社長ブログ

大宮っ子の年末年始③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。1968年生まれの私の体は、2/5の昭和と3/5の平成で出来ています。大宮から上尾に越してきたのが1998年ですから、3/5は大宮、2/5は上尾で出来ているとも言えます。

年末年始、大宮はお祭り騒ぎとお伝えしましたが、お隣りの上尾は全く違って、駅前で行われる夏祭りが、大変な賑わいを見せます。駅周辺 8つの町の神輿が集結して行われる、『神輿御渡』は壮観。担ぎ手の圧倒的なエネルギーに驚かされた初体験は、もう20年も前の話なんですね。弊社の本社工場の在る伊奈町は、その上尾市の東隣り。祭りで担ぐ神輿が、志久という地区の1台しか無かったとのことで、地域の若手メンバー(田舎なので若手と言っても若くないのですが…)が協力し、昨年、新たな1台が完成しました。夏祭りまでには、我々の提灯も飾り付けてもらう予定です。

さて、『大宮っ子』の私が上尾に越して、忘れられない年末年始の一つが、2008~2009年の年越しですね。総務課長に過ぎなかった私が、2008年の6月 急遽、代表の座を引き継いで、その後はまさにジェットコースターでした。ストレスからか、不眠・不整脈に味覚異常と、経験のない体調不良のオンパレード。そんな中、急騰する原材料費を賄うべく、最初にやらなければならなかったのが、お客様との価格交渉です。先輩営業マンの力を借りて、なんとかお客様のご理解を得られたと思った矢先、世界経済を襲ったのがリーマン・ショック。経済活動はピタリと止まり、東京の日比谷公園には、『年越し派遣村』なるものが開設されました。11月~2月くらいだったでしょうか、自宅の近くを走る国道17号には、荷物を積んだトラックの影も疎らで、『ガタゴト ガタゴト』、いつもと違う貨物の響きに、高崎線を列車が運ぶ積み荷の量も、極めて少ないであろうと、聞いて想像つく訳です。

物流が止まって、世界が凍りついた年末年始。今でも忘れません。もう10年も前の話なんですね。