社長ブログ

社長、with コロナを生きる⑯

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。公害防止事業団(現 環境再生保全機構)による町工場の集団移転という枠組みを活用、 大気汚染や水質汚濁・騒音・振動等に寄せられる近隣住民の苦情に、肩身の狭い思いをしていた中小企業 17社が寄り添って、1988年3月に協同組合を設立したのが “ミニ工業団地” の始まりです。残念ながら、好景気の際に計画した崇高な理想は、思い通りには進みません。バブルが崩壊すると発足メンバーが相次いで離脱、竣工・引渡し後にも脱退する会社が出るなど紆余曲折の末、新たなメンバーを加えた14社による船出は、前途多難なものとなりました。

私が入社したのが工業団地への移転の翌年、1994年4月のことです。工業団地に続くメインの通りはまだ舗装されておらず、辺りにはコンビニ 1軒すら無い “僻地” でした(苦笑)。埼玉県が企業誘致を始めてから工業団地は徐々に拡大。『伊奈北部工業団地 』と正式に呼ばれるようになったのは、1997年8月に工業団地の連絡協議会(先行14社を含むが、協同組合とは別の組織)が発足した前後だったと思います。以降、弊社は本社工場に加えて、開発実験棟・組合会館(会議研修棟)・第五倉庫の 3つの施設を工業団地内に取得。今でこそ有効活用させて頂いておりますが、それらは当時、必ずしも前向きな投資だった訳ではありません。長引くデフレ経済に耐え切れず組合員が次々と店を畳む中、協同組合という『共助』の現実を目の前に、弊社独自の人員計画・設備計画を断念せざるを得なかったのがこの時期です。

その後のリーマンショック・東日本大震災と、更なる厳しい試練を耐え抜いた11社は、2013年3月に集団化事業に関する償還期限を無事満了、20年余りに渡る私たちの戦いは一つの区切りを迎えました。『共助』は美しく、そして過酷です。 伊奈町の町制施行50周年を記念する2020年11月、with コロナという時代を生き抜く為の新たな戦いは、既に始まっているのかも知れません。

 

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