは、ほぼ間違いありません。『青銅の蛇』と『炎の蛇』のパワーが融合した『カドゥケウスの杖=天叢雲剣』を手に入れた、『太陽神アポローン=須佐之男命(兼、ペルセウス)』の息子『アスクレピオス=大国主命(兼、ヘルメース)』こそが、神武東征の主人公であり日本の正統な支配者であるとする、出雲系国津神グループの主張には一定の説得力を感じます。が、当ブログとしては、これ以上は踏み込みません(苦笑)。

『前方後円墳=聖体容器』の発現時期から逆算しても、秦氏がローマ帝国を追われるより少なくとも 25年~75年前には、原始キリスト教やギリシャ神話を倭国に持ち込んだ、何等かの勢力が必ずや存在しなければなりません。出雲大社の考察を始めて以降、何かと話題の『富雄丸山古墳』から発掘された『鼉龍文盾形銅鏡』と『蛇行剣』が、『メドゥーサ=八岐大蛇』を倒す際に『ペルセウス=須佐之男命』が使用した “鏡の盾(『メドゥーサ』の眼を直接 見るのを避ける為、表面を鏡のように磨いた盾で、後に『メドゥーサ』の頭を飾り付けたことで、相手を石に変える力を持った最強の盾)” と、『へびつかい座(アスクレピオス)=大国主命』が抱える “大蛇”、つまり『アスクレピオスの杖』をモチーフにしているとしか、私には思えなくなってしまいました(笑)。古墳の築造年代は 4世紀後半で完全一致とは行きませんが、それでも これが事実だとしたら大発見なのです!!

733年に完成したとされる『出雲国風土記』に登場する、『国引き神話』の『八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)』も、『黄金の鎖』で自らの力を誇示する全能の神『ゼウス』と よく似ていて、ギリシャ神話の影響を感じさせますが、その一方で須佐之男命の八岐大蛇退治については、『出雲国風土記』の中では何故か一切 触れられていません。出雲大社の『大注連縄』は、2匹の『蛇』であると同時に『天雲』でもあり、『紙垂(シデ)=雷』と『注連の子(垂れ下がる藁の束)=雨』と合せて、『五穀豊穣』を願う “雨乞い” の意味が含まれていると考えられています。『龍蛇神=水神』と『天叢雲剣=大注連縄』の結びつきを示すものとして、非常に興味深いところです。

さて 2025年は、途中 藤原氏の謎に触れながら、須佐之男命と大国主命に関する考察を中心に、『蛇』と『金星』を信仰した『倭人(国津神)』ついて話を進めて参りました。少し議論がかみ合わないと感じた方も、中にはいらっしゃるのではないかと思いますが、それは私の使う『倭人』の定義が一般とは異なり、『倭人=弥生人(日本固有種の縄文人と、朝鮮半島からの渡来人の混血)』というスタンスを取っていないからかも知れません。そこで次回から 3回に分けて この辺りを説明させて頂き、本年のブログを締めくくらせて頂こうと思います。お楽しみに。

※事実誤認が有りましたので、修正します。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑳

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日本の神社に於いて、神様は一般的に東向きか南向きに祀られます。では、『カドゥケウス(ヘルメース)の杖』の力を手に入れた、『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』が西向きに鎮座しているのは何故なのでしょう?そこには天孫族と国津神、特に出雲系と言われるグループとの、根深い対立関係が隠されているように思います。順を追って見て行きましょう(但し、出雲大社が現在の本殿の形式となったのは 1744年、延享元年の遷宮の時とされており、それより前については記録が残っていない為、御神座が どちら向きに配置されていたかは分からない)。

天孫族が纏めた日本の正史によれば、『八岐大蛇=メドゥーサの頭』から取り出した『草薙剣(三種の神器の 1つ)=アスクレピオスの杖』は、『須佐之男命=ペルセウス/アポローン』から『天照大御神=アテーナー(アポローンの姉)』に献上されました(古代日本に於いて、漢字の “杖” と “剣” は同義)。後に饒速日軍との戦いに苦しむ『神武天皇=モーセ』の、弓先に舞い降りた『金鵄=熾天使セラフィム』は、敵対する者を恭順に導く『(竿の上に掲げられた)青銅の蛇=アスクレピオスの杖』のように感じられます(漢字の “竿” の語源は『竹』で “弓” の素材)。ギリシャ神話に従うならば、『草薙剣=アスクレピオスの杖』は本来『須佐之男命=アポローン』の正当な後継者、出雲の『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』の手に渡らなければならない筈です。

そこで所謂、出雲系の国津神は日本の歴史をこう解釈します。「そもそも『八岐大蛇=メドゥーサの頭』には 8つの頭と尾が有り、『天照大御神=アテーナー』に渡った『草薙剣』は偽物、若しくは役不足。残る 7匹のうち、『青銅の蛇』と『炎の蛇』から取り出された 2本が、『大注連縄』のように交わり合って初めて真の呪力を発揮する。それが『天叢雲剣≠草薙剣』であり、神の与えたレガリアは大己貴命の国造りに託されたのだ。そして、東征に於ける絶体絶命の大ピンチに現れた、古事記では触れられない謎の飛翔体により、『天叢雲剣=カドゥケウスの杖』は完成を見たのである」と。日本書紀を見る限り、それが翼を持っていたのは間違い有りませんが、『蛇』の姿をしていたとは書いてありません。

出雲大社の本殿に、大国主命が西向きに鎮座しているのは何故なのか?そろそろ、答え合わせをしたいと思います。日本の長い歴史上、(太陽の昇る)東に向いて弓を引いたことを反省し、進路を西向きに変えて大成功を収めた人物と言えば、誰でしょう?それは他ならぬ神武天皇なのです。出雲系の国津神の言い分は要するに、「『国譲り神話』は “でっちあげ” であり、日向を出陣した『神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)』、つまり神武天皇とは『大国主命=アスクレピオス』のことである。『須佐之男命=アポローン』の生まれ変わりである饒速日命は、『金鵄=炎の蛇』の飛来により息子との再会に気付き、平和裏に大和の地を明け渡したのだ」ということ。古代ギリシャ神話の世界では、太陽神は『天照大御神=アテーナー』でなく、弟の『須佐之男命=アポローン』なのです。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。時を同じくして紀元前15世紀のギリシャ、口承で語り継がれた神話の原型は、この頃には既に成立していたと考えられています。古代ギリシャ神話に登場する『蛇』と言えば『メドゥーサ』、髪の毛の替わりに無数の『蛇』が生えた怪物です。『ペルセウス』に首を刎ねられた際に、流れ出た血液には特別な力が有り、右側の血管から流れた血には『蘇生の力』が、左側の血管から流れた血には『死の力(毒)』が有ったとされます。このうち『蘇生の力』の宿る血を与えられ、後に “医術の神” とされたのが『アポローン』の息子の『アスクレピオス』。彼の持つ『アスクレピオスの杖』は、WHO(世界保健機関)など多くの医療機関の、シンボルマークとして使用されています。杖に 1匹の『蛇』が巻き付いたデザインは、モーセの『青銅の蛇』と よく似ていて、これは偶然ではないと思います。

もう一つ、しばしば『アスクレピオスの杖』と混同されるのが、伝令神『ヘルメース』の杖として知られる『カドゥケウスの杖』です。そのデザインは 2匹の『蛇』が巻き付く杖に翼を生やした形状で、モーセの『青銅の蛇』に『炎の蛇(毒蛇)』を足した、或いは『蘇生の力』を持つ『アスクレピオスの杖』に『死の力(毒)』を付け加えた、”魔法の杖” のようにも見えます。『ヘルメース』は本来 “商人・旅人の守護神” なのですが、この羽根の生えた “魔法の杖” を持ち、地上界と天界・冥界を自由に往来、その不可能を可能とする呪力により(超)科学と結びつき、”医学の神” の側面も併せ持つようになりました。一部の医療機関では『カドゥケウスの杖』をシンボルマークとして誤用していて、『世界大百科事典』でも『アスクレピオスの杖』は、『カドゥケウスの杖』の一種として扱われているそうです。モーセが実在の人物か?旧約聖書がいつ頃 書かれたか?は一旦 留保するとして、『(竿に掲げられた)青銅の蛇』と『アスクレピオスの杖』、そして『カドゥケウスの杖』は兎に角よく似ていているのです。

本題の日本神話の世界に話を戻すと、2匹の『蛇』が絡み付いた『カドゥケウスの杖』の特性が、平安時代に突如 現れた異形の神、良薬と毒薬の両面を併せ持つ『牛頭天王=薬師如来』と、ソックリなことには驚かされます。『メドゥーサ』の頭が八岐大蛇ならば、勇者『ペルセウス』は須佐之男命であり、杖を飾る 2匹の『蛇』は出雲大社の『大注連縄』と、何らかの関連が有りそうです。では、最終的に『カドゥケウスの杖』を手にした、 “商人・旅人の守護神” であり “医学の神” でもある『ヘルメース』とは、一体 何者なのでしょうか?それが縁結びを皮切りに、商売繁盛・交通安全・病気平癒などを ご利益とする、『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』。『ヘルメース』の属性も見事に受け継いだ(義理の)息子を持つ、『須佐之男命=牛頭天王』は “元祖” 縁結びの神様の本領を発揮し、ギリシャ神話の世界でも『ペルセウス』と『アポローン』の一人二役という訳です!

  

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑱

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。出雲大社の主祭神が須佐之男命ではなく、大国主命であることが再確認されたのは、1667年に江戸幕府 主導で行われた『寛文の御遷宮』によるものです。出雲神話の主役の座に戻りはしたものの、大国主命が “医薬の祖神” の地位を確立したのも、1780年に大阪商人が相棒の『少彦名命(スクナビコナノミコト)』を、薬のプロモーションに採用したのが切っ掛けだとも言われ、現在の大国主命としての名声の多くは、義父である『須佐之男命=イエス・キリスト』の築いたレガシーを受け継いだ結果と考えます。

出雲大社の特徴と言えば、絡み合った 2匹の『蛇』と形容される巨大な『大注連縄』や、旧暦の10月に出雲に集合する神々の先導役をウミヘビが務めるなど、縁結びや商売繁盛・交通安全・病気平癒などを ご利益とする大国主命のイメージからは、凡そ縁遠い『龍蛇信仰』です。『蛇』との因縁が深いのは寧ろ、八岐大蛇を退治した須佐之男命の方で、出雲のヒーローに相応しいと感じる人が多かったとしても、仕方がないのではないでしょうか?当ブログの見解では、永遠のシンボル『ウロボロスの蛇=茅の輪』も須佐之男命であり、金星と『蛇』はサタンを通して、切っても切り離せない関係性なのです。

では、大国主命は どの様に『龍蛇信仰』と結びつき、縁結びや商売繁盛・交通安全・病気平癒の神様となったのでしょうか?須佐之男命から譲り受けた遺産とは何なのでしょう?そして出雲大社 最大の謎の一つ、大国主命が西向きに鎮座しているのには、何か特別な意味が込められているのでしょうか?新・旧聖書に登場する 2人のヨセフの混同により、生み出された “国造りの神” の更なる秘密に迫る為、キリスト教の生まれる遥か昔、紀元前15世紀の世界へ皆さんを ご案内したいと思います。

イスラエルの民がエジプトを出て約40年、荒野を彷徨い続けたのは紀元前15世紀ごろの話とされます。モーセの指導力に不満を持った民に対し、神は『炎の蛇(毒蛇)』と『青銅の蛇』の、2種類の『蛇』を用意します。『炎の蛇』に噛まれれば命の保証は有りませんが、モーセが竿に掲げた『青銅の蛇』を仰ぎ見れば、その命は救われるというのです。『青銅の蛇』は後に十字架に架けられる、イエス・キリストを預言していると考えられます。

※一部を修正しました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑰

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。与那国島には『花酒』という泡盛が有ります。『風葬』から 7年後の正式な納骨前に、遺骨を浄める『洗骨』の儀式で使われたお酒です。『鳥葬』が行われた弥生時代後期から古墳時代中期も、墳丘墓の後円部の頂きに設置された『殯宮』で、同じような儀式が執り行われたことでしょう。”浄める” というのは恐らく崇高な建前で、赤く塗られた器たっぷりに満たされた お酒は、儀式が終わると『聖血』という名目で、参列者に振舞われたのだろうと思います。『割竹式木棺』に置かれた酒甕、或いは『割竹式木棺』それ自体が、『赤い酒樽=聖杯』の役目を果たしていたという訳です。

さて、鎌倉時代の異説に「(伊勢神宮の)斎宮を訪れては鱗を残す蛇」の逸話が有りますが、これは白蛇となった『天照大御神の荒魂(未練)=瀬織津姫』のことでしょう。崇神朝で疫病神の嫌疑を掛けられた もう一方、正体不明の大地主神『倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマノカミ)』は何者かと言うと、『大和郷(市磯邑)=約束の地』に残ることを切望したと思われることから、通説の大国主命ではなく、『饒速日命=須佐之男命の転生』の “魂” であるとした方が、当ブログの考える全体のストーリーの中に、スッキリと落ち着きます。『大物主神=蛇(サタン)』と一体とされるべきは、やはり『須佐之男命=金星(堕天使ルシファー)』なのです。

面白いことに、『ルシフェル=明けの明星』がサタンと結び付けられ始めたのは 5世紀頃(元々は、尊大な『新バビロニア王国』の支配層への、皮肉の言葉として用いられていた)、この考え方がキリスト教圏で定着したのは中世とも言われ、1世紀末頃に成立したと考えられる新約聖書『ヨハネの黙示録』の中で、イエス・キリストが「輝く明けの明星」と呼ばれるより、ずっとずっと後世になってからの話です。金星は悪魔か救世主か?異端のキリスト教徒・秦氏がローマ帝国を追われた際( 325年のニケーア公会議でアリウス派、431年のエフィソス公会議でネストリウス派)、彼らは どちらの主張を信じていたのでしょう?

600年の幻の遣隋使では、「倭国王は天を兄とし、日を弟とし…(兄は)日が出ると政務を止め、弟に委ねる」と、隋の楊堅を困惑させました。当ブログでは 、これを「『悪魔(金星)崇拝=鬼道』の国津神(兄)が、『太陽信仰』の天孫族(弟)に権力を移譲する」プロセスと分析していて、以降、日本書紀が編纂されるまでの120年間、そして末法思想の広がる平安中期以降と、大陸から新たな情報が もたらされる度、『金星=太白(大将軍)』の評価と その取り扱いについては、大きな振れ幅をもって揺れ動いたに違いありません。記紀の原典とも言える、失われた『天皇紀(当ブログの見解では漢文訳の新・旧聖書)』の行方、そして その記述に私が注目をしているのも その為です。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『鏡割り・鏡開き』の後に御神酒を飲む盃が、漆で赤く塗られているには恐らく理由が有って、『ぶどう酒(聖血)』の替わりとなる日本酒を、赤く見せる必要が有ったからでしょう。天孫族の禁欲主義に合わせ、茶道を押し付けられた国津神グループが、お酒を楽しむ為に編み出した “方便” です(笑)。”酒造りの神様” と言ったら、大神神社に祀られる大物主神、当ブログに於いてはヤハウェの荒魂であり、悪魔(サタン)の側面を併せ持ちます。

崇神天皇 5年、国民の半数を死に至らしめた疫病の原因として、天照大御神は都の纏向から遠ざけられてしまいます。これが冤罪と分かるのは後のことで、この時『八咫鏡』は打ち割られ、天照大御神は “祟り神” として、鏡の中に封印されてしまったのではないかと、当ブログでは考えます。鏡を割った犯人は『大物主神=蛇(サタン)』に唆され、「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」祭祀王、即ち『倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)=卑弥呼』ではないでしょうか(但し、魏志倭人伝の “本物” は『土蜘蛛の女王』であり、記紀はそのキャラクターを借用しているに過ぎない)?

気紛れな『大物主神=ヤハウェ』により、天照大御神には転生のチャンスが与えられますが、それを許さなかったのも『百襲姫』です。”悪魔の子” を宿したと理解した『百襲姫』は、お腹の胎児を “箸” で掻き出し、血の海の中で凄惨な最期を遂げました。穢れた存在として産まれること自体を拒まれ、海に流されてしまった天照大御神の魂は、”浄化の女神” として知られる『瀬織津姫(白蛇)』になった訳ですね。なお、大祓詞に現れる『祓戸四神(ハラエドシシン)』の残る 3柱は、浄められた魂の新たな船出を祈願するという意味から、航海の安全を守る『宗像三女神』と同一神だろうと考えます。

古代日本に於いて、(異端の)キリスト教の影響がみられるのは、繰り返し お伝えして来た通り。天照大御神を襲った この理不尽な試練は、912歳の人生を全うした天照大御神のモデル『セツ(カインとアベルの弟)』というより寧ろ、神と悪魔の賭けの対象として、財産や子供・健康など全てを奪われても信仰を貫き、最終的には福音を与えられた義人、『ヨブ』のエピソードを思い起こさせます。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑮

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。台座の上に丸い『聖体(仔羊)』を飾るのは、お正月の『鏡餅』の場合も同じですね。『鏡餅』には『歳徳神(トシトクジン)=年神様』の魂が宿り、それを分けて食べることで 1年間、健康で幸せに過ごせると考えます。十字架の替わりに載せるのが『橙=代々』、永遠に続く繁栄の象徴です。『年神様』は『来訪神』の一種で、お招きする際の目印が『門松』、おもてなし用の御馳走が『お説料理』、その年『年神様』の来る方角に向かって食べるのが、『恵方巻き』なのだそうです。

『鏡餅』の名前は『銅鏡』に由来すると考えられ、台座の上に丸い『銅鏡』を置けば、その姿は『聖体顕示台』に良く似ています。お祝いの席で『鏡餅』や酒樽の蓋を割る行為を、『鏡割り・鏡開き』と言いますが、古墳から出土する『銅鏡』も、多くの場合(意図的に)割られていて、こちらには、死者の魂が後に『祟り神』として現世に戻らぬよう、鏡の世界に “封印” する意味合いがあったのではないかと、当ブログでは考えます。では、三種の神器の一つであり、天照大御神の魂が宿るとされる、伊勢神宮の『八咫鏡(ヤタノカガミ)』はどうなのか?非常に興味深いところですね。

一方、『薬師如来』に始まり『阿弥陀如来』まで上り詰める等、天才・空海のアイディアを切っ掛けに、魂を救済された須佐之男命は大出世。平安末期から鎌倉時代に入ると、須佐之男命を神々の中心に据えようという機運は更に高まり、出雲大社(当時の名称は杵築大社)の主祭神も、大国主命から須佐之男命へと挿げ替えられます。江戸時代初頭までの長きに亘り、縁結びの神様も日本版『バベルの塔』の主も、実は須佐之男命だったのです。

しかし喜びも束の間でライバル出現、どちらが本物の救世主か?今度は『阿弥陀如来』を巡る本家騒動が勃発します。立ちはだかったのは、平安遷都で煮え湯を飲まされたネストリウス派。武神に衣替えした八幡神の本地も『阿弥陀如来』であると主張、鎌倉幕府を味方に付けて東国を中心に勢力を拡大します(更に『倭寇』に担がれ、八幡大菩薩は海外に展開)。鬼門の “番犬” 扱いを受けた延暦寺も黙っていません。比叡山出身の法然や親鸞が『専修念仏(神仏習合を否定し、須佐之男命を信仰の対象から排除)』を掲げ、一般民衆の間に教えを広める等、事態は三つ巴の様相を呈して行くのでありました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『ぶどう酒(聖血)』を注ぐ器を『聖杯(カリス)』と呼ぶのは、皆さんご存知の通り。『除酵パン(聖体)』を保管する容器にも名前が有って、カトリック教会では『聖体容器(チボリウム)』と呼びます。キリスト教の成立初期は、様々な形状の物が有ったようですが、現在では『聖杯』に似た柄と台座を持つ丸い器に、十字架付きのドーム状の蓋を載せた形が一般的なようです。

14世紀ごろ『聖遺物』の崇敬が盛んになると、ただ『除酵パン』として保管するのではなく、『聖体』として礼拝や行列に集まる信者に対し、より積極的に “見せる” ことに主眼を置いた容器が登場します。台座から伸びる支柱の上には、『聖体』を収める透明な容器がガラスで丸く作られ、その周囲には放射状に光線のような装飾が施されました。これを『聖体顕示台(オステンソリウム、又はモンストランス)』と呼びます。正面から見ると神々しい その姿は、正に輝く “太陽” です。

『聖体』を収める丸い容器と、それを支える末広がりの台座には、何となく既視感を覚えますよね。しかも、信者と『烏』の違いは有れど、輝く日輪の器から取り出された『聖体』は、次の世代へ命を繋いで行く為の “糧” となるのです。「いやいや、待ってくださいよ、社長。確かに形も用途も そっくりですけど、ユーラシア大陸の東と西の端、時系列も狂っているじゃないですか?そんなの有り得る訳がないです!!」そんなお叱りを受けそうです(苦笑)が、間違っているとも言い切れないと思っていて、実際、13~14世紀のイタリア商人『マルコ・ポーロ』は、欧州各地に『黄金の国・ジパング』伝説を広めているのです。

日本古代史の最大の謎の一つ、『前方後円墳』とは何なのか?「日本固有の “鍵穴” 状の墳丘墓は、異端のキリスト教徒が持ち込んだ『聖体容器』をモチーフとし、そこで執り行われた “見せる儀式” のコンセプトが、再び海を渡って今度はカトリックの『聖体顕示台』へと発展した。」これが当ブログの辿り着いた答えです。十字架の替わりとして、『横穴式石室』の在る後円部の頂きを飾った構造物が『殯宮(モガリノミヤ)』、『烏』の “止まり木=鳥居” としての機能を果たしたという訳です。

※一部の文言を修正しました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。西洋では白い天使に付き添われ天に召されるのに対し、日本では黒い『烏』に啄まれて往生するのですねぇ。『イエス昇天』シーンの再現度としては、『国府宮はだか祭』の方が数段 優れている気がします(苦笑)。何はともあれ、弥生時代後期に現れ古墳時代中期までの主流として、『竪穴式石室』が墳丘墓の頂上に造られた理由は、『鳥葬』を行うのに必要だったからと分かったのは大発見です。完全な人骨が見つからないのは、『烏』が余所に持ち去ったから。白骨化すれば腐る心配もなく、セットで発掘される『割竹式木棺』の内側が、『水銀朱』等で赤く塗られた理由は、防腐効果とは別に有りそうです。

さて、国宝『木造神像四駆』を有する熊野速玉大社では、『国立常尊』と『家津御子大神』を同一神と考えます。『国立常尊=ヤハウェ』が父で『家津御子大神=イエス・キリスト』が子、そして『速玉大神(ハヤタマノオオカミ)』の “玉” は “魂” と考えられるので、こちらが『建速(タケハヤ)須佐之男命』の聖霊となり、『熊野三山』に於いても『三位一体』が成立していることが分かります。神功皇后と秘め事を行ったという伝承の残る、『住吉三神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)』も、当時の日本人が頭を捻って絞り出した、『三位一体』という難解な教理の、一つの解釈方法だったのかも知れません。

熊野速玉大社の『木造神像四駆』、残る『夫須美大神(フスミノオオカミ)』は須佐之男命の母・伊邪那美命であることから、聖母マリアと理解することが出来そうです。また『速玉大神』と同様に、饒速日命と『百舌鳥の速贄』の “速” の字も、須佐之男命を形容する『建速(タケハヤ)』に由来すると考えると、須佐之男命の輪廻転生と “仔羊” としての位置づけが、非常に明確になって来ます。諏訪大社に残る奇祭の一つ『蛙狩神事』の起源が、古事記に登場する『久延毘古(クエビコ)』に在ることも、これで間違いないでしょう。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。703年に持統天皇が残した『薄葬の詔(巨大墳墓 造営の禁止)』は、一般的には民衆の負担軽減を目的とするとされますが、事実上、倭人(国津神)の信じる『黄泉がえり』の儀式を禁ずる、宗教弾圧政策として機能したに違いありません。巨大古墳に替わる理想的な『鳥葬』の舞台を探し求め、彼らが辿り着いたのが深い山々に抱かれた霊場『熊野三山』。”世界の屋根” チベット高原に続く、『黄泉比良坂』に模した『熊野古道』の険しい登り坂を越え、「苦行に耐えるなら『鳥葬』の実施を見逃してやる。」ということです。

では『熊野信仰』の核心、熊野本宮大社の主祭神で、須佐之男命と同一神とされる食物の神、『家津御子(ケツミコ)大神』とは一体 何者なのでしょうか?順を追って見て行きましょう。先ず、当ブログの読者の皆さんはご存知の通り、記紀世界に於ける紀伊半島は聖書の世界のシナイ半島、神武天皇が『布都御魂』を受け取った『熊野三山』は、モーセが十戒を授かったシナイ山に相当します。熊野に祀られる神々を総称して『熊野権現』と呼びますが、この中に天地開闢の始神『国常立尊(クニノトコタチノミコト)』が含まれる意味は重要で、その存在は正に創造神ヤハウェそのもの、神武一行を襲った荒ぶる大熊こと『熊野坐神』も、ヤハウェの “荒魂(化身)” と考えられます。

そんな熊野の地で『証誠菩薩』として修行を積み 、『烏』に導かれ極楽往生し『阿弥陀如来』となった、『御饌津物(神に奉る食物)』とは一体 何者なのか?時に創造神『国常立尊』とも同一視される、『家津御子(ケツミコ)大神=須佐之男命』の正体について、皆さんも そろそろ勘付いたのではないでしょうか?未だ分からない方の為に最終ヒント。最初の漢字 一文字を素直に読んでみて下さい。正解は「イエツのミコ」。そうです!『蘇りの聖地』の中心に祀られていた神も又、自らを犠牲にして人々を救済した『仔羊=金星』、『イエス・キリスト=須佐之男命』だったという訳です!!

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。沖縄では驚くべきことに、1972年の本土復帰まで、『風葬』が一般的に執り行われていたそうです。知りませんでした… 。元々がユダヤ的な文化と共に、黒潮に乗って やって来た倭人(国津神)にとって、肉体の復活と魂の結合は『黄泉がえり』に必須で、魂と肉体をセットで天に返す『風葬』は、中国南部から南西諸島・大八州、朝鮮半島南部まで広がる倭人交易圏に、深く根差していたことでしょう。後に大陸から持ち込まれたと思われる『鳥葬』が、国津神の習俗の一つとして受け入れられたのも、自然な流れだったに違いありません。

因みに、今でも『鳥葬』を営むチベット仏教に於ける死生観は、天孫族と同様の輪廻転生。魂と肉体は別々と考えることから、魂の入れ物である肉体を、敢えて天に返す必要は無いようにも思われます。チベット仏教の場合は、功徳を積む為に布施として肉体を提供する、自然に返すと考えるそうで、所謂 “ウサギの布施” の発想ですね。『隣人愛(利他主義)』は、天孫族が最も大切にする行動規範の一つです。流石の持統天皇も、これは受け入れざるを得なかったのかも知れません。

さて、本題の『熊野信仰』でいう鳥とは、勿論『百舌鳥』でも『ハゲワシ』でもなく、皆さん ご想像の通り『烏(カラス)』のことです。古代日本に於いて死肉を啄む『烏』は、”この世” と “あの世” を繋ぐ特別な存在として神聖視されていたようで、当ブログに於いて熊野に現れる『烏』は、 3本足の『八咫烏=アロン』。『神武天皇=モーセ』を約束の地に導く際に、重要な役割を果たしています。『山伏』と『烏』が融合したのが『烏天狗』と言われますし、『熊野三山』で配られる『熊野牛玉法印』も、独特の『カラス文字』でデザインされています。『火難除け』『盗難除け』というご利益は、とても意味深長です( 1235年に天武・持統陵は盗掘され、荼毘に付された持統天皇の遺灰は溝に捨てられた)。

以前、『黄泉比良坂 』は金刀比羅宮 名物の石段ではないか?と申し上げた通り、『黄泉の国』が闇の地下世界と考えるのは、現代人から見たバイアスだったのかも知れません。伊邪那美命の『殯(モガリ)』が、『鳥葬』のような儀式だったとするならば、執り行われた場所はチベットのように、天空に近い山や丘の上だったに違いなく、確かに古事記にも日本書紀にも、伊邪那岐命が脱出を図る際、「(地下から地上へ)坂を駆け登った」との描写は、一切 存在ないのです。ここに来て古代日本に掛かった霧が、一気にクリアになった気がします。つまり、”導きの神” 『烏』の力を借りて魂と肉体を天に返す、『黄泉がえり』の儀式を行う為に人工的に建造された “舞台装置” 、それが各地に残された巨大古墳だったという訳ですね!!

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ところで皆さんは、『百舌鳥(モズ)』という鳥をご存知でしょうか?東アジアに広く生息するスズメ目の鳥で、昆虫やカエル・小型の爬虫類など、捕獲した獲物を小枝の先に刺したり、木の股に挟んだりして保管する習性を持ち、これを『百舌鳥の速贄(ハヤニエ)』と言います。繁殖期のオスによる求愛行動と考えられますが、古代の人々の目には どの様に映ったことでしょう。もしかしたら『百舌鳥』の仕業とは気付かずに、カエルが木に登って自らを神に捧げたと想像したかも知れませんね。

古事記に於いて大己貴命が道中 出会った、『多邇具久(タニグク)=ヒキガエル』と『久延毘古(クエビコ)=山田の案山子』のエピソードは、この『百舌鳥の速贄』から来ているのではないかと、当ブログでは考えます(地表を這いずり回り、何も知らずに一生を終えるヒキガエルと、『嗅がし≒柊鰯(犠牲)』になったことで、木の上から世間を見渡し、『知恵の神』となったカエルの対比)。『八十神』の虐めにより瀕死の父神を救う為、息子神『木俣神=イエス・キリスト』が木に架けられたことが、大己貴命の “夢の中” に暗示されていた訳ですね。そういえば、世界最大の墳丘墓『大仙古墳』の在る大阪の世界遺産は、『百舌鳥・古市古墳群』と呼ばれます。偶然でしょうか?

古代日本に於いて、死者の亡き骸を野晒しにして自然に朽ちるのを待つ、『風葬』は特別なことではなかったらしく、実は その一環として『鳥葬』に似た風習も、行われていたと考えられています。例えば京都の三大葬地の 1つ、東山区の『鳥辺野(トリベノ)』では、鳥が食べ易いよう遺体を木の枝に架けることもあったとされ、これは正に『百舌鳥の速贄』です。ちょっとグロ過ぎて俄かには信じ難い話なのですが、事実は事実として一旦 受け止めて下さい(苦笑)。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『堕天使ルシファー=サタン』を通して『蛇』と繋がった須佐之男命は、自分自身を ”仔羊(鏡餅)” として食べたことにより、永遠や不滅・再生のシンボル『ウロボロスの蛇(自らの尾を噛んで環となった蛇)』となりました。私の地元 埼玉県の氷川神社の主祭神は須佐之男命。そこで行われる夏の風物詩、無病息災を願い 8の字を描いてくぐる『茅の輪』も、『ウロボロスの蛇』の “無限性(∞)” に由来するのではないでしょうか?もう一つ非常に興味深いのは、須佐之男命は『蛇』と結び付いたことで、唯一神の荒魂である『大物主命=蛇』と習合、つまり『三位一体』が完成したという点で(『父=大物主命』と『子=須佐之男命』と『聖霊=金神』)、これはアリウス派の教義とは異なります。

さて、末法思想が広まる平安中期から末期にかけ、『弥勒菩薩』が現れるまでの56億7千万年を待ち切れない、皇族や平安貴族のハートを がっちり掴んだのが、『蘇りの聖地』として知られる『熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)』です。本宮大社の主祭神は古来『熊野坐神(クマノニマスカミ)』と呼ばれていましたが、信じる者なら誰でも平等に極楽浄土へ導く『阿弥陀如来=証誠菩薩(ショウジョウボサツ)』と習合し、『家津御子(ケツミコ)大神』という名前を与えられます。神仏へ備える食べ物を『御饌津物(ミケツモノ)』と呼ぶことから、『家津御子大神』は食物の神としての側面を併せ持ち、須佐之男命と同一神とされるのも注目点の一つです。

縄文以来の『磐座信仰』や『修験道』とも深く結びついた『蘇りの聖地』、『熊野詣』には幾つかのルートが有りますが、どれも険しい山道で、苦行や禁欲を嫌い『陰陽道』に逃げた平安貴族からは、とても想像が付きません(苦笑)。彼らが目指した極楽浄土は、一体どんなところだったのでしょう?タブーとされた『黄泉がえり』を、天孫族は本当に受け入れたのでしょうか?そして、『熊野三山』で配られる『熊野牛玉法印』の護符には、どんなご利益があったのでしょう?興味は尽きませんね。次回以降、詳しくお話させて頂きますので、お楽しみに。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。倭人の祖『太白(大将軍)=須佐之男命』は、『天津甕星=堕天使ルシファー』であると同時に、旧約聖書の創世記に登場するカインを、モデルにしていると申し上げました。嫉妬心から弟・アベルを殺し『エデンの園』を追放されたカインですが、その身の安全は絶対神が『 7倍の復讐』を宣言したことで保証されます。このエピソードが『太白(大将軍)=須佐之男命』と同一視される、最凶の方位神の言い伝え『金神七殺』と そっくりなことから、中世の日本神話に於ける『金神=巨旦将来』は、『須佐之男命=カイン』で間違いないと考えます。

では、カインは何故アベルに嫉妬したのか?それはアベルが捧げた貢物を、唯一神ヤハウェが大層 気に入ったから。それが “仔羊” なのです。八岐大蛇の尾から取り出した『天叢雲剣(草薙剣)』でも、天孫族にとっての約束の地『大和=カナン』でもなく、須佐之男命が捧げるべきは “仔羊” だったのです。しかしながら、既に一人息子を失っていた持統天皇には、『神男(儺負人)=イエス・キリスト』が実践したように、自らの命を差し出さなければ “神の許し” を得ることが出来ないという設定は、到底 受け入れることが出来ません。そこでカインとアベルを すり替えた。つまり、古事記に描かれてる『大宜都比売』殺害事件とは、実は『須佐之男命=カイン』がヤハウェに、 “仔羊” を捧げるシーンだったという訳です!

とは言え、『人身御供』は天孫族にとってNG行為。日本書紀に於ける加害者は、原典に倣って『月読命=アベル』に差し戻され、『須佐之男命=カイン』がヤハウェに示した誠意は、日本の正史から抹消されてしまいます。結果として須佐之男命の魂は救済の道を断たれ、持統天皇の意を汲みながらも『神男(儺負人)』として罪を償わせる、この無理難題を解決する為に天才・空海が編み出した方法が、須佐之男命自身に過去の自分の悪行を清算させるストーリー、つまり『牛頭天王=須佐之男命』が『巨旦将来=須佐之男命』を攻め滅ぼし、”仔羊(鏡餅)” として食べてしまうのです!!牛頭天王に 8人の王子がいるのも決して偶然ではなく、『金神七殺』に対抗するのに必要だったからでしょう。空海は室戸岬での修行中、金星が口の中に飛び込む神秘体験をしたと伝わりますが、『虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)=金星』こそが、天空を彷徨いながら修行を続けた、『須佐之男命の精魂=金神』だったんですね。

太陽信仰の天孫族にとって『金星=仔羊』を認めることは、金星を信仰する倭人(国津神)の正当性に繋がり、これほど都合の悪い話はありません。実は新約聖書を締め括る『ヨハネの黙示録』でも、イエス・キリストは「輝く明けの明星」と呼ばれていて、恐らく『天皇紀』にも同様の記載が有ったのでしょう。それが『天火明命=饒速日命』のことだったのかも知れません。645年の乙巳の変の際に、皇極(斉明)天皇が『天皇紀』を持ち去った理由も、この事実を隠し通す必要が有ったからなのではないでしょうか?

※文章を一部 修正しました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。空海の真言密教の影響を受けた神道を『両部神道』、『最澄』の天台系密教の影響を受けた神道を『山王神道』と呼びます。さて、『元明天皇=天照大御神』と『吉備内親王=月読命』を仲直りさせたのと同様に、持統天皇が神話に隠した歴史の暗号を解き明かし、後の世に『文武天皇=須佐之男命』の魂を成仏させたのも、空海ではないか?と考えることが出来そうです。『牛頭天王=須佐之男命』信仰の中心である祇園社は、空海と仲違いした比叡山延暦寺の統制下に在ったと考えがちですが、御霊会が始まった 869年頃は、なんと藤原氏の氏寺である興福寺の末寺だったんです。

興福寺は、文武天皇と所縁ある薬師寺と並ぶ法相宗の大本山で、その起源は、藤原氏の祖『中臣鎌足=大天使ガブリエル』の病気平癒を願う、『鏡王女=聖母マリア』に遡るとされます。壬申の乱で都落ちを経験した中臣氏は、逃れた東国で『外物部』と深く結び付き、倭人の祖である『太白(大将軍)=須佐之男命』、つまり金星を信仰する『甕星族』を形成しました。共に『山前』を脱出したアリウス派・秦氏は、藤原氏が中央復帰を果たした後も、後方支援を継続したと考えられます。母方に物部系の血を引く空海を、稲荷大明神の特別な庇護の下、平安京の守護に当たらせたのが、その代表例と言えるでしょう。

さて、藤原の祖・中臣氏が祝詞を上奏することから『中臣祓』とも呼ばれ、罪と穢れを祓う為に年 2回、6月と12月に行われる儀式が『大祓』です。読み上げられる祝詞の内容は、あたかも数々の天津罪を犯した須佐之男命が、人々の厄災を一身に引き受け贖罪する、『国府宮はだか祭』の『神男(儺負人)』のようにも感じられます。つまり、須佐之男命は『牛頭天王=薬師如来』であると同時に、”仔羊” となった『巨旦将来』である可能性が有るという訳です。一体どういうことなのでしょうか?ちょっと小難しい話になりますが、次回に説明させて頂きます。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。737年の天然痘の蔓延により、今度は藤原四兄弟が相次いで亡くなります。4人全員となると流石に不自然で、何か別の理由が有るのではないのでは?と勘繰る人もいて、よく挙げられるのは『長屋王』の “祟り” です。奈良時代になると遣唐使により、様々な生薬が大陸から持ち込まれます。それが “良薬” になるか “毒薬” になるかは、正に『匙加減』一つ。要するに、何者かによって毒殺されたとも考えられる訳で、この事実こそが、病気平癒・健康長寿の御利益を持ちながら、『行疫神(つまり疫病神)』でもあるという『薬師如来=牛頭天王』の本質、二面性を的確に表していると感じます。この後 朝廷に於ける信仰の中心は、『薬師如来』から『毘盧遮那仏=大日如来』へと、急激にシフトしていくのです。

さて、729年の『長屋王の変』では、姉の『元正天皇=天照大御神(日光菩薩)』との対立も有ったのでしょう、『長屋王』の妻であり三貴子の一角でもある『吉備内親王=月読命(月光菩薩)』は、最後には自ら命を絶ってしまいます。持統天皇の愛した 3人の孫の、この何とも悲しい結末は、朝廷の中で後々まで尾を引いたのではないでしょうか?「孤食の寂しさから天照大御神が、豊受大御神を呼び寄せた」とする伊勢神宮外宮の社伝は、恐らく『元正天皇=天照大御神』と『吉備内親王=豊受大御神(月読命)』の仲直りを願い、後世になって何者かによって創られたストーリーで、作者不詳の『竹取物語』を書いた有力候補の一人としても知られる、真言密教の天才・空海の影響が感じられます。当ブログの見解では勿論、『竹取物語』の原作者は持統天皇なんですけれどね(笑)。

空海の世界観を示す『両界曼荼羅』には、”知恵” の世界『金剛界』と “慈悲” の世界『胎蔵界』が存在し、『金剛界』は太陽に『胎蔵界』は月に例えられ、それぞれの中央に『大日如来』が描かれます。つまり、一般的に『大日如来』は太陽神であり、『天照大御神=日光菩薩』と同一視されますが、それとは別に もう一尊、月神としての『大日如来』が存在して、それは『竹取物語』の中でチャンスを与えられ、罪を償った『月読命(天津神による『人身御供』の禁を破った)=月光菩薩』、つまり『かぐや姫=吉備内親王』だという訳です。内宮に天照大御神、外宮に豊受大御神を祀る伊勢神宮は、この『両界曼荼羅』に見られる構造と非常に よく似ています。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。平安時代に突如 現れた異形の神『牛頭天王』は、祇園信仰の中心に位置する『防疫神/除疫神』で、本地垂迹説によれば『薬師如来』の仮の姿と考えられます。つまり、記紀の中では決して許されることの無かった『須佐之男命=天津甕星』の魂は、後世になって『蘇民将来』を元に何者かが創作した物語の中に転生し、『牛頭天王』として与えられたチャンスを活かして、漸く『解脱』して『薬師如来』となった、全ての煩悩から解き放たれたということになります。

『薬師如来』信仰の歴史は、大日如来や阿弥陀如来と比較しても古く、少なくとも『白鳳時代』まで遡ることが出来ます。その『薬師如来』を本尊とする薬師寺の建立は、元々は病に伏せた妻の快方を祈願して天武天皇が始めたものですが、天武崩御の後、事業は持統天皇によって引き継がれました。両サイドには『日光菩薩』と『月光菩薩』を配し、孫・文武天皇への譲位が行われたのが、697年の開眼法要の直後であることからも、皇位継承と薬師寺の造営には、密接な関係があっただろうことは容易に想像できます。そして皆さん ご存知の通り、当ブログに於いて文武天皇と言えば、一人息子を失った持統天皇が未来を託した “三貴子” の末弟、『須佐之男命=薬師如来』なのです。

少し余談になりますが、文武天皇の夫人『藤原宮子』は藤原の出身ではなく、紀州の “海人の娘” であるとの伝承が残っています。この『須佐之男命=牛頭天王』の后が、南海の竜宮城に住む “龍王の娘”『頗梨采女(ハリサイジョ)』であるとする、中世の神話解釈との類似は偶然とは考えられず、須佐之男命を始めとする三貴子は、3人の孫(元正天皇・吉備内親王・文武天皇)を育てる上で、記憶の中の『天皇紀(漢文訳の新・旧聖書)』を教材とした持統天皇が、カインとアベル、セツをモデルに創り出したキャラクターであるとする、当ブログのスタンスを補強する材料になると思われます。

さて、これだけの御膳立てをしたのにも関わらず、707年に 25歳の若さで文武天皇が崩御したことにより、本来 予定されていた記紀の壮大なるフィナーレ、つまり「須佐之男命は転生を繰り返し、最後は偉大なる救世主『文武天皇=薬師如来(イエス・キリスト?)』となって、地上界に降臨した。」という構想は、完全に宙に浮いてしまいました。持統天皇が神話に隠した歴史の暗号は、結末を失ったことで解読不能となり、須佐之男命は永遠に許されない存在として、記紀の世界に取り残されてしまった訳ですね。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。「我、蘇り鹿に入る」とハッキリ名前に書いてあるにも関わらず、『大天使ガブリエル=中臣鎌足』に誅殺された極悪人が、転生して藤原不比等に生まれ変わるという展開は、流石の私も予測できませんでした(苦笑)。『大天使ガブリエル=武内宿禰』の場合は どうかというと、神に背いた『仲哀天皇』が突然の崩御、応神天皇として やり直しのチャンスが与えられたのは、その冷酷・残忍な性格で天皇に成れなかったとされる天孫族のヒーロー、『仲哀天皇』の父親である日本武尊のことでしょう。何故なら、”哀れ” が現代の意味と異なるのは、皆さん古文の授業で習った通りで、『仲哀天皇』という諱は “尊い存在の中継ぎ役” と、読み解くことができるからです。

では、そろそろ本題に戻ります。謎多き饒速日命とは何者なのか? “約束の地” を譲ったにも関わらず後日談は殆どなく、その魂が救済されなかったとすると、饒速日命の前世は蘇我入鹿や日本武尊を凌ぐ、問題行動を起こした人物(または神)なのだろうと想像できます(苦笑)。当ブログが推測した通り、それが天津甕星だとしたならば、聖書の世界では『堕天使ルシファー』、自らへの奢りから唯一神になり替わろうとして、天界を追放された “愚か者” です。あっ、なるほど!そう言えば記紀の世界に於いても、皇祖神の地位を危うくし高天原から追い出された、『堕天使ルシファー』そっくりな 天津神がいましたね。何故 今の今まで、この事実に気付かなかったか?自分でも恥ずかしい気持ちで一杯です!!

という訳で、当ブログの行き着いた饒速日命の正体とは、『畔放』『溝埋』『生剥』『屎戸』など数々の『天津罪(主に農耕を妨害する行為)』を犯した後、髭を抜かれ爪を剥がれ、高天原を追放された荒ぶる神の代表格、天照大御神の弟の須佐之男命の生まれ変わりだったのです。八岐大蛇を倒し『天叢雲剣』を献上しても、饒速日命として大和の地を禅譲しても その罪は許されず、記紀の枠を飛び越え更なる転生の後、『夜叉国』の大王『巨旦将来』を倒して初めて、彼の魂は救済されることとなりました。その時の “リングネーム” が『牛頭天王(ゴズテンノウ)』、須佐之男命の同一神とされます。続きは次回。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。常陸国の鹿島神宮と共に、藤原氏の崇敬する下総国の香取神宮の楼門には、何故か蘇我氏の祖『武内宿禰(タケノウチノスクネ)』と、中臣鎌足が仲良く並んで祀られています。これには かなりの違和感を覚えますが、①『武内宿禰』も神託の意味を解釈する『審神者(サニワ)』であること、②応神天皇と藤原不比等の出生秘話に類似点が有ることから、2人は日本には存在しなかったとされる『宦官』であり、共に 『大天使ガブリエル』と見なされていた可能性が有ります。鎌足の「軍国に務無し」は、三韓征伐に貢献した『武内宿禰』との比較であり、『受胎告知』のシーンは『武内宿禰』に譲るカタチで決着を見たのでしょう。

蘇我氏については、今までも色々と書いて来ましたので多くは触れませんが、ここで一度 整理をしておきましょう。当ブログに於いては、蘇我入鹿と聖徳太子は表裏一体の厩戸王。『建葉槌命』として融和政策を実践し、国家統一に重要な役割を果たしたものの、偶像崇拝に寛容だったが故にアリウス派・秦氏と対立(共に来日したネストリウス派・秦氏は、蘇我氏とは主従関係にあり、その一部は中世になって『長宗我部』を名乗って四国へ渡り、戦国乱世の『葦原中津国』統一を目指した)、最後は双子の息子の 1人で『海人族(=尾張氏のルーツ)』に育てられた “海幸彦” こと、排仏派の大海人皇子により暗殺されてしまいます。

『韓子』『高麗(別名:馬背)』『馬子』『厩戸(別名:鞍作)』と、その名前から馬や朝鮮半島との強い結びつきを感じさせる蘇我氏は、百済の前身である『馬韓』の王族出身であろうと考えます。日本に最初の馬を持ち込んだのも、蘇我氏なのではないでしょうか?その『馬匹文化』の担い手である一族が、鹿を “神の使い” と崇める藤原氏に滅ぼされた ということです。そして「我、蘇りて鹿に入る」と…。えっ、まじ?藤原不比等の前世は、豊かな才能を持ちながら悪行を重ねた結果、”神のお告げ” により誅殺された蘇我入鹿だったという訳です!!「社長、”馬鹿” も休み休み言って下さい。」そんなお叱りを受けそうです(苦笑)。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。物部系の石上神宮に祀られる『布留御魂(フルノミタマ)』は、天津甕星のメタファーであると申し上げました。これは つまり『天津甕星=太白(大将軍)』は、物部の祖神・饒速日命のことであると言っているようなもなのですが、当ブログでは敢えて明言することを避けて参りました。何故なら記紀世界に於いて、天孫系の饒速日命には『ノア』の、その末裔の物部氏にも『カナーン人』の役割が与えられており、仮に物部氏が『堕天使』であることが確実だとしても、肝心の『饒速日命=ノア』と『天津甕星=堕天使ルシファー』の接点を、新・旧聖書の中に見出すことが出来なかったからです。

『ノア』と『堕天使ルシファー』を繋ぐものは何なのか?謎解きのヒントは、記紀の原典『天皇紀』のコンセプトに隠されていました。当ブログの解釈では、『天皇紀』は異端のキリスト教の聖典です。正統な西方キリスト教の教えでなく、日本書紀はネストリウス派の教義を反映し、古事記にはアリウス派の思想も含まれていると思われます。日本書紀に於いて『大己貴命』のサクセスストーリーが全面カットされたのは、壬申の乱により『黄泉がえり』を信じるアリウス派が排除された結果でしょう。日本書紀で一貫している死生観は、仏教に姿を変えたネストリウス派の『輪廻転生』、鬼道を操り “悪魔の子” を宿した『卑弥呼=百襲姫』を筆頭に、悪事を働いた者には天罰が落ちるものの、生まれ変わって やり直すチャンスが与えられるというシステムです。

何が言いたいかというと、『天津甕星=堕天使ルシファー』が『饒速日命=ノア』であると明言するのは難しくとも、『天津甕星=堕天使ルシファー』は天罰を受けた後、『饒速日命=ノア』に生まれ変わった。つまり『天照大御神=セツ』の孫、『天火明命(アメノホアカリノミコト)=饒速日命』に転生したと解釈することは、充分に可能だということです(但し『天火明命=饒速日命』とするのは、唯一『先代旧事本紀』のみで、記紀には そのような記述は存在しない)。果たして『饒速日命=ノア』は、『神武天皇=モーセ』に『大和=約束の地カナン』を禅譲し、前世で犯した罪を許されたのでしょうか?謎多き饒速日命とは一体 何者なのか?真相を探る為にも、次回は再び東国の神社に寄り道させて頂きます。お楽しみに。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。こっそり肉を食べ続けた背徳感からでしょうか(苦笑)、悪霊による祟りを恐れた平安貴族が、仏僧の替わりに頼りにしたのが『陰陽師』です。天文学や暦学など、宮廷の先端科学研究所として始まった『陰陽道』は、苦しい修行や禁欲生活を伴わないことから、暦の吉凶や方角の良し悪しを決める『占術』として大流行。飯の種を奪われた格好の仏教サイドも黙っていません。民間から密教系の参入が相次ぐと『陰陽師』市場は競争激化、結局『呪術』に『神秘術』など何でもありの “オカルト” に変貌します(笑)。その他 様々な要素が『過越祭』と融合して生まれたのが、年一度許される ご馳走の方便として語られる『蘇民将来』という訳です。

その説話の中で “仔羊” となった『巨旦将来』は、『陰陽道』では最凶の方位神『金神』として、忌避の対象とされます。『金神』は殺伐を好む “金気(=金属)” の精であり、一箇所に止まらず遊行する特性を持つことから、 “金星” の精である『太白(大将軍)』と同一視されることが有ります(公転軌道が地球より内側の金星は、明るく輝くにも関わらず朝と夕方しか観測できないことから、その不規則な動きが古代から好奇の対象となっていた)。”金気の精” と “金星の精” というキーワードから、『夜叉国』の大王と化した『巨旦将来』が何者なのか、当ブログの読者の皆さんなら既にお気付きのことでしょう。『巨旦将来=金神』とは国譲りで最後まで抵抗した最強の悪神、星屑と散っては各地に貴重な鉄資源を残す天津甕星、そして同時に倭人の始祖『太白(大将軍)』のことなのです(『史書』の「倭人は太伯の後裔」は、中国サイドの勘違い)。

戦争こそ血の『穢れ』。鉄隕石の在処を隠す為に編み出されたのが、最凶の方位神『金神』なのでしょう(土を掘り返す、建築や土木工事はNG)。723年の『三世一身法』と 743年の『墾田永年私財法』を経て、平安時代になると荘園経営で私腹を肥やしたイメージの強い藤原氏ですが、独占した製鉄に関する技術を軍事目的に使用せず、農業の生産性向上に注力した点は立派です。天武天皇の『食肉禁止令』の本来の趣旨は貫きながら、食文化の多様性も尊重し日本の食卓を豊かにした藤原氏は、やはり『中臣鎌足=大天使ガブリエル』を祖とする、戦嫌いの平和主義者だったと言えそうです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ㉔

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。天武天皇が発した『肉食禁止令』は、元々は農業振興策だったと考えられています。従って禁止の対象とされたのは、田畑を耕すに必要な牛・馬と、愛玩動物と考えられる犬・鶏・猿に限られ、鹿や猪を食用とすることは認められていました。その後 天災や疫病が起きる度に、祟りを恐れた朝廷が仏教の教義適用を厳格化したと思われますが、本当にそれだけでしょうか?鹿や猪の肉や毛皮の流通を、規制しなければならない理由が別に有ったのかも知れません。例えば大国主命が国譲りの条件として、天津神から入手したのが鉄製の武器のみならず、製鉄の技術供与も含まれていたとしたらどうでしょう?

製鉄技術と言えば、砂鉄と木炭を原料とする『たたら製鉄』、奥出雲の『玉鋼』作りが有名です。そして もう一つ、鉄を高温に熱して溶かすのに最も重要なのが、送風機の役目を果たす『鞴(フイゴ)』です。江戸時代に『箱鞴』のような効率的な装置が世に広まるまでは、袋状の構造にノズルを取り付けた単純な道具が使用されたと考えられます。今でこそ合成樹脂など、柔軟性・機械的強度・気密性を兼ね備えた素材には事欠きませんが、当時 丈夫な袋を作るのに選択肢は限られていたと思います。その素材にピッタリなのが、藤原氏が独占的に管理していた “鹿革” です。つまり、鹿革は単に『蹴鞠』の材料というだけでなく、安全保障上 重要なアイテムだった可能性が有る訳です。

ここからは私の妄想です(笑)。古代日本に於いて、朝鮮半島に頼らざるを得なかったとされる鉄資源を、仮に自前で調達できたとするならば、その軍事的優位性は計り知れません。ここに再び登場するのが、地上に落下したとされる『天津甕星』の伝説です。隕石には鉄製分を多く含む『鉄隕石』というのが存在して、1885年に滋賀県で発見された『田上隕石』は、重さ 174kgも有ったそうです。隕鉄を鍛造する場合に於いても、前述の “鹿革” 製の『鞴』が重宝されたのは間違いないでしょう。『常陸国』に巨大な『鉄隕石』が落下した痕跡はないのでしょうか?天津神との戦いに敗れた『甕星族』が落ち延び先の東国で、高純度の鉄を手に入れていたとしたならば、それは神からの授かり物以外の何物でもありません。「鉄は国家なり」と言います。鹿革と『鉄隕石』という “戦略物資” を手中に収めた藤原氏は、ひ弱な『大天使ガブリエル』から武神『建御雷之男神』へと、華麗な転身を遂げたのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ㉓

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。イスラエル人の血塗られた柱は、『過越祭』が営まれる一週間、相当な悪臭を放ったことでしょう(苦笑)。『節分』に日本の玄関を飾る『柊鰯』が、生臭い匂いを魔除けとし無病息災を祈る風習であることから、こちらも『過越祭』を起源とするのは間違いないと思います。「鬼は外、福は内。」来て欲しくない悪霊は締め出す以上、来て欲しい精霊に対しては、こちらから歓待しなければなりません。各地に残る『来訪神』の風習が それに該当し、お盆に祖霊を供養する際、提灯を持って お墓まで迎えに行ったり、道の途中に野菜の乗り物を用意したりするのも同様に、仏教の伝統行事というより寧ろ、『過越祭』から派生したものなのではないか?というのが私の考えです。

柊の葉の鋭い棘を魔除けにする点で、『節分』の『柊鰯』と『クリスマス・リース』は共通します。イバラの冠を連想させることから、『クリスマス・リース』は『イエスの受難』に由来すると考えられ、セイヨウヒイラギの赤い実は、イエス(仔羊)の流した血を象徴しているそうです。尾張大國霊神社『国府宮はだか祭』のお茶会も、『神男(儺負人)』が 3日 3晩 “受難” した部屋で釜かけ(開催)されます。今は抹茶を点てるようですが、奈良時代のお茶は『餅茶』と呼ばれる薬膳スープのようなもので、くすんだ赤色だったと考えられることからも、『お茶=聖血』と考えて間違いないでしょう。

『過越祭』はユダヤ教で新年を祝う祭です。『追儺(ツイナ)』とは、一年の締め括りに悪疫を払う儀式のことで、現在で言う『大晦日=節分』に当たり、翌日の『元日=春分』が新年の始まりとなります。また、日本人などの農耕民にとっては、昼の時間が最も短くなる『冬至』が、”太陽の再生” を意味する新年の始まりで、イエス・キリストの誕生日である『クリスマス』も、太陽の誕生日である『冬至』に由来すると考えられています。つまり『春分≒節分』も『クリスマス≒冬至』も新年の始まりを意味し、『過越祭≒復活祭』と同様に新たな一年を祝う行事であり、『柊鰯』と『クリスマス・リース』は同根であると思われます。

話が随分と逸れてしまいました(苦笑)。上野国多胡郡の『羊太夫』は、藤原不比等 自身ではないか?との説も有ります。東国に逃れ辛酸を舐めた『甕星族』が、権力の中枢に戻ることが出来たのは、国津神グループの利益を代表して、縄文以来の食文化を守ったからです。諏訪大社の『御頭祭』で犠牲となった 75頭の鹿は、彼等にとって正に “神の使い” と言えます。そろそろ藤原氏の正体について纏めようとしたところで、当ブログが大事なポイントを見落としていたことに気付きました。続きは次回お話し致します。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ㉒

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『国府宮はだか祭』には続きが有って、神の恵みとして配られるのは『鏡餅』だけでは有りません。旧正月の 20日に開かれる茶会では、薬膳として参会者に『お茶』を振る舞うのですが、これも『イエスの受難』によって流された血を思わせます。カトリック教会では、除酵パンを『聖体』ぶどう酒を『聖血』と呼び、体内に取り込みイエスと一体化することで、内面的に浄化されると考えます。喫茶の習慣が日本に伝わったのは奈良時代とされ、仏教の戒律により飲酒と肉食を厳しく制限した日本に於いて、”お浄め” として導入された『お茶=聖血』と『鏡餅=聖体』は、その後 茶道と懐石料理へと進化を遂げ、禅宗の中に取り込まれて行ったのではないでしょうか?

記紀の世界に於いて自らの命を捧げ食物を提供した、『大宜都比売(オオゲツヒメ)』と『保食神(ウケモチノカミ)』も又、『過越祭』でイスラエル人の食卓を賑わせる、”仔羊” と考えることが出来そうです。以前、稲荷神社に祀られる五穀豊穣の神、『宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)』は月読命ではないか?と説明しましたが、ここに訂正します。『宇迦之御魂神=大宜都比売/保食神』は『イエス・キリスト=鏡餅』であり、鳥居の朱色は『聖血』の赤、稲荷神社の名前の由来は『INRI=ユダヤ人の王、ナザレのイエス』だということです。『ウサギの布施』のゴータマ・シッダールタとも、共通点を見出すことが出来る点は興味深いです。

民間信仰の『蘇民将来(ソミンショウライ)』も、日ユ同祖論の文脈で『過越祭』との関連が指摘されます。困っている旅人を助けた兄と見捨てた弟の お話で、旅人の正体が実は『行疫神』であったことから、その後 2人の人生は大きく分かれて行きます。この説話で『犠牲』となる “仔羊” は悪役の弟、『巨旦将来(コタンショウライ)』の方で、その骨肉は『鏡餅』として正月に、血は『菊酒』として『重陽の節句( 9月 9日)』に振舞われます。『桃の節句( 3月 3日)』の『草餅』、『端午の節句( 5月 5日)』の『ちまき』、『七夕の節句( 7月 7日)』の『索麺』も全て、『夜叉国』の大王と化した『巨旦将来』に由来します。一方、兄『蘇民将来』の名の記された護符は、仔羊の血に替わる目印として、門口や鴨居に飾られることとなったのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ㉑

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。鹿と羊の違いは有りますが、古代イスラエルの人々にとっても、仔羊の肉は年一度の、ご馳走だったのではないでしょうか?奴隷とされたイスラエル人を救出するため、唯一神ヤハウェがエジプトに対してもたらした 10の災いのうち、「長子を皆殺しにする」というのが、以前にも少し取り上げた『過越祭』の起源とされます。目印として仔羊の血を柱に塗れば、その災難を逃れることが出来て、彼らの身代わりに『犠牲』となった仔羊は、神が命じた食材 (焼いた仔羊、除酵パン、苦葉など)として、『過越祭』の間イスラエル人の食卓を彩ることになりました。なるほど上手い口実ですね(笑)。

イエスが『最後の晩餐』を楽しんだのが、この『過越祭』の期間であったことから、『過越祭』はキリスト教の『復活祭』の原型と考えられます。自らを『犠牲』にしたイエスは仔羊に例えられ、教会では肉に見立てた除酵パンと、血に見立てた赤ワインが人々に施されます。この除酵パンのことをユダヤ教では『マッツォ』、キリスト教では『ホスチア』と呼びます。『ホスチア』とはラテン語で、「生け贄の供え物」という意味です。日ユ同祖論の文脈でよく言われるのが、『マッツォ』を模したのが日本の『鏡餅』ではないか?ということです。称徳天皇の時代から愛知県の尾張大國霊神社に伝わる、『夜儺追神事(ヨナオイシンジ)』を例に見てみましょう。

旧暦の正月 17日に行われる奇祭『国府宮はだか祭』では、毎年 新たに選ばれる『神男(儺負人)』が、祭りに集まった人々の厄災を一身に引き受けます。『神男』が裸の男たちに揉みくちゃにされること約 1時間、興奮が最高潮に達すると神社から白装束の『神男』OBが登場。『神男』は群集の頭上に引っぱり上げられ、宙を舞うように神社の中へ連れ戻されて行く訳ですが、その様子はズバリ、贖罪したイエスが天使に迎えられ、天に召される姿そのものです。正に “十字架” を背負わされた『神男』は(長くなるので途中 省略しますが)、その夜お清めを受けた後『鏡餅』に姿を変え、翌日には切り分けられて、無病息災を願う参拝者に販売されます。これを『夜儺追神事』と言います。『鏡餅』は『マッツォ』というより寧ろ、『ホスチア』ということになりそうですね。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑳

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。菜食主義を受け入れた平安貴族の社交の場で、最も親しまれたスポーツが『蹴鞠』です。ボールを地面に落とさぬよう仲間で楽しむ、サッカーのリフティング競技みたいなもので、今で言うところの “接待ゴルフ” ですね。では、ここで質問。『蹴鞠』のボールが何で作られているか、皆さんは ご存知でしょうか?正解は “鹿の革” です。「えっ、食べるならまだしも、時の権力者の藤原氏が “神の使い” と崇めた、鹿の皮を剥ぐなんて許される訳ないじゃないですか!」と感じても何の不思議もありません。しかしながら その藤原一族も又、鹿革のボールを蹴とばして、大いに『蹴鞠』を楽しんだ筈なのです。

ここに或る疑惑が浮上して参ります。藤原氏が鹿島神宮や春日大社で鹿を飼育していた理由、それは信仰とも動物愛護とも全く関係がなく、単に『蹴鞠』がしたかったから、つまり、鹿革ボールを安定供給する必要が有ったからではないのか?ということです。以前お話しした通り諏訪大社では、嘗て毎年 75頭の鹿の命が神に捧げられていました。『イサクの燔祭』を模したと思われる『御頭祭』ですね。神の名の下『信濃国』で鹿は屠られ皮を剥ぎ取られ、丈夫に鞣された革はボール状に縫い合わされた後、”消耗品” として密かに京の都に輸送されたのです。表面上は血の『穢れ』を忌み嫌いながらも、その裏で お気楽な上流貴族の優雅な営みは、尊い『犠牲』によって支えられていたという訳です!何という偽善!!

「社長、それは流石に失礼です。全国の藤原さんに謝って下さい。」そんな批判が聞こえて来そうです。私も そう思います(苦笑)。鹿肉は生ゴミとして処分したのでなく、神の恵みとして美味しく召し上がったことでしょう。寧ろ、その革を『蹴鞠』のボールとして、その角は『強壮剤』として余すところなく活用することで、食肉文化の正当性を主張したに違いありません。奈良時代には肉食だけでなく、疫病や飢饉の度に酒造りが禁止されています。肉も駄目、酒も駄目、あれも駄目、これも駄目!!遥か東国の『甕星族』から国政に進出した藤原氏が、頂点に登り詰めた最大の理由、それは隅に追いやられた国津神サイドの利益を代弁し、異国から伝わった禁欲的な価値観を押し付ける公権力に抗い、縄文以来の “食肉のサプライチェーン” を維持することに、多大な貢献があったからではないでしょうか?

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー~」、日本で生活していれば、誰しも一度は耳にしたことのあるだろう『般若心経』は、大乗仏教の教えを説く最も有名な仏教の経典です。現存するサンスクリット語の写本としては、609年に小野妹子が日本に持ち帰った『法隆寺本』が世界最古とされ、今は大切に東京国立博物館に保管されているそうです。645年生まれで仏教の虜となった持統天皇が、『般若心経』の内容を良く理解していたのは間違いないでしょう。

幾つかの解釈は有るようですが、要は「苦しみから逃れるには、ひたすらに『般若波羅蜜』の真言(マントラ)を唱えなさい。」という、一種の念仏です。真言密教の祖・空海を含め、『般若波羅蜜』を女神とする解釈するグループも存在していて、サンスクリット語の写本でも、『般若波羅蜜』は女性名詞の扱いを受けているそうです。また『般若波羅蜜多菩薩』像は、明らかに女性を思わせる乳房の ふくらみを持っていて、『般若心経』には、天照大御神を頂点とする記紀神話の謎を解く、重要なヒントが隠されていると考えられます。

さて、その仏教は殺生を戒めます。妻からの大きな影響を受けたと思われる、天武天皇の『食肉禁止令(675年)』を皮切りに、その禁欲的な方針は厳格さを増すばかり。奈良時代に入ると737年の大飢饉の際には、食肉用の屠殺に加え飲酒も禁じられ、752年に聖武天皇が病に倒れると、1年限定の措置ながら魚の捕獲まで禁止となります。758年には天皇の為に特別に献上されて来た、鹿や猪の食用も永久に封印されることが決まり、縄文時代以来 受け継がれて来た伝統的な食肉文化は、崇仏派の支配する貴族社会に於いて、血の犠牲を伴う『穢れ』として完全否定されてしまうのです。食の恨みほど恐ろしいものは有りません(苦笑)。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑱

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。明治24年に千葉県旭市の『大塚原古墳』から発見された、石棺の蓋には『連金子英勝』と刻まれていて、これは『大友皇子』に使え壬申の乱の後に処刑された『中臣連金』の息子、『中臣英勝』のことであると考えられています。711年頃に建てられたという群馬県高崎市の『多胡碑』には、中臣氏の血を引く『羊太夫』に、この地域の支配を任せる旨が刻まれています。大国主命の “出雲征伐” の場合は、考古学的・分子人類学的に見て、ある程度 説得力の有る証拠を示すことが出来ましたが、関東に残された史跡を見れば分かるように、藤原氏の『甕星族』起源説についても、ただ伝承を切り貼りしただけの、パッチワークという訳ではないのです。

さて、いつの間にか倭人連合の宗教的権威の地位を、邪馬台国から継承する形となった『秦王国』、元々 相容れない宗派対立を内在していましたが、磐井の乱(527年)及び丁未の乱(587年)以降、北九州に寄り添うか大和に乗り換えるか、秦氏の中で燻っていた対立が深まります。白村江の余波 冷めやらぬ中 勃発した壬申の乱(672年)で、両者は遂に分裂。親新羅で対天孫族強硬派のアリウス派(稲荷信仰)は、敗走する大友軍に船を提供して共に東に向かい、一方の旧百済王族とも近く、中立的立場を貫きたかったネストリウス派(八幡信仰)は、追討軍に恭順し宇佐に残ったと考えると、東国で『中臣鎌足』と稲荷神社が深く結びついた理由も分かって来る訳です。そう言えば “ユダヤ人埴輪” でお馴染みの、『柴山古墳』も千葉県に位置します。何か関係が有るのかも知れませんね。

斉明天皇から託された『天皇紀』を、この混乱に乗じて奪取したのは、アリウス派であろうと考えます。一行の逃亡劇に協力した『尾張氏』は、後に物部氏と共に『先代旧事本紀』を編纂。一方の聖典を失ったネストリウス派は、虚勢を張り続けるものの 769年の神託事件で判断が二転三転、急激に影響力を失って行くのです。朝廷は 796年以降、『北極星(北辰)』と『北斗七星』の信仰を、順次 禁止して行きます。『北極星』は東洋では古来『天皇大帝』を、その周りを巡る『北斗七星』は西洋で『草刈り鎌』を意味します。東国に逃れた人々は夜空を見上げ、玉座から追いやられた『大友皇子』と、忠臣『中臣鎌足』に思いを馳せたことでしょう。夜空に輝く星となった 2人に対する信仰が、公権力によって禁じなければ鎮められない程、エネルギーに満ち溢れて行ったのは何故なのでしょう?

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑰

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。721年に成立した『常陸国風土記』では、東国開拓の歴史に於ける、日本武尊の活躍も強調されています(本文には『倭武天皇』と記載されている)。ひ弱な神官出身であることに対する劣等感と、『建御雷之男神』や日本武尊など強い者への憧れ、自らが赴任した『常陸国』への愛着、そして自分の出自を確かめたいとの強い好奇心。後に藤原氏としてのアイデンティティを確立する上で、『常陸国風土記』を編纂した『藤原宇合』の果たした役割は、非常に大きかったのではないでしょうか?

さて、927年に纏められた『延喜式神名帳』で、神宮の称号を与えられたのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の 3社のみ。日本書紀では伊勢神宮と共に神宮に数えられた、物部系の石上神宮がリストから外された点も注目です。『建葉槌命=聖徳太子』に丸め込まれた物部氏を『内物部』と呼ぶのに対し、東国に逃れたグループを『外物部』と呼ぶ場合があるそうで、一部の中臣氏は『外物部』と行動を共にして、『常陸国』で徹底抗戦を続けたと考えられます。『藤原宇合』には大変申し訳ありませんが、私は個人的に彼らを『甕星族(ミカボシゾク)』と呼び、藤原氏の原点はそこに在るのではないかと疑っています(苦笑)。

また、672年の壬申の乱に敗れた後、海路 鹿島を目指した一派も有るとも伝えられます。当ブログでは大海人皇子の息子に当たる『大友皇子』、本人の安否の問題は一旦 置くとして、大宰府を脱出して日向国の『山前』から出航した大友軍は、途中、愛知県で海人族系の『尾張氏』を頼りながら東を目指し、千葉県から上陸した後に『甕星族』に合流、『常陸国』で再起を誓ったと言う訳です。ここで疑問が生じます。『山前』に大船団を用意して、彼らの鹿島行きを手引きをしたのは、一体 誰なのでしょうか?それが周防灘沿岸に一大勢力を誇った、異端のキリスト教徒の秦氏であると考えると、色々と辻褄が合って来るのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『受胎告知』という、”一世一代の晴れ舞台” をカットされた『中臣鎌足=大天使ガブリエル』は、大織冠まで授かったものの死に際に、「生きては軍国に務無し(貢献出来なかった)」と、後悔の言葉を口にしています。これは一般に言われる白村江の惨敗とは関係なく、国津神『天津甕星=堕天使ルシファー』との最終決戦で、他の天津神『建葉槌命=熾天使セラフィム』や『建御雷之男神=大天使ミカエル』が武功を上げたのに対し、祖神『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)=大天使ガブリエル』が、参戦すらしなかったことに由来していると思われます。

『山科』の落馬事故で怪我を負ったり、死の直前に屋敷に雷が落ちたりと(古代日本では、落雷は “祟り” とされた)、『大化の改新』の功労者でありながら、何故か『中臣鎌足』には惨めな最期が与えられていて、武神であり雷神としても知られる『建御雷之男神』を、氏神として祀る藤原氏の祖に相応しくない死に様からは、寧ろ『中臣鎌足』と藤原氏に、血縁的な繋がりは無かったのではないか?との印象さえ受るくらいです。なるほど『藤原不比等=イエス・キリスト』の父親は、『中臣鎌足=大天使ガブリエル』ではありません(苦笑)。更に『大天使ガブリエル』は女性だとする説もあることから、『中臣鎌足』が “性的マイノリティ” と見なされていた可能性も充分です。孫の『藤原宇合』が、必死に『常陸国』に中臣・藤原のルーツを求めたのも、そんな事情が影響したに違いありません。

『中臣鎌足』の落馬事故は飽くまで、大阪府茨木市に在る『大織冠神社』周辺に残る言い伝えの類いで、文献的な根拠が有る訳ではないようですが、当ブログで『山科』というキーワードは、天智天皇の身代わりに謎の死を遂げた、大海人皇子を連想させます。『鏡王女=聖母マリア』を『中臣鎌足=大天使ガブリエル』に下賜したのも、中大兄皇子を装い、九州王朝(邪馬台国連合、国津神勢力)に寝返った大海人皇子です。つまり『中臣鎌足』の正体は、大海人皇子の内側に潜む心の声。野心に燃える皇子にのみ聞こえた “神のお告げ” であって、『中臣鎌足』も『聖徳太子』同様、架空の人物だったのかも知れません。

※誤りを訂正しました。 

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑮

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。中臣氏の祖神『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)』は祝詞の神様で、日本の言霊信仰のルーツとも言われます。祝詞は神様に上奏する言葉であると同時に、祭祀に集まる人々への神様からの大切なメッセージでもあって、『天児屋根命』に与えられた役割は、神の言葉を伝える『大天使ガブリエル』と完全に重なります。『大天使ガブリエル』と言えば『受胎告知』で有名ですが、『最後の審判』に於いてラッパを鳴らし死者を甦らせたことでも知られます。『天児屋根命』が祝詞を奏上し、天照大御神を引っ張り出すのに一役 買った天岩戸神話は、”太陽の再生” を示すシーンとして広く認知されていて、この場面は創世記に於ける『セツ』の誕生、つまり “『アベル』の再生” の話がベースとなると考える、当ブログのスタンスとも一致します(但し『黄泉がえり』はタブーとして、『生まれ変わり』に差し替えられている)。

『大天使ガブリエル』には もう一つの側面が有って、ユダヤ教の世界では道徳的に廃退した都市、『ソドムとゴモラ』を滅ぼした天使とされます。映画監督の宮崎駿氏は『天空の城ラピュタ』の中で、それを『インドラ(雷霆神)の矢』と表現しましたが、発掘作業の進むヨルダンの『タル・エル・ハマム遺跡』では、巨大隕石が空中爆発した痕跡が見つかったことから、『ソドムとゴモラ』が実在した可能性も議論されています。両都市が『天からの硫黄と火』に焼かれるエピソードは、専横を極めた『蘇我蝦夷』が業火に包まれた、645年の乙巳の変を連想させます。『輪廻転生』の記紀世界に於いては、『天児屋根命』の後裔であり暗殺事件の中心人物である『中臣鎌足』も また、”神の声のメッセンジャー”として描かれていると考えられる訳です。

ということは、『中臣鎌足=大天使ガブリエル』の最大の見せ場も、本来は『受胎告知』だったのではないでしょうか?日本書紀に描かれることのなかった、”中大兄皇子” から元妃『鏡王女(カガミノオオキミ)』を授かった場面こそ、それに該当するに違いありません。曇りなき『鏡』は西洋宗教画に於いて “処女性” のシンボル、つまり『鏡王女』は聖母マリアであって、その息子『藤原不比等』は、「比較しても等しく並び立つ者は存在しない」という名前が示す通り、救世主イエス・キリストである というカラクリです!!すなわち、春日大社に祀られる『天児屋根命』『比売神』は、それぞれ『中臣鎌足=大天使ガブリエル』と『鏡王女=聖母マリア』を意味するのです。

※誤りを訂正しました。 

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。話を戻しましょう。『常陸国』には『建葉槌命(タケハヅチノミコト)』が『天津甕星(アマツミカボシ)』を封印する大甕神社も在って、『建御雷之男神』の鹿島神宮と『経津主命』の香取神宮と合わせ、石上神宮に秘められた国譲り神話のクライマックスシーンを、スケールアップして屋外展示したかのような神社の配置となっています。『常陸国』の歴史は『常陸国風土記(721年)』に詳しく、その編纂には『藤原宇合(フジワラノウマカイ)』が深く関わっていると考えられていて、父・『藤原不比等』を特別な存在に仕立て上げる為に、様々な脚色が行われたことでしょう。

その『藤原不比等』の出生には、長年に渡り信じられてきた異説が有り、それは生母の『鏡王女(カガミノオオキミ)』が、中大兄皇子の元妃であったことから、本当の父親は『中臣鎌足』ではなく、天智天皇ではないか?というものです(当ブログの見解では、兄弟は入れ替わっているので、仮に この異説が事実であれば、『藤原不比等』の父親は大海人皇子であり、天孫族にとっては裏切り者となりますが)。

祖父・『中臣鎌足』の出自は もっと謎だらけで、前半生の記録は全く残されていません。『中臣御食子(ナカトミノミケコ)』の息子とする通説から、稲荷神との関連を疑わせる鎌を咥えた白狐の逸話や、人質として送られてきた百済王子『豊璋』と同一人物とする説まで様々で、歴史愛好家の想像力を掻き立てます。中でも『藤原宇合』の『常陸国風土記』には、藤原の祖を『常陸国』から白鹿に跨って春日の地に降臨した、天津神最強の武神『建御雷之男神』と結び付けたいという、強い情熱のようなものを感じます。

そこで当ブログでは再び、大甕神社に祀られる『建葉槌命』と『天津甕星』を、それぞれ『熾天使セラフィム』と『堕天使ルシファー』に、鹿島神宮に祀られる『建御雷之男神』と香取神宮の『経津主命』を、『大天使ミカエル』とその聖剣に置き換え、『藤原宇合』の真意を深掘りすることにしたのですが、作業を進めて行くうちに、聖書の世界を構成する上で重要なピースが 1つ、リストから抜け落ちていることに気付きました。それは『大天使ガブリエル』、神の声を地上に伝える役割を持つ天使です。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。平安貴族と言えば十二単に衣冠束帯。和歌を詠んだり蹴鞠をしたりの雅びな生活の一方で、暦の吉凶や方角の良し悪しを占い、血の『穢れ』を極端に忌み嫌います。その中心に居たのが『中臣鎌足』を祖とする藤原氏で、彼らが創建した春日大社には氏神として、国譲り神話に登場した『建御雷之男神』『経津主命』と、『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)』『比売神(ヒメガミ)』の 4柱が祀られています。『天児屋根命』と『比売神』については別途ご登場して頂くこととして、先ずは天津神を代表する 2柱の武神の謎から、藤原氏の正体に迫ってみたいと思います。

春日大社の『建御雷之男神』は『常陸国』の鹿島神宮から、『経津主命』は『下総国』の香取神宮から、それぞれ勧請されたと伝わります。国譲りで活躍した 2柱が、出雲国から遠く離れた東国に祀られている理由は恐らく、本来は四国を意味していた『葦原中津国』を、日本全土に拡張して “話を盛ること” が目的で、国譲りの舞台となった『稲佐の小浜』も、藤原氏の意向により東方の『常陸国』に移されたのだと思います。鹿島神宮には東西南北に 4つの鳥居が有って、東の一之鳥居の在る『明石の浜』が、『建御雷之男神』上陸の地とされています。

南東から吹く強い海風を “いなさ” と呼ぶことから、『稲佐の小浜』は特定の地名を表す言葉でなく、「強風の吹き荒れる砂浜」の描写であると、当ブログでは考えます。そんな気象条件でも、微動だにせず剣の切っ先に胡坐をかいて居られるくらい、『建御雷之男神』の神力は凄ったということですね。南東からの海風が吹くということは、本来の『稲佐の小浜』も島根県ではなく、四国の東岸で太平洋面した『阿波国』に在ったとするのが妥当でしょう。補足しますと、徳島県には1955年まで『高志村(タカシソン)』という村が存在したそうですから、出雲の地で須佐之男命が倒した八岐大蛇も、『越国=高志国』でなく『阿波国』の『高志村』から “元・出雲” に、毎年 娘を奪いに現れる という設定だったのだと思います。

※誤字脱字を修正しました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。太陽に似た恒星では100年に一度程度、桁違いに大きい爆発『スーパーフレア』を起こすそうで、620年の『低緯度オーロラ』が『スーパーフレア』による、超常現象級の出来事だったとするならば、ゆらゆらと揺れるオーロラは正に『天の羽衣』、古代の人々が “機織り神” が降臨したと感じても、何の不思議もありません。しかも “木槌” で敵を叩きのめすのでなく、”葉槌” で優しく包み込んだのです。『低緯度オーロラ=建葉槌命』の、『明けの明星=天津甕星』すら打ち消す程の煌めきに、占星術を駆使して抵抗を続けた物部の残党も、負けを認めざるを得なかったことでしょう。

620年に日本は もう一つの画期を迎えます。日本書紀によれば蘇我馬子と聖徳太子が、『天皇紀』を完成させたのが この年です。聖徳太子と言えば「和を以て貴しとなす。」なるほど!!『天津甕星』の懐柔に成功した『建葉槌命』とは、587年の丁未の乱で物部守屋を打ち破った後、620年の『天皇紀』を以って皇統の神性を世に示した、聖徳太子その人という訳です。太子の佩刀としては四天王寺所蔵の国宝『七星剣』が有名ですが、これは恐らく後世(鎌倉時代以降)の作り話(苦笑)。太子が実際に佩いていたのが、石上神宮の所蔵する『七枝刀』であったとするならば、バラバラだった全てのピースが 1つに繋がります。

剣身に 6本の枝刃を持つことから、『六叉の鉾(ロクサノホコ)』とも呼ばれる『七枝刀』、その神々しい姿は正に天界から現れた『熾天使セラフィム』です。真っ赤に輝く『低緯度オーロラ』を背景に、6枚の翼を持つ聖剣を右手に掲げ、太子は国譲り神話のラストシーンを再現して見せた訳ですね。太子の最も有名な肖像画の両脇に、頼りなさげに描かれる 2人の小柄な従者は、『建御雷之男神』と『経津主神』ということになるでしょう(苦笑)。ちょっと余談になりますが、『熾天使セラフィム』は神武東征にも登場したと考えられます。神武天皇の弓先に降り立つと、この時は黄金の輝きを放ち、饒速日命を恭順へと導いた『金鵄』も また、『熾天使セラフィム』だったのではないでしょうか?『輪廻転生』の記紀世界に於いて、歴史は姿形を変えながら何度も何度も繰り返すのです。

当ブログでは聖徳太子は実在せず、厩戸王とは蘇我入鹿のことです。蘇我一族も出自不明とされていましたが、今回の大発見により期せずして、百済の王族と関係の近い渡来系氏族である可能性が見えて来ました。その一方で蘇我本宗家を滅ぼした、乙巳の変のキーマンであり藤原氏の祖でもある、『中臣鎌足』も また百済王子『豊璋』とも噂されます。藤原氏とは一体 何者なのでしょうか?そして、どのように権力の中枢に上り詰めたのでしょうか?また、古代日本のフィクサー、アリウス派とネストリウス派の秦氏は、この両者の争いに どのよう絡んでいたのでしょうか? 次回以降もお楽しみに。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。もう一方の聖書の世界に目を向けると、『天津甕星』のモデルが『堕天使ルシファー』である以上、バトルを繰り広げた相手の『建御雷之男神』が『大天使ミカエル』、その輝く剣を神格化したのが『経津主神(フツヌシノカミ)』であることは、ほぼ疑いの余地が有りません。肝心の “機織り神”『建葉槌命(タケハヅチノミコト)』に、このシーンは出番がなさそうで諦めかけていたところ、興味深い天使の存在を見つけました。それは天使の最高位に君臨する『熾天使セラフィム』です。 6枚の翼を持ち、唯一神への愛と情熱で体が赤く燃えていることから、『火偏』の付いた漢字を使って “シテンシ” と読みます。

“熾天使” の『熾』と “機織り神” の『織』という 2つの漢字、見た目が よく似ていて、如何にも誤記や混同を誘発しそうですねぇ(苦笑)。倭人が名乗ったのが『太伯の後裔』でなく、『太白(金星)の後裔』の可能性が有るように、中国の歴史書に於いて、漢字の転記ミスは頻繁に見られる問題で、歴史研究者にとっては悩みの種でも、私のような素人の歴史愛好家にとっては、これほど涎の出る “ご馳走” は有りません(笑)。仮に『建葉槌命』が『熾天使セラフィム』であると証明されたならば、「失われた『天皇紀』とは、漢文訳された新・旧聖書である」と考える、当ブログの根幹となるロジックを、強力に補強する大発見となります。

ここで天空の世界に戻って調べてみると、日本書紀の中に西暦 620年に観測された、大変 面白い気象現象の記事を見つけました。それは『低緯度オーロラ』、太陽の活動が活発な時に見られる現象で、2024年には日本でも観測されています。日本書紀によれば、赤く耀くオーロラが閃光を放ちながら、地表から天に向かって放射状に広がる様子は、「まるで鳥の “雉(キジ)の尾” のように見えた」そうです。これは正に 6枚の燃える翼を広げる、『熾天使セラフィム』の姿そのものです!そして想像してみて下さい。夜空を赤く染め上げる扇形のオーロラは、まるで北天に浮かぶ秋の紅葉、巨大スクリーンに映し出された、真っ赤な “カエデの葉っぱ” じゃないですか!!なるほど『建葉槌命』とは絶妙なネーミング、”機織り神” の正体は『熾天使セラフィム』で間違いなさそうです。

※誤字脱字を修正しました。

※写真を差し替えました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。悪神『天津甕星(アマツミカボシ)』が最後まで抵抗した、国譲り神話のラストシーンが中途半端になっていましたので、その続きについて お話しさせて頂きます。日本書紀によると、『建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)』と『経津主神(フツヌシノカミ)』の武神 2柱では手に負えず、『天津甕星』を服従させるには『建葉槌命(タケハヅチノミコト)』の助けが必要だったとされます。石上神宮に主祭神として祀られる 3本の霊剣の内、『布留御魂(フルノミタマ)』こそ『天津甕星』のメタファーと睨んだ当ブログでは、残る 2本の『布都御魂』と『布都斯魂』に、『建御雷之男神』と『経津主神』を当て嵌め(順不同)、”起死回生” の御利益を持つとされる『七枝刀』を、『建葉槌命』の『依り代』と比定した訳です。

その『建葉槌命』については、 “統一日本” の国家形成過程に於いて、重要な役割を果たしたにも関わらず、”機織り神” という以外に殆ど情報がなく、影の薄い正体不明の存在です。『天津甕星』を倒した『建葉槌命』とは、一体 何者なのでしょうか?私の推理した通り、百済から贈られた『七枝刀』と、何らかの関係が有るのでしょうか?『天津甕星』が『明けの明星』であり『堕天使ルシファー』であるならば、『建葉槌命』も また何らかの天体現象、そして新・旧聖書の中にヒントが隠されているかも知れません。

2016年の大ヒット映画『君の名は』の中で、監督の新海誠氏は『天津甕星』を、主人公の三葉と瀧を引き裂く『ティアマト彗星』に擬えました。三葉の実家、宮水神社の祀る “機織り神” 『倭文神(シトリガミ)=建葉槌命』の正体は、彦星との再会を待つ “織姫” であると考えた訳ですね。『巨大隕石落下説』については私も一定程度 支持していて、何故なら、戦いに敗れて地表に落ちた『天津甕星』を、封印する為に創建されたと考えられる神社は、『常陸国』を中心に幾つも存在するからです。果たして『建葉槌命』の正体は、”織姫” なのでしょうか?続きは次回。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今から 60年近く前の昭和41年に、この事実に気が付いていたのが、『特撮の神様』円谷英二氏です。「光の国から僕らの為に、来たぞ我らの『ウルトラマン』」が、自らの過失で死なせてしまった『ハヤタ隊員』に命を分け与え、巨人となって地球を守る姿は、体の大小の関係性は正反対ですが、『大己貴命』に魂を分け与えた『少彦名命』が、立派な大国主命に成長して国を治める様子にソックリです。出雲大社を参拝する際に、『二礼二拍手一礼』でなく『二礼四拍手一礼』する理由は、大国主命の肉体には『大己貴命』と『少彦名命』の 2つの魂が宿っているからでしょう。その出雲大社ですが、2000年の発掘調査で巨大な御柱が出土したことにより、高さ48mの日本版『バベルの塔』は、実在した可能性が高まりました。因みに『ウルトラマン』の身長は40mです(笑)。

さて、『大己貴命』のサクセス・ストーリーは、『ヤコブ』の息子の『ヨセフ』と『イエス』の養父『ナザレのヨセフ』、同じ名前の人物を混同したことによって、生まれた物語と考えられます。ギリシア語の『イエス』とヘブライ語の『ヨシュア』も同じ名前であることから、『八幡神=イエス』が中世を代表する軍神『八幡大菩薩=ヨシュア』へと、変貌を遂げたことも以前ご説明 致しました。異端のキリスト教徒・秦氏の場合は、同じ漢字を使うことを利用して 『秦の始皇帝』の末裔を主張、『大秦国(ローマ帝国)』から渡来したという、自らの出自を巧みに隠しています。彼らが宇佐神宮に残した『聖杯の一族』に関する暗号も、聖母マリアとマグダラのマリアの区別が付かない日本人には、解読することが出来ません。

豊後水道沿岸に一大交易圏が存在した可能性を示す、『大己貴命』のサクセス・ストーリーは、『邪馬壱国』や『耶馬台国』など幾つかの異なる漢字表記を持ち、論争の絶えない邪馬台国についても、新たな示唆を与えてくれました。大分県宇佐市の西隣りの中津市には、『耶馬渓(ヤバケイ)』という名勝が在って、江戸時代に儒学者『頼山陽』が付けた、”中国風” の名前とされますが本当でしょうか?如何にも仙人が住みそうな この巨岩の織り成す絶景が、古来『磐座信仰』の有った日本に於いて、崇拝の対象にならなかったとは考え難く、古の昔から『耶馬の谷』と呼ばれていた可能性は ないでしょうか?『耶馬の谷』が有れば『耶馬の丘』も有った筈で、もし そこに女王国が在ったなら、表意文字である漢字で『耶馬台国(ヤバノオカノクニ)』と、表記したのではないかと思うのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。結論を先に申し上げると、『一寸法師』の正体は『常世国(トコヨノクニ)』から現れて、国造りをサポートした『少彦名命(スクナビコナノミコト)』です。鬼の落とした『打出の小槌』の不思議な力により、『一寸法師』は立派な大人に成長し、『打出の小槌』の持ち主『大黒天』が、大国主命と同一視されることからも、両者に関連性が有るのは確実です。その『少彦名命』が志半ば にして『常世国』に去り、途方に暮れる『大己貴命』の前に光と共に現れたのが、『一寸法師=少彦名命』との戦いに敗れた『鬼=大物主命』。当ブログでは皆さん ご存知の通り、ユダヤ教・キリスト教の唯一神ヤハウェの『荒魂(化身)』な訳ですから、『大国主命=ヨセフ』の夢の中の物語とは言え、何とも奇想天外・支離滅裂な展開です。

“夢解き” の鍵は、意外な神様が握っていました。それは木に架けられて見殺しになった『木俣神(キマタノカミ)』、『大己貴命』と『八上比売(ヤガミヒメ)』の息子神です。彼の魂は『常世国』に向かった後、恐らく 3日後に転生して『少彦名命』となり、そして恐らく40日間に渡り父神を支え続けた後、『常世国』に昇天してしまったのでしょう。もう気付きましたね?つまり『木俣神』とは、『ゴルゴタの丘』で磔にされたイエス・キリストのことなのです!『木俣神=イエス』と言える、明確な証拠が有るので提示しましょう。それは聖母マリアの夫、つまりイエスの(養)父の名が『ナザレのヨセフ』、『大国主命=ヨセフ』と同じ名前であり、『マタイの福音書』によれば『受胎告知』は、『ナザレのヨセフ』の夢の中で行われるのです!!

『一寸法師』の説話を借りて更に踏み込むと、『少彦名命=聖霊』となった『木俣神=子(イエス)』の魂は、昇天したというより寧ろ、全能の神の “不思議な力” によって『大己貴命=父』の肉体に宿り(受胎し)、国津神の祖・大国主命として生まれ変わった、”立派な大人に成長した” ことになります。また、仏教に帰依する持統天皇のことですから、『木俣神=イエス』が『因幡の白兎=ゴータマ・シッダールタ』の転生である可能性も高いでしょう。どう捉えるかは皆さんに お任せするとして、大国主命が結んだ契約は “悪魔の取引”。『一寸法師』や『桃太郎』の活躍により『讃岐国=地獄』に封印されていた、『鬼=大物主命』は『大和国=約束の地カナン』へ解き放たれ、『蛇=サタン』の誘惑に負けた大国主命はダークサイドに落ちました。国津神と天津神の長い戦いは、こうして幕を開けたのです。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。孫との会話の行き掛かり上、”木の根っこ” の世界となった『根の国(根之堅洲国)』も、基本的には『黄泉の国』と同じ “あの世” のことでしょう。しかしながら『高天原』を淡路島、『葦原中津国』が四国で、『淤岐之島』は高知県の沖の島、『稲羽』を宮崎県の稲葉崎に特定した当ブログとしては、『黄泉の国=根の国』だけ全く実体のない架空の場所として、締め括る訳にも行きません。記紀の原典『天皇紀』は漢文訳の新・旧聖書であり、神話パートの多くが持統天皇のアレンジ作品であることをヒントに、私が導き出した『黄泉の国=根の国』の所在地とは、『葦原中津国』北東部に位置する『讃岐国』です。

阿波の『忌部氏』が開発に携わったと伝承の残る『琴平山』、その山腹に『大物主命』と『崇徳天皇』を祀る『金刀比羅宮』は、”怨霊感” で満ち溢れています(苦笑)。怖いもの見たさでしょうか修験道と山岳信仰の聖地として、明治の神仏分離までは『こんぴらさん』の名で親しまれ、『おいせさん』に並ぶ江戸庶民の観光スポットでした。周辺には『桃太郎(吉備)』や『一寸法師(難波)』など、『鬼退治』に纏わる伝承を多く残し、古代は瀬戸内海に浮かぶ離れ小島だったとも伝わる『琴平山』は、『鬼ヶ島』のイメージにピッタリです。『黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)』も『金刀比羅宮』名物、785段の石段のことかも知れません。

『鬼』の語源は『モノ=怨霊・悪霊』とも言われます。昔話に現れる幾つかの『鬼』を『大物主命』に置き換えるだけで、記紀の世界に新たな地平線が見えて来ました。因みに、『讃岐国』に『難波郷』という場所が在ったのは、歴史学的にも考古学的にも確実で、『鬼=大物主命』と死闘を繰り広げた『一寸法師』も、実は『大己貴神』の夢の続きに登場します。では その『一寸法師』とは何者なのか?そして『大国主命=ヨセフ』の復活と、何か関係が有るのでしょうか?次回は いよいよ、”夢解き” の核心に迫りたいと思いますので、お楽しみに。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。「ウェ~ン、ウェ~ン。パパに会いたい、どうしても会いたいよう。」父を亡くして以降、『軽皇子(後の文武天皇)』の夜泣きが収まりません。「昨日は『木の国』まで話したわね。それじゃ今夜は皆で『根の国』に、パパを探しに行きましょう。」お婆ちゃんが諭すように語り掛けると『軽皇子』も納得、飛び起きた 2人の姉も興味津々、目を爛々と輝かせて お婆ちゃんの話に聞き入ります。と言う訳で当ブログも 2回に分けて、『大己貴命』が夢の中で訪れた地獄の世界、『根の国』について取り上げようと思います。

『根の国』に移動した『大己貴命』は、ダークサイドに落ちた須佐之男命と遭遇します。『文武天皇=須佐之男命』ですから、持統天皇のちょっとした “遊び心” で、『軽皇子』は『大己貴命』との面会を果たしているのですね(笑)。須佐之男命の娘『須勢理毘売(スセリビメ)』に心奪われた『大己貴命』は、『蛇の比礼』と『蜂の比礼』の呪力を借りて、『根の国』からの脱出に成功したものの、浮気を知った『八上比売』は、息子神の『木俣神(キマタノカミ)』を置き去りにして、『稲羽』の実家に帰ってしまいます。

文武:「お婆ちゃん、僕はパパに会いたいんだ、『大己貴命』じゃないよ。」持統:「そうねぇ、パパは『根の国』にも居なかったわね。何処に行っちゃったのかしら?でも良かったじゃない。パパが『須勢理毘売』と浮気したら困るでしょ?」元正:「パパは絶対に浮気なんてしないもの、そうよね、ママ!」吉備:「ね、ママ!!」元明:「そうね、きっと浮気なんてしないわね。パパはママに一途だもの(微笑)。」持統:「ハイ、続きの『越の国』の話は また明日。今日は遅くなったから、もう寝ましょう。」孫一同:「ハーイ!!」689年 夏、飛鳥の夜は こうして更けて行くのでありました。鸕野讚良(後の持統天皇)が即位を決断する、ほんの数ヶ月前のお話です。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『稲羽』の『八上比売』と結ばれて、一柱の神を儲けた『大己貴命』ですが、意地悪な兄たちの仕掛けた罠で、命を落としてしまいます。1度目は赤く焼けた大岩の下敷きになって大火傷、2度目は割れ木の間に挟まれてペシャンコに。その都度 復活したとされますが、本当でしょうか?『大国主命=ヨセフ』と考える当ブログでは、①誰が ②いつ ③誰に対して ④何を ⑤どのように伝えようとしたのか、以下のように解釈致しましたので、順を追って見て行きましょう。

先ず私が注目したいのは、この場面で岩が熱く焼ける様子が、『赤い猪』のように見えたと書かれていることです。伊吹山に現れ日本武尊を倒した『白い猪』と、非常に分かり易いコントラストを成しているので、もう皆さんも お気付きになりましたよね?灼熱に焼かれても死ななかった国津神のヒーローと、極寒に凍え命を落とした天津神のヒーローは、古事記の中で対照的に描かれており、国造り神話と日本武尊の物語の作者は同一人物、つまり『大己貴命』のサクセス・ストーリーも また、③『元正天皇』『吉備内親王』『文武天皇』の為に、①持統天皇が創ったお伽話で間違いありません!!

この後 割れ木に挟まれた『大己貴命』は、『木の国』『根の国』と旅をする訳ですが、これは④『割竹形木棺(丸太を 2つに割り刳り貫いた棺)』に納められた遺体が、朽ちゆく木棺と一体化し根となり土となり、自然に帰って行く様子です。死後の世界を物語形式で婉曲的に表現したのは、⑤幼い孫たちが必要以上に怖がらないようにする為の配慮で、このパートも恐らく、②息子・草壁皇子の葬儀が執り行われた直後に創作されたのでしょう。ここから暫くは “ヨセフの夢” の中、『大己貴命』の臨死体験が走馬灯のように展開して行きます。地獄と天国を訪問した後、光と共に現れる絶対神の啓示を受けた『大己貴命』は、『葦原中津国』の王『大国主命』として、奇跡の復活(蘇生)を果たすのです。

※表現を一部変更しました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。倉敷駅から伯耆大山駅まで、JR西日本の伯備線は中国山地を縦断するように走ります。この谷あいに延びる路線は古代に於いて、陸路『吉備』と『出雲』を結ぶ唯一の回廊で、両者の交易は活発だったようです。仮に『出雲族(倭人=国津神)』が天孫族(古墳人≠倭人)に譲ったのが、四国に在る『元・出雲』であったとするならば、新天地を求め『吉備』を経由して回廊沿いに進軍した『出雲族』が、先住民(渡来系弥生人≠倭人)を駆逐した後、その地を故郷と同じ『出雲』と名付けたとしても、何の不思議も有りません。

『出雲族』は国譲りの見返りとして、淡路島の『五斗長垣内(ゴッサカイト)遺跡』や『舟木遺跡』で作った、鉄製の武器を供給してもらう約束を、天孫族から取り付けたのではないでしょうか?大量虐殺の痕跡を残す鳥取県の『青谷上寺地遺跡』も、皆殺しに遭ったのは先住民の方で、島根県の『荒神谷遺跡』で出土した大量の銅剣や銅矛・銅鐸は、『先・出雲族』が地中に隠した遺物となります。彼らの崇拝した祖先神が『八千矛神(ヤチホコノカミ)』。『大己貴命』とは別神で、海路『高志国=越の国』に逃れ『沼河比売(ヌナカワヒメ)』と結婚した、『八千矛神』こそ『出雲王朝』の真の建国者という訳です。

島根県の弥生遺跡に偏在して出土する『土笛』、弥生時代に出雲から北陸に広まり、古墳時代には姿を消した『四隅突出型墳丘墓』、そして東京大学の示した研究データに於ける、島根県で高く北陸で低い縄文人由来変異保有率と、様々な考古学的・分子人類学的証拠を見るにつけ、この仮説が説得力を増したとの思いを強くします。もしかしたら『越の国』の名前の由来も、”引っ越した国” なのかも知れませんよ(笑)。

さて、『大国主命=ヨセフ』の話に戻ります。『因幡の白兎』に導かれ『八上比売(ヤガミヒメ)』のハートを射止めた『大己貴命』ですが、『八十神』の壮絶な虐めにより命を落としてしまいます。ここからが天才作家・持統天皇の腕の見せ所、当ブログの新解釈も お披露目致しますので、お楽しみに。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『葦原中津国』が四国であるならば、国譲り神話の舞台となった『出雲』が、現在と同じ島根県に在ったと考えるのも不自然です。『大国主命=ヨセフ』が君臨した『日向国=エジプト』にヒントを探すと、出雲神話で最も馴染み深い『因幡の白兎』に関連しそうな、『稲葉崎(イナバザキ)』という町を宮崎県延岡市に、『沖の島(オキノシマ)』という小さな島を、豊後水道を挟んで対岸の高知県宿毛市に見つけました。

古事記では元々、『因幡の白兎』を『稲羽之素菟』と表記します。国生み神話で淡路島・四国に次いで 3番目、九州の一つ前に生まれた『淤岐之島』も、島の配置から言って、島根県の隠岐島ではなく高知県の『沖の島』のことでしょう。愛媛県大洲市や徳島県の吾橋、高知県の土佐町・大豊町など、『出雲』という地名の由来と思われる、雲海の絶景スポットが四国山地に幾つも存在することから、「倭人(国津神)も天孫族も、黒潮に乗って日本に やって来た」と考える当ブログとしては、こちらこそ伝説の舞台に相応しいと感じます。

『因幡の白兎』に似た説話は、東南アジアに広く分布しています。インドネシアではワニの背中を渡るのは小鹿ですが、持統天皇が『白兎』を選んだには恐らく理由が有って、『大己貴命(後の大国主命)』も本来は、”神兎(お釈迦様の前世)が正しい道へ導いた聖帝” だったことを意味するのでしょう。不遇にも日本書紀に於いて、『因幡の白兎』の説話はカットされてしまいます。 何故なら時の権力者・藤原不比等の子孫で、平安時代に隆盛を極めた藤原氏にとって、神の使いは “鹿” なのですから(笑)。

※事実誤認が有りましたので、修正しました。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。大国主命の正体を探る上で、重要な鍵となるのが国譲り神話の謎。大国主命が天津神に譲ったのは『出雲』なのに、天孫が降臨した地が『日向(ヒムカ)』なのは何故なのでしょう?そもそも『葦原中津国(アシハラノナカツクニ)』が何処を指すのかもハッキリせず、邪馬台国論争と絡めて長年の議論の対象になって来ましたが、当ブログのように、記紀の原典は『天皇紀(漢文訳の新・旧聖書)』と考えると、『葦原中津国』の位置を特定するのは、それほど難しいことではありません。説明しましょう。

まず、宮崎県を『日向』の国と呼ぶのは、日の出の方に向いているからではありません。正解は太陽が向かう西方の国だからで、以前『神武天皇=モーセ』『瓊瓊杵尊=アブラハム』で申し上げた通り、『日向』は聖書の世界の『エジプト』を指します。紀伊半島はシナイ半島、瀬戸内海は紅海に相当し、神武東征のエピソードに四国が登場しないのは、紅海に該当するような大きな島が存在しないからです。私としては結構 自信の有る仮説なのですが、頭の固い歴史学者の皆さんには、なかなか受け入れてもらえないと思います(苦笑)。

もし、聖書の世界で『葦の海』と呼ばれる紅海の真ん中に、日本の現実に合わせて大きな島を浮かべるなら、記紀の世界での名称は、”葦の海原の中の国” となるでしょう。そうです、大国主命の治めた『葦原中津国』とは、神武天皇に素通りされた四国のことなのです(『~津』は所有・所属を表す)。そして『ヨセフ』が『エジプト』の宰相を務めたように、国造りを終えた大国主命も『日向』に渡って王座に君臨、『葦原中津国』の統治は『事代主神』と『建御名方神』の 2柱の息子に任せたと考えれば、瓊瓊杵尊の天孫降臨の舞台が『日向』となった理由も、簡単に説明が付く訳です。

 

今年も続くよ、社長の謎解きシリーズ①

明けましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。「日本人の多くが神社に初詣、教会で結婚式を挙げ、お寺に お墓を買うのは何故なのか?」という素朴な疑問から、2023年10月に始まった古代史の謎解きシリーズ。ど素人だった私も沢山の本を読み知識が増えましたが、その分 逆に謎は深まって行くばかりです(苦笑)。2025年も妄想を巡らせてみようと思いますので、興味のある方は是非お付き合い下さい。

さて、上つ巻の約三分の一を『出雲神話(国津神の祖・大国主命のエピソード)』が占めている以上、「古事記は持統天皇の丸暗記した『天皇紀』、漢文訳の新・旧聖書を口述筆記した物である」とするのは強弁で、少し無理が有ると感じた方も多いのではないでしょうか?如何に倭人が海洋民族だったとしても、彼等の習慣・風俗や古くからの言い伝えが、聖書に記載されている筈はないですものねぇ(苦笑)。でも『大己貴命(オオムナチノミコト)』のサクセス・ストーリーも、『三貴子』と同様に持統流のアレンジで、聖書の中にモデルとなる存在が居たと考えればどうでしょう?

事実『大己貴命』のキャラクターは、旧約聖書に現れるイスラエルの祖、『ヤコブ』の息子の『ヨセフ』と似ていると言われます。12人兄弟の 11番目、男前で人気者であるが故に兄弟に苛められ、一度は囚われの身となりますが、”夢解き” の特殊能力により、最後は『エジプト』の宰相まで登り詰めた『ヨセフ』は、嫉妬に燃える兄の『八十神(ヤソガミ)』たちに苛められ、何度も命を落としながらも その度に復活を遂げ、後に『葦原中津国』の頂点に君臨した大国主命、つまり『大己貴命』とソックリなのです。大国主命とは一体 何者なのか? “夢解き” の旅に ご案内致します。

※一部の文言を修正しました。