社長ブログ

謎解きにハマって困った社長⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。645年の『乙巳の変』で失われたとされる『天皇紀』は、異端としてローマ帝国を追われた秦氏が日本に持ち込んだ、漢文訳の新・旧聖書だったに違いありません。モーセ・ダビデ・マリア・イエスの名は それぞれ、神武・崇神・神功・応神と翻訳されていたことでしょう。宇佐神宮の中央に鎮座する謎の姫神や、『我、蘇る』と名乗った豪族の栄枯盛衰など、世界史のタブーや日本古代史の秘密を解く鍵が、そこに隠されていたと想像すると、もう興奮が止まりませんね(笑)。

さて余談になりますが、ネタに困った記紀の編集者が聖書の次に頼ったのが、インドの説話集、ゴータマ・シッダールタの前世を描く『ジャータカ』と思われます。地獄界・飢餓界・畜生界・修羅界・人間界・天上界、どの世界に生まれ変わるかは前世の行い次第という中で、釈迦が輪廻から解脱する為、前世で如何なる善行を積んで来たかが描かれています。その『ジャータカ』の中に “ウサギの布施” の話が有ります。飢えた老僧への施しを探せなかったウサギが、自らを食糧として差し出し焚火に飛び込む話。手塚治虫先生の『ブッダ』の冒頭にも このシーンが描かれているので、ご存知の方も多いでしょう。

この説話に影響を受けていると思われるのが、仁徳天皇の皇位継承に纏わる兄弟愛、皇太子として父・応神天皇の寵愛を受けた『菟道稚朗子(ウジノワキイラッコ)』が、異母兄の『大鷦鷯尊(オオサギノミコト)=仁徳天皇』に天皇の座を譲るべく、自らの命を犠牲にするという お話です。『菟道稚朗子』の『菟』は『兎(ウサギ)』の旧字体で、仁徳天皇は「神兎が正しい道へ導いた」つまり、お釈迦様により選ばれた『聖帝』となる訳です。『八百万の神々』の国は、これだから面白い!!

 

謎解きにハマって困った社長⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。豊前国一之宮、宇佐神宮の勅使門の3つの参拝所の中心に祀られるのは、主祭神の八幡大神(応神天皇)ではありません。それは『比売大神(ヒメオオカミ)』。公式な見解では『宗像三女神』とされていますが、その正体は謎に包まれています。歴史的神託事件の舞台であることから、時に天照大御神と同一視されることもある、邪馬台国の女王『卑弥呼』を指すとの説も有り、『邪馬台国北九州説』の根拠の一つとされています。

ここで「秦氏が創建に関わる宇佐八幡宮の “真の” 主祭神、つまり神託の声の主は唯一神『ヤハウェ』である」とする立場から、私なりの謎解きを展開させて頂きましょう。宇佐神宮の『比売大神』の正体、それはズバリ、聖書の世界から抹消された謎の聖女『サラ』です。持論によると、八幡神は石棺から奇跡の復活を遂げたイエス・キリストで、ネストリウス派の秦氏(聖母マリア信仰はNG)にとって、神功皇后は石棺(≒鎮懐石)の封印を解いたマグダラのマリア。夫婦である二柱の間に鎮座するのに相応しい “姫神” と言えば、そうです、『ダ・ビンチ・コード』にも描かれるイエス・キリストとマグダラのマリアの愛娘、『サラ』以外には考えられないのです。

ローマ帝国は中国の史書に『大秦』と記されています。『秦』の始皇帝の末裔とも言われる秦氏ですが、彼らがニケーア公会議(325年)やエフィソス公会議(431年)で『大秦』を追われた異端の民だったと考えると、色々と辻褄が合ってきます。所謂『聖杯の一族』の伝承が残される南仏に潜んだ一部を除き、多くはヨーロッパ・小アジアを逃れ、シルクロードを経由して遥か極東の島国に辿り着いた人々が、『聖杯の一族』の秘密を暗号化して宇佐神宮の中に隠し続けて来たという訳ですね。

 

謎解きにハマって困った社長⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。折角 復活したのに、40日で昇天してしまうイエス。困った記紀の編者は、イエス・キリストをモデルとした応神天皇の人生に、別の偉人の業績を付け足します。それは長きに渡り迫害されたキリスト教を公認(313年)した “聖人”、ローマ皇帝の『コンスタンティヌス 1世』。ゲルマン人を傭兵として雇うなど軍事力を強化して、複数の皇帝が分割統治していたローマ帝国を再統一(324年)、ローマからコンスタンティノープルへ遷都(330年)するなど、その偉業から『コンスタンティヌス 1世』は “大帝” と称されます。『八幡神(応神天皇)』が後の世に軍神とされるのは、「そのモデルが優秀な軍人でもあったから」というのが私の考えです。

では、応神天皇の業績を見てみましょう。筑紫の『産宮(サンノミヤ)』で生まれ神功皇后に連れられ大和に戻る途中、異母兄弟の『香坂王(カゴサカノミコ)と忍熊王(オシクマノミコ)の反乱』に遭遇します。『武振熊(タケフルクマ)』の活躍により反乱は鎮められ、その後、応神天皇は『軽島之明宮(カルシマノアキラノミヤ)』を拠点とし天下を治める訳ですが、『弓月君(ユズキノキミ)』率いる百済 120県の民を受け入れて、国力を強化したのは有名な話です。

皇位継承争いでの勝利は、ローマ帝国の再統一に似ています。後に飛騨の『両面宿儺(リョウメンスクナ)』も倒す、将軍『武振熊』はゲルマン人を意識した配役で、『産宮』から『軽島之明宮』への引っ越しは、ローマ帝国の首都移転をモデルにしていると思われます。数字を “10倍に盛る” のは古文書には よくある手口、百済 120県の渡来人は 12使徒(イエスの弟子)の “教え” のことで、キリスト教の公認によりローマ帝国は更なる発展を遂げたとの意味ではないでしょうか?『弓月君』は若しかしたら、イエスの血脈を示唆するものかも知れません。

 

謎解きにハマって困った社長⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『春秋左氏伝』という中国の歴史書によると、神武天皇の『武』という文字の起源は、「戈(ほこ)を止めること」つまり「争いを止めること」、この用法が旧来より信じられてきた通説だそうです。私たちのイメージとは正反対ですが、古代日本も それに倣っていると考えた方が自然で、確かに奈良時代の文武天皇(701年の大宝律令制定)や、聖武天皇(743年の大仏建立)は どちらかと言うと戦争とは無縁で、それぞれ『法令』と『宗教』の力で国を治めたと考えた方が しっくり来ます。

言い換えるならば、『鎮護』という熟語が最も相応しいでしょう。神武天皇は『神』の力、天武天皇も『天』の力により、災いや戦乱を鎮め国の平安を護りましたから、異存ないのではないでしょうか?面白いのは怨霊に悩まされ続けた桓武天皇で、『桓』の字には「うろうろと徘徊すること。進まないでためらうこと。ぐずぐずすること。」という “裏” の意味が有って、国家安寧を図るためとは言え、長岡京・平安京と短期間に遷都を繰り返し、最後は神も仏も受け入れて『京都祇園祭』の原型を創った、彼の性格や統治スタイルを反映した諡号なのでしょう。

さて、新・旧聖書からストーリーを拝借してきた記紀の編者も、『イエス復活』によりクライマックスを迎えた段階で、大きな問題が横たわっていることに気付きます。「ヤバイ。生涯独身のイエスに昇天されたら、『万世一系』の物語が終わってしまう!!」これが『八幡神(応神天皇)』が軍神になった理由です。次回に詳しく説明しますので、お楽しみに。

 

謎解きにハマって困った社長④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。モーセ不在の間にイスラエルの民が制作した『金の子牛』像と、『長髄彦(ナガスネヒコ)』との合戦中に神武天皇のもとに現れた『金鵄(キンシ):金色のトビ』には、黄金に輝く動物という以外に共通項が無いようにも見えますが、同族の中に隠れていた異分子を炙り出し、排除するシーンに現れるという点で同じです。

ここにも、原作から着想を得ながら過ちを教訓として活かし、内容を書き換える記紀編集者の知恵が見て取れます。旧約聖書の世界では、偶像崇拝に加担したイスラエルの民 3,000人が、天罰として仲間の手によって粛清されているのに対し、同じ天孫族同士の争いであることに気付いた『饒速日命(ニギハヤヒノミコト)』は、『長髄彦』一人に責任を取らせる形で東征軍と和睦、民の犠牲を最小限に抑えることに成功しているのです。

さて、ここまで『神武東征=モーセの出エジプト』との、持論を展開させて頂きました。日向がエジプト、瀬戸内海は『葦の海(紅海)』、熊野は『シナイ山』に比定します。『八咫烏』は『アロン』で『布都御魂』は『モーセの杖』に相当し、『金鵄』は『金の子牛』像をモデルとしています。どうですか?まだ納得のいかない方も いらっしゃるかも知れませんので、最後に取って置きのネタを披露しましょう。

『神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコスメラミコト)』や『始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)』など、様々な異称を持つ神武天皇ですが、その一つが『彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)』。なんと、燃え尽きない柴の “炎に出でた神を見た” モーセと、ピタリ一致する名前を持っているのです!!流石に ここまで来ると、記紀に於ける神武天皇のエピソードの数々が、モーセの逸話を参考にしていることに疑いの余地は有りません。

 

謎解きにハマって困った社長③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『八咫烏(ヤタガラス)』は東征の途中、熊野で道に迷った神武天皇一行に、突如、高天原から道案内として遣わされた三本足のカラスです。カラスなのに喋ります(笑)。大和に入って最初の敵『兄磯城・弟磯城(エシキ・オトシキ)』との戦いを前に、神武天皇の使者として派遣されるなど、記紀の中で『八咫烏』は交渉術に長けた、頼れる存在として描かれています。では、口下手なモーセの前に唐突に現れた、『八咫烏』のような弁の立つ心強いパートナーとは、一体 誰のことなのでしょうか?

それはモーセの兄・『アロン』です。羊飼いのモーセは、燃えても燃えても燃え尽きない不思議な柴(小枝)の炎の中に現れた神により、80歳にして初めて雄弁な兄の存在を知らされます。その後のエジプト脱出 長旅の行程で、交渉役として終始モーセを支えたのが『アロン』です。では、『八咫烏』の三本目の足は、一体 何を表しているのでしょう?

それこそが『アロンの杖』、ユダヤ三種の神器の一つです。モーセが神から授かり、有名な『海割り』のシーンで使われた『モーセの杖』と、同一とも別物とも言われる “魔法の杖” ですが、ハリー・ポッターが使うような短いものではありません。歩行補助具として使用される長い杖は、正に三本目の足ですね。

なお、稲荷山古墳の鉄剣に刻まれた『杖刀人』という文字からも分かる通り、古代日本に於いて杖は刀剣も意味します。神武天皇の剣と言えば、熊野の地で『高倉下(タカクラジ)』が献上した『布都御魂(フツノミタマ)』。つまり『モーセの杖』は神武天皇の霊剣、『アロンの杖』はカラスの足と、記紀の世界では差別化した形で描き分けられているという訳です(笑)。

 

謎解きにハマって困った社長②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。出エジプトで最も有名なシーンと言えば、やはりモーセの『海割り』でしょう。『葦の海』に追い詰められたモーセが杖を高く掲げると海が割れ、イスラエルの民の前には道が開かれます。その後を追うエジプト軍の頭上には波が砕け、敵の騎兵や戦車は海に飲み込まれてしまうのです。

出エジプトのルートは定かではありませんが、定説通りならば、エジプト東部から紅海を越えシナイ半島へ渡ったモーセ一行は、何故か目的地の方向に真っ直ぐ向かわず海沿いを南下、ぐるっと遠回りをして、半島南部の『シナイ山』で神と出会って『十戒』を授かります。ここで西日本の地図を並べて比べてみて下さい。勘の良い方は既にお気付きかも知れませんが、日向を出港して瀬戸内海を東に向かい、大阪での敗戦後 進路を南に変え、紀伊半島を迂回して上陸した熊野の地で、『荒ぶる神』と出会い霊剣を手に入れた神武東征の経路は、このモーセの出エジプトと そっくりです。

ストーリー展開を拝借しながら、オリジナル作品を軽く “ディスる” 記紀の作風は、この場面でも健在。まず、海洋民族を自負する日本人に『海割り』は必要ないので、神武天皇は『おきよ丸』を建造して船出します。また、『マナの壺』を授かったモーセ一行の食糧は神頼み、荒野を40年間も彷徨い続けた挙句、結局 モーセ自身は約束の地『カナン』に辿り着けなかったのに対し、神武天皇は高千穂の出陣から橿原宮での即位まで、筑紫に 1年と安芸・吉備に それぞれ 7年と 8年滞在し、兄・『五瀬命(イツセノミコト)』と共に農業指導を行って、国を豊かにしたとされています。

 

謎解きにハマって困った社長①

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日本の古代史の謎解きにハマってしまって困っています(苦笑)。昨年12月のブログの中で、「仮に崇神天皇がダビデ王をモデルとするならば、神武東征はモーセの出エジプトに当たるでしょう。」と申し上げました。崇神・垂仁朝とダビデ・ソロモン朝の類似性をヒントに、神武・崇神・神功・応神と “神” の字が『諡号』に入る天皇(皇后を含む)は、新・旧聖書に登場する主要なキャラクターと何らかの関係が有りそうだ ということで、それぞれをモーセ・ダビデ・マリア・イエスと当て嵌めてみた訳です。

例えば、『崇(あがめる)』は『祟(たたる)』の裏返しなので、崇神天皇(神に祟られた天皇)は、同じく疫病蔓延に苦しめられたダビデ王。『応(おうじる)』には『相応しい』という意味も有り、応神天皇(神に相応しい天皇)で、三位一体説に基づきイエス・キリスト。となると、神功皇后の『功績』も『三韓征伐』を示すのでなく、聖母マリアの『処女受胎』は “神のお手柄” と解釈できます。その一方で、残る神武天皇の仮説に限っては、私の中にも少し違和感が残っていたんです。

その後の調査のおかげで色々と見えて来ましたので、今回は そんなお話をさせて頂こうと思います。なお、保守派の皆さまに お断り申し上げておくと、この考察は記紀に描かれたエピソードの幾つかが、聖書からアイディアを拝借している可能性が有ることを示唆するものです。建国記念の日を前に、神武天皇の存在自体を否定するものでは有りませんので、予め ご了承ください。日本の古代史に ご興味のある多くの方々に、エンタメ感覚で お付き合い頂けると幸いです。

※一部、不適切と思われる表現を削除しました。

 

岩井社長の秘密の特訓④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今年の大河ドラマ主役、吉高由里子さんは左利き。猛特訓の末に右手での毛筆をマスターしたそうです。では私が密かに進めて来た特訓 最後の一つはというと、一部の車好きの間ではホットな論争となっている、『左足ブレーキ』の活用です。

オートマ車の普及が早かったアメリカでは、3割くらいの方が採用しているとも言われる『左足ブレーキ』、教習所で『右足ブレーキ』を推奨する日本でも、禁止されている訳では有りません。カートの世界ではブレーキは左足、ラリー・ドライバーはマニュアル車でも『左足ブレーキ』を多用する等、競技の世界では当たり前の技術です。

何故、今になって『左足ブレーキ』の練習なのかと言うと、自動車の電動化に伴い『回生エネルギー』をバッテリーに回収する技術が、ドライバーに求められるようになったと感じるからです。一見『左足ブレーキ』と全く関係ないように感じられるかも知れませんが、EVの『ワンペダルモード』を一度 経験すれば、右足をアクセル操作に専念させなければならない理由が分かる筈です。

時々ブレーキを引き摺って走ってしまい、消えないストップランプに後続車が困惑している可能性は否定しませんが、私の場合は練習開始から 2ヶ月程度で『左足ブレーキ』に慣れました。

 

岩井社長の秘密の特訓③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。世の中の流れに乗り遅れ気味だった、私が始めた秘密特訓とは何なのか?二つ目は『e-TAX』による所得税の電子申告です。申告期間は毎年 2月16日~ 3月15日。税務署に行ったり来たりは煩わしいと分かっていながら手を付けませんでしたが、昨年、家族揃って『マイナンバーカード』を作ったのを機に、一歩踏み出してみました(還付申告は 2/15以前もOK)。

これは “縦割り行政” の弊害と言って良いかも知れません。民間のアプリが感覚的にサクサク進めるよう作られているのと対照的に、後から継ぎ足したデジタル庁の『マイナポータル』と国税庁の『e-TAX』の関係性は複雑で分かり辛く、『ご利用ガイド』をしっかりと読まずにスタートした私が悪いのかも知れませんが、パソコンに表示されたQRコードを前に、危うくスマホの小さな画面での申告入力を強いられるところでした(苦笑)。途中で誤りに気付いたから良かったものの、申告を手早く済ませようと国税庁のWebサイトを訪れた納税税者の、”やる気” を削ぐには充分です。

更に、マイナンバー確認の為PC作業を一時中断した際に、ファイルの拡張子を[.data]から印刷用の[.pdf]に変更して保存した結果、再開の時に情報を読み込めず、同じ入力作業を 3回やり直して人生初めての電子申告が完了。給与計算係として年末調整事務を14年間、役員になってから16回目の確定申告。経験充分な私でも 2時間以上を費やし、最後は精も魂も尽きてヘトヘトになりました。

年に一回の作業の業務フローを全て記憶に留めて置くのは困難。来年も同じ苦労をするのは嫌なので、今回の教訓をブログに書き残します。①スマホは『e-TAX』のQRコードの読み取り用、『マイナポータル』にログインするのではなく『読取り』をタップすること。②(スマホの機種を変えていなければ、)数字 4桁のパスワードを入力後、『マイナンバーカード』は裏面の磁気テープが向かって左側、縦に見えるようにセット。③扶養家族のマイナンバーは事前確認、紙に書き出しておくと、作業を一時中断せずに済む。