社長ブログ

社長の古代史考察2026 ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。クリスマス・ツリーの頂点に飾り付ける星を、『ベツレヘムの星』と言います。マタイの福音書に登場する『ベツレヘムの星』は、イエス・キリストの誕生を知らせ『東方の三賢者(三博士)』をベツレヘムに導いた星として知られ、木星と土星の大接近や彗星の出現を指すとも言われますが、当ブログでの これまでの考察から、遊行する『金星』であり『聖霊』を意味することは、ほぼ間違いないでしょう。『金星』が『サタン=堕天使ルシファー』と関連付けられる以前、『金星(明けの明星)=イエス・キリスト』は暗い夜の終わりであり、新しい時代の到来を象徴するものでした。

そうは言っても、自由奔放に飛び回っては信者に憑依して、新たな預言(神の啓示のアップデート)を残す『聖霊=金星』ほど、教義の一本化を図ろうとする当時の正統派教会にとって、手に負えない存在は有りません。今から 1900年近く前(西暦 150年頃)に現れて、終末論的な主張を展開した『モンタノス派』は、イエス・キリストの再臨と新エルサレムの建国が近いことを預言、悪霊の仕業として正統派からの批判を受けながらも、小アジア(現在のトルコ)を中心に多くの人々を熱狂の渦に巻き込んで行きました(『モンタノス派』の終末論の拠り所とされた、『ヨハネの黙示録』は西暦 363年に一旦、27の正典候補リストから外された)。

超自然的な力が全てを支配していた古代に於いて、宗教と医術に明確な境界線は有りません。小アジアに於いて、『モンタノス派』と激しく信者の争奪戦を繰り広げたのが、実は古代ギリシャ神話に起源を持ち、ローマ帝国公認の医療機関としての役割りを果たして来た、『アスクレピオス教』だったのです。西暦 313年の『ミラノ勅令』により信教の自由が保障されると、”無償の癒し” を与えた『モンタノス派』に勝利の軍配が上がります。更に西暦 392年にはキリスト教の国教化が決まると、異教の『アスクレピオス教』は解体、その施設のうち或るものは破壊され、或るものはキリスト教会や修道院に改修・再利用されて行きました。

皮肉なことに『モンタノス派』も又、異端の教えとして弾圧の対象となりました。最後は西暦 722年の集団自決によって、組織としての姿を消したと言われていますが、本当でしょうか?『聖霊=金星(虚空蔵菩薩)』は、室戸岬で修行中の空海の元にも現れました。藤原氏が遷都に深く関わったとされる『平安京』は、新たな『エル・シャローム=平和なるもの』という意味であるとも言われます。何よりもトランス状態で神の言葉を語った、『モンタノウス派』の 2人の女性預言者『プリスカ』と『マクシミラ』は、邪馬台国の卑弥呼や沖縄・奄美地方の民間霊媒師『ユタ』を強く連想させます。『難升米』一行が倭人の起源を語った西暦 239年と時系列的な矛盾もなく、『太白(金星)=大将軍』は『明けの明星=イエス・キリスト』だったに違いないのです。

 

社長の古代史考察2026 ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。歴史的文献・ゲノム解析・風俗習慣・稲作の起源・言語的比較など、倭人が『百越』の一支族である証拠が数多く出そろう中、今回は『魏志倭人伝』の伝える通り、倭人は “『太伯』の後裔” を自称したのかどうか?について検証してみたいと思います。『蛇酒』が『須佐之男命=イエス・キリスト』の辿った軌跡の一部であるならば、倭人が “『太白(金星)=大将軍』の後裔” と名乗った可能性も否定できず、中国側が誤解して『太伯』と記録に残したと考える、当ブログの仮説を裏付ける形となります。また、『悪魔(金星)崇拝=鬼道』から『太陽信仰』への移行を語ったと解釈 出来る、西暦 600年の遣隋使の謎の言葉の意味もスッキリと説明が付く訳です。

先ずは『太伯』とは何者なのか?ご説明しなければなりません。『太伯』は約 3100年前、現在の中国江蘇省無錫市(長江の河口付近)に、『句呉(コウゴ)』を建国した伝説上の人物です。周王朝の祖である『古公亶父』の長男で、周王朝の玉座は三男の『季歴』に譲ったとされます。『太伯』は『句呉』を興すにあたり、その地に住む人々『荊蛮(ケイバン)』に合わせ、髪を切り全身に刺青を彫ったと言われていて、その習俗の類似性から『荊蛮』も広義の意味で、『百越』に含まれるのではないかと考えられています。なお、『句呉』は単に『呉』と呼ばれることが多いですが、『太伯』の建てた『呉』は約 2600年前に隣国の『越』により攻め滅ぼされており、三国時代(約 1800年前からの60年間)に『魏』と覇権を争った、『呉』とは別の国なので注意が必要です。

次に “『太伯』の後裔” と称したと記録に残るのは誰なのか?ご説明しましょう。邪馬台国の女王・卑弥呼が『魏』に朝貢したのが、今から約 1800年前(西暦 239年)のことで、かの有名な『親魏倭王』の金印と銅鏡100枚を下賜されました。この時に使節団を率いたのは『断髪文身』姿の倭人、『難升米(ナシメ)』と『都市牛利(トシゴリ)』です。中国サイドに『荊蛮』との容姿の類似を指摘され、同調しただけとの説も有力ですが、使節団の誰かが自らの出自として “『太伯』の後裔” と語ったとされています。どちらにしても『魏』の官人たちは、倭人と『荊蛮』は同一であると理解したということです。

『太伯』か『太白(金星)=大将軍』か?ここでポイントとなるのが、三度 登場、『論衡』に見られる倭人の『鬯草(ウコン)』献上の記事です。『句呉』は周王室と同じ血筋の言わば “兄弟国家”、時の周王である『成王』は『季歴』の曽孫に当たります。仮に世代交代が進んで関係性が薄くなったとしても、流石に同族からの使者を、白雉を貢いだ『越裳(百越の一部族)』と同列に扱い、 “倭人” という蔑称で呼ぶことは無かったのではないでしょうか?そもそも江蘇省でウコンは育ちません。つまり『句呉』に住む『荊蛮』は、『百越』の一支族だったとしても倭人ではなく、邪馬台国の使節が意図したのも 、『句呉』建国の祖『太伯』ではないと推測することが出来るのです。

 


社長の古代史考察2026 ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。約 7300年前の『喜界カルデラの大噴火』により壊滅的ダメージを受けた西日本に、人類の活動再開を示す遺跡の一つが岡山県の『朝寝鼻(アサネバナ)貝塚』で、2005年の調査ではイネの『プラント・オパール(植物珪酸体)』が大量に検出されたことから、日本の稲作開始の歴史を約 6000年前まで遡らせる可能性を示すとして、一躍 脚光を浴びる存在となりました。約 7000~5000年前の『縄文海進』の温暖期と重なる、この時代の地層からの『プラント・オパール』の発見は、空白地帯に移り住んだのは東日本の縄文人ではなく、『熱帯ジャポニカ米』の栽培された中国南岸から黒潮に乗ってやって来た、『倭人(国津神)=日琉語族集団』であると考える当ブログの主張を強力に後押しします。

しばしば指摘を受けるのが、我々 日本人が食する『温帯ジャポニカ米』は、長江流域発祥ではないか?という点です。これに関しては意外とシンプルに反論することが可能で、『4.2kaイベント』により長江文明が消滅していることからも、長江流域で水稲耕作に従事していた人々が耕作適地を求め南に移住、その際に『温帯ジャポニカ米』の種籾が珠江流域に持ち込まれたのだろうと考えています(このタイミングで、山東半島方面に北上したと考えるのは不自然)。寒冷化は 100年~300年後には終息。温暖で安定した気候に戻った 4000年前頃の日本で、本格的な『温帯ジャポニカ米』の栽培が始まったこと、多くの弥生遺跡から『熱帯ジャポニカ米』の炭化米も見つかることは、このような経緯で米作が日本列島に もたらされたと考えれば、何の矛盾もなく辻褄が合う訳ですね。

そもそも、江戸時代の初期まで日本の一般庶民が食べていたのは、いま私たちが口にするような “白米” ではなく “雑穀米”。そこにはアワやヒエの他にも、『赤米』や『黒米』等の古代米が含まれていました。また、2012年に行われたイネのゲノム解析の究結果からも、中国と日本の『温帯ジャポニカ米』が持つ『qSH1』遺伝子の変異は、『熱帯ジャポニカ米』に由来していることが分かっていて、『4.2kaイベント』により大陸南部で誕生した『熱帯ジャポニカ米』と『温帯ジャポニカ米』の交雑種が、日本に於いて長年に亘って栽培されて来た証拠であると考えられます(朝鮮半島の『温帯ジャポニカ米』は、『qSH1』遺伝子の変異を持たない)。『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』の “混血民族” である、『倭人(国津神)』が生まれたプロセスとよく似ていて、非常に興味深いですね。

米作が南から伝わったとなると、言葉の起源だけが北に在ると考えるのは非常に無理が有ります。この地域に『日琉語族』に似た特性を持つ言語がないか探してみると、やはり存在しました!それは『チベット・ビルマ語派』と呼ばれ、チベットからヒマラヤ・北東インド・中国南西部・ミャンマー・タイに分布ます。基本語彙に類似点が多いことから、SVOの孤立語(≠膠着語)で文法的に体系だった敬語を持たない、中国語と同じ『シナ・チベット語族』に分類されますが、その実はSOVの膠着語で謙譲表現を含む敬語を持っていて、日本語と似ている部分も非常に多いのです。

 


社長の古代史考察2026 ①

明けましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。昨年『鏡餅=儺負人(イエス・キリスト)』にまつわる考察をしたこともあって、今年は少し違った心持ちでお雑煮を食べました(笑)。令和の米騒動の煽りを受けて餅米が不足、お餅の価格も高騰していますが、このお正月、皆さんは何個のお餅を食べましたか?さて、正月に無病長寿を願って飲むのが『お屠蘇』です。山椒・桔梗・桂皮など 5~10種類の生薬を、日本酒やみりんに漬け込んだ薬草酒ですが、約 3000年前に『倭人』が周王朝に献上したとされる、『鬯草(ウコンと考えられる)』は含まれていないようですね。ウコンは熱帯・亜熱帯系に育つショウガ科の多年草。本来は外来種でしたが、現在は沖縄や奄美大島にも自生していて、台湾は主要な産地の一つに数えられるそうです。祭祀に用いられる神聖なお酒を造る為の原材料として、古代中国では重宝されました。

その中国で昔から重要な医薬品の一つと考えられ、日本でも滋養強壮に効果があると知られているのが、マムシなどの蛇をお酒に漬け込んだ『蛇酒』。ここで又しても蛇が登場する訳ですね(笑)。特に沖縄・奄美地方の『ハブ酒』の場合、漢方の他にも “地元特産” のウコンが配合され、ベースに使われる お酒は泡盛であることが一般的です。泡盛は『日琉語族集団=倭人』にとって、洗骨の儀式にも使われた神聖なお酒です。『蛇酒』の文化は中国・日本をはじめ、ベトナムや東南アジア全土に広く見られ、蛇の持つ特別なエネルギーを身体に取り込むという宗教的な側面は、『百越(倭人を含む)』の龍蛇信仰と無関係だとは考えられません。

面白いことに、お酒に弱い原因とされる所謂 “下戸遺伝子” の保有率は、44%と日本人が最も高く(つまり一番お酒に弱い)、その起源は『鬯草(ウコン)』の原産地と同じ中国南部とされます。アルコールの代謝物であるアセトアルデヒドは毒性が強く、その分解酵素の働きが弱いことがマラリアなどの、蚊が媒介する感染症への防御反応としては有利に働くことから、水稲耕作の盛んな東アジアに広まった(自然選択された)とも考えられています。

古代エジプト文明に遡るとされる、永遠の象徴『ウロボロスの蛇』、古代ギリシャ神話の『アスクレピオスの杖』や『カドゥケウスの杖』、そして旧約聖書に現れる『青銅の蛇』と『炎の蛇』等、西方から中国南部に伝わった蛇にまつわる物語は、神や皇帝への供物『蛇酒(お酒に漬け込まれた蛇)』へと姿を変えた後、薬用酒として現代日本まで受け継がれて来たに違いありません。『蛇酒』も『鏡餅』と同様に、自らを生贄として捧げた “仔羊” だったんですねぇ。龍蛇神としての性格も併せ持つ、『須佐之男命=イエス・キリスト』の辿った軌跡と考えて間違いないでしょう。

2026年は投稿の頻度を少し減らす予定です。ご理解の程、宜しくお願い致します。

※一部、文言の加筆を行いました。

 

 


まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉔

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。DNAの解析結果を見ても、『古モンゴロイド』が『新モンゴロイド』に押し出されるように、周辺地域に拡散したのは ほぼ明らかです。タイの森林地帯に住む『マニ族』については以前お話しした通り。縄文系の典型例とされる『ハプログループD (Y染色体)』は、日本や南西諸島・中国南部(珠江流域)・アンダマン諸島(インド洋)・チベット高原に高頻度で見られ、中国・朝鮮半島・東南アジアでは少数派です。免疫系のHLAタイプで比較した研究では、日本人・ウルチ族(ロシア極東のアムール川下流域に住む)・韓国人・台湾先住民・オーストロネシア系フィリピン人が、遺伝的に縄文人に近いと示されています。

沖縄県石垣島の『白保竿根田原(シラホサオネタバル)洞穴』で、2007年~2009年に発掘された約2万7000年前の古代人は、ミトコンドリアDNAの解析により母方が、南中国や東南アジア起源であることが分かっています。何かと議論になりがちな朝鮮半島については、釜山広域市の『獐項(チャンハン)遺跡』で見つかった、約6300年前の人骨から『ハプログループD (Y染色体)』が検出されており、同じく釜山の『東三洞(トンサンドム)遺跡』の 5000年~4000年前以降の地層から、多くの『貝輪』が出土していることにより、『日琉語族』を使用する民族は半島南部に於いても、活発な経済・文化交流を展開していたと推測することが出来そうです(但し、沖縄産の貝が出土したとの報告はない)。

日本列島で水稲耕作が始まった歴史は、約 3000年前まで遡るというのが最新の研究結果(陸稲栽培は更に 1000年以上 遡る)なのですが、その時代の日本の地層からは、DNAレベルで所謂 “(朝鮮半島からの)渡来系弥生人” の特徴を示す、人骨が見つかっていない というのが現実です(分子人類学の第一人者であり、国立科学博物館長の篠田謙一氏も、これからの課題であると指摘している)。一方、南西諸島での農耕開始は 1000年~900年前に始まったグスク時代からとされ、約 3000年前に水稲耕作を行った痕跡は見つかっていませんが(『天水田』を思わせる遺構が、発見されたとの報告事例は有るものの、定説とはされていない)、そもそも交易の “中継地点” で、大規模な農業を営む必要が有ったかどうかは疑問です(『年神様』が毎年 食糧を持ってやって来たのでは?)。

そろそろ纏めましょう。古代、中国南部からベトナム北部にかけた、広大な沿岸地域に居住していた非漢民族を総称して、『百越(ヒャクエツ)』と言います。​『魏志倭人伝』に見られる『断髪文身』の習俗や、高い航海技術・鉄器を使用した水稲耕作・龍蛇信仰など、『百越』には『倭人』との共通点が非常に多く、『倭人』も『百越』の一支族だった若しくは、両者の間に活発な交流が有ったとの解釈は、今や有力な学説の一つと成りつつあります。『貝輪交易』を始めとした経済活動を通じ、台湾・南西諸島を経由して縄文後期~弥生時代に日本に渡来・定住したのが、『古モンゴロイド』系の “混血民族” である『倭人(国津神)』。孤立言語と考えられてきた『日琉語族』の起源も、彼らに在るというのが現段階での当ブログの結論となります。

2025年1月、日本最古級の文字記録が、実に意外なところから発見されました。大和でも北九州でも出雲でもなく、高知県南国市の『若宮ノ東遺跡』から出土した 1800年~1700年前の土器片に、「何不」と思われる漢字 2文字が刻まれていることが明らかになったのです。黒潮に乗ってやって来た『国津神』と『天津神』の間で、奪い合いとなった『葦原中津国』とは、四国のことであると考える当ブログにとって、これは世紀の大発見と言えます。2026年は、どんな新事実が明らかになることでしょう?今から楽しみですね。今年もご愛読 頂き有難う御座いました。それでは皆さん、良い年をお迎え下さい。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉓

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『倭人(国津神)』とは何者なのか ?『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』の混血は日本列島で始まった訳ではなく、それは大陸で少しずつ進行し、そこで生まれた “混血民族=倭人” が南方から黒潮に乗って、日本列島の太平洋沿岸に渡って来たというのが、当ブログのスタンスです。文献学的アプローチで見ると、中国史書に於ける『倭人』の初見は周王朝への朝貢に遡り、献納した『鬯草(香草の一種)』の自生地からは、約 3100年前~3000年前の彼らの居住地域が、西日本から珠江水系(現在の広西チワン族自治区)までの、広範囲に及んでいたと推測することが可能です。また『魏志倭人伝』や『後漢書』には、倭国の地理的位置として「会稽東冶の東」という記載が有り、九州から台湾に連なる島嶼群の何処かを指し示していると考えられます。

比較言語学的なアプローチでは、日本語と琉球諸語には類似点が認められ、『日琉語族』という一つの言語グループに分類することが可能です。SOVの語順の膠着語で、謙譲表現を含む高度に発達した敬語体系を持つのが特徴、その言語共同体が当ブログの定義する『倭人(国津神)』と最も近い概念です。台湾東北部には『宜蘭クレオール』という、日本語に近い言葉を話す少数民族が現存していて、日本統治時代の “負の遺産” とするのが一般的な理解ですが、この一帯では約 4000年前から本格的な『貝輪交易』が営まれていたことから、地理的に近い台湾の先住民が古来、交易に有利な言語を使用していたしても、私としては何の不思議もないと思っています(台湾が『小琉球』と呼ばれた時代もある)。因みに、対岸の広東省(広西チワン族自治区の東側)で使われる『広東語』と日本語にも、発音と語彙の点で偶然では片付けられない共通点が有るのだそうです。

一方、縄文時代に東日本で繁栄を極めた、純血の『古モンゴロイド』は『蝦夷(毛人)』と呼ばれ、約 1300年前~800年前(飛鳥・奈良・平安時代)には、朝廷は通訳なしに交渉を行うことが出来なかったとされます。①『鬼界カルデラの大噴火』以降の数千年に及ぶ断絶の間に、両者の言語に大きな差異が生じたのか、②初めから『倭人(国津神)』とは異なる言語を話す、別系統の『古モンゴロイド』だったのか、その他にも幾つかの可能性が考えられると思いますが、センシティブな問題を抱えながら真相は闇の中です。大陸での『新モンゴロイド』等との融合の過程で、『倭人(国津神)』自身の言葉の方が大きく変化したのかも知れません(『タミル語』の影響を指摘する意見まである)。

そして約 2500年〜2200年前、西遼河流域から朝鮮半島を経由して主に日本海沿岸に、青銅器等の最先端技術をもたらした『新モンゴロイド』が、所謂 “渡来系弥生人” に当たるのではないかと考えます。約 9000年前に生まれたと言われる『原始トランスユーラシア語』を話し、『八千戈神(ヤチホコノカミ)』を祖神とする彼らは、天津神の軍事支援を得た大国主命の侵攻により出雲を追われた後、『越国=出雲第二王朝』を建国した出雲の先住民で、当ブログでは『先・出雲族』と呼んで、出雲系の国津神と区別しています。真の使用目的が未だ謎に包まれている『銅鐸』、そして『四隅突出型墳丘墓』や『土笛』など、出雲特有の遺構・遺物は彼らによって持ち込まれたもので、恐らく『倭人(国津神)』とは言葉が通じなかったのではないでしょうか?

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉒

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『縄文人』と『弥生人』という呼び方は、発掘された土器の特徴に基づく時代区分に由来し、民族(言語・宗教・生活様式など)の移動を説明するに充分でないと考えますので、ここでは便宜上、『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』という言葉を使用させてもらいます(こちらも相当 古い表現ではありますが)。出アフリカから先にアジアに到達したのが『古モンゴロイド』、その一部が北ルート・半島ルート・南ルートを通って、日本列島まで辿り着いたのが約3万8000年前。寒冷化により海面は低かったようですが、ナウマンゾウ等の野生動物が渡った約30万年前とは異なり、当時の日本は大陸と完全な地続き という訳ではなかった というのが最近の研究結果で、つまり、人類は何らかの方法で海を渡ったということですね。

3万年前頃 シベリアに『新モンゴロイド』が出現すると、彼らは次第にアジアの辺縁部・島嶼部に追い遣られて行きますが、ここで重要なポイントは、大陸に残った『古モンゴロイド』が絶滅してしまった訳ではないということです。南下する新勢力の圧迫を受けながら、対立と融和(混血)の歴史を繰り返し、独自の民族性を発展させ続けたとことでしょう。特に 9000年~7000年前には水稲耕作を始めていたとされる中国南岸の珠江デルタ地帯では、温暖な気候の恩恵により約 4200年前の世界的な寒冷化イベントに伴う食糧危機を乗り切っただけでなく、豊富な海洋資源を求めて航海技術を高めたと考えられます。約 8200年前に西遼河流域に進出した『新モンゴロイド』の中には、『古モンゴロイド』との融和を選択しなかったグループも居たようです。農業は寒冷な気候に合ったアワやヒエ等の雑穀栽培、広大な平原で放牧を営み移動手段は馬です。約 3100年前には青銅器のような西方の先端技術を取り込み、黄河流域とも長江流域とも異なる固有の文明を発展させました。

約 7300年前の『鬼界カルデラの大噴火』により、西日本が壊滅的なダメージを受けたのは、歴史好きの皆さんなら ご存知の通り。日本列島に人類が進出して以降、約2万9000年前の『姶良カルデラ(現在の桜島)の大噴火』に続く 2回目の大災害で、東日本に孤立した『古モンゴロイド』が唯一無二の文化圏を形成した一方で、西日本は再び、殆ど人の住まない空白地帯となりました。人類の活動再開が読み取れるのは 1300年~2300年も後の遺跡からで、『火焔型土器』のような東との連続性を示す発掘はなく、その多くは恐らく この地に新たに入植した人々の生活痕。大陸南岸地域に暮らす『古モンゴロイド』系の “混血民族” と、北東アジアの『新モンゴロイド』が残したものとも思われます。前者は『日本海流=黒潮』を利用し琉球諸島を経由して主に太平洋沿岸に上陸、後者は『対馬海流』や『リマン海流』に翻弄されながらも、日本海沿岸に漂着したのではないでしょうか?

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ㉑

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ヘブライ語の『セラフ(セラフィムの単数形、漢字の誤記により “熾天使” は “機織りの神” となった)』は、旧約聖書『民数記(エジプト~カナンのエピソード)』の文脈では “燃える蛇” という意味で使われており、このシーンでは『熾天使=金鵄』ではなく、『炎の蛇(毒蛇)』と翻訳すべきだったことは、ほぼ間違いありません。『青銅の蛇』と『炎の蛇』のパワーが融合した『カドゥケウスの杖=天叢雲剣』を手に入れた、『太陽神アポローン=須佐之男命(兼、ペルセウス)』の息子『アスクレピオス=大国主命(兼、ヘルメース)』こそが、神武東征の主人公であり日本の正統な支配者であるとする、出雲系国津神グループの主張には一定の説得力を感じます。が、当ブログとしては、これ以上は踏み込みません(苦笑)。

『前方後円墳=聖体容器』の発現時期から逆算しても、秦氏がローマ帝国を追われるより少なくとも 25年~75年前には、原始キリスト教やギリシャ神話を倭国に持ち込んだ、何等かの勢力が必ずや存在しなければなりません。出雲大社の考察を始めて以降、何かと話題の『富雄丸山古墳』から発掘された『鼉龍文盾形銅鏡』と『蛇行剣』が、『メドゥーサ=八岐大蛇』を倒す際に『ペルセウス=須佐之男命』が使用した “鏡の盾(『メドゥーサ』の眼を直接 見るのを避ける為、表面を鏡のように磨いた盾で、後に『メドゥーサ』の頭を飾り付けたことで、相手を石に変える力を持った最強の盾)” と、『へびつかい座(アスクレピオス)=大国主命』が抱える “大蛇”、つまり『アスクレピオスの杖』をモチーフにしているとしか、私には思えなくなってしまいました(笑)。古墳の築造年代は 4世紀後半で完全一致とは行きませんが、それでも これが事実だとしたら大発見なのです!!

733年に完成したとされる『出雲国風土記』に登場する、『国引き神話』の『八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)』も、『黄金の鎖』で自らの力を誇示する全能の神『ゼウス』と よく似ていて、ギリシャ神話の影響を感じさせますが、その一方で須佐之男命の八岐大蛇退治については、『出雲国風土記』の中では何故か一切 触れられていません。出雲大社の『大注連縄』は、2匹の『蛇』であると同時に『天雲』でもあり、『紙垂(シデ)=雷』と『注連の子(垂れ下がる藁の束)=雨』と合せて、『五穀豊穣』を願う “雨乞い” の意味が含まれていると考えられています。『龍蛇神=水神』と『天叢雲剣=大注連縄』の結びつきを示すものとして、非常に興味深いところです。

さて 2025年は、途中 藤原氏の謎に触れながら、須佐之男命と大国主命に関する考察を中心に、『蛇』と『金星』を信仰した『倭人(国津神)』ついて話を進めて参りました。少し議論がかみ合わないと感じた方も、中にはいらっしゃるのではないかと思いますが、それは私の使う『倭人』の定義が一般とは異なり、『倭人=弥生人(日本固有種の縄文人と、朝鮮半島からの渡来人の混血)』というスタンスを取っていないからかも知れません。そこで次回から 3回に分けて この辺りを説明させて頂き、本年のブログを締めくくらせて頂こうと思います。お楽しみに。

※事実誤認が有りましたので、修正します。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑳

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日本の神社に於いて、神様は一般的に東向きか南向きに祀られます。では、『カドゥケウス(ヘルメース)の杖』の力を手に入れた、『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』が西向きに鎮座しているのは何故なのでしょう?そこには天孫族と国津神、特に出雲系と言われるグループとの、根深い対立関係が隠されているように思います。順を追って見て行きましょう(但し、出雲大社が現在の本殿の形式となったのは 1744年、延享元年の遷宮の時とされており、それより前については記録が残っていない為、御神座が どちら向きに配置されていたかは分からない)。

天孫族が纏めた日本の正史によれば、『八岐大蛇=メドゥーサの頭』から取り出した『草薙剣(三種の神器の 1つ)=アスクレピオスの杖』は、『須佐之男命=ペルセウス/アポローン』から『天照大御神=アテーナー(アポローンの姉)』に献上されました(古代日本に於いて、漢字の “杖” と “剣” は同義)。後に饒速日軍との戦いに苦しむ『神武天皇=モーセ』の、弓先に舞い降りた『金鵄=熾天使セラフィム』は、敵対する者を恭順に導く『(竿の上に掲げられた)青銅の蛇=アスクレピオスの杖』のように感じられます(漢字の “竿” の語源は『竹』で “弓” の素材)。ギリシャ神話に従うならば、『草薙剣=アスクレピオスの杖』は本来『須佐之男命=アポローン』の正当な後継者、出雲の『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』の手に渡らなければならない筈です。

そこで所謂、出雲系の国津神は日本の歴史をこう解釈します。「そもそも『八岐大蛇=メドゥーサの頭』には 8つの頭と尾が有り、『天照大御神=アテーナー』に渡った『草薙剣』は偽物、若しくは役不足。残る 7匹のうち、『青銅の蛇』と『炎の蛇』から取り出された 2本が、『大注連縄』のように交わり合って初めて真の呪力を発揮する。それが『天叢雲剣≠草薙剣』であり、神の与えたレガリアは大己貴命の国造りに託されたのだ。そして、東征に於ける絶体絶命の大ピンチに現れた、古事記では触れられない謎の飛翔体により、『天叢雲剣=カドゥケウスの杖』は完成を見たのである」と。日本書紀を見る限り、それが翼を持っていたのは間違い有りませんが、『蛇』の姿をしていたとは書いてありません。

出雲大社の本殿に、大国主命が西向きに鎮座しているのは何故なのか?そろそろ、答え合わせをしたいと思います。日本の長い歴史上、(太陽の昇る)東に向いて弓を引いたことを反省し、進路を西向きに変えて大成功を収めた人物と言えば、誰でしょう?それは他ならぬ神武天皇なのです。出雲系の国津神の言い分は要するに、「『国譲り神話』は “でっちあげ” であり、日向を出陣した『神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)』、つまり神武天皇とは『大国主命=アスクレピオス』のことである。『須佐之男命=アポローン』の生まれ変わりである饒速日命は、『金鵄=炎の蛇』の飛来により息子との再会に気付き、平和裏に大和の地を明け渡したのだ」ということ。古代ギリシャ神話の世界では、太陽神は『天照大御神=アテーナー』でなく、弟の『須佐之男命=アポローン』なのです。

 

まだまだ続くよ、社長の謎解きシリーズ⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。時を同じくして紀元前15世紀のギリシャ、口承で語り継がれた神話の原型は、この頃には既に成立していたと考えられています。古代ギリシャ神話に登場する『蛇』と言えば『メドゥーサ』、髪の毛の替わりに無数の『蛇』が生えた怪物です。『ペルセウス』に首を刎ねられた際に、流れ出た血液には特別な力が有り、右側の血管から流れた血には『蘇生の力』が、左側の血管から流れた血には『死の力(毒)』が有ったとされます。このうち『蘇生の力』の宿る血を与えられ、後に “医術の神” とされたのが『アポローン』の息子の『アスクレピオス』。彼の持つ『アスクレピオスの杖』は、WHO(世界保健機関)など多くの医療機関の、シンボルマークとして使用されています。杖に 1匹の『蛇』が巻き付いたデザインは、モーセの『青銅の蛇』と よく似ていて、これは偶然ではないと思います。

もう一つ、しばしば『アスクレピオスの杖』と混同されるのが、伝令神『ヘルメース』の杖として知られる『カドゥケウスの杖』です。そのデザインは 2匹の『蛇』が巻き付く杖に翼を生やした形状で、モーセの『青銅の蛇』に『炎の蛇(毒蛇)』を足した、或いは『蘇生の力』を持つ『アスクレピオスの杖』に『死の力(毒)』を付け加えた、”魔法の杖” のようにも見えます。『ヘルメース』は本来 “商人・旅人の守護神” なのですが、この羽根の生えた “魔法の杖” を持ち、地上界と天界・冥界を自由に往来、その不可能を可能とする呪力により(超)科学と結びつき、”医学の神” の側面も併せ持つようになりました。一部の医療機関では『カドゥケウスの杖』をシンボルマークとして誤用していて、『世界大百科事典』でも『アスクレピオスの杖』は、『カドゥケウスの杖』の一種として扱われているそうです。モーセが実在の人物か?旧約聖書がいつ頃 書かれたか?は一旦 留保するとして、『(竿に掲げられた)青銅の蛇』と『アスクレピオスの杖』、そして『カドゥケウスの杖』は兎に角よく似ていているのです。

本題の日本神話の世界に話を戻すと、2匹の『蛇』が絡み付いた『カドゥケウスの杖』の特性が、平安時代に突如 現れた異形の神、良薬と毒薬の両面を併せ持つ『牛頭天王=薬師如来』と、ソックリなことには驚かされます。『メドゥーサ』の頭が八岐大蛇ならば、勇者『ペルセウス』は須佐之男命であり、杖を飾る 2匹の『蛇』は出雲大社の『大注連縄』と、何らかの関連が有りそうです。では、最終的に『カドゥケウスの杖』を手にした、 “商人・旅人の守護神” であり “医学の神” でもある『ヘルメース』とは、一体 何者なのでしょうか?それが縁結びを皮切りに、商売繁盛・交通安全・病気平癒などを ご利益とする、『大己貴命(大国主命)=アスクレピオス』。『ヘルメース』の属性も見事に受け継いだ(義理の)息子を持つ、『須佐之男命=牛頭天王』は “元祖” 縁結びの神様の本領を発揮し、ギリシャ神話の世界でも『ペルセウス』と『アポローン』の一人二役という訳です!