『パール』の謎④
こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。クリスマスも終わると、いよいよ年の瀬も押し詰まって参ります。今の住まいの近くにはお寺が在って、大晦日には除夜の鐘が鳴り響き、厳かなムードで新年を迎えます。岩井家は会社を経営している家の割りに、伝統的な風習に縛られるのが好きではなかったようで、門松やしめ縄を飾って新年を迎えるといった習慣は、有りませんでした。毎年、親類一同集まって楽しんだ食事会は、良い想い出です。
創業者 岩井正光、その実家も埼玉県の大宮で商売を営んでいたのですが、5人兄弟の末っ子として生まれたせいか、独立心旺盛。飛び出すかのように丁稚奉公に出た先が、真珠の産地、三重県英虞湾から少し離れた、尾鷲市の鉄工所でした。そこで船のエンジンの修理の仕事に携わったのを切っ掛けに、実家の商売とは全く関係ない、旋盤職人の道を歩み始めます。その後の反骨精神は、この辺りから来ているのかも知れませんね。手に職を付けると強いもので、祖父は戦争に2回召集されましたが、2回とも生きて帰ってきました。曰く、『お前は生きて帰ってこい』と。戦争で使う道具を巧みに修理する職人に、戦場で死なれたらお国の損失という訳です。
終戦間もなく旋盤一台からスタートし、当時、自動車等の部品加工を手掛けていた岩井正光。少年時代に丁稚奉公先で見た真珠養殖業のように、いつかは自分も成功(せいこう)する、精巧(せいこう)な技術で真珠のように美しく輝くと誓って、1966年の第二創業期に、自社ブランドを立ち上げる際に採用したのが、『パール』というブランド名。1970年には、岩井製作所もパールセーコー(成功・精巧・正光 “せいこう”)と名前を改めます。2008年の合併でパールセーコーという会社名は無くなり、現在はブランド名の『PEARL JOINT』だけが残りました。
『パール』の謎。『パール』には、戦後の復興と自らの飛躍を願う、創業者の熱い思いが込められているのです。
では、皆さん。良いお年を!!
※一部誤りがありましたので、修正致しました。【誤】商売とは全く無関係ない → 【正】商売とは全く関係ない