社長ブログ

社長の古代史考察2026 ⑳

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。旧約聖書の記述とは異なり、『高天原=楽園』を追われた『須佐之男命=カイン』に対し、『大宜都比売(オオゲツヒメ)=仔羊』という生贄を、神に捧げるチャンスを与えたことからも分かるように、『稗田阿礼=持統天皇』の暗誦した古事記は、『須佐之男命=文武天皇』を救済すべき存在として描いています。持統天皇が『三貴子』と名付けた孫 3人の中で、最も出来の悪かったのが『草壁皇子=モアブ人』唯一の男系男子、文武天皇だったということでしょう(苦笑)。

藤原氏が始祖の不比等を救世主と位置付けたように、古代から近代に至るまで日本の歴史は、「誰を救世主とするか」を巡る争いの連続だったと言えます。救世主として世間一般で最もよく知られているのは、イエス・キリストと馬小屋で生まれたという共通点を持つ、『厩戸王』の『太子信仰』でしょう。伊勢神宮と並ぶ『二所宗廟』の一角、宇佐神宮に祀られる『八幡神=応神天皇』も、救世主として日本の歴史を大きく動かして来た一柱。平安末期の最高権力者である『後白河法皇』は、周囲から『熊野権現=家津御子大神(イエス・キリスト)』の化身と囁かれました。この辺りについては、今回の謎解きとは直接的な関係は無さそうなので多くを触れないことし、ここでは『三貴子』の序列に焦点を絞って話を進めさせて頂きます。

須佐之男命を救世主と考える勢力にも幾つかの系統が在って、持統系・物部系・出雲系・熊野系の 4つ(後に『牛頭天王=須佐之男命』を信仰の対象に加えた、藤原系もカウントするならば、合計で 5つ)に分類できると思います。当ブログの主張する、『饒速日命』は須佐之男命の魂の転生であり、『神武天皇』に先んじて大和を治めた天孫族であるという点は、全てのグループの共通認識。異なる点は、持統系が記紀神話に於いて『饒速日命』の出自を隠したのに対し、物部系は『先代旧事本紀』の中で、『饒速日命』と天照大御神の孫『天火明命』が同一神であることを、明確にしているところでしょう。太陽神として生まれ変わった須佐之男命こそ、『日ノ本国』の正統な支配者であるという訳ですね。 出雲系と熊野系も基本的には、同じ考え方を踏襲していると思います。

結果として “天照神” は しばしば男神とされる訳ですが、物部系・出雲系・熊野系の違いを当ブログ的に言うと、『(天照国照彦天火明櫛玉)饒速日尊=ノア』を祖神とする物部氏・尾張氏・海部氏に、救世主の血統が受け継がれたと考えるのが物部系、初代天皇『神武天皇』とは、『須佐之男命=太陽神・アポローン』の(義理の)息子、『大国主命=龍蛇神・アスクレピオス』のことであり、皇統は国津神の血筋であると考えるのが出雲系、末法の世に入り、須佐之男命の魂は救世主『家津御子大神=阿弥陀如来』として、再臨すると考えていたのが熊野系です。

 

社長の古代史考察2026 ⑲

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。文武天皇即位のタイミングに合せ建立された薬師寺。そこに祀られる薬師三尊像は、太陽神『日光菩薩』と月神『月光菩薩』が、現世に於ける救いの神『薬師如来』を仰ぐ構成で、『文武天皇=須佐之男命(薬師如来)』を中心に据え、『元正天皇=天照大御神』『吉備内親王=月読命』の 2人が脇を固めるという、持統天皇の政権構想を反映しているのは明らかです。記紀に於ける『三貴子』の物語も本来は、文武天皇を “救世主=イエス・キリスト” として神格化する為の、プロパガンダ装置の一部として用意された物だったというのが、当ブログが辿り着いた現時点での結論です。

文武天皇の早世により、持統天皇の努力の全てが水泡に帰すと、古事記(西暦 712年)では語られなかった『蛇』と『金星』の、負の側面が日本書紀(西暦 720年)には書き加えられ、『須佐之男命=太白(大将軍)』は救われることのない “悪魔” として貶められる一方で、聖武天皇が建立した東大寺の毘盧遮那仏(西暦 752年)が、後に太陽神『大日如来』と位置付けられるなど、脇役だった筈の『天照大御神』は鎮護国家の中心、皇祖神へと崇められて行くのです。

記紀の内容が改竄されているとするならば、それには時の権力者である藤原不比等が深く関与しているだろうというのが、最近の古代史マニアに広く浸透した考え方です。なるほど確かに『イエス天使論』の藤原氏が、”救世主=イエス・キリスト” のポジションを手に入れるため、画策したのは間違いないと思いますが、神性を示す上で最も重要な『受胎告知』の場面がカットされるなど、記紀神話の範囲では大幅な譲歩を強いられているのも事実です。

持統天皇の書き上げたシナリオを、あらぬ方向に ねじ曲げたのは一体 何者なのか?宗教的動機からなのか、それとも政治的権力闘争によるものなのか?2026年に予定している投稿も残すところ僅かになりましたが、日本の長い歴史に於いて触れてはならないタブー、謎の核心部分に迫りたいと思いますので、お楽しみに!

 

社長の古代史考察2026 ⑱

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。仮説に仮説を積み重ねていますので、俄かには信じ難いと思いますが、『ロト』の妻の最期に関する伝説との類似性を聞いてもらえば、皆さんの中からも当ブログの考えに賛同してくれる人が、少しは現れてくれるかも知れません。堕落した『ソドム』の住民の中で、唯一 信仰心が厚いことで救われた『ロト』とその家族ですが、『ソドム』から脱出の最中、「決して振り返ってはならない」との神の言葉に背いた妻が、”塩の柱” にされてしまいます。

流石に『鸕野皇女』と『大田皇女』の母親、『遠智娘(オチノイラツメ)』が “塩の柱” にされたなどという話は、日本書紀に記されていませんが、『遠智娘』の父、つまり『持統天皇』の祖父に当たる『蘇我倉山田石川麻呂』は、649年に『天智天皇』から謀反の疑いを掛けられ自害、その首は切断され “塩漬け” にされたと言われているのです!父の “塩漬け” になった首を見せられて、『遠智娘』が “塩の柱” のように固まってしまったとしても、想像に難くありませんよね(苦笑)。

そもそも『乙巳の変(645年)』から『壬申の乱(672年)』まで、日本書紀に記された一連の流れが何処まで史実に基づき、何処からが虚構なのかも分かりません。才能に恵まれ人望が厚かったが故に、濡れ衣を着せられ自ら命を絶った『大津皇子』、そして皇后になっても おかしくなかったにも関わらず、薄命の生涯を閉じた『大田皇女』。この 2人については『草壁皇子=モアブ人』の血統を神聖化する為に、旧約聖書に倣って『持統天皇』が創作した、架空の人物である可能性が高いと感じています。

では、『天武天皇=天智天皇』と『鸕野皇女』を前に、『草壁皇子』を次の天皇候補と決め、6人の皇子たち(『草壁皇子』『大津皇子』『高市皇子』『忍壁皇子』『川島皇子』『志貴皇子』)が争いを起こさないことを誓ったとされる、『吉野の盟約』はどうでしょう?。兄弟喧嘩と言えば兄たちの虐めにより生死を彷徨った『大己貴命』と、その元ネタと考えられ、奴隷として売られた旧約聖書の『ヨセフ』を思い浮かべます。語られることのない『草壁皇子』の死因。対照的に描かれる『大己貴命』と『日本武尊』の物語には、『持統天皇』の『草壁皇子』に対する思いが込められていると考える私としては、異母兄弟(従兄弟を含む)による虐待死の可能性を、ちょっと勘繰ったりする訳です。

 

社長の古代史考察2026 ⑰

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。今回 取り上げさせて頂くのは、『持統天皇』その人です。「いやいや、待って下さいよ、社長。記紀編纂に深く関与したと思われる『持統天皇』まで、架空の人物だったって言うんですか?」いえいえ、そういう訳では有りません(笑)。只、以前から申し上げて来た通り『持統天皇』と言えば、『稗田阿礼(古事記の語り部)』に始まり、『豊玉姫(山幸彦の妻)』『倭姫命(日本武尊の叔母)』『倭姫王(天智天皇の皇后、万葉歌人)』と様々な仮名・変名・別名・偽名を駆使して、物語りの中に自らを忍ばせてきた天才女流作家です。自身のキャリアを、新・旧聖書やローマ帝国の歴史から借用した可能性も、充分に有るだろうと考えます。

中でも『持統天皇』を語る上で欠かせないのが、『海幸山幸』のエピソード。中大兄・大海人兄弟の真実が隠されてると考えていて、要約すると『天智天皇』と『天武天皇』は同一人物であり、『天武天皇』と『持統天皇(鸕野皇女)』は夫婦であり、且つ血の繋がった父娘だったのではないか?と申し上げました。『草壁皇子』が早世したのも、この “不識之交” が原因という訳です。『天武天皇』には『天智天皇』の娘が、他にも 3人嫁いだとされており、『鸕野皇女』の同母姉の『大田皇女』との間にも、『大津皇子』を設けています。つまり『天武天皇』と『大田皇女』の関係も、許されざる近親婚だった可能性が浮上します。

実は このような、2人の娘が実父との近親相姦によって子孫を残すという逸話は、旧約聖書の『創世記』に記されているのです。『ソドムとゴモラ』が炎に焼き尽くされた後、唯一 生き残ったのは『アブラハム』の甥である『ロト』の家族。周囲には他の男性が居ないという環境で、生命の灯火を消さない為に 2人の娘が取った行動は、『ロト』を泥酔させて事に及ぶというものでした。長女の血筋を『モアブ人』次女の血筋を『アンモン人』と呼び、『モアブ人』の血統が『ダビデ』そして『イエス』へ繋がるとされています。

645年に蘇我本宗家を滅ぼした『乙巳の変』、特に蝦夷の屋敷が火に包まれるシーンは、『ソドムとゴモラ』を連想させると申し上げたと思いますが、事件を命からがら生き延びたのが、『天智天皇=ロト』と『大田皇女』『鸕野皇女』の 2人の娘、近親相姦により誕生した 2人の皇子のうち、『イエス』へと繋がる血統が『草壁皇子=モアブ人(但し、長女と次女の関係は逆になる)』であると、読み替えることが出来るのではないでしょうか?

 

社長の古代史考察2026 ⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『日本武尊』については戦果が余りにも広範囲に及ぶため、ヤマト王権の支配が確立する過程で活躍した、複数の将軍の功績を統合した架空の存在との見方が、古代史ファンの間では支配的だと思います。当ブログに於ける『日本武尊』は、持統天皇が亡き息子『草壁皇子』を投影した理想像で、物語には持統天皇本人も叔母の『倭姫命=倭姫王』として登場します。その『日本武尊』にもモデルとなる存在がいたとするならば、古事記の『白猪=伊吹山の神』が日本書紀で『大蛇=サタン』に差し替えられている点は、謎解きの参考になるかも知れません。では、当時のローマ帝国に於いて『日本武尊』に匹敵する、憧れのスーパースターと言えば誰でしょうか?それは疑いなく、マケドニアの『アレクサンドロス大王(紀元前 356年-紀元前 323年)』なのです。

10年余りの東方遠征で、エジプト・ペルシャ・インド西部まで支配下に収めたことで、『カラカラ帝』など多くのローマ皇帝が “生まれ変わり” を自称し、政策だけでなく姿かたちまで、『アレクサンドロス大王』を模倣したと言われています。『コンスタンティヌス大帝』も その一人で、東ローマ帝国の首都を『コンスタンティノープル』と名付けたのは、『アレクサンドロス大王』が自らの名を冠した都市『アレクサンドリア』を、占領地の各拠点に建設したのに肖ったからだとされています。因みに『アレクサンドロス大王』の父親、『フィリッポス 2世』も負けず劣らずの天才的な軍人で、アテネ・テーベの連合軍を撃破してギリシャを統一、弱小国だったマケドニアを大国へと飛躍させた人物です。強者同士の親子関係が険悪だったのは ご想像の通りで、父・『景行天皇』が『日本武尊』を遠ざけたのと よく似ています。

さて、世界帝国を築いた『アレクサンドロス大王』でしたが、東方遠征からの帰路 謎の熱病に襲われ、若くして この世を去ってしまいます。この点に於いても『日本武尊』と極めて類似していて、その最期の地というのが、実は『新バビロニア王国』の古代都市バビロン、つまり『ユダ王国』の 2支族が囚われの身となったとされる、『バビロン捕囚』のバビロンだったのです!『アレクサンドロス大王』が世界帝国の新たな首都に再建を望んだバビロンの神殿は、『悪霊=堕天使』の巣窟『バベルの塔』のモデルであったと言われていて、ここに『大蛇=サタン(堕天使ルシファー)』との関連性も見え隠れします。

記紀を『輪廻転生』の物語と考える当ブログ流に言えば、『コンスタンティヌス大帝=応神天皇(イエス・キリスト)』は、『神功皇后(マグダラのマリア)』が “石棺の扉” を開けたことで この世に生を受けた、『アレクサンドロス大王=日本武尊(イエス・キリスト)』の、”生まれ変わり” であるという関係が成立します。単なる混同か意図的なものかは判りませんが、東方遠征がバビロンという捕囚の地で終焉を迎えた偶然により、『アレクサンドロス大王』のエピソードは、『ソロモン王』以降の空白と歴代ローマ皇帝の物語を繋ぐ “架け橋” として、記紀の中で重要な役割を果たすことになったという訳です。

 

社長の古代史考察2026 ⑮

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『景行天皇』の治世から約 300年以上に亘り、『武内宿禰命』が朝廷に仕えることになったには理由が有って、新約聖書の外典『ニコデモ福音書』に登場する、もう一人の『ロンギノス』との混同が有ったからだと思われます。十字架に吊るされたイエスを槍で突いたローマ兵『ロンギノス』は、返り血を浴びたことにより視力を回復した一方で、イエス再臨まで死ぬことを許されないという宿命を背負わされたというのです(聖兵士『ロンギノス』の不老不死伝説)!確かに『武内宿禰命=ロンギノス』は政界を引退する前に、『応神天皇=イエス・キリスト』の誕生を見届けています。

さて、記紀が新・旧聖書のエピソードを借用しているならば、イスラエルの民にとって最も悲劇的なシーンの一つでもある、『ソロモン王=垂仁天皇』死後の歴史について何も描かれていない筈が有りません。約 3000年前に古代イスラエル王国は南北に分裂、北の『イスラエル王国』は『アッシリア帝国』に滅ぼされ、人々は世界に散り散りバラバラになったとされます。所謂『失われた10支族』ですね。『ダビデ王=崇神天皇』の血統を継ぐ南の『ユダ王国』も、その 136年後に『新バビロニア王国』の侵略を受け滅亡、指導層の多くがバビロンに連行されました。『バビロン捕囚』です。ところが『垂仁天皇』崩御の後、国を二分するような内紛が起きたとの記録も、天孫族が各地に離散したとの記録も、記紀には一切 残されていないのです。では詳しく見てみましょう。

『垂仁天皇』の後継選びは、『五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコノミコト)』と、『大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)=景行天皇』の間で行われ、武器を求めた兄と皇位を求めた弟に争いは生じなかったとされます。兄・『五十瓊敷入彦命』は弟に生涯 忠誠を尽くし、天寿を全うしたというのが記紀に於ける公式見解ですが、岐阜県の伊奈波神社には異なる内容の社伝が残されていて、奥州平定に成功した『五十瓊敷入彦命』は嫉妬深い部下の讒言で朝敵とみなされ、壮絶な最期を遂げたというのです。一旦は『イスラエル王国=五十瓊敷入彦命』と『ユダ王国=景行天皇』が並び立つものの、早い段階で一方が滅ぼされたという点に於いて、『失われた10支族』のストーリーに何となく似ていると感じます。

流石に これだけでは説得力に欠けますね(苦笑)。せめて『景行天皇』以降の天孫族の中に、『バビロン捕囚』のような憂き目に会う人物が存在したならば、当ブログの言い分に耳を傾けてくれる読者の方も、少しは現れてくれることでしょうが、これが実際に存在するのですから驚きなのです!それは『熊襲建(クマソタケル)』『出雲建(イズモタケル)』や、東国の『まつろわぬ民=毛人(蝦夷)』を打ち倒しながら、『伊吹山の神』の前に倒れた天孫族のスーパースター『日本武尊』、『景行天皇』の息子に当たります。『日本武尊』とは何者なのか?続きは次回。

 

社長の古代史考察2026 ⑭

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『百襲姫命』のモデルと考えられる『デボラ』には、『蛇=悪魔(サタン)』の子を宿したという類いのエピソードは、残念ながら残されて言いません。『蛇』で思い出される世界的な著名人と言えば、自らを毒蛇に噛ませ命を絶ったエジプトの女王、『クレオパトラ 7世(紀元前 69年-紀元前 30年)』です。ローマ帝国の歴史との接点が見えたところで、今回は卑弥呼 第 2の人生、『神功皇后』の正体に迫りたいと思います。当ブログでの『神功皇后』の位置付けは、新約聖書に登場する『マグダラのマリア』です。『神』の子を宿したイエス復活の “功労者” であるだけでなく、本家・卑弥呼の後継者『田油津媛』を倒し、自ら『三韓征伐』に向かうなど、『神功皇后』の勇ましい姿は『マグダラのマリア』と言うより寧ろ、『蛇』との因縁を持つ『クレオパトラ 7世=百襲姫命』譲りと言えます。

『神功皇后』とは何者なのか?調べを進めるうちに見えて来たのが、シリアの砂漠に浮かぶ一介の都市国家だった『パルミラ』を、3世紀末にローマ帝国を脅かす “帝国” にまでに強大化させた、女帝『ゼノビア』の存在です。『ゼノビア』は『クレオパトラ 7世』の末裔を名乗り、エジプト侵攻に否定的だった夫『オダエナトゥス』が急逝すると遠征を断行、見事にクレオパトラの領土をローマ帝国から奪い返すことに成功したのです。『ゼノビア』の決断を後押ししたのが、哲学者であり主席政治顧問でもあった『ロンギノス』。『ゼノビア=神功皇后』『オダエナトゥス=仲哀天皇』『ロンギノス=武内宿禰命』と、ここまで役者が出揃うと、本仮説に反論する余地は、もはや何処にも無いのではないかと思います。

面白いのは、『ゼノビア』による地中海世界の支配が、ローマ皇帝『アウレリアヌス』の活躍により、途中で頓挫しているのに対し、『神功皇后』は九州南部の『熊襲』を平定、天孫降臨の聖地である『日向=エジプト』を奪還しただけでなく、『三韓征伐』にも成功している点です。記紀編纂チームには恐らく、『広開土王碑文』の記述内容(西暦391年に、倭人が百済と新羅を撃ち破り、臣民にした)を、知っている者が含まれていたに違いありません。エピソードを借用しながら結末は都合よく変更する点は、記紀の典型的パターンと言えます。

※誤字脱字を修正しました。

 

社長の古代史考察2026 ⑬

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日本最古の歴史書である古事記・日本書紀が、漢文訳の新・旧聖書及びローマ帝国の歴史書を下敷きにした、二次創作である可能性について言及して参りました。それらを日本に持ち込んだのは、『大秦国=ローマ帝国』出身の異端のキリスト教徒である秦氏、物語性のある日本神話として完成させたのが、天才女流作家・持統天皇なのではないか?というのが、当ブログの考えです。『百越』の流れを汲む『日琉語族集団=倭人(国津神)』の信じた、ギリシャ神話や初期キリスト教の影響は色濃く残しつつも、彼らの信仰の対象だった『蛇』と『金星』は、『ヨハネの黙示録』を正典化した正統派の教えに倣い、日本書紀に於いては “悪魔” に修正されています。また、呪術的な『黄泉がえり』の儀式はタブーとされ、死生観は “仏教的な”『輪廻転生』に統一されています。

邪馬台国の女王・卑弥呼については、記紀に登場しないのではなく、記紀自体が卑弥呼の『輪廻転生』の物語に満ち溢れていると申し上げました。今回 取り上げる『倭迹迹日百襲姫命』は、魏志倭人伝に名前が刻まれるが故に無視できず、記紀編纂チームが最も取り扱いに困った、国津神系倭人『土蜘蛛』の女王・卑弥呼を、天孫族の系譜に取り込む為に創り出された、架空の人物であると考えます。鬼道を操り人々を惑わせた後に転生を繰り返し、最後は初代女性天皇『推古天皇(古を推し量る天皇)』として、大国・隋との対等外交を目指しました。

では、その『百襲姫命』にモデルとなる存在が居たかと言うと、旧約聖書の世界で偉大な業績を残した『大士師』でありながら、『欠史八代』からは除外された『デボラ』こそ、それに当たるのではないでしょうか?『孝昭天皇』と比定した『バラク』とは、世代的なズレが生じてしまうものの、”女性預言者” というアイデンティティは何ものにも替え難く、『バラク』は『四道将軍』の一角であり、『百襲姫命』の弟でもある『吉備津彦命(キビツヒコノミコト)』として、崇神朝に再登板すると考えるのが妥当でしょう(『デボラ』と同時代に活躍した『バラク』は、900機の戦車部隊を歩兵で撃ち破った、将軍としての側面を持つ)。

『吉備津彦命』と言えば桃太郎伝説のモデルです。旧約聖書の『デボラ』に『ナツメヤシ』の逸話が残されているように、『百襲姫命』は『桃』との強い関連性が認められます。古来より『桃』には邪気を払う力が有ると考えられ、『吉備国(岡山県)』の弥生時代の遺跡からだけではなく、箸墓古墳の位置する纏向遺跡からも、古代の『桃』の種が大量に出土して話題になりました。

 

社長の古代史考察2026 ⑫

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『民のかまど』の逸話で知られる『仁徳天皇』に当たる、”聖帝” と呼ぶに相応しい人物が、仮に『コンスタンティヌス大帝(在位:西暦 306年~337年)』から、3人の息子の治世(西暦 337年~)の間に存在したとするならば、最早、記紀の記述とローマ帝国の歴史の類似性を、唯の偶然の一致と片付ける訳には行かなくなると思います。『コンスタンティヌス大帝』以外に、”大帝(徳が高く、理想的な統治を行った皇帝)=聖帝” の称号を与えられたのは、『テオドシウス大帝(在位:西暦 379年~395年)』と『ユスティニアヌス大帝(在位:西暦 527年~565年)』の 2人。本仮説に従うならば『テオドシウス大帝』は『継体天皇』であり、『ユスティニアヌス大帝』では残念ながら年代観が合いません。

ここで『仁徳天皇』の皇位継承に纏わる、兄弟愛の話について振り返ってみましょう。皇太子として、『応神天皇』の寵愛を受けた『菟道稚朗子(ウジノワキイラッコ)』は、異母兄の『大鷦鷯尊(オオサギノミコト)=仁徳天皇』に天皇の座を譲るべく、自らの命を犠牲にします。これは “ウサギの布施” の物語、つまり『仁徳天皇』は『神兎=釈迦如来』に選ばれた、”聖帝=聖人” なのではないか?とお話ししたと思います。では、『コンスタンティヌス大帝』の寵愛を受けながらも、”聖人” の座を譲った『菟道稚朗子』のような人物と、それを譲り受けた『仁徳天皇』のような人物の組み合わせが、果たしてローマ史に存在したかと言うと、これが本当に存在したのです。それは『アリウス』と『聖アタナシウス』。『三位一体』説を巡り、西暦 325年の『ニケーア公会議』で激突した 2人です!

個人的な信条は『アリウス=菟道稚朗子』に近かったとされる、『コンスタンティヌス大帝=応神天皇』が『聖アタナシウス=仁徳天皇』を選んだのは、『アリウス派』の背後に見え隠れする “マルキオン的” 二元論を恐れ、政治的に妥協した結果だと言われています。想定外の展開で異端とされた、『アリウス派』が『菟道稚朗子』と異なる点は、じっと我慢していた訳ではないことです。西暦 335年の『ティルス公会議』では、醜聞を捏造して『聖アタナシウス』を追求。その告発内容が女性スキャンダルと政敵の殺害(切断された腕)で、なんと記紀に残された『仁徳天皇』の “黒歴史” と完全一致するのです!!

『聖アタナシウス=仁徳天皇』という “ミッシング・リンク” の発見は、応神~欽明天皇の実在性を直ちに否定するものではありませんが、彼らの系譜・業績がローマ帝国の歴史から借用した可能性は、非常に高いと言わざるを得ません。最後に もう一人の “大帝” についても触れておくと、『ユスティニアヌス大帝』は『ローマ法大全』を編纂し、『ソフィア大聖堂』を建築(再建)しています。法を整備し お寺を建てた “聖帝” と言えば!?今日のところは、この辺りで見逃しておきましょう(苦笑)。

 

社長の古代史考察2026 ⑪

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。稲荷山古墳の鉄剣発見により、『ワカタケル大王=倭王武』と比定される第21代天皇の『雄略天皇』は、考古学的に実在したと有力視される天皇の一人です。近年は纏向遺跡の発掘調査が進んだことで、真の『御肇国天皇(ㇵツクニシラススメラミコト)=初代天皇』として、第10代『崇神天皇』の名前を挙げる方も増えたと思います。そんな中で、存在したことが確定的と考えられてきた第26代『継体天皇』の経歴すら、ローマ皇帝『テオドシウス大帝』からの “借り物” である可能性を指摘している訳ですから、保守派の皆さんのみならず進歩的知識人の方々から見ても、これは荒唐無稽な “トンデモ論” ですよねぇ(苦笑)。では第25代『武烈天皇』から世代を遡り、続きを探って行きましょう。

“断絶” の『㉕武烈天皇=グラティアヌス』の父親、『㉓顕宗天皇=ヴァレンス』は『㉔仁賢天皇=ヴァレンティニアヌス1世』の弟で、即位の順番こそ日本とローマで入れ替わりますが、”雌伏” の時代を過ごした 2兄弟としての共通点が存在します。『㉒清寧天皇=ヨウィアヌス』は “中継ぎ”、『⑳安康天皇=ガッルス(副帝)』と『㉑雄略天皇=ユリアヌス』も、日羅に於いて共に兄弟です。日本に於いては皇后の連れ子の、ローマに於いては正帝の怒りを買って、”誅殺” されるのが兄『安康天皇=ガッルス』、日本では『大悪天皇』の異名を持ち、残虐な性格で知られる弟『雄略天皇=ユリアヌス』は、ローマではキリスト教の背教者として、後世の歴史家によって “悪魔” の評価を受けています。

更に その前の君主たちは “だんご 3兄弟”、長男『⑰履中天皇=コンスタンティヌス2世』、次男『⑱反正天皇=コンスタンティウス2世』、三男『⑲允恭天皇=コンスタンティンス』と、日羅でピタリ一致します。共通の敵である『住吉仲皇子=クリスプス』を排除した後、ローマでは西・中・東と帝国を 3つに分けて分割統治、日本に於いては順番に皇位を継承しますが、『⑰磐余(イワレ)』『⑱丹比(タジヒ)』『⑲遠飛鳥(トオツアスカ)』の 3ヶ所に、それぞれ拠点を置いた点でもソックリなのです!

正に芋づる式!!記紀に於ける歴史の空白『欠史八代』の正体が、旧約聖書のモーセとダビデを繋ぐ『ヨシュア+7人の大士師(女性預言者デボラを除く)』であることを、発見した際の興奮を思い出します(笑)。ところが どっこい、土壇場で大問題に気付きました。ローマ皇帝の場合は日本の皇室とは異なり、血筋が繋がらないのは止むを得ないところですが、最後に挙げた 3兄弟は『コンスタンティヌス大帝』の実の息子で、日本に置き換えると父親は第15代の『応神天皇』。つまり 3人の実父に当たる “聖帝” 第16代『仁徳天皇』が、すっぽり欠落してしまうのです。『仁徳天皇』は誰なのか?続きは次回。

 

社長の古代史考察2026 ⑩

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。当ブログに於ける『応神天皇=八幡神』は、躱刑から復活したイエス・キリスト。”黄泉がえり” を許さない記紀世界では、『鎮懐石=石棺の蓋』を開いた『神功皇后=マグダラのマリア』の息子として “転生” し、生後 40日で昇天する代わりに、 “聖帝” として知られる『コンスタンティヌス大帝』の人生を与えられました。強力な軍事力を背景に、東西に分裂していたローマ帝国を再統一(西暦 324年)、コンスタンティノーブルへの遷都(西暦 330年)を行うなど、『胎中天皇』の異名を持つ『応神天皇=八幡神』が、中世には武運の神へと変貌した理由の一つが、ここに隠されていると考えています。

ローマ帝国の歴史上、”大帝” と呼ばれた皇帝は 3人。西ゴート族の侵入により混乱し、分裂状態に陥っていた帝国を、西暦 394年に再々統一した『テオドシウス大帝』も その一人です。西暦 383年に東方皇帝『グラティアヌス』が若くして暗殺されると、帝位に就いたのは、辺境の地(セルビア付近)で軍功を挙げた後、余儀なくされた隠遁生活から呼び戻された『テオドシウス』でした。かつての戦友であり同僚であった西方の反逆者『マグヌス・マクシムス』を討ち破り、帝国の再統合は果たしたものの、広大な統一ローマを 1人で治めるのは至難の業。結局『テオドシウス大帝』亡き後は、長男の『アルカディウス』が東ローマを、次男『ホノリウス』が西ローマを統治することとなったのです。

​日本の古代史に詳しい方であれば、既にお気付きのことでしょう。正史には記されなかった『二朝並立』説を付け加えると、越前国という僻地から召喚され都入りまで 20年、そして東西ローマ帝国の首都『コンスタンティノープル=大和』と、『ローマ=筑紫』を舞台として活躍した『継体天皇』のエピソードは、『グラティアヌス=武烈天皇』『マグヌス・マクシムス=筑紫国造磐井』『アルカディウス=安閑天皇』『ホノリウス=欽明天皇』等、キャラクター設定に微妙な “味付け” の違いは有るものの、全体としては『テオドシウス大帝』の人生ソックリそのままなのです!偶然の一致かも知れないと少し時代を遡ってみると、素人歴史愛好家にとっては涎が出るような宝の山を大発見!!続きは次回 お話ししたいと思いますので、お楽しみに。

※誤りを修正しました。【誤】生後 30日で昇天→【正】生後 40日で昇天

 

社長の古代史考察2026 ⑨

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。話題はガラリと変わります。『継体天皇』という存在は、日本古代史の最大の謎の一つです。18歳の若さで崩御した『武烈天皇』の後継として、越前国から迎え入れられた天皇で、応神天皇の五世孫とはされますが、実際には『王朝交代』が有ったのではないかとの議論が絶えません。『継体天皇』とは何者なのか?当ブログが調べを進めるにつれ分かってきたのが、日本の歴史に隠された深い闇の部分です。これから 4回に分けて、その辺りの お話をさせて頂こうと思いますので、是非お付き合い下さい。

越前国と聞いて、弥生時代の日本海側には『八千戈神』を祖神とする渡来系民族の、倭人(国津神)のそれとは全く異なる文化圏が存在したと考える私が、最初に疑ったのも やはり彼らによる『王朝交代』の可能性です。西遼河の高度な文明を もたらしながら、天津神の軍事支援を受けた『大国主命≠八千戈神』に出雲の地を奪われ、海路 逃れた越国で再起を図った北東アジア出身のグループが、いよいよ政治の表舞台に姿を現したのではないかと。即位してから大和に入るまで20年を要した政治的混乱、そして西暦 527年の筑紫国造磐井との大戦争と、『王朝交代』を感じさせる要素は満載です。

しかし、この考えに待ったをかけたのが、『継体天皇』後の皇位継承を巡って起きたとされる『辛亥の変(西暦 532年)』、日本が安閑・宣化天皇(長男系・大和)と欽明天皇(次男系・九州/難波)の 2つの勢力に、真っ二つに分断されたとの仮説です。この『二朝並立』説に関して ここで詳述することは避けますが、北九州に残った国津神 最後の抵抗勢力を倒しておきながら、その後すぐに『二朝並立』とは一体どういうことなのでしょうか?謎解きのヒントは意外なところに隠されていました。次回は再び、ローマ帝国に戻ります。

 

社長の古代史考察2026 ⑧

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。日本の古代史を語る上では、中国三大宗教の一つ『道教』についても、触れない訳にはいきません。今から約 2500年前の『老子』や『荘子』の教えを土台に、神仙思想や風水などを融合、1800年前頃に体系化された中国固有の宗教と言われます。中華世界の中心に『黄帝(土星)』を据える一方で、『太白(金星)=大将軍』を西方の守護神と位置付けることからも、キリスト教などローマ帝国から流入した価値観を、数多く包含しているものと思われます。日本では西暦 794年の平安遷都の際、桓武天皇が大内裏の西北に『大将軍八神社』を配置、都を守らせたそうです。

『道教』に於いて本来、”軍事・刑罰の神” であった『太白(金星)=大将軍』は、時代の流れと共に “慈悲深い老人” へと、そのイメージを変化させて行きました。その変遷は非常に興味深いもので、『マルキオン派/マニ教』の二元論の影響を受け、イエス・キリストが ”(残酷な)裁きの神” から “愛の神” へと、変貌を遂げる過程に良く似ています。西暦 5世紀頃(1600年~1500年前)に、金星が『堕天使ルシファー=サタン』と結び付けられて以降、殺伐・処罰・軍事といった『太白(金星)=大将軍』の負の側面は、陰陽道の大凶神として知られる『金神(金星)』に、引き継がれることとなったのではないでしょうか?

『明けの明星』である堕天使ルシファーとの対比により、大天使ミカエルは西の象徴『宵の明星』とされる場合が有り、同じ金星であることから、近年のエンターテインメント作品では、両者を “双子” と解釈する設定が見受けられます。天文学や占星術の導入が進んだ平安時代には、『明けの明星』と『宵の明星』が同一の星であるという知識は貴族社会では浸透していて、『建御雷之男神(藤原不比等)=大天使ミカエル』を祖神と崇める藤原氏も、『牛頭天王(須佐之男命)=堕天使ルシファー』を『防疫神/除疫神』として受け入れ、信仰の対象としていた様子が伺われます。

新・旧聖書の世界に於いて楽園を或いは天界を追われた後、転生を繰り返し救世主となった『太白(金星)=大将軍』に、須佐之男命という名前を与え物語を紡いだのは、孫の成長に一縷の望みを託した持統天皇だというのが、当ブログの基本スタンス。仏教の世界では『薬師如来』に当たり、その宿命を負った『文武天皇』が若くして急逝したことで、記紀神話の結末は完全に闇に葬り去られてしまいました。この時 宙に浮いた救世主の座を奪ったのが藤原氏、そして藤原氏が恐れ続けた怨霊の正体が、長屋王や早良親王ではなく、実は『文武天皇=須佐之男命』だったとしたならば、色々と辻褄が合って来ると思いませんか?

 


社長の古代史考察2026 ⑦

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。古代日本に伝わったと思われる もう一つの異端の教え、『天使キリスト論』についても ご紹介しましょう。イエス・キリストは神に準ずる霊的存在の『天使』であるというもので、しばしば同一視の対象とされるのが『大天使ミカエル』です。ユダヤ教的であるとして『マルキオン派』が徹底排除した『ヨハネの黙示録』の中で、『竜(古き蛇)=サタン(後に堕天使ルシファーと結び付けられる)』を倒した存在として描かれていることが、一つの根拠に挙げられていて、当ブログに於いて『大天使ミカエル』と言えば、藤原氏の氏神『建御雷之男神』のことです。説明しましょう。

藤原氏が氏神を祀る春日大社には、『建御雷之男神』を東方の常陸国の鹿島神宮から勧請した際、白鹿に跨がって やって来たとの創建伝承が残っていて、『ヨハネの黙示録』に登場する「白馬に乗った騎士=イエス・キリスト」と驚くほど似ています。『天使キリスト論』の立場から見ると、「東(日の出る方)」から現れた「神の印を持った天使」と「白馬に乗った騎士」は同一であり、天の軍勢の総帥『大天使ミカエル=イエス・キリスト』と解釈されます。春日大社の祭神『天児屋根命』『比売神』は、それぞれ『中臣鎌足=大天使ガブリエル』と『鏡王女=聖母マリア』であると申し上げてきましたが、『大天使ミカエル=白馬に乗った騎士』であるとした『建御雷之男神=白鹿に乗った武神』の正体も、これでハッキリしたと思います。

『建御雷之男神』とは宦官の中臣鎌足が賜った “中大兄皇子” の息子(兄弟は山幸海幸のように入れ替わり、実際は大海人皇子の息子であると当ブログでは考える)、『藤原不比等=イエス・キリスト』だということです。『甕星族』として行動を共にした外物部とは “同床異夢”、藤原氏にとって金星は飽くまでも『大天使ミカエル=イエス・キリスト』であり、鹿島神宮の『要石』に封じ込められた大ナマズこそ、『竜(古き蛇)=サタン』なのかも知れませんね(笑)。『ヨハネの黙示録』の記述に合わせ『常陸国=東(日の出る方)』に建てられた以上、鹿島神宮の歴史を紀元前660年(神武天皇元年)まで遡るには無理が有ります(苦笑)。

春日大社の もう一柱、香取神宮から勧請された『布津主神=大天使ミカエルの聖剣』についても、『ヨハネの黙示録』の中で言及されています。その聖剣は西洋絵画に於いては、燃え盛る『炎の剣』として描かれるのが一般的ですが、『ヨハネの黙示録』では「口から出る剣」という文言で、『最後の審判』でイエス・キリストが発する、裁きの言葉の絶対性を比喩的に表現。純粋な “愛の神” というよりは寧ろ、”残酷な創造主” としてのヤハウェが持つ、神の権威を強く想起させるものになっています。

 

社長の古代史考察2026 ⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。『モンタノス派』や『アスクレピオス教』のみならず、異端・異教の烙印を押された教えの多くが、ローマ帝国を逃れ各地で独自の進化を遂げた後、日本列島にも辿り着いたものと思われます。西暦 150年頃(約 1900年前)に現れた、キリスト教『マルキオン派』も その一つで、異端の宗派としては最大勢力。その極端な二元論を理解することは、理屈抜きに受け入れなければならない、『三位一体』説という難解な教義の存在理由を考える上で、重要な示唆を与えてくれます。

新約聖書に於ける真の神は純粋な “愛の神”、”残酷な創造主” の側面を持つ旧約聖書の神とは相容れません。『マルキオン派』では両者を別々の神と捉え、ヤハウェが土を捏ねて造った肉体(物質)は『悪=闇』であり、『善=光』なる魂(霊)を肉体という牢獄から解放することが救済であると考えます(イエス・キリストは肉体を持たない霊的存在)。これはキリスト教による旧約聖書の完全否定、つまりユダヤ教との決別を意味する訳で、今までにも何回か お話しして来た、所謂『グノーシス主義』に近い考え方です。

勿論、正統派教会は これを許しません。『父=ヤハウェ』と『子=イエス・キリスト』を不分割とする『三位一体』は、キリスト教の分離独立を阻み、ヤハウェの『律法』に縛り付ける為に編み出された、一種の “便法” であると考えることも出来そうです(事実、『ニケーア公会議(西暦 325年)』の決定は、多分に政治的判断だったとされる)。その後の激しい弾圧にも耐えた『マルキオン派』は、東方で同じく二元論を唱えた混合宗教の『マニ教』に吸収された後、変容を繰り返しながらも中国全土に拡大。ここでも迫害を受けましたが、江南の雲南省泉州付近で秘密結社として、中世に於いても活動を続けたと言われます。

肉体的な性別より性自認を優先する近年の傾向は、非常に “マルキオン的” です。ユダヤ性の否定と物理的排除(≒魂の救済?)は、イエス・キリストを『アーリア人』と定義する、ナチス・ドイツによるホロコーストへと繋がりました。『福音派』がイスラエルに寄り添うのも、これで説明が付きます。以前、記紀神話は新・旧聖書を下敷きにしながらも、旧約聖書に批判的な内容に書き換えられていると申し上げた通り、『大物主神』はヤハウェのダークサイドであり、『和魂』の側面が描かれたシーンは存在しません。記紀編纂の中心人物と目される持統天皇が、牢獄からの解放として火葬を選択していることからも、記紀には『マルキオン派』の影響を感じ取ることが出来ます。熊野三山は『三位一体』説に倣い “反マルキオン的”、持統天皇に批判的な勢力と考えられます。

※一部、誤りを修正しました。

 


社長の古代史考察2026 ⑤

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。ローマ帝国が広大な領土を支配する上で、巧みに利用したのがワインです。パン・ワイン・オリーブオイルの 3点セットは、当時のローマ帝国に暮らすなら、誰もが憧れる文明的な生活の証し。その中でも、庶民に溜まった不満のガス抜きの実用的手段として、ブドウ栽培とワイン造りは各地で奨励されました。『パン=聖体』『ワイン=聖血』と考えるキリスト教の国教化も、この文脈で捉えると違った側面が見えてきます。このようなローマ的市民生活を肉欲的だとして、反旗を翻したのが『モンタノス派』であると言うことも出来そうです。

『モンタノス派』は厳格な禁欲主義。ワインを含む飲酒を厳しく制限していたと考えられていて、ギリシャ神話に登場する詩人『オルフェウス』の悲劇から生まれ、同じく飲酒を禁じた『オルフェウス教』とは類似点が多く、『モンタノス派』の終末思想に大きな影響を与えたと思われます(死んだ妻を追って冥界入りした『オルフェウス』は、記紀神話の『伊邪那岐命』のモデルとも言われる)。『モンタノス派』発祥の小アジアは、ワインの一大産地として知られていて、弾圧される切っ掛けとなった その熱狂(秘密の儀式による集団催眠)は、ギリシャ神話の “ワインの神様” を信仰する、『ディオニュソス教』との関連性を指摘されることも有ります。『ディオニュソス』は “狂気と陶酔の神” としても知られ、お酒の力を借りて理性の殻を打ち破り、本能的なエネルギーを解放することを中心とする教えです。

このような両極端を避け、適切な “落としどころ” を選ぶ考え方を、ギリシャ哲学に於いては『中庸』と呼びます。哲学的思索を好んだ古代ギリシャ人にとってワインは、謂わば脳みその “切り替えスイッチ”、極端な禁欲主義も理性を失うほどの泥酔も良しとしません。ワインをストレートで飲むのは野蛮と見做され、水で割って飲むのが当たり前。その比率はなんとワイン『 1』に対して水『 2~ 3』だったそうです!!『モンタノス派』と覇権を争った『アスクレピオス教』は、医学的な見地からワインのメリット・デメリットを評価しています。

当ブログでは、倭人(国津神)と天孫族の対立軸の一つに、飲酒に対する態度の違いを挙げて来ました。ワイン造りの手法が東アジアに伝わったのは約 2200年前、気候的な制約も手伝って定着することは有りませんでしたが、一方で 約 3000年前には既に存在したと思われる『蛇酒』には、蛇を漬けるのではなく蛇の生き血や胆汁を混ぜるものも有り(『蘇生の力』を持つ『メデューサ』の血に由来し、蛇血酒は鮮やかな赤色に、蛇胆酒は緑色に発色する)、初期キリスト教の受容以降、倭人(国津神)は これを『聖血』として好んで飲んだのではないかと考えています。

 

社長の古代史考察2026 ④

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。クリスマス・ツリーの頂点に飾り付ける星を、『ベツレヘムの星』と言います。マタイの福音書に登場する『ベツレヘムの星』は、イエス・キリストの誕生を知らせ『東方の三賢者(三博士)』をベツレヘムに導いた星として知られ、木星と土星の大接近や彗星の出現を指すとも言われますが、当ブログでの これまでの考察から、遊行する『金星』であり『聖霊』を意味することは、ほぼ間違いないでしょう。『金星』が『サタン=堕天使ルシファー』と関連付けられる以前、『金星(明けの明星)=イエス・キリスト』は暗い夜の終わりであり、新しい時代の到来を象徴するものでした。

そうは言っても、自由奔放に飛び回っては信者に憑依して、新たな預言(神の啓示のアップデート)を残す『聖霊=金星』ほど、教義の一本化を図ろうとする当時の正統派教会にとって、手に負えない存在は有りません。今から 1900年近く前(西暦 150年頃)に現れて、終末論的な主張を展開した『モンタノス派』は、イエス・キリストの再臨と新エルサレムの建国が近いことを預言、悪霊の仕業として正統派からの批判を受けながらも、小アジア(現在のトルコ)を中心に多くの人々を熱狂の渦に巻き込んで行きました(『モンタノス派』の終末論の拠り所とされた、『ヨハネの黙示録』は西暦 363年に一旦、27の正典候補リストから外された)。

超自然的な力が全てを支配していた古代に於いて、宗教と医術に明確な境界線は有りません。小アジアに於いて、『モンタノス派』と激しく信者の争奪戦を繰り広げたのが、実は古代ギリシャ神話に起源を持ち、ローマ帝国公認の医療機関としての役割りを果たして来た、『アスクレピオス教』だったのです。西暦 313年の『ミラノ勅令』により信教の自由が保障されると、”無償の癒し” を与えた『モンタノス派』に勝利の軍配が上がります。更に西暦 392年にはキリスト教の国教化が決まると、異教の『アスクレピオス教』は解体、その施設のうち或るものは破壊され、或るものはキリスト教会や修道院に改修・再利用されて行きました。

皮肉なことに『モンタノス派』も又、異端の教えとして弾圧の対象となりました。最後は西暦 722年の集団自決によって、組織としての姿を消したと言われていますが、本当でしょうか?『聖霊=金星(虚空蔵菩薩)』は、室戸岬で修行中の空海の元にも現れました。藤原氏が遷都に深く関わったとされる『平安京』は、新たな『エル・シャローム=平和なるもの』という意味であるとも言われます。何よりもトランス状態で神の言葉を語った、『モンタノス派』の 2人の女性預言者『プリスカ』と『マクシミラ』は、邪馬台国の卑弥呼や沖縄・奄美地方の民間霊媒師『ユタ』を強く連想させます。『難升米』一行が倭人の起源を語った西暦 239年と時系列的な矛盾もなく、『太白(金星)=大将軍』は『明けの明星=イエス・キリスト』だったに違いないのです。

※一部、誤りを修正しました。

 

社長の古代史考察2026 ③

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。歴史的文献・ゲノム解析・風俗習慣・稲作の起源・言語的比較など、倭人が『百越』の一支族である証拠が数多く出そろう中、今回は『魏志倭人伝』の伝える通り、倭人は “『太伯』の後裔” を自称したのかどうか?について検証してみたいと思います。『蛇酒』が『須佐之男命=イエス・キリスト』の辿った軌跡の一部であるならば、倭人が “『太白(金星)=大将軍』の後裔” と名乗った可能性も否定できず、中国側が誤解して『太伯』と記録に残したと考える、当ブログの仮説を裏付ける形となります。また、『悪魔(金星)崇拝=鬼道』から『太陽信仰』への移行を語ったと解釈 出来る、西暦 600年の遣隋使の謎の言葉の意味もスッキリと説明が付く訳です。

先ずは『太伯』とは何者なのか?ご説明しなければなりません。『太伯』は約 3100年前、現在の中国江蘇省無錫市(長江の河口付近)に、『句呉(コウゴ)』を建国した伝説上の人物です。周王朝の祖である『古公亶父』の長男で、周王朝の玉座は三男の『季歴』に譲ったとされます。『太伯』は『句呉』を興すにあたり、その地に住む人々『荊蛮(ケイバン)』に合わせ、髪を切り全身に刺青を彫ったと言われていて、その習俗の類似性から『荊蛮』も広義の意味で、『百越』に含まれるのではないかと考えられています。なお、『句呉』は単に『呉』と呼ばれることが多いですが、『太伯』の建てた『呉』は約 2600年前に隣国の『越』により攻め滅ぼされており、三国時代(約 1800年前からの60年間)に『魏』と覇権を争った、『呉』とは別の国なので注意が必要です。

次に “『太伯』の後裔” と称したと記録に残るのは誰なのか?ご説明しましょう。邪馬台国の女王・卑弥呼が『魏』に朝貢したのが、今から約 1800年前(西暦 239年)のことで、かの有名な『親魏倭王』の金印と銅鏡100枚を下賜されました。この時に使節団を率いたのは『断髪文身』姿の倭人、『難升米(ナシメ)』と『都市牛利(トシゴリ)』です。中国サイドに『荊蛮』との容姿の類似を指摘され、同調しただけとの説も有力ですが、使節団の誰かが自らの出自として “『太伯』の後裔” と語ったとされています。どちらにしても『魏』の官人たちは、倭人と『荊蛮』は同一であると理解したということです。

『太伯』か『太白(金星)=大将軍』か?ここでポイントとなるのが、三度 登場、『論衡』に見られる倭人の『鬯草(ウコン)』献上の記事です。『句呉』は周王室と同じ血筋の言わば “兄弟国家”、時の周王である『成王』は『季歴』の曽孫に当たります。仮に世代交代が進んで関係性が薄くなったとしても、流石に同族からの使者を、白雉を貢いだ『越裳(百越の一部族)』と同列に扱い、 “倭人” という蔑称で呼ぶことは無かったのではないでしょうか?そもそも江蘇省でウコンは育ちません。つまり『句呉』に住む『荊蛮』は、『百越』の一支族だったとしても倭人ではなく、邪馬台国の使節が意図したのも 、『句呉』建国の祖『太伯』ではないと推測することが出来るのです。

 


社長の古代史考察2026 ②

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。約 7300年前の『喜界カルデラの大噴火』により壊滅的ダメージを受けた西日本に、人類の活動再開を示す遺跡の一つが岡山県の『朝寝鼻(アサネバナ)貝塚』で、2005年の調査ではイネの『プラント・オパール(植物珪酸体)』が大量に検出されたことから、日本の稲作開始の歴史を約 6000年前まで遡らせる可能性を示すとして、一躍 脚光を浴びる存在となりました。約 7000~5000年前の『縄文海進』の温暖期と重なる、この時代の地層からの『プラント・オパール』の発見は、空白地帯に移り住んだのは東日本の縄文人ではなく、『熱帯ジャポニカ米』の栽培された中国南岸から黒潮に乗ってやって来た、『倭人(国津神)=日琉語族集団』であると考える当ブログの主張を強力に後押しします。

しばしば指摘を受けるのが、我々 日本人が食する『温帯ジャポニカ米』は、長江流域発祥ではないか?という点です。これに関しては意外とシンプルに反論することが可能で、『4.2kaイベント』により長江文明が消滅していることからも、長江流域で水稲耕作に従事していた人々が耕作適地を求め南に移住、その際に『温帯ジャポニカ米』の種籾が珠江流域に持ち込まれたのだろうと考えています(このタイミングで、山東半島方面に北上したと考えるのは不自然)。寒冷化は 100年~300年後には終息。温暖で安定した気候に戻った 4000年前頃の日本で、本格的な『温帯ジャポニカ米』の栽培が始まったこと、多くの弥生遺跡から『熱帯ジャポニカ米』の炭化米も見つかることは、このような経緯で米作が日本列島に もたらされたと考えれば、何の矛盾もなく辻褄が合う訳ですね。

そもそも、江戸時代の初期まで日本の一般庶民が食べていたのは、いま私たちが口にするような “白米” ではなく “雑穀米”。そこにはアワやヒエの他にも、『赤米』や『黒米』等の古代米が含まれていました。また、2012年に行われたイネのゲノム解析の究結果からも、中国と日本の『温帯ジャポニカ米』が持つ『qSH1』遺伝子の変異は、『熱帯ジャポニカ米』に由来していることが分かっていて、『4.2kaイベント』により大陸南部で誕生した『熱帯ジャポニカ米』と『温帯ジャポニカ米』の交雑種が、日本に於いて長年に亘って栽培されて来た証拠であると考えられます(朝鮮半島の『温帯ジャポニカ米』は、『qSH1』遺伝子の変異を持たない)。『古モンゴロイド』と『新モンゴロイド』の “混血民族” である、『倭人(国津神)』が生まれたプロセスとよく似ていて、非常に興味深いですね。

米作が南から伝わったとなると、言葉の起源だけが北に在ると考えるのは非常に無理が有ります。この地域に『日琉語族』に似た特性を持つ言語がないか探してみると、やはり存在しました!それは『チベット・ビルマ語派』と呼ばれ、チベットからヒマラヤ・北東インド・中国南西部・ミャンマー・タイに分布ます。基本語彙に類似点が多いことから、SVOの孤立語(≠膠着語)で文法的に体系だった敬語を持たない、中国語と同じ『シナ・チベット語族』に分類されますが、その実はSOVの膠着語で謙譲表現を含む敬語を持っていて、日本語と似ている部分も非常に多いのです。

 


社長の古代史考察2026 ①

明けましておめでとうございます。㈱昭和技研工業の岩井です。昨年『鏡餅=儺負人(イエス・キリスト)』にまつわる考察をしたこともあって、今年は少し違った心持ちでお雑煮を食べました(笑)。令和の米騒動の煽りを受けて餅米が不足、お餅の価格も高騰していますが、このお正月、皆さんは何個のお餅を食べましたか?さて、正月に無病長寿を願って飲むのが『お屠蘇』です。山椒・桔梗・桂皮など 5~10種類の生薬を、日本酒やみりんに漬け込んだ薬草酒ですが、約 3000年前に『倭人』が周王朝に献上したとされる、『鬯草(ウコンと考えられる)』は含まれていないようですね。ウコンは熱帯・亜熱帯系に育つショウガ科の多年草。本来は外来種でしたが、現在は沖縄や奄美大島にも自生していて、台湾は主要な産地の一つに数えられるそうです。祭祀に用いられる神聖なお酒を造る為の原材料として、古代中国では重宝されました。

その中国で昔から重要な医薬品の一つと考えられ、日本でも滋養強壮に効果があると知られているのが、マムシなどの蛇をお酒に漬け込んだ『蛇酒』。ここで又しても蛇が登場する訳ですね(笑)。特に沖縄・奄美地方の『ハブ酒』の場合、漢方の他にも “地元特産” のウコンが配合され、ベースに使われる お酒は泡盛であることが一般的です。泡盛は『日琉語族集団=倭人』にとって、洗骨の儀式にも使われた神聖なお酒です。『蛇酒』の文化は中国・日本をはじめ、ベトナムや東南アジア全土に広く見られ、蛇の持つ特別なエネルギーを身体に取り込むという宗教的な側面は、『百越(倭人を含む)』の龍蛇信仰と無関係だとは考えられません。

面白いことに、お酒に弱い原因とされる所謂 “下戸遺伝子” の保有率は、44%と日本人が最も高く(つまり一番お酒に弱い)、その起源は『鬯草(ウコン)』の原産地と同じ中国南部とされます。アルコールの代謝物であるアセトアルデヒドは毒性が強く、その分解酵素の働きが弱いことがマラリアなどの、蚊が媒介する感染症への防御反応としては有利に働くことから、水稲耕作の盛んな東アジアに広まった(自然選択された)とも考えられています。

古代エジプト文明に遡るとされる、永遠の象徴『ウロボロスの蛇』、古代ギリシャ神話の『アスクレピオスの杖』や『カドゥケウスの杖』、そして旧約聖書に現れる『青銅の蛇』と『炎の蛇』等、西方から中国南部に伝わった蛇にまつわる物語は、神や皇帝への供物『蛇酒(お酒に漬け込まれた蛇)』へと姿を変えた後、薬用酒として現代日本まで受け継がれて来たに違いありません。『蛇酒』も『鏡餅』と同様に、自らを生贄として捧げた “仔羊” だったんですねぇ。龍蛇神としての性格も併せ持つ、『須佐之男命=イエス・キリスト』の辿った軌跡と考えて間違いないでしょう。

2026年は投稿の頻度を少し減らす予定です。ご理解の程、宜しくお願い致します。

※一部、文言の加筆を行いました。