社長ブログ

社長の古代史考察2026 ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。クリスマス・ツリーの頂点に飾り付ける星を、『ベツレヘムの星』と言います。マタイの福音書に登場する『ベツレヘムの星』は、イエス・キリストの誕生を知らせ『東方の三賢者(三博士)』をベツレヘムに導いた星として知られ、木星と土星の大接近や彗星の出現を指すとも言われますが、当ブログでの これまでの考察から、遊行する『金星』であり『聖霊』を意味することは、ほぼ間違いないでしょう。『金星』が『サタン=堕天使ルシファー』と関連付けられる以前、『金星(明けの明星)=イエス・キリスト』は暗い夜の終わりであり、新しい時代の到来を象徴するものでした。

そうは言っても、自由奔放に飛び回っては信者に憑依して、新たな預言(神の啓示のアップデート)を残す『聖霊=金星』ほど、教義の一本化を図ろうとする当時の正統派教会にとって、手に負えない存在は有りません。今から 1900年近く前(西暦 150年頃)に現れて、終末論的な主張を展開した『モンタノス派』は、イエス・キリストの再臨と新エルサレムの建国が近いことを預言、悪霊の仕業として正統派からの批判を受けながらも、小アジア(現在のトルコ)を中心に多くの人々を熱狂の渦に巻き込んで行きました(『モンタノス派』の終末論の拠り所とされた、『ヨハネの黙示録』は西暦 363年に一旦、27の正典候補リストから外された)。

超自然的な力が全てを支配していた古代に於いて、宗教と医術に明確な境界線は有りません。小アジアに於いて、『モンタノス派』と激しく信者の争奪戦を繰り広げたのが、実は古代ギリシャ神話に起源を持ち、ローマ帝国公認の医療機関としての役割りを果たして来た、『アスクレピオス教』だったのです。西暦 313年の『ミラノ勅令』により信教の自由が保障されると、”無償の癒し” を与えた『モンタノス派』に勝利の軍配が上がります。更に西暦 392年にはキリスト教の国教化が決まると、異教の『アスクレピオス教』は解体、その施設のうち或るものは破壊され、或るものはキリスト教会や修道院に改修・再利用されて行きました。

皮肉なことに『モンタノス派』も又、異端の教えとして弾圧の対象となりました。最後は西暦 722年の集団自決によって、組織としての姿を消したと言われていますが、本当でしょうか?『聖霊=金星(虚空蔵菩薩)』は、室戸岬で修行中の空海の元にも現れました。藤原氏が遷都に深く関わったとされる『平安京』は、新たな『エル・シャローム=平和なるもの』という意味であるとも言われます。何よりもトランス状態で神の言葉を語った、『モンタノウス派』の 2人の女性預言者『プリスカ』と『マクシミラ』は、邪馬台国の卑弥呼や沖縄・奄美地方の民間霊媒師『ユタ』を強く連想させます。『難升米』一行が倭人の起源を語った西暦 239年と時系列的な矛盾もなく、『太白(金星)=大将軍』は『明けの明星=イエス・キリスト』だったに違いないのです。

 

社長の古代史考察2026 ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。歴史的文献・ゲノム解析・風俗習慣・稲作の起源・言語的比較など、倭人が『百越』の一支族である証拠が数多く出そろう中、今回は『魏志倭人伝』の伝える通り、倭人は “『太伯』の後裔” を自称したのかどうか?について検証してみたいと思います。『蛇酒』が『須佐之男命=イエス・キリスト』の辿った軌跡の一部であるならば、倭人が “『太白(金星)=大将軍』の後裔” と名乗った可能性も否定できず、中国側が誤解して『太伯』と記録に残したと考える、当ブログの仮説を裏付ける形となります。また、『悪魔(金星)崇拝=鬼道』から『太陽信仰』への移行を語ったと解釈 出来る、西暦 600年の遣隋使の謎の言葉の意味もスッキリと説明が付く訳です。

先ずは『太伯』とは何者なのか?ご説明しなければなりません。『太伯』は約 3100年前、現在の中国江蘇省無錫市(長江の河口付近)に、『句呉(コウゴ)』を建国した伝説上の人物です。周王朝の祖である『古公亶父』の長男で、周王朝の玉座は三男の『季歴』に譲ったとされます。『太伯』は『句呉』を興すにあたり、その地に住む人々『荊蛮(ケイバン)』に合わせ、髪を切り全身に刺青を彫ったと言われていて、その習俗の類似性から『荊蛮』も広義の意味で、『百越』に含まれるのではないかと考えられています。なお、『句呉』は単に『呉』と呼ばれることが多いですが、『太伯』の建てた『呉』は約 2600年前に隣国の『越』により攻め滅ぼされており、三国時代(約 1800年前からの60年間)に『魏』と覇権を争った、『呉』とは別の国なので注意が必要です。

次に “『太伯』の後裔” と称したと記録に残るのは誰なのか?ご説明しましょう。邪馬台国の女王・卑弥呼が『魏』に朝貢したのが、今から約 1800年前(西暦 239年)のことで、かの有名な『親魏倭王』の金印と銅鏡100枚を下賜されました。この時に使節団を率いたのは『断髪文身』姿の倭人、『難升米(ナシメ)』と『都市牛利(トシゴリ)』です。中国サイドに『荊蛮』との容姿の類似を指摘され、同調しただけとの説も有力ですが、使節団の誰かが自らの出自として “『太伯』の後裔” と語ったとされています。どちらにしても『魏』の官人たちは、倭人と『荊蛮』は同一であると理解したということです。

『太伯』か『太白(金星)=大将軍』か?ここでポイントとなるのが、三度 登場、『論衡』に見られる倭人の『鬯草(ウコン)』献上の記事です。『句呉』は周王室と同じ血筋の言わば “兄弟国家”、時の周王である『成王』は『季歴』の曽孫に当たります。仮に世代交代が進んで関係性が薄くなったとしても、流石に同族からの使者を、白雉を貢いだ『越裳(百越の一部族)』と同列に扱い、 “倭人” という蔑称で呼ぶことは無かったのではないでしょうか?そもそも江蘇省でウコンは育ちません。つまり『句呉』に住む『荊蛮』は、『百越』の一支族だったとしても倭人ではなく、邪馬台国の使節が意図したのも 、『句呉』建国の祖『太伯』ではないと推測することが出来るのです。

 


社長の古代史考察2026 ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。約 7300年前の『喜界カルデラの大噴火』により壊滅的ダメージを受けた西日本に、人類の活動再開を示す遺跡の一つが岡山県の『朝寝鼻(アサネバナ)貝塚』で、2005年の調査ではイネの『プラント・オパール(植物珪酸体)』が大量に検出されたことから、日本の稲作開始の歴史を約 6000年前まで遡らせる可能性を示すとして、一躍 脚光を浴びる存在となりました。約 7000~5000年前の『縄文海進』の温暖期と重なる、この時代の地層からの『プラント・オパール』の発見は、空白地帯に移り住んだのは東日本の縄文人ではなく、『熱帯ジャポニカ米』の栽培された中国南岸から黒潮に乗ってやって来た、『倭人(国津神)=日琉語族集団』であると考える当ブログの主張を強力に後押しします。

しばしば指摘を受けるのが、我々 日本人が食する『温帯ジャポニカ米』は、長江流域発祥ではないか?という点です。これに関しては意外とシンプルに反論することが可能で、『4.2kaイベント』により長江文明が消滅していることからも、長江流域で水稲耕作に従事していた人々が耕作適地を求め南に移住、その際に『温帯ジャポニカ米』の種籾が珠江流域に持ち込まれたのだろうと考えています(このタイミングで、山東半島方面に北上したと考えるのは不自然)。寒冷化は 100年~300年後には終息。温暖で安定した気候に戻った 4000年前頃の日本で、本格的な『温帯ジャポニカ米』の栽培が始まったこと、多くの弥生遺跡から『熱帯ジャポニカ米』の炭化米も見つかることは、このような経緯で米作が日本列島に もたらされたと考えれば、何の矛盾もなく辻褄が合う訳ですね。

そもそも、江戸時代の初期まで日本の一般庶民が食べていたのは、いま私たちが口にするような “白米” ではなく “雑穀米”。そこにはアワやヒエの他にも、『赤米』や『黒米』等の古代米が含まれていました。また、2012年に行われたイネのゲノム解析の究結果からも、中国と日本の『温帯ジャポニカ米』が持つ『qSH1』遺伝子の変異は、『熱帯ジャポニカ米』に由来していることが分かっていて、『4.2kaイベント』により大陸南部で誕生した『熱帯ジャポニカ米』と『温帯ジャポニカ米』の交雑種が、日本に於いて長年に亘って栽培されて来た証拠であると考えられます(朝鮮半島の『温帯ジャポニカ米』は、『qSH1』遺伝子の変異を持たない)。『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』の “混血民族” である、『倭人(国津神)』が生まれたプロセスとよく似ていて、非常に興味深いですね。

米作が南から伝わったとなると、言葉の起源だけが北に在ると考えるのは非常に無理が有ります。この地域に『日琉語族』に似た特性を持つ言語がないか探してみると、やはり存在しました!それは『チベット・ビルマ語派』と呼ばれ、チベットからヒマラヤ・北東インド・中国南西部・ミャンマー・タイに分布ます。基本語彙に類似点が多いことから、SVOの孤立語(≠膠着語)で文法的に体系だった敬語を持たない、中国語と同じ『シナ・チベット語族』に分類されますが、その実はSOVの膠着語で謙譲表現を含む敬語を持っていて、日本語と似ている部分も非常に多いのです。

 


社長の古代史考察2026 ①

明けましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。昨年『鏡餅=儺負人(イエス・キリスト)』にまつわる考察をしたこともあって、今年は少し違った心持ちでお雑煮を食べました(笑)。令和の米騒動の煽りを受けて餅米が不足、お餅の価格も高騰していますが、このお正月、皆さんは何個のお餅を食べましたか?さて、正月に無病長寿を願って飲むのが『お屠蘇』です。山椒・桔梗・桂皮など 5~10種類の生薬を、日本酒やみりんに漬け込んだ薬草酒ですが、約 3000年前に『倭人』が周王朝に献上したとされる、『鬯草(ウコンと考えられる)』は含まれていないようですね。ウコンは熱帯・亜熱帯系に育つショウガ科の多年草。本来は外来種でしたが、現在は沖縄や奄美大島にも自生していて、台湾は主要な産地の一つに数えられるそうです。祭祀に用いられる神聖なお酒を造る為の原材料として、古代中国では重宝されました。

その中国で昔から重要な医薬品の一つと考えられ、日本でも滋養強壮に効果があると知られているのが、マムシなどの蛇をお酒に漬け込んだ『蛇酒』。ここで又しても蛇が登場する訳ですね(笑)。特に沖縄・奄美地方の『ハブ酒』の場合、漢方の他にも “地元特産” のウコンが配合され、ベースに使われる お酒は泡盛であることが一般的です。泡盛は『日琉語族集団=倭人』にとって、洗骨の儀式にも使われた神聖なお酒です。『蛇酒』の文化は中国・日本をはじめ、ベトナムや東南アジア全土に広く見られ、蛇の持つ特別なエネルギーを身体に取り込むという宗教的な側面は、『百越(倭人を含む)』の龍蛇信仰と無関係だとは考えられません。

面白いことに、お酒に弱い原因とされる所謂 “下戸遺伝子” の保有率は、44%と日本人が最も高く(つまり一番お酒に弱い)、その起源は『鬯草(ウコン)』の原産地と同じ中国南部とされます。アルコールの代謝物であるアセトアルデヒドは毒性が強く、その分解酵素の働きが弱いことがマラリアなどの、蚊が媒介する感染症への防御反応としては有利に働くことから、水稲耕作の盛んな東アジアに広まった(自然選択された)とも考えられています。

古代エジプト文明に遡るとされる、永遠の象徴『ウロボロスの蛇』、古代ギリシャ神話の『アスクレピオスの杖』や『カドゥケウスの杖』、そして旧約聖書に現れる『青銅の蛇』と『炎の蛇』等、西方から中国南部に伝わった蛇にまつわる物語は、神や皇帝への供物『蛇酒(お酒に漬け込まれた蛇)』へと姿を変えた後、薬用酒として現代日本まで受け継がれて来たに違いありません。『蛇酒』も『鏡餅』と同様に、自らを生贄として捧げた “仔羊” だったんですねぇ。龍蛇神としての性格も併せ持つ、『須佐之男命=イエス・キリスト』の辿った軌跡と考えて間違いないでしょう。

2026年は投稿の頻度を少し減らす予定です。ご理解の程、宜しくお願い致します。

※一部、文言の加筆を行いました。