まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉔
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。DNAの解析結果を見ても、『古モンゴロイド』が『新モンゴロイド』に押し出されるように、周辺地域に拡散したのは ほぼ明らかです。タイの森林地帯に住む『マニ族』については以前お話しした通り。縄文系の典型例とされる『ハプログループD (Y染色体)』は、日本や南西諸島・中国南部(珠江流域)・アンダマン諸島(インド洋)・チベット高原に高頻度で見られ、中国・朝鮮半島・東南アジアでは少数派です。免疫系のHLAタイプで比較した研究では、日本人・ウルチ族(ロシア極東のアムール川下流域に住む)・韓国人・台湾先住民・オーストロネシア系フィリピン人が、遺伝的に縄文人に近いと示されています。
沖縄県石垣島の『白保竿根田原(シラホサオネタバル)洞穴』で、2007年~2009年に発掘された約2万7000年前の古代人は、ミトコンドリアDNAの解析により母方が、南中国や東南アジア起源であることが分かっています。何かと議論になりがちな朝鮮半島については、釜山広域市の『獐項(チャンハン)遺跡』で見つかった、約6300年前の人骨から『ハプログループD (Y染色体)』が検出されており、同じく釜山の『東三洞(トンサンドム)遺跡』の 5000年~4000年前以降の地層から、多くの『貝輪』が出土していることにより、『日琉語族』を使用する民族は半島南部に於いても、活発な経済・文化交流を展開していたと推測することが出来そうです(但し、沖縄産の貝が出土したとの報告はない)。
日本列島で水稲耕作が始まった歴史は、約 3000年前まで遡るというのが最新の研究結果(陸稲栽培は更に 1000年以上 遡る)なのですが、その時代の日本の地層からは、DNAレベルで所謂 “(朝鮮半島からの)渡来系弥生人” の特徴を示す、人骨が見つかっていない というのが現実です(分子人類学の第一人者であり、国立科学博物館長の篠田謙一氏も、これからの課題であると指摘している)。一方、南西諸島での農耕開始は 1000年~900年前に始まったグスク時代からとされ、約 3000年前に水稲耕作を行った痕跡は見つかっていませんが(『天水田』を思わせる遺構が、発見されたとの報告事例は有るものの、定説とはされていない)、そもそも交易の “中継地点” で、大規模な農業を営む必要が有ったかどうかは疑問です(『年神様』が毎年 食糧を持ってやって来たのでは?)。
そろそろ纏めましょう。古代、中国南部からベトナム北部にかけた、広大な沿岸地域に居住していた非漢民族を総称して、『百越(ヒャクエツ)』と言います。『魏志倭人伝』に見られる『断髪文身』の習俗や、高い航海技術・鉄器を使用した水稲耕作・龍蛇信仰など、『百越』には『倭人』との共通点が非常に多く、『倭人』も『百越』の一支族だった若しくは、両者の間に活発な交流が有ったとの解釈は、今や有力な学説の一つと成りつつあります。『貝輪交易』を始めとした経済活動を通じ、台湾・南西諸島を経由して縄文後期~弥生時代に日本に渡来・定住したのが、『古モンゴロイド』系の “混血民族” である『倭人(国津神)』。孤立言語と考えられてきた『日琉語族』の起源も、彼らに在るというのが現段階での当ブログの結論となります。
2025年1月、日本最古級の文字記録が、実に意外なところから発見されました。大和でも北九州でも出雲でもなく、高知県南国市の『若宮ノ東遺跡』から出土した 1800年~1700年前の土器片に、「何不」と思われる漢字 2文字が刻まれていることが明らかになったのです。黒潮に乗ってやって来た『国津神』と『天津神』の間で、奪い合いとなった『葦原中津国』とは、四国のことであると考える当ブログにとって、これは世紀の大発見と言えます。2026年は、どんな新事実が明らかになることでしょう?今から楽しみですね。今年もご愛読 頂き有難う御座いました。それでは皆さん、良い年をお迎え下さい。
















































