社長ブログ

ラッキーな社長⑥

こんにちは。㈱昭和技研工業の岩井です。競泳、池江選手の白血病公表から1ヶ月。専門家によれば、治療に伴う『しんどさ』も、そろそろピークを過ぎた頃でしょうか。それにしても、彼女のポジティブさには、頭が下がります。たくさん泳いで、たくさん食べる。食いしん坊の池江さんの明るい笑顔が、早く見られると良いですね。皆で応援しましょう。

さて、14日(月)は、暗いうちに家を出ました。地震から3日目、計画停電の内容がハッキリしない中、午前6時20分までに会社に行けば、少なくとも電話は繋がります。午前5時前だったでしょうか。早朝に失礼は承知の上、まず、弁当屋に1本電話を入れました。会社に辿り着いた仲間には、せめて昼飯くらい喰わせてやりたいと。『はい、M社です。今日は出来ますよ。』と、昔馴染みの女社長の声。つい、嬉しくなっちゃって、『うちも営業してますんで、いつも通りお願いします。』と、電話を切ろうとすると、『失礼ですけど、どちら様で?』と。いやいや 興奮の余り、私、会社名を名乗るのを忘れちゃっていたんですね、お恥ずかしい・・・。取り敢えず、この日の弁当は確保。

買い占めの影響で、十分な食材も配送用のガソリンも、手に入るか分らない。しかも計画停電と来れば、お弁当屋さんにとっても、かなり厳しい状況だったことは、間違いありません。15日(火)以降もM社が営業を続けられるのかどうか、次の連絡が来るのを待ちました。コンビニの棚もスッカラカンの有り様ですから、弁当屋に頼らずに、70食前後の食料を、会社が毎日調達し続けるのは 不可能な状況です。昼食は個人で持参してもらうよう、皆に説明しなきゃいけないな・・・。半分くらいは諦めかけた、そんな時だったと思います、M社から回答があったのは。『お弁当作ります。やらせて下さい。』と。場合によっては、約束を守れないかもしれない。でも諦めれば、彼らだって収入の道が断たれてしまう。ギリギリの中での、勇気ある決断だったと思います。嬉しかったなぁ、あの一言は。人間、腹ペコじゃ、力が出ないんですから!

今回は、普段は地味で目立たないけれども、2011年の震災直後に、私達の仕事を影で支えてくれた、お弁当屋さんのお話をさせて頂きました。

※一部、漢字の誤りを修正致しました。