社長ブログ

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。時を同じくして紀元前15世紀のギリシャ、口承で語り継がれた神話の原型は、この頃には既に成立していたと考えられています。古代ギリシャ神話に登場する『蛇』と言えば『メドゥーサ』、髪の毛の替わりに無数の『蛇』が生えた怪物です。『ペルセウス』に首を刎ねられた際に、流れ出た血液には特別な力が有り、右側の血管から流れた血には『蘇生の力』が、左側の血管から流れた血には『死の力(毒)』が有ったとされます。このうち『蘇生の力』の宿る血を与えられ、後に “医術の神” とされたのが『アポローン』の息子の『アスクレピオス』。彼の持つ『アスクレピオスの杖』は、WHO(世界保健機関)など多くの医療機関の、シンボルマークとして使用されています。杖に 1匹の『蛇』が巻き付いたデザインは、モーセの『青銅の蛇』と よく似ていて、これは偶然ではないと思います。

もう一つ、しばしば『アスクレピオスの杖』と混同されるのが、伝令神『ヘルメース』の杖として知られる『カドゥケウスの杖』です。そのデザインは 2匹の『蛇』が巻き付く杖に翼を生やした形状で、モーセの『青銅の蛇』に『炎の蛇(毒蛇)』を足した、或いは『蘇生の力』を持つ『アスクレピオスの杖』に『死の力(毒)』を付け加えた、”魔法の杖” のようにも見えます。『ヘルメース』は本来 “商人・旅人の守護神” なのですが、この羽根の生えた “魔法の杖” を持ち、地上界と天界・冥界を自由に往来、その不可能を可能とする呪力により(超)科学と結びつき、”医学の神” の側面も併せ持つようになりました。一部の医療機関では『カドゥケウスの杖』をシンボルマークとして誤用していて、『世界大百科事典』でも『アスクレピオスの杖』は、『カドゥケウスの杖』の一種として扱われているそうです。モーセが実在の人物か?旧約聖書がいつ頃 書かれたか?は一旦 留保するとして、『(竿に掲げられた)青銅の蛇』と『アスクレピオスの杖』、そして『カドゥケウスの杖』は兎に角よく似ていているのです。

本題の日本神話の世界に話を戻すと、2匹の『蛇』が絡み付いた『カドゥケウスの杖』の特性が、平安時代に突如 現れた異形の神、良薬と毒薬の両面を併せ持つ『牛頭天王=薬師如来』と、ソックリなことには驚かされます。『メドゥーサ』の頭が八岐大蛇ならば、勇者『ペルセウス』は須佐之男命であり、杖を飾る 2匹の『蛇』は出雲大社の『大注連縄』と、何らかの関連が有りそうです。では、最終的に『カドゥケウスの杖』を手にした、 “商人・旅人の守護神” であり “医学の神” でもある『ヘルメース』とは、一体 何者なのでしょうか?それが縁結びを皮切りに、商売繁盛・交通安全・病気平癒などを ご利益とする、『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』。『ヘルメース』の属性も見事に受け継いだ(義理の)息子を持つ、『須佐之男命=牛頭天王』は “元祖” 縁結びの神様の本領を発揮し、ギリシャ神話の世界でも『ペルセウス』と『アポローン』の一人二役という訳です!

  

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑱

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。出雲大社の主祭神が須佐之男命ではなく、大国主命であることが再確認されたのは、1667年に江戸幕府 主導で行われた『寛文の御遷宮』によるものです。出雲神話の主役の座に戻りはしたものの、大国主命が “医薬の祖神” の地位を確立したのも、1780年に大阪商人が相棒の『少彦名命(スクナビコナノミコト)』を、薬のプロモーションに採用したのが切っ掛けだとも言われ、現在の大国主命としての名声の多くは、義父である『須佐之男命=イエス・キリスト』の築いたレガシーを受け継いだ結果と考えます。

出雲大社の特徴と言えば、絡み合った 2匹の『蛇』と形容される巨大な『大注連縄』や、旧暦の10月に出雲に集合する神々の先導役をウミヘビが務めるなど、縁結びや商売繁盛・交通安全・病気平癒などを ご利益とする大国主命のイメージからは、凡そ縁遠い『龍蛇信仰』です。『蛇』との因縁が深いのは寧ろ、八岐大蛇を退治した須佐之男命の方で、出雲のヒーローに相応しいと感じる人が多かったとしても、仕方がないのではないでしょうか?当ブログの見解では、永遠のシンボル『ウロボロスの蛇=茅の輪』も須佐之男命であり、金星と『蛇』はサタンを通して、切っても切り離せない関係性なのです。

では、大国主命は どの様に『龍蛇信仰』と結びつき、縁結びや商売繁盛・交通安全・病気平癒の神様となったのでしょうか?須佐之男命から譲り受けた遺産とは何なのでしょう?そして出雲大社 最大の謎の一つ、大国主命が西向きに鎮座しているのには、何か特別な意味が込められているのでしょうか?新・旧聖書に登場する 2人のヨセフの混同により、生み出された “国造りの神” の更なる秘密に迫る為、キリスト教の生まれる遥か昔、紀元前15世紀の世界へ皆さんを ご案内したいと思います。

イスラエルの民がエジプトを出て約40年、荒野を彷徨い続けたのは紀元前15世紀ごろの話とされます。モーセの指導力に不満を持った民に対し、神は『炎の蛇(毒蛇)』と『青銅の蛇』の、2種類の『蛇』を用意します。『炎の蛇』に噛まれれば命の保証は有りませんが、モーセが竿に掲げた『青銅の蛇』を仰ぎ見れば、その命は救われるというのです。『青銅の蛇』は後に十字架に架けられる、イエス・キリストを預言していると考えられます。

※一部を修正しました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑰

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。与那国島には『花酒』という泡盛が有ります。『風葬』から 7年後の正式な納骨前に、遺骨を浄める『洗骨』の儀式で使われたお酒です。『鳥葬』が行われた弥生時代後期から古墳時代中期も、墳丘墓の後円部の頂きに設置された『殯宮』で、同じような儀式が執り行われたことでしょう。”浄める” というのは恐らく崇高な建前で、赤く塗られた器たっぷりに満たされた お酒は、儀式が終わると『聖血』という名目で、参列者に振舞われたのだろうと思います。『割竹式木棺』に置かれた酒甕、或いは『割竹式木棺』それ自体が、『赤い酒樽=聖杯』の役目を果たしていたという訳です。

さて、鎌倉時代の異説に「(伊勢神宮の)斎宮を訪れては鱗を残す蛇」の逸話が有りますが、これは白蛇となった『天照大御神の荒魂(未練)=瀬織津姫』のことでしょう。崇神朝で疫病神の嫌疑を掛けられた もう一方、正体不明の大地主神『倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマノカミ)』は何者かと言うと、『大和郷(市磯邑)=約束の地』に残ることを切望したと思われることから、通説の大国主命ではなく、『饒速日命=須佐之男命の転生』の “魂” であるとした方が、当ブログの考える全体のストーリーの中に、スッキリと落ち着きます。『大物主神=蛇(サタン)』と一体とされるべきは、やはり『須佐之男命=金星(堕天使ルシファー)』なのです。

面白いことに、『ルシフェル=明けの明星』がサタンと結び付けられ始めたのは 5世紀頃(元々は、尊大な『新バビロニア王国』の支配層への、皮肉の言葉として用いられていた)、この考え方がキリスト教圏で定着したのは中世とも言われ、1世紀末頃に成立したと考えられる新約聖書『ヨハネの黙示録』の中で、イエス・キリストが「輝く明けの明星」と呼ばれるより、ずっとずっと後世になってからの話です。金星は悪魔か救世主か?異端のキリスト教徒・秦氏がローマ帝国を追われた際( 325年のニケーア公会議でアリウス派、431年のエフィソス公会議でネストリウス派)、彼らは どちらの主張を信じていたのでしょう?

600年の幻の遣隋使では、「倭国王は天を兄とし、日を弟とし…(兄は)日が出ると政務を止め、弟に委ねる」と、隋の楊堅を困惑させました。当ブログでは 、これを「『悪魔(金星)崇拝=鬼道』の国津神(兄)が、『太陽信仰』の天孫族(弟)に権力を移譲する」プロセスと分析していて、以降、日本書紀が編纂されるまでの120年間、そして末法思想の広がる平安中期以降と、大陸から新たな情報が もたらされる度、『金星=太白(大将軍)』の評価と その取り扱いについては、大きな振れ幅をもって揺れ動いたに違いありません。記紀の原典とも言える、失われた『天皇紀(当ブログの見解では漢文訳の新・旧聖書)』の行方、そして その記述に私が注目をしているのも その為です。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『鏡割り・鏡開き』の後に御神酒を飲む盃が、漆で赤く塗られているには恐らく理由が有って、『ぶどう酒(聖血)』の替わりとなる日本酒を、赤く見せる必要が有ったからでしょう。天孫族の禁欲主義に合わせ、茶道を押し付けられた国津神グループが、お酒を楽しむ為に編み出した “方便” です(笑)。”酒造りの神様” と言ったら、大神神社に祀られる大物主神、当ブログに於いてはヤハウェの荒魂であり、悪魔(サタン)の側面を併せ持ちます。

崇神天皇 5年、国民の半数を死に至らしめた疫病の原因として、天照大御神は都の纏向から遠ざけられてしまいます。これが冤罪と分かるのは後のことで、この時『八咫鏡』は打ち割られ、天照大御神は “祟り神” として、鏡の中に封印されてしまったのではないかと、当ブログでは考えます。鏡を割った犯人は『大物主神=蛇(サタン)』に唆され、「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」祭祀王、即ち『倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)=卑弥呼』ではないでしょうか(但し、魏志倭人伝の “本物” は『土蜘蛛の女王』であり、記紀はそのキャラクターを借用しているに過ぎない)?

気紛れな『大物主神=ヤハウェ』により、天照大御神には転生のチャンスが与えられますが、それを許さなかったのも『百襲姫』です。”悪魔の子” を宿したと理解した『百襲姫』は、お腹の胎児を “箸” で掻き出し、血の海の中で凄惨な最期を遂げました。穢れた存在として産まれること自体を拒まれ、海に流されてしまった天照大御神の魂は、”浄化の女神” として知られる『瀬織津姫(白蛇)』になった訳ですね。なお、大祓詞に現れる『祓戸四神(ハラエドシシン)』の残る 3柱は、浄められた魂の新たな船出を祈願するという意味から、航海の安全を守る『宗像三女神』と同一神だろうと考えます。

古代日本に於いて、(異端の)キリスト教の影響がみられるのは、繰り返し お伝えして来た通り。天照大御神を襲った この理不尽な試練は、912歳の人生を全うした天照大御神のモデル『セツ(カインとアベルの弟)』というより寧ろ、神と悪魔の賭けの対象として、財産や子供・健康など全てを奪われても信仰を貫き、最終的には福音を与えられた義人、『ヨブ』のエピソードを思い起こさせます。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑮

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。台座の上に丸い『聖体(仔羊)』を飾るのは、お正月の『鏡餅』の場合も同じですね。『鏡餅』には『歳徳神(トシトクジン)=年神様』の魂が宿り、それを分けて食べることで 1年間、健康で幸せに過ごせると考えます。十字架の替わりに載せるのが『橙=代々』、永遠に続く繁栄の象徴です。『年神様』は『来訪神』の一種で、お招きする際の目印が『門松』、おもてなし用の御馳走が『お説料理』、その年『年神様』の来る方角に向かって食べるのが、『恵方巻き』なのだそうです。

『鏡餅』の名前は『銅鏡』に由来すると考えられ、台座の上に丸い『銅鏡』を置けば、その姿は『聖体顕示台』に良く似ています。お祝いの席で『鏡餅』や酒樽の蓋を割る行為を、『鏡割り・鏡開き』と言いますが、古墳から出土する『銅鏡』も、多くの場合(意図的に)割られていて、こちらには、死者の魂が後に『祟り神』として現世に戻らぬよう、鏡の世界に “封印” する意味合いがあったのではないかと、当ブログでは考えます。では、三種の神器の一つであり、天照大御神の魂が宿るとされる、伊勢神宮の『八咫鏡(ヤタノカガミ)』はどうなのか?非常に興味深いところですね。

一方、『薬師如来』に始まり『阿弥陀如来』まで上り詰める等、天才・空海のアイディアを切っ掛けに、魂を救済された須佐之男命は大出世。平安末期から鎌倉時代に入ると、須佐之男命を神々の中心に据えようという機運は更に高まり、出雲大社(当時の名称は杵築大社)の主祭神も、大国主命から須佐之男命へと挿げ替えられます。江戸時代初頭までの長きに亘り、縁結びの神様も日本版『バベルの塔』の主も、実は須佐之男命だったのです。

しかし喜びも束の間でライバル出現、どちらが本物の救世主か?今度は『阿弥陀如来』を巡る本家騒動が勃発します。立ちはだかったのは、平安遷都で煮え湯を飲まされたネストリウス派。武神に衣替えした八幡神の本地も『阿弥陀如来』であると主張、鎌倉幕府を味方に付けて東国を中心に勢力を拡大します(更に『倭寇』に担がれ、八幡大菩薩は海外に展開)。鬼門の “番犬” 扱いを受けた延暦寺も黙っていません。比叡山出身の法然や親鸞が『専修念仏(神仏習合を否定し、須佐之男命を信仰の対象から排除)』を掲げ、一般民衆の間に教えを広める等、事態は三つ巴の様相を呈して行くのでありました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『ぶどう酒(聖血)』を注ぐ器を『聖杯(カリス)』と呼ぶのは、皆さんご存知の通り。『除酵パン(聖体)』を保管する容器にも名前が有って、カトリック教会では『聖体容器(チボリウム)』と呼びます。キリスト教の成立初期は、様々な形状の物が有ったようですが、現在では『聖杯』に似た柄と台座を持つ丸い器に、十字架付きのドーム状の蓋を載せた形が一般的なようです。

14世紀ごろ『聖遺物』の崇敬が盛んになると、ただ『除酵パン』として保管するのではなく、『聖体』として礼拝や行列に集まる信者に対し、より積極的に “見せる” ことに主眼を置いた容器が登場します。台座から伸びる支柱の上には、『聖体』を収める透明な容器がガラスで丸く作られ、その周囲には放射状に光線のような装飾が施されました。これを『聖体顕示台(オステンソリウム、又はモンストランス)』と呼びます。正面から見ると神々しい その姿は、正に輝く “太陽” です。

『聖体』を収める丸い容器と、それを支える末広がりの台座には、何となく既視感を覚えますよね。しかも、信者と『烏』の違いは有れど、輝く日輪の器から取り出された『聖体』は、次の世代へ命を繋いで行く為の “糧” となるのです。「いやいや、待ってくださいよ、社長。確かに形も用途も そっくりですけど、ユーラシア大陸の東と西の端、時系列も狂っているじゃないですか?そんなの有り得る訳がないです!!」そんなお叱りを受けそうです(苦笑)が、間違っているとも言い切れないと思っていて、実際、13~14世紀のイタリア商人『マルコ・ポーロ』は、欧州各地に『黄金の国・ジパング』伝説を広めているのです。

日本古代史の最大の謎の一つ、『前方後円墳』とは何なのか?「日本固有の “鍵穴” 状の墳丘墓は、異端のキリスト教徒が持ち込んだ『聖体容器』をモチーフとし、そこで執り行われた “見せる儀式” のコンセプトが、再び海を渡って今度はカトリックの『聖体顕示台』へと発展した。」これが当ブログの辿り着いた答えです。十字架の替わりとして、『横穴式石室』の在る後円部の頂きを飾った構造物が『殯宮(モガリノミヤ)』、『烏』の “止まり木=鳥居” としての機能を果たしたという訳です。

※一部の文言を修正しました。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。西洋では白い天使に付き添われ天に召されるのに対し、日本では黒い『烏』に啄まれて往生するのですねぇ。『イエス昇天』シーンの再現度としては、『国府宮はだか祭』の方が数段 優れている気がします(苦笑)。何はともあれ、弥生時代後期に現れ古墳時代中期までの主流として、『竪穴式石室』が墳丘墓の頂上に造られた理由は、『鳥葬』を行うのに必要だったからと分かったのは大発見です。完全な人骨が見つからないのは、『烏』が余所に持ち去ったから。白骨化すれば腐る心配もなく、セットで発掘される『割竹式木棺』の内側が、『水銀朱』等で赤く塗られた理由は、防腐効果とは別に有りそうです。

さて、国宝『木造神像四駆』を有する熊野速玉大社では、『国立常尊』と『家津御子大神』を同一神と考えます。『国立常尊=ヤハウェ』が父で『家津御子大神=イエス・キリスト』が子、そして『速玉大神(ハヤタマノオオカミ)』の “玉” は “魂” と考えられるので、こちらが『建速(タケハヤ)須佐之男命』の聖霊となり、『熊野三山』に於いても『三位一体』が成立していることが分かります。神功皇后と秘め事を行ったという伝承の残る、『住吉三神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)』も、当時の日本人が頭を捻って絞り出した、『三位一体』という難解な教理の、一つの解釈方法だったのかも知れません。

熊野速玉大社の『木造神像四駆』、残る『夫須美大神(フスミノオオカミ)』は須佐之男命の母・伊邪那美命であることから、聖母マリアと理解することが出来そうです。また『速玉大神』と同様に、饒速日命と『百舌鳥の速贄』の “速” の字も、須佐之男命を形容する『建速(タケハヤ)』に由来すると考えると、須佐之男命の輪廻転生と “仔羊” としての位置づけが、非常に明確になって来ます。諏訪大社に残る奇祭の一つ『蛙狩神事』の起源が、古事記に登場する『久延毘古(クエビコ)』に在ることも、これで間違いないでしょう。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。703年に持統天皇が残した『薄葬の詔(巨大墳墓 造営の禁止)』は、一般的には民衆の負担軽減を目的とするとされますが、事実上、倭人(国津神)の信じる『黄泉がえり』の儀式を禁ずる、宗教弾圧政策として機能したに違いありません。巨大古墳に替わる理想的な『鳥葬』の舞台を探し求め、彼らが辿り着いたのが深い山々に抱かれた霊場『熊野三山』。”世界の屋根” チベット高原に続く、『黄泉比良坂』に模した『熊野古道』の険しい登り坂を越え、「苦行に耐えるなら『鳥葬』の実施を見逃してやる。」ということです。

では『熊野信仰』の核心、熊野本宮大社の主祭神で、須佐之男命と同一神とされる食物の神、『家津御子(ケツミコ)大神』とは一体 何者なのでしょうか?順を追って見て行きましょう。先ず、当ブログの読者の皆さんはご存知の通り、記紀世界に於ける紀伊半島は聖書の世界のシナイ半島、神武天皇が『布都御魂』を受け取った『熊野三山』は、モーセが十戒を授かったシナイ山に相当します。熊野に祀られる神々を総称して『熊野権現』と呼びますが、この中に天地開闢の始神『国常立尊(クニノトコタチノミコト)』が含まれる意味は重要で、その存在は正に創造神ヤハウェそのもの、神武一行を襲った荒ぶる大熊こと『熊野坐神』も、ヤハウェの “荒魂(化身)” と考えられます。

そんな熊野の地で『証誠菩薩』として修行を積み 、『烏』に導かれ極楽往生し『阿弥陀如来』となった、『御饌津物(神に奉る食物)』とは一体 何者なのか?時に創造神『国常立尊』とも同一視される、『家津御子(ケツミコ)大神=須佐之男命』の正体について、皆さんも そろそろ勘付いたのではないでしょうか?未だ分からない方の為に最終ヒント。最初の漢字 一文字を素直に読んでみて下さい。正解は「イエツのミコ」。そうです!『蘇りの聖地』の中心に祀られていた神も又、自らを犠牲にして人々を救済した『仔羊=金星』、『イエス・キリスト=須佐之男命』だったという訳です!!

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。沖縄では驚くべきことに、1972年の本土復帰まで、『風葬』が一般的に執り行われていたそうです。知りませんでした… 。元々がユダヤ的な文化と共に、黒潮に乗って やって来た倭人(国津神)にとって、肉体の復活と魂の結合は『黄泉がえり』に必須で、魂と肉体をセットで天に返す『風葬』は、中国南部から南西諸島・大八州、朝鮮半島南部まで広がる倭人交易圏に、深く根差していたことでしょう。後に大陸から持ち込まれたと思われる『鳥葬』が、国津神の習俗の一つとして受け入れられたのも、自然な流れだったに違いありません。

因みに、今でも『鳥葬』を営むチベット仏教に於ける死生観は、天孫族と同様の輪廻転生。魂と肉体は別々と考えることから、魂の入れ物である肉体を、敢えて天に返す必要は無いようにも思われます。チベット仏教の場合は、功徳を積む為に布施として肉体を提供する、自然に返すと考えるそうで、所謂 “ウサギの布施” の発想ですね。『隣人愛(利他主義)』は、天孫族が最も大切にする行動規範の一つです。流石の持統天皇も、これは受け入れざるを得なかったのかも知れません。

さて、本題の『熊野信仰』でいう鳥とは、勿論『百舌鳥』でも『ハゲワシ』でもなく、皆さん ご想像の通り『烏(カラス)』のことです。古代日本に於いて死肉を啄む『烏』は、”この世” と “あの世” を繋ぐ特別な存在として神聖視されていたようで、当ブログに於いて熊野に現れる『烏』は、 3本足の『八咫烏=アロン』。『神武天皇=モーセ』を約束の地に導く際に、重要な役割を果たしています。『山伏』と『烏』が融合したのが『烏天狗』と言われますし、『熊野三山』で配られる『熊野牛玉法印』も、独特の『カラス文字』でデザインされています。『火難除け』『盗難除け』というご利益は、とても意味深長です( 1235年に天武・持統陵は盗掘され、荼毘に付された持統天皇の遺灰は溝に捨てられた)。

以前、『黄泉比良坂 』は金刀比羅宮 名物の石段ではないか?と申し上げた通り、『黄泉の国』が闇の地下世界と考えるのは、現代人から見たバイアスだったのかも知れません。伊邪那美命の『殯(モガリ)』が、『鳥葬』のような儀式だったとするならば、執り行われた場所はチベットのように、天空に近い山や丘の上だったに違いなく、確かに古事記にも日本書紀にも、伊邪那岐命が脱出を図る際、「(地下から地上へ)坂を駆け登った」との描写は、一切 存在ないのです。ここに来て古代日本に掛かった霧が、一気にクリアになった気がします。つまり、”導きの神” 『烏』の力を借りて魂と肉体を天に返す、『黄泉がえり』の儀式を行う為に人工的に建造された “舞台装置” 、それが各地に残された巨大古墳だったという訳ですね!!

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ところで皆さんは、『百舌鳥(モズ)』という鳥をご存知でしょうか?東アジアに広く生息するスズメ目の鳥で、昆虫やカエル・小型の爬虫類など、捕獲した獲物を小枝の先に刺したり、木の股に挟んだりして保管する習性を持ち、これを『百舌鳥の速贄(ハヤニエ)』と言います。繁殖期のオスによる求愛行動と考えられますが、古代の人々の目には どの様に映ったことでしょう。もしかしたら『百舌鳥』の仕業とは気付かずに、カエルが木に登って自らを神に捧げたと想像したかも知れませんね。

古事記に於いて大己貴命が道中 出会った、『多邇具久(タニグク)=ヒキガエル』と『久延毘古(クエビコ)=山田の案山子』のエピソードは、この『百舌鳥の速贄』から来ているのではないかと、当ブログでは考えます(地表を這いずり回り、何も知らずに一生を終えるヒキガエルと、『嗅がし≒柊鰯(犠牲)』になったことで、木の上から世間を見渡し、『知恵の神』となったカエルの対比)。『八十神』の虐めにより瀕死の父神を救う為、息子神『木俣神=イエス・キリスト』が木に架けられたことが、大己貴命の “夢の中” に暗示されていた訳ですね。そういえば、世界最大の墳丘墓『大仙古墳』の在る大阪の世界遺産は、『百舌鳥・古市古墳群』と呼ばれます。偶然でしょうか?

古代日本に於いて、死者の亡き骸を野晒しにして自然に朽ちるのを待つ、『風葬』は特別なことではなかったらしく、実は その一環として『鳥葬』に似た風習も、行われていたと考えられています。例えば京都の三大葬地の 1つ、東山区の『鳥辺野(トリベノ)』では、鳥が食べ易いよう遺体を木の枝に架けることもあったとされ、これは正に『百舌鳥の速贄』です。ちょっとグロ過ぎて俄かには信じ難い話なのですが、事実は事実として一旦 受け止めて下さい(苦笑)。